ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

自然の造形

2009年08月24日 | 日々のつぶやき
玄関の鉢植えのサギソウが今年も咲きました。
以前、庭に植えていたらほかの雑草にまぎれて、絶えてしまいました。
それ以来は鉢植えにしています。
まるで本当に白い羽根を広げて飛んでいるようです。
自然の造り出す姿には脱帽です。

ドクターヘリ

2009年08月15日 | 医療
観光有料道路を通って近くの高原に行ったら、ドクターヘリがいました。
どうやら近くで交通事故があり、地元の大学にヘリを要請したようです。


観光に訪れていた人たちも、遠巻きに心配そうに集まっていました。


このドクターヘリ、実は出動すればするほど、赤字になるらしい。
でも、当県は面積が広いので、ヘリの存在はかなり救命率も高いようです。

そういえば先日、市内で交通事故にあったという私の患者さん(子どもです、もちろん)が、
近くの競馬場に救急車で運ばれ、そこからドクターヘリで大学病院まで搬送されたそうな。
事故の様子を聞けば、よくぞ助かったねぇ、という状況でした。
お母さんも、今だから落ち着いて話せるけど、といって教えて下さったのでした。

ドクターヘリが当県で運行されるようになって、約1年半。
今年の7月には1ヶ月で45回ぐらいの出動要請となっています。
大学の救急センターのスタッフは限られているし、ヘリだって1台しかありません。
件数がふえれば、疲労も重なるでしょう。
あれに乗っているのが、もしもわたしの家族だったら・・・。


患者さんの無事とともに、救急にかかわる方々の無事も祈りながら、
飛んでいくヘリを見送りました。




老舗旅館

2009年08月14日 | 
本当に久方ぶりに、夫も休暇がとれたので(といっても携帯は常にオンにしたまま)、
老舗旅館に家族で一泊してきました。
盆踊りの期間中で、温泉街のまん中を流れる川の中に屋台がしつらえてあり、
川沿いの道を橋ふたつでつなぎ、ぐるっと川を囲むように盆踊りの輪ができて、賑やかでした。
その老舗旅館は、かつてその地のお殿様御用達だったそうな。
明治・大正・昭和と、少しずつ増改築を重ねながら、古い造りを今も守っています。
このご時世、これまでにも、何度か近代的な建物に替えようかと迷ったこともあったようです。
でもこの旅館はあくまでも古いものを活かし、
インターネット配線なども目立たないように工夫が施されています。
廊下の隅々まで、塵ひとつなくぴかぴかに拭き清められていました。
20数年も前に数回訪れたきりで、もう若いご夫婦に代替わりしていましたが、
女将さんのとびきりの笑顔やスタッフの方々の生き生きと立ち働くさまは、
滞在するわたし達にとっても心が洗われるようなひとときでした。
もちろん、お料理も格別であったのは言うまでもありません。

どうかいつまでも、この風情を後生に残してほしいと願っています。


蓮の花

2009年08月13日 | 日々のつぶやき
お墓参りに行きました。
境内にある池には、一面に蓮の花が咲いていました。

蓮の花は、根が泥沼に生えていても、水面上には美しい花を咲かせることから、
仏教の教えにつながっているのだそうな。

今日は迎え火を焚いて、先にあちらへ逝かれた方々をお迎えする日。



恩師のこと(1)

2009年08月09日 | 日々のつぶやき
日頃わたしが恩師と尊敬する方々はたくさんいます。
怠け者のわたしにとっては、
これまで出会った諸先輩方の全てが恩師と言っても過言ではありません。

でも、あえてしぼるとすれば3人。

そのうちのひとりめは、
小学校の担任、K先生です。

わたしが小学1年の途中から小学6年の秋まで通った小学校は、1学年わずか13人。
全校生徒が80人そこそこの、ちいさな学校でした。
母の診療所開業に伴い、1年生の1学期の終わりにそこに転校しました。
ダム建設に伴い廃校になり、今はもう、校庭も湖底に沈んでいます。
  (コウテイもコテイに・・おやじギャグじゃないけど σ(^◇^;) )
当時、街から転校してきたということで、上級生の男の子にはいじめられました。
でも、そんなことでひるむわたしではありません。
大人への人見知りは強かったけど、子ども同士では活発でした。
運動はできなかったけど、勉強はできたし、村では誰も習ってないピアノも弾けたので、
当時の担任の先生からは贔屓された記憶があります。
村の人たちも、診療所の一人娘ということで、特別扱いだったと思います。
子どもって、こういう時、残酷なほど得意になります。
 
当時のわたしは、わがままお嬢といってもいい振る舞いだったと思います。

K先生は、3年生の時に赴任してきて5年生までの3年間を受け持っていただきました。
大学出たてで、新任の挨拶の時にはまだ学生服を着ておられました。
先生は、新学期で学級委員長を選ぶ時に、
「成績などではなく、みんなが好きな人を選んで下さい」
とおっしゃいました。
その当時は、慣習的に、勉強の出来る子が学級委員長に選ばれるのが普通だったのです。
今は学級委員長になりたい子どもなんてあまりいないかも知れませんが、
当時は、選ばれることは子ども社会でも名誉なことだったのです。
それまでの学級委員は、わたしか、もうひとりの勉強の出来る子のどちらかでした。
でも、K先生の提案でみんなが選んだのは、わたしではありませんでした。
その後6年生で他の学校に再度転校するまで、わたしが選ばれることはありませんでした。

