ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

サンタクロース

2007年12月22日 | 子どもたち
ある5歳の男の子。
その日は、2回目のインフルエンザワクチンだった。
1回目は、ちょっと泣いてしまった。
今回は、歯を食いしばって、顔を真っ赤にして、泣かずに頑張った。
おにいちゃん、すごい!
泣かないでできたねぇ!!
3歳の妹も、つられて頑張った。
すごい、すごい!
お兄ちゃんが頑張ったら、妹も上手にできたねぇ!!
おにいちゃん、ありがとう。
きっと、サンタが来るよ。

「センセイ、ちゃんとサンタに電話しといてね」とお兄ちゃん。

よし。わかった。頑張ったこと、ちゃ~んと、サンタに電話しとくよ。
そしたら、サンタからパパとママに電話がくると思うから。
ママ、よろしくね♪

「あはは。わかりましたぁ」とお母さん。
お母さんと子どもたちは、笑顔で帰って行った。

もちろん、サンタクロースは、泣いた子にも暴れた子にも、来るけどね。


ひと安心

2007年12月20日 | 医療
昨日の痙攣のお子さんが、今日の午後、来院した。
まだ少し熱はあるけど、だいぶ元気になっていた。
診察の時は泣かれたけど、帰りにバイバイしてくれた。

これでわたしも安心。
昨日は、多分大丈夫とお帰りいただいたけど、
やっぱり元気な顔を見るまでは心配だった。

わたしの仕事は、お子さんたちを診察して、親御さんたちのお話を聞いて、
良かれと思う方法をアドヴァイスすることだ。
(この中にはお薬の処方などが含まれる)
不安をあたえないように、「大丈夫ですよ」とお伝えすることも大事だ。
でも、この、「大丈夫ですよ」というひと言は、実はかなりむずかしい。

簡単に大丈夫とは言えないことも、実際にはある。
本当は言いたい。でも言えない。
そういうとき、どんな言葉なら、不安を少なくできるか。
これは、多くの医師たちの永遠のテーマではないかとも思う。

わたしの今の仕事内容は外来が中心だから、
「大丈夫」なことがほとんどだけど、
でも、やっぱり昨日のように、お母さんには大丈夫とは言ったものの、
ドキドキしながら一晩過ごすことがある。
私でもそうなのだから、家族・親御さんはもっともっと心配なんだよなぁ。

子どもの救急の問題を考える時、
医療側の事情だけではなくて、立場を置き換えて想像をはせる、
そういうトレーニングも大事なんだと、自分に言い聞かせている。


チームプレー

2007年12月19日 | 医療
水曜の午後は外来は休診。
でも今日は、毎月行っている保育園の、年に2回の全員の健診日だった。
全員で115名ほど。
午後2時からなので、そろそろ出かけようとしていた1時半過ぎ、
病棟の助産師があわてて、
「センセイ、玄関でお母さんがインターホンごしに、子どもが息してない、って・・」
と報告してきた。
詳細を聞こうにも、お母さんはかなり混乱している様子とのこと。
そばにいたスタッフと玄関に行ってみた。
どうも、熱性痙攣のお子さんらしい。

時間はもう1時40分近い。
まいったな。今出かけないと、健診には間に合わない。どうしよう。
でも、目の前で痙攣起こしてる患者さんを、よそに行って、とは言えない。
とにかく痙攣を止めることが先だ。

急遽、わたしの外来に運んで、痙攣の処置をすることに。
外来の看護師は二人。(水曜の午後は交代で休みをとっている)
産科の助産師も手伝いに来てくれた。
体温は38度4分。呼吸はしている。
痙攣止めを注射すればすぐに収まりそう。
ところが!!
点滴が、なかなか入らない。
血管確保ができないことには、痙攣止めの注射薬も使えない。
焦る。まだお子さんはピクピクしている。手足が冷たい。
困った。どうにかして止めないと。
呼吸は? している。
注射より効果時間は少し長いけど、痙攣止めの座薬を取り合えず入れる。
まだ点滴が入らない。
時間はもう2時近い。
痙攣が起きてから20分以上経過している。
まいった。何としても止めねば。
健診も間に合わない。
保育園には別のスタッフから遅れると連絡をしてもらう。
まだ入らない。困った。 呼吸は? 大丈夫だ。
でも歯ぎしりをしている。これはまだ痙攣が続いている。
何度も針を刺しているうちに、座薬も効いてきたのか、
その子は「痛いよう~」と泣き出した。
良かった!
少し意識は戻ってきた。少なくとも、脳症の痙攣ではなさそうだ。
ごめんね。痛いね。ちょっと我慢して。
2時過ぎ。
やっと点滴がはいった!
お子さんは、泣いてはいるものの、まだ少し歯ぎしりをしている。
血管からも、少量の痙攣止めを注射する。
ようやく痙攣は完全に止まった。
その子のインフルエンザワクチンは、2回、終わっている。
でも、念のため迅速診断の検査をする。

