ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

「置かれた場所で咲きなさい」

2013年01月15日 | 日々のつぶやき
タイトルに惹かれて買ったものの、読まずにいた本があったので、
名古屋への行き帰り、新幹線の中で読んだ。

  渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)
  http://book.akahoshitakuya.com/b/4344021746

この方はノートルダム清心学園理事長をなさっておられる。
その経歴を拝見して驚いた。
二、二六事件で、ご自身が9歳の時に目の前で父親が銃殺された経験を持つ。
そこそこに名を知られているシスターが書かれた人生のハウツー物だろう、と、
車内での暇つぶしに読もうぐらいにしか思っていなかった自分を恥じた。
初版が2012年4月なので、震災から約1年後に書かれたものだ。
直接的な表現ではないけれども、あちこちに被災者へのメッセージも込められていたように感じた。

シスターの文章は、クリスチャンではないわたしにも共感できることばかりだった。
自分自身にも問いかけながら、丁寧に読んだ。

 わたしが、いま、したいことは?
 わたしが、これから、すべきことは?
 わたしの、立ち位置は、どこ?

シスターのたどってきた人生に比べればはるかに穏やかなわたしの人生だけれど、
いくつもの、「もしも、あのとき、こうしていたら・・・?」があって、
それが未だに心の底にくすぶっていた。
それは後悔なんかじゃないのだけれど、・・・どう表現したらいいのかな、
「選ぶことのできなかった人生」への執着、といったらいいだろうか・・・。
どうでもこうでも行かねばならない訳でもない母校の同門会に、
厳寒のこの時期にわざわざ足を運ぶのも、この執着の故かもしれない。
  続けたかった学問
  住んでいたかった街
  ほかにも、いくつかの諦めてきたこと
「・・・たら、・・・れば」を考え出したらキリがないことはわかっていたつもりでも、
気持ちの奥底で決着をつけていなかった自分の心を、あらためて自覚した。
と同時に、長い間心の底にこびりついていた塊が溶けていくのがわかった。
  誤解しないで欲しいのだけれど、この気持ちはずっと以前からのことで、原発事故は何の関係もない。

新幹線の車窓は次第に雪景色になっていったのだけれど、
反対に心が晴れ晴れとしていく自分がなんだかおかしくて、ひとり車内でニマニマしてしまった。
(隣に人がいなくてよかった)
人の気持ちなんて案外、ちいさなきっかけで、どうにでも変えることができるのかも知れない。

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「置かれたところで咲きなさい」という言葉で、ある方を思い出した。
昨年、知人から教えていただき読んだ本の著者である。

  「救いを求める子どもたち」谷俊治 著 
  http://book.akahoshitakuya.com/b/4761406062
  http://www.gakuensha.co.jp/cn33/pg161.html

発達に問題を抱えたお子さんへの対応などが書かれた本なのだが、
このお名前の小児科医は存じ上げないなぁ、と思いながら読んでいた。
それもそのはずで、著者の先生はもともとは耳鼻科医だったのだ。
教授の命令でさる教育大学に出向き、そこで聴覚障害や言語障害を持つお子さんを診察するうちに、
ご専門の「耳鼻科学」を越えて、
それらの障がいを持つお子さんやその親御さんとの接し方を学んでいかれたという。
書かれている内容は、ひとりひとりの事例を示しながらわかりやすく解説されており、
小児科医のわたしにもじゅうぶんに勉強になるものであった。
(これもあとでわかったことだが著者の先生は小児科学会にも所属しておられた)

ご自分が今のお仕事に就くきっかけになった経緯の記載のところに、
はじめは、何故耳鼻科医の自分が「(障がいを持つ)子どもの教育関係の施設に?」と思ったそうだ。
けれども、その後のお仕事の在り方が、耳鼻科医として「耳鼻科学的な障がい」だけを診るのではなく、
そのお子さんのひとりひとりの発達を全体的にとらえて
御家族の支援にも関わってこられたということに、
わたしは深い感銘を受けた。
この方も、「置かれた場所で咲いた」方なのだと思う。
もっとも、文章からは著者ご自身にはそのような気負いなどは微塵もなく、
ただひたすらお子さんや親御さんと今も接しておられる方のようにお見受けしている。


もうひとり。
たまにメールのやりとりなどをする友人がいる。
紆余曲折を経て今の生活をしているらしい。
らしい、というのは、詳しいことはわたしは知らないからだ。
知らなくても、その友人とのおしゃべり(メールだが)はとても魅力的である。
その友人のある時のメールに、このような一文があった。

  「幸せになるために、生きています。」

さらりと書かれたこの一行に込められている友人の、
それまでの軌跡と心の強さと情感の深さ・優しさを思い、目頭が熱くなった。
この友人も、今置かれている場所で一生懸命咲いてる。

