ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

春の味覚

2013年05月08日 | 日々のつぶやき
あんまり美味しかったので、記事にしようと思って・・・。

連休中、友人からコゴミとほうれん草とかぶれ菜をいただいた。
かぶれ菜とはどうも当地だけの言い方で、本当は「茎立菜(くきたちな)」というのだそうだ。
まぁ、菜の花の仲間かな。
http://www.pref.fukushima.jp/keieishien/kenkyuukaihatu/zairai/kabure_na.html

かぶれ菜とほうれん草は、さっとゆでておひたしに。
とっても甘いんだな、これが。地物ならではだ。
かつぶしといりごまもまぶして。お醤油はほんのちょっと。

コゴミも、おひたしとごま和えと天ぷらに、
これまたいただきもののタラの芽もあったので、これも天ぷらに。

・・・う、美味い!
揚げたてのアツアツをついつい、つまみ食いしちゃった。
作る者の特権なのさ。
天つゆじゃなくて塩でいただいても美味。
お野菜料理で美味しいと評判のレストランでいただいた「藻塩」がぴったり。
ああ、しあわせ。

記事にしようと写真撮ろうかと思ってるうちに、半分以上喰われてしまった。

なので、文字だけでご想像下され。







連休も終わった

2013年05月06日 | 日々のつぶやき
あれもしよう、これもしよう、あそこに行ってみよう、
・・・と思い描いていたゴールデンウィーク。
結局のところ、いつもの休日と、あまり変わらなかったな。

家の中の片付けも、まぁ、普通通りのままで・・・。(つまり進展はなかった)

さて、長い休みのあとに小児科医として心配になることは、
子どもたちが「予定していたイベントを消化するために」ちょっと無理な外出をして、
体調をくずしてしまうこと。

でも、これも、家族の過ごし方を考えればあまりなことは言えないな。
それに、病気しながら丈夫になっていくものだしね。
いや、イシャがこんなこと言ってはいけないのだけれど。

家族と過ごしたお子さん。
お友だちと出かけたお子さん。
もしかして部活ざんまいだったお子さんもいるかな。
みんな、思い切り楽しめたかな。


5月3日は、日頃患者さんを御紹介したりでお世話になっている綜合病院の日直をしてきた。
休日の小児科救急外来にしてはそんなに多くはなかったけれど、
インフルエンザが、まだちらほら・・・。(ほとんどはB型)

それとやっぱり心配なのが、風しん。
福島県ではまだ発症の報告はないのだけれど、油断はできない。
この連休で、遠方の人たちとの交流(つまり接触)が増える訳だから。

風しんに罹ったことのない人、風しんワクチンを1回しかやったことのない人は、
ぜひとも今のうちに時間を作ってワクチンを接種して欲しい。
で、どうせなら風しん単独ワクチンじゃなくて、
MR(麻しん・風しん混合)ワクチンを。
風しんの抗体(免疫)を持ってない、又は低い方々は、麻しんの抗体も多分低いから。
(もちろん、過去に麻しんに罹った人は風しん単独でもいいです。)


 あぁ、これ、連休前に記事にするべきだった!





春を追いかけて・摺上川(すりかみがわ)ダム

2013年05月06日 | 日々のつぶやき
これも5月1日の写真。

ふるさとがあった場所には、行こうと思えばいつでも行ける。
でも、なんていうのかな・・・、
ダム湖を見ると切なくなるので、(よいしょ!)って心のなかで思わないと行けない。

この日、学校健診のあと、何も予定がなかったので、上流まで足を伸ばした。
せっかくここまで来たのだもの、やっぱり、行ってみたくなったので。

  
 これは「茂庭の湯」の近辺から撮影。
 写真ではわからないけれど、雪解け水と木の芽の緑がまぶしかった。

    
  いよいよダムサイトへ。
  ここが中茂庭の集落。人口もかつての半分ぐらいになったのかな。
  中学校の赤い屋根が見える。
  屋根の向こう(集落の向かって右手奥)の杉林には白鳥(しらとり)神社というのがあって、
  ここのお祭りもなかなか面白い。飯阪のけんか祭りに似てる。(毎年7月第二土日)