保育園の健診は、どうしても今日行かないと、今年はもう行ける日がない。
この時期、臨時に外来を休診にはできない。
保育園の100人以上の子どもたちも、お昼寝やおやつの時間がある。
どうしようか。
処置中に泣いた様子では、単なる熱性痙攣と判断してもよさそうだ。
何か変化があればとにかく何でもすぐに連絡してね。
そう指示を出し、インフルエンザの検査結果を待たずに、出かけた。
万が一何かあれば、院長も診てくれる段取りもしてある。
途中、信号待ちで止まっている間に、クリニックに電話で確認する。
結果は陰性。
ああ、良かったぁ~!!
酸素を吸わせて、顔色も少し戻ったとのことだ。

健診の途中、お子さんの経過の報告が看護師からはいる。
落ち着いて眠っているとのこと。
血液検査の結果も、ほとんど全部問題ない。炎症反応も軽い。
ちょっと安心して健診を続ける。

健診が終わった頃、外来の看護師からの第2報。
ドキドキしながら携帯に出た。
「点滴2本目追加するところで、目が覚めて、泣いてます。意識は戻ってます」
良かったぁ~!!

クリニックに戻って、もう一度診察をする。
その子は、わたしの顔を見るなり、「痛いよう~」とまた泣いた。
髄膜炎の所見もない。肺炎も起こしてないようだ。
お母さん、もう大丈夫です。
お母さんは、やっと笑顔になった。
点滴している間、別の看護師が薬局にお薬を受け取りに行った。
わたしが健診に行っている間、看護師たちはお母さんを励ましていてくれたらしい。

お母さんは、よほどびっくりして焦っていたらしく、
上着も着ずに、財布も持たずに、なんと、家の鍵もかけないまま、
痙攣しているたお子さんを、片手で抱きかかえて運転してきたそうな。
お子さんが落ち着いてからそのことを聞いて、みんなもびっくり。
ご自宅からは車でほんの数分の距離だったけど、事故がなくて本当に良かった。
母親の行動力って、すごい。

痙攣の時間はちょっと長かったけど、この分なら、大丈夫だろう。
そう判断して、おうちでの注意事項をお話して、お帰りいただいた。
お子さんのほっぺはピンクになっていた。

何か変化があれば必ず電話してね。
そうお伝えしておいたけど、今のところ連絡はない。
もう真夜中だけれど、きっと大丈夫だといいな。

こういう予定外は、産科じゃなくても、よくある。
玄関から外来に患者さんを運ぶまでの間に、もう点滴の準備ができていた。
玄関での騒ぎを聞きつけて、他の看護師が準備してくれたのだ。
何も言わなくても、必要な指示通りの準備ができていて、
持ち場以外のスタッフも手伝ってくれる。
こういう連携に、院長も私も母も、何度となく助けてもらった。