小学校4年生のある放課後、女の子数名が残って、K先生の手伝いをしていました。
先生は、宿題や自主勉強の採点をなさっていたと思います。
ある生徒が、他の子よりもたくさん課題をやってきていたのを、先生が賞めました。
その子は普段はあまり勉強ができる子ではありませんでした。
わたしは、
「でも○○くんは、その割に勉強はできないよねぇ。」
何気なくこう言ってしまったのです。
先生が賞めたから悔しくてでも何でもなく、つい思ったことを言ってしまったのです。
先生はそれには答えず、すぐにほかの話題にうつりました。
一緒にいた女の子たちも、聞いていたのかいなかったのか、そのことには触れませんでした。

それから数日後の道徳の時間。
人としての大事なこと、などのお話だったと思います。

人として大切なことは、勉強ができるとか、1等賞とか、そんなことではありません。
一生懸命努力すること、頑張ること、思いやる心をもつことが、とても大切なことです。
一生懸命頑張っているともだちを馬鹿にする人は、先生は嫌いです。

こうおっしゃったのです。

わたしは、はっ としました。
先生は、数日前のわたしのことをおっしゃっているのだ。
生まれて初めて、人として自分がどんなに恥ずかしい奴だったかを知った瞬間でした。

その年のある雪の降る夜。
わたしは家庭内のいろいろなことで、いたたまれなくなって、家出をしました。
自分なんか、生まれてこなけりゃ良かったんだ・・・。
子ども心に、寒さにこごえて死んでしまってもいいと思っていました。
といっても子どものこと、遠くに行けるはずもありません。
幸か不幸か、たまたまその晩の当直はK先生でした。
親が学校に連絡したのでしょう、雪の畑の中をうろうろしていたわたしは、
あっけなくK先生に見つかってしまいました。
先生は当直室でしばらくわたしを預かり、ココアを飲ませて下さいました。

「どうしで家出したのかな?」

ずっとそっぽを向いて黙ったままのわたしに、
叱るでもなく、問い詰めるでもなく、世間話のような口調で、K先生が尋ねました。
わたしはついに、それまでのいろいろな自分の思いを、泣きながら話しました。
わたしの両親は、仲が悪かったのです。
 
黙ってわたしの話を聴いていたK先生は、ぽつりとこうおっしゃいました。
「ひまわりちゃんは、ほんとうはやさしいんだね・・・。」

  やさしい ?
  わたしが ?

それまで、わがままだとか、内弁慶だとか、可愛げがないとか、一人娘だからとか、
親からも誰からも、何かが上手にできたこと以外は否定されたことしかないわたしにとって、
これも初めてのことでした。

その夜遅くに、わたしはK先生に送られて家に帰りました。
翌日は、何事もなかったようにいつも通りにK先生は授業をなさいました。
放課後に残されて再び話を聴き出すでもなく、本当に何事もなかったかのように。
これは、わたしにとってもありがたいことでした。

その後、転校するまで、女の子同士の小さないじめはあったけれど、
13人のクラスメートがともかくも仲良く過ごせたのは、K先生のおかげです。
山の中のあの小さな小学校での暮らしは、わたしの原点ともいえます。

小児科医になって、お子さんたちの心の問題に触れることがあるたびに、
あの雪の降る夜に家出をしたこと、
そして、K先生の言葉と、温かいココアの記憶がよみがえります。

家庭にも学校にも居場所がないような気持ちになっても、
たったひとりでも理解者がいれば、子どもは生きていけるのだと思います。


大きくなったねぇ

2009年08月01日 | 医療
昨年から、中学1年生と高校3年生(18歳に相当する年齢の方)に、
公費で「麻しん風しん混合ワクチン」が接種できるようになりました。

中学生・高校生は、部活やら塾やらで毎日忙しいので、
この時期は、夏休みを利用して予防接種においでになるお子さんが増えます。

開業して今年で14年目。
開業した年にうちで産まれたお子さんも、今年は中学1年生です。
体格的にはもう「お子さん」なんて表現できないんですけけどね。 (^_^)

小学校を卒業する頃になると、だいぶ丈夫になってくるので、
小児科外来においでになる機会も、ぐっと少なくなります。
せいぜいが、こういう予防接種の時ぐらいの受診になります。
カルテの最終受診日は平成16年だったり、17年だったりのお子さんもいて。

「大きくなったねぇ

わたしの第一声に、みんな恥ずかしそうに、にこっ と笑います。

保育園の赤ちゃん組の時は、健診のたびに泣かれたっけねぇ。
ちょっとチクッとするけど、泣かないでよ~(^_^)

こんな冗談を言うと、また にぃっ と恥ずかしそうに笑います。

お母さんは、あいかわらずみんな、若々しいままです。
わたしも外来の看護師たちも、10年以上の歳月の流れなんて日頃自覚しないのですが、
しばらくぶりに成長したお子さん達と出会うと、
嬉しい反面、あぁ、年をとったんだなぁ、・・・、なんてしみじみしちゃったりして。

いやいや、クリニック内は竜宮城じゃぁ

・・と思って過ごすことにしよう。(^_^;)