  
  ダム湖の少し奥。
  このあたりに、実家のあった梨平(なしだいら)集落が沈んでいる。
  下流の方角は空が晴れているのに、上流は曇っていて、なんか物寂しい。

    
  見えてきた。梨平神社だ。ここは桜が満開だ。
  向こうに見える山は桂山(かつらやま)という。

  
  梨平神社というのは、ダムができてから新しくこの場所に移転された。
  この場所はかつて、伊逹藩の家老だった茂庭公の先祖のお屋敷?があったところ。
  地元のひとたちは「館の山」と呼んでいた。
  もともとは梨平神社というのはなくて、水没する地域の神社を3つ集めて、ここに作った訳だ。
  毎年5月の第3日曜(だったかな?)に祭礼が行われる。

  
  梨平神社のふもとの、梨平公園。一応キャンプ場にもなっているらしい。
  夏はそこそこ人出があるようだ。でもこの日は人っ子1人いなくて、これまた物寂しい。
  公園内には桜の苗木も植えられているが、ここでお花見ができるようになるには、あと何年かな。

  
  公園入り口には、わたしが通った小学校の校門の石柱が移転されている。
  当時の校長先生の計らいで、ここに残していただけることになった。

         
  これはその記念碑。
  最近になって中学校の恩師に聞いたことなのだけれど、
  学校をなくすことを、書類上では「廃校」というのだそうだ。
  でも、当時は「閉校」という言葉でニュースにもなったし、「閉校式」も行われた。
  好き好んで学校がなくなる訳じゃない、移転する訳じゃない、
  そういう地元のひとたちへ配慮して、廃校という表現にしなかったのだそうだ。
  当時のメディアや教育委員会の方々に感謝です。


おまけ:
  
  これは摺上川下流の滝野(たきの)にあるキャンプ場近くの滝。滑滝(なめだき)という。
  あ、下流とわたしは書いたけど、街中の人たちから見たら上流なのかな。
  でもわたしにとっては、ここのキャンプ場は、あくまでも「下流」なの。うふふ。
  夏場はここも結構にぎわう。このあたりはもう新緑。

  
  もっと下流の、ここは板橋(いたばし)というところ。
  緑のグラデーション、実際はもっと鮮やかだった。(やっぱり電線がじゃま!)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この摺上川ダム建設の話が最初に持ち上がったのは、昭和45~46年?頃。
年齢がばれるが、わたしが中学1年の時だった。
建設場所も二転三転し、住民の反対運動もあったりして、やっと今の建設場所に決まり、
それからも、補償や移転先の交渉に何年もかかった。
最後の世帯が移転したのは平成4年。
建設の話から実に20年以上もたっていた。

住み慣れたふるさとがなくなるという不安と憤りと、
ここでこのまま暮らしていたらとうてい手にすることのない大金が入るという期待とが、
ダム建設の話から移転するまでの長い年月の間に、人々の心も暮らしも変えてしまった側面がある。

まだ入るかどうかもわからない補償金は、とりわけ人の心を変えた。
つい気が大きくなって分不相応な借金を抱えてしまったり。
補償金の分配で親子兄弟が断絶したり。
慣れない土地で商売始めて失敗したり。
なかには自殺した人もいた。

もちろん、みんながみんな、そうではない。
ほとんどの人たちは、移転先での新たな生活をそれなりにつつましく営んでいる。
だけど、「お金が人を変えてしまう」というのは、ほんとうだと思う。

湖底に沈んだふるさとの風景や、そこで暮らしていた頃のことや、村のひとたちの顔を思い出すたびに、
いつもせつない気持ちになった。
ふるさとがなくなってしまったということだけではなくて、
そこで暮らしていた人たちのコミュニティがくずれてしまったというか・・・、
う~ん・・・。
どう表現していいのかわからない。

自分の意に沿わない形でふるさとを離れるということは、そう簡単なことではないのだ。
その複雑な思い・・・、喪失感とでもいうのかな・・・、それは、何年たっても、消えることはない。