情けないのは、わたし。
思いもかけず点滴がなかなか入らなくて、かなり焦ってしまった。
まだまだ、ニンゲンができてないなぁ・・・。

スタッフ達に助けられるたびに、反省する。
みんな、今日も、いつも、ありがとう。


開業医・今昔

2007年12月10日 | 医療
 今日は月曜日。
 朝から猛烈に混んで、昼休みもそこそこに、午後の外来が終わったのはもう夜の7時を過ぎていた。最近の開業医はほとんどが夜7時ぐらいまで診療しているから、まぁ普通といえばそうなのだけれど、当院の診療時間は一応夕方6時まで、としている。
 開業するに当たって、最近の傾向に合わせて、診療時間を遅くまで設定したほうがいいのかどうか、どうしようか、ずいぶん迷った。でも、やはり診療時間は6時までにした。
 理由は二つある。
 ひとつは、具合が悪い患者さんを病院に紹介・搬送するためには、なるべく病院の時間外にならないようにしたい、そのためには、私のかかりつけの患者さんたちに、あそこは6時まで(受付は一応5時半までになっている)だから、それまでに、なんとしても、できるだけ都合をつけて受診して欲しいからだ。ほとんどの場合人は、期限が先延ばしになれば、どうしたってその時間ギリギリまで様子をみてしまうことが多い。子どもの救急は夜間が多いのは事実だけれど、実際には、夜間に「本当の」救急というのは、それほど多くはない。
 あそこは夜遅くまでやっているから大丈夫と、保育園が終わってから受診して、実は午前中から具合が悪かった、あるいは、午前中はそれほど具合は悪くなかったけれど、いつもと少し違う、午後になったらやっぱり悪くなった、という場合も結構ある。
 だから、できるだけ、いつもの違うな、という時は、きちんと診療時間内に受診して欲しいと思っている。
 それはなぜか。
 万が一、病院に紹介しなければならない場合のことを考えると、病院の人手が手薄の夜間よりも、人手の多い日中のほうが、はるかに患者さんにとっては質の高い医療を受けることができるからだ。病院といえども、夜間は医師の数も看護師の数も少ないし、検査の体制も限られているのだ。(もちろん、夜になって急に具合が悪くなった場合は別である)
 もうひとつの理由。
 うちは産婦人科だから、夜間・休日は当直・日直の看護師・助産師がいる。お産は夜間も休日も関係ないから、電話は24時間、いつでも受付ている。だから、夜間や休日に何かあれば、私の患者さんたちも、クリニックに電話を下さることがある。診療時間が短いことは、電話対応である程度補うことができると考えたからだ。
 そして実際に、殆どの場合は、電話でのやりとりで事が済む場合が多い。
 でも、中には診察が必要と思われる場合もある。そういう時、お子さんのの年齢や状態によってはおいでいただいて診察することもある。これができるのも、当直のスタッフがいるからこそだ。当直の看護師たちは産科の仕事に就いているから、普段は私の外来に付いている訳ではない。だから彼女たちにとっては大変なストレスだと思うが、頑張って対応してくれている。お産などが入っている時は、私に連絡をとる時間も勿体ないぐらいのこともあるだろうに、殆どの大事なポイントは押さえてくれている。感謝するばかりだ。
 ただ、ここ数年は、当市の夜間救急センターに日替わりで毎日小児科医が夜7時から11時までいるので、実際においでいただいて診察することは、めっきり少なくなった。

 小児の夜間救急の件数の増加は全国的にも問題になっている。
 その原因についても、対策についても、さまざまな意見がある。
 対策については、私個人が意見を述べるべきではないので、ここでは書かない。

 原因のひとつとして、誰も指摘しないのだけれど、わたしなりに考えることがある。
 それは、「開業医」の形態が変わってきたこともひとつのではないか、ということだ。
 かつての開業医は、いわゆる「町のお医者さん」として、それこそ一人で24時間態勢だった。これは産科や小児科だけではなく、内科でもそうだったはずだ。
 医院と自宅は同じ建物・棟続きが殆どだったと思う。
 テレビドラマや映画などによくあるシーン、
 ドン・ドン・ドン、とドアを叩いて、「センセイ、うちの子が、急に熱を出して!」
っていうあれだ。
 昔の開業医は、実際にあのような状況が多かったと思う。
 「ALWAYS三丁目」の宅間先生のように、夜中だろうと往診する開業医が多かった。
 では、なぜそのようにできたか。
 これが、誰も指摘していないことだ。
 昔の開業医には、そのほとんどに、住み込みの看護婦さんがいたのだ。
 住み込みの看護婦さんのほとんどは、准看護婦だった。
 彼女たちは、中学を卒業すると、開業医に住み込みで家事手伝いをしながら看護学校に出してもらい、その後、最低限数年間はそこで働いていた。
 これをお礼奉公といっていたのだが、実は法律的な決まりではなかった。
 その後、時代の流れで、住み込んでまで看護婦などしたくない女性が増え、お礼奉公の是非も問われることとなり、そういった、かつての開業医のスタイルは崩れてしまった。
 
