タイトルに惹かれて買ったものの、読まずにいた本があったので、
名古屋への行き帰り、新幹線の中で読んだ。
渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)
http://book.akahoshitakuya.com/b/4344021746
この方はノートルダム清心学園理事長をなさっておられる。
その経歴を拝見して驚いた。
二、二六事件で、ご自身が9歳の時に目の前で父親が銃殺された経験を持つ。
そこそこに名を知られているシスターが書かれた人生のハウツー物だろう、と、
車内での暇つぶしに読もうぐらいにしか思っていなかった自分を恥じた。
初版が2012年4月なので、震災から約1年後に書かれたものだ。
直接的な表現ではないけれども、あちこちに被災者へのメッセージも込められていたように感じた。
シスターの文章は、クリスチャンではないわたしにも共感できることばかりだった。
自分自身にも問いかけながら、丁寧に読んだ。
わたしが、いま、したいことは?
わたしが、これから、すべきことは?
わたしの、立ち位置は、どこ?
シスターのたどってきた人生に比べればはるかに穏やかなわたしの人生だけれど、
いくつもの、「もしも、あのとき、こうしていたら・・・?」があって、
それが未だに心の底にくすぶっていた。
それは後悔なんかじゃないのだけれど、・・・どう表現したらいいのかな、
「選ぶことのできなかった人生」への執着、といったらいいだろうか・・・。
どうでもこうでも行かねばならない訳でもない母校の同門会に、
厳寒のこの時期にわざわざ足を運ぶのも、この執着の故かもしれない。
続けたかった学問
住んでいたかった街
ほかにも、いくつかの諦めてきたこと
「・・・たら、・・・れば」を考え出したらキリがないことはわかっていたつもりでも、
気持ちの奥底で決着をつけていなかった自分の心を、あらためて自覚した。
と同時に、長い間心の底にこびりついていた塊が溶けていくのがわかった。
誤解しないで欲しいのだけれど、この気持ちはずっと以前からのことで、原発事故は何の関係もない。
新幹線の車窓は次第に雪景色になっていったのだけれど、
反対に心が晴れ晴れとしていく自分がなんだかおかしくて、ひとり車内でニマニマしてしまった。
(隣に人がいなくてよかった)
人の気持ちなんて案外、ちいさなきっかけで、どうにでも変えることができるのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「置かれたところで咲きなさい」という言葉で、ある方を思い出した。
昨年、知人から教えていただき読んだ本の著者である。
「救いを求める子どもたち」谷俊治 著
http://book.akahoshitakuya.com/b/4761406062
http://www.gakuensha.co.jp/cn33/pg161.html
発達に問題を抱えたお子さんへの対応などが書かれた本なのだが、
このお名前の小児科医は存じ上げないなぁ、と思いながら読んでいた。
それもそのはずで、著者の先生はもともとは耳鼻科医だったのだ。
教授の命令でさる教育大学に出向き、そこで聴覚障害や言語障害を持つお子さんを診察するうちに、
ご専門の「耳鼻科学」を越えて、
それらの障がいを持つお子さんやその親御さんとの接し方を学んでいかれたという。
書かれている内容は、ひとりひとりの事例を示しながらわかりやすく解説されており、
小児科医のわたしにもじゅうぶんに勉強になるものであった。
(これもあとでわかったことだが著者の先生は小児科学会にも所属しておられた)
ご自分が今のお仕事に就くきっかけになった経緯の記載のところに、
はじめは、何故耳鼻科医の自分が「(障がいを持つ)子どもの教育関係の施設に?」と思ったそうだ。
けれども、その後のお仕事の在り方が、耳鼻科医として「耳鼻科学的な障がい」だけを診るのではなく、
そのお子さんのひとりひとりの発達を全体的にとらえて
御家族の支援にも関わってこられたということに、
わたしは深い感銘を受けた。
この方も、「置かれた場所で咲いた」方なのだと思う。
もっとも、文章からは著者ご自身にはそのような気負いなどは微塵もなく、
ただひたすらお子さんや親御さんと今も接しておられる方のようにお見受けしている。
もうひとり。
たまにメールのやりとりなどをする友人がいる。
紆余曲折を経て今の生活をしているらしい。
らしい、というのは、詳しいことはわたしは知らないからだ。
知らなくても、その友人とのおしゃべり(メールだが)はとても魅力的である。
その友人のある時のメールに、このような一文があった。
「幸せになるために、生きています。」
さらりと書かれたこの一行に込められている友人の、
それまでの軌跡と心の強さと情感の深さ・優しさを思い、目頭が熱くなった。
この友人も、今置かれている場所で一生懸命咲いてる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
連休が終わり、予想通り今日の外来はインフルエンザのお子さんが増えてきた。
わたしの居場所は、ここだ。
名古屋への行き帰り、新幹線の中で読んだ。
渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)
http://book.akahoshitakuya.com/b/4344021746
この方はノートルダム清心学園理事長をなさっておられる。
その経歴を拝見して驚いた。
二、二六事件で、ご自身が9歳の時に目の前で父親が銃殺された経験を持つ。
そこそこに名を知られているシスターが書かれた人生のハウツー物だろう、と、
車内での暇つぶしに読もうぐらいにしか思っていなかった自分を恥じた。
初版が2012年4月なので、震災から約1年後に書かれたものだ。
直接的な表現ではないけれども、あちこちに被災者へのメッセージも込められていたように感じた。
シスターの文章は、クリスチャンではないわたしにも共感できることばかりだった。
自分自身にも問いかけながら、丁寧に読んだ。
わたしが、いま、したいことは?