水没・移転してから約20年以上が過ぎた。
このダム建設は、本当に必要だったのかな、って、ずっと思ってきた。

でも、最近になってひとつだけ、よかったと思うことがある。

それは、ここの放射線量が米沢なみに低かったこと。
だから震災事故当時から、福島市の水道水は大丈夫だった。

物事は、なにが良かったのか悪かったのか、後になってみないとわからないんだな・・・。

そんなこんなを思いながら帰ってきた。

春を追いかけての記事なのに、湿っぽくなってしまったけど、
桃も桜も新緑もキレイで、いっぱい深呼吸して、(心の)老廃物もぜ~んぶ吐き出して、
とうぶんはこの平穏な気持ちが保てるかな。


  *:一部記載表現を変えました(5月7日)

春を追いかけて・茂庭

2013年05月06日 | 日々のつぶやき
これは5月1日の写真。

この日は市内でも山あいの小中学校の内科健診に行って来た。
ここは、わたしの実家があったところだ。

  
  最初は茂庭小学校から。
  約20年前にダムで上流の集落がなくなり、下流の滝野(たきの)分校も閉鎖されたことから、
  新たにこの場所に移転された。ここは田畑(たばた)という集落。
  写真ではわかりにくいけれど、外壁は薄いピンク色。屋根にはソーラーパネルが設置されている。
  校内は全てフローリングで、しかもなんと、床暖房だ。
  子どもたちはみんなそぼくでいい子達ばかり。

     ここの小学校は、2年前、福島市内がまだ2~3μSv/hだった頃にも、
     正面玄関前の植え込みが 0.4μSv/h ぐらいしかなかった。
     
   
  小学校の前にある桃畑。

  
  小学校から少し行くと、ここも今満開。(電柱と電線、ここでもじゃま!苦笑)

   
  奥に見える建物は、かつて選果場だった。

  
  小学校からかつての旧道を通って中学校へ向かう。
  これはさっきの桃畑。(上の写真)
  中学校のある中茂庭(なかもにわ)は、茂庭地区で一番大きい集落。
  遠くにダムが見える。
  ダムの向こうに見える山は大豆(だいず)という。どうしてこの名前なのかは知らない。
  この山は、そのままのアングルで国道13号線からも見える。(イオンや飯阪インターの付近)
  かつて、この山のふもとにわたしの実家があった。
  週末や長い休みで帰省する時、いつも、車窓から遠くにこの山を見て、
  あぁ、あそこにうちがあるんだな、これから帰るぞ! って、わくわくした。

  
  茂庭中学校。ここはかつて、小学校だった。桜はもう終わっていた。
  2階建ての木造校舎だ。なんか映画に出て来そう。
  ここの中学生もみんな礼儀正しくて、腰パンだの、ジャージの裾を踏んづけている子はひとりもいない。
  どの生徒さんも、笑顔がとてもさわかやだ。
  いずれ進学したら、ひとクラスがここの全校生徒よりも多い集団に混ざることになる。
  みんな、頑張れ! その笑顔を忘れないでね! って、毎年思う。


わたしが通った小学校は、ここから4キロほど奥で、今はもうない。
わたしは福島市内の中学校に進学したので、この小学校にも中学校にも通っていない。
でも、やっぱりここの小中学校は、母校に等しい思いがある。
それは小学校の同級生たちが通っていたからというのもあるし、
長いこと母がここの校医をしていたこともあるし、自分たちがダムで移転したからかもしれない。

数年前、高齢になった母が校医を辞めることになった時、
ここに近い飯阪地区の先生方にお願いする選択もあったけれど、迷わず後を引き受けた。
茂庭には、どうしてもわたしが行きたい、行かねば、・・・そう、思った。

おかげで、また春に出会えた。


春を追いかけて・福島市上野寺付近

2013年05月05日 | 日々のつぶやき
この記事の写真は4月29日のもの。
上野寺と書いて「かみのでら」と読む。

子どもの頃、今の県立美術館(かつては福島大学の経済学部があった)の近くに住んでいた。
家の近くには一杯森(いっぱいもり)という小高い山があって、
その山すそまでずっと、田圃が広がっていた(といっても庄内平野のようではない)。
毎年春になるとその田圃にはれんげ草が一面に咲いて、毎日わたしは花に埋もれて遊んだ。