 わたしと母の、内科・小児科外来には、4人の看護師がいる。
 一番若い看護師は、もちろん住み込みの経験などはないが、准看護師の資格を取った後、ある病院に勤務しながら、そこの看護学校を出ている正看護師だ。書けばひとことだが、今どきの若い人にしては、なかなか苦労しているので、ガッツがある。
 ほかの3人はもう還暦に手が届くという年齢だ。
 3人のうち1人は、開業産科医に住み込んでいた経験を持つ。
 彼女は義理堅く、もうお亡くなりになり廃業したその産科医の奥様とは、今も交流がある。
 3人のうち2人は、わたしが子どもの頃、母の診療所に住み込んでいた。
 わたしが小さい頃、同じ食卓でご飯を食べ、一緒にお風呂もはいり、休日には遊んでもらい、おねしょしをしたことも、宿題忘れて叱られたことも、全て知っている2人である。
 母の診療所(つまりわたしの育った家)は山の中の村にあった。
 当時は車など持たない家が殆どだったから、夜間の往診もたびたびあった。農家の仕事が終わってから来る患者さんもいたから、時間外は日常茶飯事だった。山菜取りやキノコ狩りで山で遭難した人が見つかった時も、その検死に出向いていった。
 彼女たちは、交代でそれらの仕事に同行した。
 これも、住み込みだからこそできたことである。

  そういう経験を経ているから、うちの4人は、私の出す無理難題にも付いてきてくれる。
  これはすごいことだなぁと、いつも感心してしまう。
  面と向かっては照れ臭いから、ここで書いちゃうよ。(^^)

 子どもの頃のわたしは、開業医なんて大変な仕事には絶対に就くまい、と思っていた。
 たびたび夜間に患者さんから電話があって、当時は自家用車を持たない家が多かったから、往診することが多かったのだ。
 交代で当直ができる勤務医のほうが楽だと思っていた。
 今どきの開業医のほとんどは、自宅と医院が別である。
 医院は夜になれば誰もいない。もちろん電話も出ない。
 勤務医は、開業医が夜間に対応できない、でもその殆どは決して重症ではない患者さんの対応に追われ、病棟の自分の重症患者さんにも手が回らないに等しい状態で勤務を続けている。
 実は、一般の方々の多くは知らないことに、勤務医には「当直明け」というのがないのだ。
 つまり、当直(殆ど眠れない)の翌日も、普通に外来や病棟の仕事を続けているのである。そして夕方になってまた患者さんが運ばれてくると、場合によってはその日も帰宅できなくなることもある。こうして、心身ともに疲労困憊し、勤務医は辞めていく。
 そして開業する。
 新しい医院は自宅とは別々。
 そしてまた、夜間にあぶれた患者さんは、病院や救急センターに行く。

 こんな悪循環に陥っているのが、今の日本の医療形態ではないだろうか。

 かつてのやりかたが良かったと思っている訳ではない。
 お礼奉公などは、ないほうがいいに決まっている。
 でも、実は、かつての日本の医療を底辺で支えていたのは、住み込みで開業医に務めていた彼女たちのような准看護婦の存在が大きかったということにも、思いをはせなければならないと思う。

 だからといって、時代を遡ることはできないし、現実に、「もしも仮に」開業医に看護師が住み込んだところで、今の医慮報酬制度では、その手当ても支払えないであろう。
 
 これからの日本の医療がどのようになっていくのか、皆目見当がつかない。


フルバンド

2007年12月09日 | 音楽
フルバンドという言葉は、一般にはあまりなじみのない言葉であるが、
いわゆるジャズ・オーケストラのことである。
ジャズオーケストラというのは、トランペット4人、トロンボーン4人、サックス5人、
ドラム・ギター・ベース・ピアノが各1名ずつ、という編成である。
吹奏楽団に似ているけど、違うのはティンパニーやホルンなどがないこと、かな?  
いわゆるオーケストラと違うのは、バイオリン・ビオラ・チェロなどの弦楽器がないこと。
管弦楽団ではバイオリンがメロディーを担当するけど、フルバンドではサックスが担当する。
例えば紅白歌合戦のバック演奏の「三原綱木とニューブリード」、あれはフルバンドに近い。
(もっとも、最近の紅白の演奏にはバイオリンもはいってるけど)