わたしが、これから、すべきことは?
わたしの、立ち位置は、どこ?
シスターのたどってきた人生に比べればはるかに穏やかなわたしの人生だけれど、
いくつもの、「もしも、あのとき、こうしていたら・・・?」があって、
それが未だに心の底にくすぶっていた。
それは後悔なんかじゃないのだけれど、・・・どう表現したらいいのかな、
「選ぶことのできなかった人生」への執着、といったらいいだろうか・・・。
どうでもこうでも行かねばならない訳でもない母校の同門会に、
厳寒のこの時期にわざわざ足を運ぶのも、この執着の故かもしれない。
続けたかった学問
住んでいたかった街
ほかにも、いくつかの諦めてきたこと
「・・・たら、・・・れば」を考え出したらキリがないことはわかっていたつもりでも、
気持ちの奥底で決着をつけていなかった自分の心を、あらためて自覚した。
と同時に、長い間心の底にこびりついていた塊が溶けていくのがわかった。
誤解しないで欲しいのだけれど、この気持ちはずっと以前からのことで、原発事故は何の関係もない。
新幹線の車窓は次第に雪景色になっていったのだけれど、
反対に心が晴れ晴れとしていく自分がなんだかおかしくて、ひとり車内でニマニマしてしまった。
(隣に人がいなくてよかった)
人の気持ちなんて案外、ちいさなきっかけで、どうにでも変えることができるのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「置かれたところで咲きなさい」という言葉で、ある方を思い出した。
昨年、知人から教えていただき読んだ本の著者である。
「救いを求める子どもたち」谷俊治 著
http://book.akahoshitakuya.com/b/4761406062
http://www.gakuensha.co.jp/cn33/pg161.html
発達に問題を抱えたお子さんへの対応などが書かれた本なのだが、
このお名前の小児科医は存じ上げないなぁ、と思いながら読んでいた。
それもそのはずで、著者の先生はもともとは耳鼻科医だったのだ。
教授の命令でさる教育大学に出向き、そこで聴覚障害や言語障害を持つお子さんを診察するうちに、
ご専門の「耳鼻科学」を越えて、
それらの障がいを持つお子さんやその親御さんとの接し方を学んでいかれたという。
書かれている内容は、ひとりひとりの事例を示しながらわかりやすく解説されており、
小児科医のわたしにもじゅうぶんに勉強になるものであった。
(これもあとでわかったことだが著者の先生は小児科学会にも所属しておられた)
ご自分が今のお仕事に就くきっかけになった経緯の記載のところに、
はじめは、何故耳鼻科医の自分が「(障がいを持つ)子どもの教育関係の施設に?」と思ったそうだ。
けれども、その後のお仕事の在り方が、耳鼻科医として「耳鼻科学的な障がい」だけを診るのではなく、
そのお子さんのひとりひとりの発達を全体的にとらえて
御家族の支援にも関わってこられたということに、
わたしは深い感銘を受けた。
この方も、「置かれた場所で咲いた」方なのだと思う。
もっとも、文章からは著者ご自身にはそのような気負いなどは微塵もなく、
ただひたすらお子さんや親御さんと今も接しておられる方のようにお見受けしている。
もうひとり。
たまにメールのやりとりなどをする友人がいる。
紆余曲折を経て今の生活をしているらしい。
らしい、というのは、詳しいことはわたしは知らないからだ。
知らなくても、その友人とのおしゃべり(メールだが)はとても魅力的である。
その友人のある時のメールに、このような一文があった。
「幸せになるために、生きています。」
さらりと書かれたこの一行に込められている友人の、
それまでの軌跡と心の強さと情感の深さ・優しさを思い、目頭が熱くなった。
この友人も、今置かれている場所で一生懸命咲いてる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
連休が終わり、予想通り今日の外来はインフルエンザのお子さんが増えてきた。
わたしの居場所は、ここだ。