田圃一面のれんげ草を見かけなくなって、何年になるだろう。

知人から福島市でもれんげ草の咲く場所を教えていただき、休日に早速出掛けてみた。

残念ながら、一面とはいえなかったけど、ほんとに何十年ぶりかで、れんげ草に出会えた。

  
  

  
  一昨年の春は、この田圃一面に、れんげ草ガ咲いていたらしい。

  
  まぁ、それでも春は春。
  れんげ草はれんげ草。
  菜の花とれんげ草に惹かれて、モンシロチョウもやってきた。

  
  オオイヌノフグリとタンポポ。
  (でも、こんな可憐な花がなんでこんな名前?)

  
  青空に菜の花の黄色が映える。


絶対にいつか、田圃一面に咲くれんげ草に出会いたいな。





春を追いかけて・飯坂町

2013年05月04日 | 日々のつぶやき
これも先月の17日のこと。
水曜日の午後、保育園の健診の帰り。
お天気がいいので、ちょっと寄り道して、もう終わりかけの桃畑を見てきた。

  
  市内よりもやや標高があるせいか、桃の花はちょうど満開だった。

  
  これは飯阪学習センターそばの公園。
  休日はかなり人出があったらしい。(いいことだ!)
  
  
  近くに行くとこんな感じ。
  ここも桜がまだ咲いていた。飯阪の方が市内よりも少し遅いのかな。


飯坂町は、もちろん飯阪温泉があるところなのだけど、
東北随一といわれた温泉街が斜陽になって、もう何年になるだろう。

この10数年ぐらい前から温泉街に活気を取り戻そうと、
道路や共同浴場を改修したり、古いお宅を文化財として一般開放したり、街の人たちは努力してきた。
それがこの震災で、かなりのダメージを受けたのだけど、
今年は「花桃の里」やこの公園にも、多くの人が訪れてくれたようだ。
たまに出掛ける公衆浴場も、土曜日なんか結構混んでるもんね。

そうそう、震災前なら1ヶ月前だったら予約とれたホテルも、今は1ヶ月前じゃだめらしい。
なんでだ? 震災前より予約が取りにくいなんて。

ともかくも、がんばってるじゃないか、飯阪温泉!

お花がテーマの記事だったんだけど、飯阪温泉の話になってしまった。



春を追いかけて・酒田

2013年05月04日 | 日々のつぶやき
先月の27日、土曜日。
昼過ぎ、夫が急に、酒田に行くぞ! と言った。
わたしは3月のお彼岸に墓参りに行って来たけど、夫はここ何年も帰ってない。
福島から酒田までは車で片道約3時間。
お産はいつあるかわからないから、前もって留守番の先生をお願いでもしない限り、
クリニックをそうそう空ける訳にはいかないからだ。
でも、たまたまこの日は、半日ぐらいならお産もなさそうとのこと。
 いつ行くの?! 今でしょ!! 
って感じで、とにかく急に決めたのだ。
行くなら当然墓参りも兼ねるから、急遽お花やらお土産やらを調達して出掛けた。

福島を発つ時のこちらの天気は曇り空ながらまぁまぁだったけど、
山形道の県境のあたりから雲行きは怪しくなり、
寒河江を超えて月山道にはいると、まだ冬の名残。
なるほど、月山のスキー場は冬じゃなくて春に開くというのもうなずける。

  

  
  まだ山には雪がこんなに!

  そしてようやく酒田へ。
  空はどんより雲が立ちこめていて、鳥海山も全然見えなかった。

  
  ここは夫が通った中学校の前に広がる田圃。これは南の方角。
  晴れた日にはこのずっと向こうに月山が見える。
  夫にとってのふるさとの風景は、こんな風にずーっとはるか遠くまで田圃が広がる景色なのだそうだ。

  亡くなった姑は、いつも自宅からこの南の方角の月山を眺め、
  あの山の向こうの、その向こうには、息子がいる、今日も無事で働いていますように、
  と毎日思わない日はなかったという。

  
  夫が通った中学校の校庭の桜。ちょうど満開だった。
  晴れてたらもっと見事だっただろうなぁ。残念!