母校の部活にもフルバンドがある。
夫もわたしも、そのメンバーだった。
学会で母校のある市に行ったついでに、学会終了後、母校まで足を伸ばしてみた。
後輩たちが、22日に予定されている定期演奏会の練習をしていると聞いたので、
古くなってもうすぐ取り壊されるという予定の、体育館の3階にある部室に行ってみた。

後輩といっても、もう自分の子供たちの年齢である。
みんな、わっか~い! んで、かわいい~! (*^_^*)

部室の入り口で、オネエチャンがヘッドホンつけてピアノを練習していた。
楽譜を見ると、「スイッチ・イン・タイム」だった。
これは、この間わたしもメンバーになってる社会人バンドの定期演奏会でもやった曲だ。
(なかなかむずかしいけど、頑張って♪)心の中で声をかけて、部室を見学させていただく。
部室では「ソウル・ボサ・ノヴァ」の練習をしていた。
クインシー・ジョーンズの有名な曲である。
う~ん、なかなかやるじゃん!
バンマスのオニイちゃん(3年生だそうだ)がテキパキと指示を出している。
1曲の練習に、約1時間。
何度も何度も繰り返し、練習している。

わたしが学生の頃のバンマスも、厳しい先輩だった。
誰かがちょっとつまづくと、そこでストップ。やり直し。
練習に遅刻したり、やる気がなくてダラダラしてると、
「へったくそだなぁ、やる気あんのか、もう、やめっちまえ!」なんて言われたり。
まるで運動部のしごきのようだったなぁ。
厳しくてアイソもないんで、その先輩は最初、キライだった。
(それが、まさか結婚することになるとは・・・。(^_^;)

後輩たちのメンバーは、医学部と衛生学部(看護科と技術科がある)が入り交じっている。
それぞれのテスト週間などのカリキュラムも違うから、練習時間もなかなか大変らしい。
でもね、それでいいんだよ。
それぞれの立場を超えて、自分たちの音楽を作り上げ、お客さまに聴いていただくために、
皆でステージに立つというプロセスが、今は大切なことだと思う。
これから君たちが就くであろう医療の仕事は、チームワークなのだから。

後輩たち、今日は突然はるか昔のOB(G?)が闖入してごめんなさい。
練習を聴かせていただいてありがとう。
定期演奏会の成功を祈ってます!
もちろん、本業の勉強も頑張って、ちゃんと進級して、国試もちゃんと受かりますように。
(って、居眠りばっかしてたわたしが言える筋合いじゃないけど。ははは。(^_^; )


教科書の1行

2007年12月09日 | 医療
 今年の小児アレルギー学会は、母校の恩師が会長でもあるので、ちょっと遠いのだけれど、頑張って行ってきた。
 小児アレルギーといえば、そのほとんどは気管支喘息とアトピー性皮膚炎なのだけれど、恩師のライフワークでもある食物アレルギーの話題もかなり盛り込んであり、とても勉強になった。

 大きな学会は内容も難しいものもあり、毎回、??? と !!! のことばかり。でも、やっぱり時々こうやって出かけていかないと、知識がついていかなくなってしまうんだよね。

 かつて、20年以上も前のことだけれど、血液検査でひっかかった食物をすべて除去するという、極端な食事制限の治療が「流行」だった時代がある。もっともそれは、一部の医師たちによるものだったのだけれど、それがマスコミや口コミで広がり、厳しい食事制限の結果、中には栄養障害をきたしてしまったお子さんもいた。

 恩師の仕事は、そういった食事制限を、何を基準に、どこまで必要なのか、どのような除去食療法が望ましいのか、与える場合にはどんな方法をとればいいのか、といったことを、学問的に証明しようとするものである。

 外来で実際に行う手技的なものは、実はそれほど難しいものではない。
 でも、その、一見簡単そうに見えることでも、その裏付けには、多くの患者さんや医師たち、検査技師さんたち、その他企業の方々の、途方もない手間と工夫と時間が費やされている。

 医学部の学生だった頃、当時の小児科の教授がこうおっしゃった。
 君たちが今使っている教科書の、このたった1行の事実は、たくさんの研究者の努力の結果なのだ、と。
 だから心して勉学にいそしみたまえ、という意味であったが、怠け者の私はいつも居眠りをしてたっけ。(ごめんなさい。^^:)

