ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

なんて悲しい・・・

2006年08月27日 | Weblog
今年は子どもに関わる悲しい出来事が多いような気がします。
新聞やTVの報道を見聞きするたびに、胸がふさがる思いでした。
そして、夏ももう終盤のこの時期、またしても悲しい事故が・・・。
いっぺんに3人のお子さまを亡くされたご両親の打撃はいかばかりか、
・・・想像するに余りあります。

わたしは特別に何かを信仰している訳ではないけれど、
こんな悲しい出来事が続くと、思わず天を仰いでしまいます。

神様、これは、わたしたち大人への、罰なのでしょうか・・・。
あまりにもむごいではありませんか・・・。

(今まで、無事に生きててくれて、ありがとう・・!)
もう大きくなってしまった我が子たちを、
心の中で、ぎゅうっ、と、抱きしめました。

いちにちも早くご両親の心が癒えますことを、
そして、3人のお子さまたちのご冥福を、心からお祈りいたします。


子ども祭りと盆踊り

2006年08月19日 | Weblog
今日は、地域の盆踊り大会の日。
といっても、私が住んでるこの地区は田園地区と新興住宅が混在している地域で、
かつては地域の盆踊り大会はなかったらしい。

約20年前に、当時の小学校の父兄達が、子どもたちのために何かしたい、
と集まって始めたもの、と聞いています。

最初は、PTАの父兄が中心でしたが、次第に地区の町内会や体協の方々の協力を得て、
今ではかかせない、地域のイベントです。(と、思う)

そして、盆踊り大会のひとつの目玉が、「子ども太鼓」です。
これは、10年前、当時のPTА会長の発案でした。
丁度わたしもその時PTАの役員で、もともとお祭り好きの性格のわたし、
それは是非やりましょう! ということになり、
地区の「太鼓保存会」のおじちゃん達に講師をお願いし、
小学校4年生以上の希望者を募って、週に2~3回の練習が始まりました。
最初はね、みんな下手くそだったの。
なかなかリズムがとれなくて。
でも、子どもの能力って、すごい。
数回の練習で、結構できるようになるんです。

その「子ども太鼓」も今年で10回目。
毎年、子ども達の進歩も目をみはるものがあります。
お祭り用の横笛を吹きこなす子もいて。(これ、かなり難しい)
子ども達が揃いのはっぴを着て太鼓を叩く姿は、なかなか感動もんです。

わたしも、我が子達が卒業してからも、PTАのOGとして、
この地域のお祭りのお手伝いにほぼ毎年、参加してました。
(今年は急用ができたため、途中までしかお手伝いできませんでしたが)

この地区は、市内でも、地域の結束の堅い地区らしい。
だから、PTАや、子供会の役員になったお母さん達は、大変です。
今は働いているお母さんも多いから、なおのこと。

でも、そういう、「無理して、しんどい思い」をしても、
地域の行事に親子で参加すること、って、今の世の中、大事なんだよね。

本音を言えばわたしも、初めて参加したばかりの頃は、
「面倒だなぁ」って思ったことがありました。
きっと、一緒になった役員さんには、迷惑をかけたことと思います。

だけど、別な側面から考え直してみました。

 子ども同士が仲良くなるためには、親同士だって顔見知りの方がいい。
 登下校や、公園で遊んでても、「あの子はあの家の子」って、
 地域の人達に知っててもらった方がいい。
 学年が違っても、あの子は何年生の子、って、子ども同士分かる方がいい。
 けんかやいじめがあっても、オトナの誰かは見てるんだよ、
 そういうブレーキにも、なるように思う。
 お父さんやお母さんは、いつでも君の味方だよ、
 そうい励みにもなると思う。

  ・・・こんな風に考えたのです。

というよりこれは、PTАで知りあった父兄の方々から学んだことでした。

その時どきの状況に合わせて、行事の中身を省いたり濃くしたりしながら、
地域のイベントは必要だし、続けるべきだと思うし、
面倒でも参加しなくちゃならないんですよね。
こんな御時世なんだもの。
子ども達のために、ね。
家族水入らずで過ごす時間は、とても大切なもの。
それとおなじぐらい、家族で参加する地域の行事も、
子どもの心を育てる大切な要素になってると思う。
(といいながら、町内会の草むしりはここ数年、出てません。ごめんなさい)

PTАの役員といっても、わたしは何もできないだだのお飾り役員で、
殆どは、多くの父兄の方々にお世話になりました。
今はなかなか会えませんが、お友達になれたお母さんもいました。
何より嬉しかったのは、「○○センセイ」じゃなく「○○さん」
と呼んでもらえたことです。
仕事の仲間とはまた違うおつき合いを通して、学ぶものもたくさんありました。

ふるさとがダムの湖底になって、ここに越してきて、
馴染めるかなぁ、とドキドキしながら子ども達を小学校に入れた頃のことを、
懐しく思い出します。

ここに住んで良かったと思います。


良心

2006年08月01日 | Weblog
「良かれと思うこと」・・・
人はいろんな場面で、その時その時に、良かれと思うことを言ったり、したり、する。
相手に対しても、自分にとってもね。
でも、うまくいかないこと、って、あるんだよね。

口から一度出た言葉は、もう自分だけのものではなくて、
相手の心にはいり、ほかの人に伝わり、独り歩きする。
時に、思いもかけない誤解を生んでしまうこともある。
そうじゃないんだ、ちがうの・・・・・、
飛び散った言葉をあわてて拾い集めて、つくろっても、
つなぎ合わせた言葉の縫い目は、ぼこぼこだったりする。

本意でなく、人を悲しませ、不快にさせた、ということに平気でいられる人なんていない。
こんな仕事もうやめたい。
誰とも会いたくない。
もう、やだ。 
これまでにも、何度もいやなことはあったけれど、
実はこの1ヶ月余り、かなりへこんでました。
(仕事は、一応ちゃんとしてたつもりだったけど・・ ^^;)

でもね、わたしを待っててくれる子どもたちもいるんだよね。
へこんでいた約1ヶ月の間、毎日お会いするお子さんやお母さん達から、
わたしは元気を分けていただいてました。
みんな、ありがとう。

良心に従って、どうしても譲れない「原点」というものが、ある。
医師としても、母親としても、女性としても、人としても。
そのことで罵倒されることがあっても、やっぱり、伝えつづけていくことしか、
できないんだなぁ。
それが、わたしの生きている証だと思うから。