  
  実家の近くの神社。(電柱と電線がじゃま!)
  このあたりは由緒ありげなお寺や神社が多い。

  
  
  八重桜が色鮮やかだった。

  
  ここの桜も満開だった。
  
慌ただしく出掛けてはきたけれど、お天気も悪かったけど、
ほんの少し、お花見気分にもなれた。

墓参りを済ませ、夫の実家にも立ち寄ってお仏壇にも手を合わせ、
実家の方々と少し世間話などして、帰路についた。
案の定、途中で、出血してるかも?!という妊婦さんからの問い合わせ電話。
ぎりぎり間に合った。あぁ、よかった・・・。ふぅ・・・。

  あ。もちろん、制限速度は守りましたとも。(エヘン)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【おまけ】庄内土産
 
  福島にも美味しいお土産はたくさんあるけれど、山形だって負けちゃいない(いや、勝ち負けじゃないけどね)。
  酒田に行った時によく買って帰るのが、この「からからせんべい」。
  これは庄内・鶴岡のもの。(だけど寒河江のサービスエリアでも売ってる。)
  
    
       外箱はこんなの。                  内箱もきれいなんです。


       おせんべいの中にはこんな包みが入っている ↓
       
       包みを開くと郷土玩具の手毬でした。 
 

お帰りなさい

2013年05月03日 | 日々のつぶやき
今年もツバメ達が帰ってきた。
これは4月16日に撮影したもの。
毎年、クリニックの北側のこの電線で一休みするらしい。
尾羽が長いから、二羽ともオス?
親子だろうか。お父さんと息子?
それとも、別々の家族どうし?

  
  羽の手入れかな。(画像がいまいちだけど)

  
  今度は胸のあたりを何やら・・・。(これも画像いまいち)

 親子ならさしずめ、こんな会話?

   父さん、ここが日本? 

   そうだよ、お前が産まれたところだ。ここでお前も父親になるんだ。

   そうかぁ・・・。大丈夫かな、僕。

   大丈夫だ。父さんのすることを見てやってごらん。

   うん。頑張ってみる。

 ・・・なあんて・・・

  
  尾羽が短いこれはメス?

  
  早速、巣を点検?
  これもメス? 喉元が赤いからオスのようにも見えるけど・・・、でも尾羽短いし・・・。
  う~ん、ちょっとわからない。
  もしメスなら、長い間留守にしていた家をあちこち見て回って掃除するお母さんみたい。

   あらあら、1年留守すると、ずいぶんあちこち痛んでるわねぇ。
   ちょっと、お父さん、泥を藁くず、まだぁ?


で、その数日後に、なんと何十年ぶりかの遅い雪に見舞われた。
ツバメたちは大丈夫か!? ・・・と心配していたら、
ちゃあんと、巣を大きくリフォームして、入ってました。↓
  
  これは4月30日に撮影。上の写真と同じ場所の巣。
  今までの巣と大きさが違う!
  巣の上のほうは、まだ泥が乾いてなくて、新たに付け加えられたのがわかる。

渡る時、ツバメは1日に300kmも移動するのだそうだ。
福島=東京ぐらいの距離になる。すごいなぁ。

今年はいくつ卵を産むのかな。
また、楽しみが増えた。



お詫び

2013年05月01日 | Weblog
わたしのブログにご訪問下さっている皆さま。

このたび、わたしの手違いで、非公開ご希望のコメントが約半日間、
公開されたままになっておりました。

コメント下さった方、本当に申し訳ございません。

また、個別にご連絡して下さった方々、
ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。

 *公開されていたコメントには個人情報が含まれていました。
  もしご覧になった方々には、大変申し訳ございませんが、
  取り扱いにはくれぐれもご配慮のほど、何とぞお願いいたします。
 
今後はこのようなことのないよう、十分注意いたします。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
本当に申し訳ございませんでした。