 今になって、その時に教授がおっしゃった意味が、とてもよくわかる。

 研修医になった時、教授はこうもおっしゃった。
 これから君たちが毎日診察する患者さんが教科書でもあるのだ、と。
 患者さんを診察させていただくことで、一人前になるのだから、ゆめゆめ、医師という肩書きを振りかざしてエラそうな態度をとってはいけない、という意味もこめた言葉だったと思う。

 くじけそうになって、何もかも投げ出したくなる時、いつもこれらの言葉を思い出す。


心を亡くさないように・・・

2007年12月08日 | 日々のつぶやき
このところずっと、毎日忙しい。
「忙しい」という字は、「りっしんべん」に「亡」、つまり「心が亡くなる」んだなぁ・・。

午後、特に夕方になると、5分間ぐらいの間に数人ずづの割合で患者さんがおいでになる。
病気やクスリのことを、わかりやすく詳しく説明しようと思うと、早口になってしまう。
わたしが早口でしゃべると、どうも怒ったように聞こえてしまうことがあるらしい。
たぶん、お母さんたちの多くは、聞きたいこともちゃんと聞けずに、
言葉を飲み込んだままお帰りになることも、多いんだろうなぁ。
あとでいつも反省するのだけれど、なかなか、これがねぇ・・・。

発熱のお子さんにはいつも、体温表をお母さんに渡して、家でグラフに記入していただいている。
そうすると、体温の経過がわかるからだ。
いったん発熱すると、実はそうすぐには下がらない。
小さなお子さんは特に、解熱するまでにたいてい2~3日はかかる。
朝と夕方とでも、体温は変わる。(朝は低くて夜は高くなるのが一般的)
上がり下がりを繰り返しながら、数日かけて下がってくる。
その、大きな変化を観察して、覚えて欲しくてつけていただいている。

でもねぇ・・。
わたしには、ある程度先の経過が読めるのだけれど、
やっぱり、下がらないと、家族は心配なんだよねぇ・・・。
この間も、毎日熱が下がらないと受診なさったお子さんがいた。
でもそのお子さんは、少しずつは解熱の傾向が見られていた。
毎日毎日、1時間以上も診察を待つのが気の毒だったので、
わたしは体温表のグラフの経過を示しながら、
お母さん、この経過なら今日はおいでにならなくても良かったんだよ。
と言ってしまった。
でも、例によって忙しく言ってしまったので、わたしの真意はうまく伝わらないでしまったらしい。
元気がない時は来てね、とセンセイが言うから来たんです・・・。
お母さんはちょっと悲しそうだった。
しまった! と思った。
そして、そのお子さんはその後おいでになってない。
あさってはきてね、って言ったのだけれど・・・。
どうしたかな。ちゃんと元気になったかな。
たぶん、わたしの物言いが、不快感を与えてしまったのだろうなぁ・・・。
お母さん、ごめんね・・・。

忙しい時は、毎日なにかしら、反省する出来事がある。

明日(というかもう今日だ)は土曜日。
わたしは午後から、名古屋で開催される日本小児アレルギー学会に出席の予定。
学会が朝から開始だから、本当は休診にしようか迷ったけど、
やっぱりこの時期に休診する勇気はとてものこと、ないので、終わり次第出発だ。
でも、外来が何時に終わるかわからないから、新幹線は自由席。
乗る時間を決めてしまうと、それに合わせて焦ってしまうから、
そういう時に限って、重大な見落としなんかあったら、大変だものね。

さて、明日(今日)も頑張るゾ!
といっても、家の用事がまだ終わらない。(単にトロイからだ・・・)
もう朝の4時だ。今夜は何時間寝れるかなぁ。
明日の新幹線、座れるといいなぁ。


たらいまわし

2007年12月04日 | 医療
最近、ちょっと腹に据えかねることがあった。
こっそり書いているつもりのブログでも、
もしかしてこの誰が書いているかがわかるかもしれないから、控えようかと思ったけど、
ええい、書いちゃうゾ。

ある夕方、内科の患者さんが、腹痛と下痢を訴えて受診した。
殆ど食べていないとのことで、点滴で様子を見ることに。
でも、一向に腹痛は治まらず、しかも場所が下っ腹じゃなくて、胆嚢のあたり。
血液検査でも、単なるウイルス性の胃腸炎ではなさそうだ。
顔色も悪い。
時間は4時過ぎ。
これはどこか大きな病院に紹介した方がよさそう。
そう考えた母(内科です)は、ある病院に電話をした。
ベッドが満床とのことで断られた。
次に電話したところも同じく満床でけんもほろろ。
時間はもう4時半。
どうしようか、このまま様子を見ようか、母と院長の夫とわたしと3人で相談する。
やっぱり紹介したほうがいい。
その次に電話をしたところは、とりあえず診ます、でも満床なので入院はできません、
とのこと。
この時すでに時間は夕方5時過ぎ。
隣の母の電話やりとりを聞いていて私は、見かねて消防本部に電話をした。
当市の場合、時間外に搬送する病院は、曜日毎に決められている。
消防本部では、その日の当番の病院がわかっている。
問い合わせたところ、その日の当番病院は、2番目に電話をした病院だった。
これは「二次救急指定病院」といって、
診察依頼の紹介患者は引き受けなければならないことになっている
で、もういちど、今度はわたしが2番目の病院に電話をした。
「今日の二次当番はそちらになってるそうなので、お願いできませんか」と。
電話に出た看護師さん? は、電話の向こうで医師に確認している様子。
今度は、それならと、引き受けてくれた。
3番目に電話をした病院には、丁寧にお断わりの電話を入れた。

救急車を呼んで、当院の看護師が同乗して患者さんを送っていった。
この時はもう5時半ぐらいになっていた。
病院に着いたのは6時近かったかも知れない。
そしたら・・・。
内科の担当医師から、
「もっと早く送って欲しかったですね」
と付き添って行った看護師が言われたそうな。

もっと早く、って、・・・患者さんが当院に来たのは午後なんだよ。
じゃあ、はじめに電話をした時に、ナンで断ったのさ。まだその時は4時半だったよ。
二次救急当番で、空きベッドを確保しておかなくちゃならなかったのかも知れないけれど、
じゃあ、もっと早く紹介してくれれば、なんて言わないでよ。
そんなこと言うなら、最初から受けるべきじゃないか。
少なくとも、小児科じゃそんなことはしないよ。
産婦人科もしないよ。

で、外来が終わったあと、わたしからもう一度その先生に電話を入れた。
時間外にすみませんでした。
患者さんの様子はいかがですか? と。
その先生は、
「単なる感染性の胃腸炎ですよ~!」と、
まるで、紹介したのが大げさであったかのような口調だった。

でもさ、
痛がってる、治らない、ひどそうだ、そういうとき、いつも開業医は迷う。
このあとの症状が快方に向かうか、ひどくなるかは、残念ながらわからないことだってある。
開業医でできる治療範囲は、限られてるんだよ。
なら、患者さんにとってより良い方法を考えるのが当たり前なんじゃないの?
そのための二次当番じゃないのかい?
もちろん、開業医も、面倒だからナンでもカンでも紹介しちゃえ、っていう姿勢ではいけない。
でもね、なぜか、具合の悪い患者さんって、夕方とか、休日前に多いのも事実。
そういう時間帯に患者さんを紹介する時って、患者さんの容体はもちろん心配だけれども、
紹介先のセンセイや看護師さん、時間外に残るはめになるだろう検査科の方々の姿も、
浮かぶンですよ。申し訳ないなぁ・・・と。
だって、開業医だって、数年前は勤務医だったのだから。
これから、この時間帯、病院の方々がどのように過ごすのかは、手に取るように想像できる。
でも、それでも、患者さんのことを思えばこその紹介なんだ

つい最近も、交通事故のたらいまわしがあったばかり。
産婦人科・小児科は医師が少ないと問題になってるけど、
確かに、総合病院に勤務している医師たちの疲労度はマックスなのだと思うけど、
ちょっと今回のは、ちがうんじゃない? って思った。

新聞・テレビの医師叩き論調に同調するつもりはさらさらないけれど、
こういう、医師のモラルに問題がある場合も、実はあるんだよね・・・。

わたしたちは、そういうことにもきちんと襟を正さなくちゃならないと思う。