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連休が終わり、予想通り今日の外来はインフルエンザのお子さんが増えてきた。
わたしの居場所は、ここだ。



ぼちぼちいこか

2013年01月15日 | 日々のつぶやき
この連休は名古屋に行って来た。
母校の小児科の同門会に出席するためだ。
今年は、数年前に退官した教授の御講演があった。
以前にもブログ記事に書いたが、教授は今は北の大地の大学に籍を置かれ、
感染症の研究のためにザンビアと日本とを定期的に往復しておられる。
大病を患い、今も闘病中とのことであるが、お元気そうで安心した。

御講演はザンビアでの活動のことだった。

あちらでは、熱を出せばマラリアと診断されてしまうこととか。
(他の感染症もあるはずなのだが、検査などはしない)
マラリアと思いきや、実はツェツェ蠅による感染症だったり。
エイズの罹患率が20%以上にも及ぶこと。
その多くは結核にも感染していること。

本来の仕事以外にも、現地で学校の設立にも関わったこと。

電気もガスも水道もなく、夜は真っ暗になること。

お話を伺いながら、日本の暮らしがいかに恵まれているかを思った。


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若い現教授は、これからの小児医療や医局運営のことなどを熱く話しておられた。
研修医のシステムなど、やはりどこの大学でも悩みは同じようだ。
医師という職業は職人のようなもの、と別ブログのコメントにも書いたのだが、
今の研修医システムにはかなり問題があると思う。
書物からの知識も大切だが、現場で身をもって「患者さんから」学ぶこと、
これがなければ到底一人前にはなれない。
そのためには、先輩のやることを見よう見まねで覚えることも大事なのだ。
でも、今のシステムは時間が来れば「研修医だけは」先に帰宅してもいいことになっている。
先輩よりも「お先に」と研修医が言うなど、わたしの時代には考えられなかったことだが・・・。
(これについては、反論もあるとは思うけど)

実はこれは、最近政権に返り咲いた政党が、以前与党だった時にできたもの。

さて、この問題は今後どうなるのだろうか。
当面は棚上げなのかな・・・。

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表題の「ぼちぼちいこか」は、田辺聖子氏の小説やエッセイにたびたび登場する言葉。
東北弁にはないこの大阪弁(関西弁というの?)のほんわかした印象がわたしは好き。
大阪弁というと、お笑いやらバラエティ番組のドギツイ印象があるけれど、
田辺氏の書く大阪言葉は、東北人のわたしにも心地よく沁みる。

どのエッセイだったかは忘れてしまったが、
 東京弁で「ばっかじゃないの」 と言ったらストレートな表現で相手は不快になるが、
 大阪弁で「あほちゃうか」 と言うのは憐れみ・慈しみが含まれる、
というようなことを書いておられ、なるほどと思った記憶がある。

今年は、気持ちにゆとりを持って暮らしたい。


・・・あ、そういえば、
せっかく名古屋に行ったのに、モーニングを食べないでしまった。
関東~東北は雪! のために新幹線が遅れてるんで、
計画してた予定をキャンセルして帰ってきちゃったんだよね。
(これはゆとりを持った行動だったか?)





春風献上

2013年01月01日 | 日々のつぶやき
  明けましておめでとうございます。


今年は巳年。

その風貌から日頃は忌み嫌われるヘビではあるが、
脱皮を繰り返すことから転じて、
「復活、再生」を表すのだそうだ。

餌を長期間食べなくても生きていることから、
長寿のシンボルにもなっているらしい。

さらに・・・、「巳」という文字はもともと、
頭と胴体ができたばかりの胎児を表す象形文字だったのだそう。
何と縁起がいいではないか!
この年が周産期医療の追い風になればいいと、
かすかな望みを抱いたりする。

(参考)
http://matome.naver.jp/odai/2135538392970254901

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写真は、会津の民芸品「起き上がり小坊師」
家族の人数よりも一個多く神棚に飾り、一年間の無事を祈願する。
以前は赤1色だったのだけれど、いつからかな、いろんな小坊師ができた。
青のほかに黄色もある。
最近では「八重の桜」にあやかってピンクの小坊師もある。
http://www.tif.ne.jp/bussan/dentou/dento/sonota/sonota11.html


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記事の題は新年にちなむ四字熟語から。
文字通り、春の風をあなたに差し上げます、という意味だそう。

最後に、春風にちなんだ和歌を一首。


  水の面に あや吹き乱る 春風や 池の氷を 今日はとくらむ   
                   ~紀友則(きの とものり)~

  
  (春の暖かい風は、池の水面に綾模様をつくり、
   寒い冬の間、池に張った氷も、溶かしてしまうのでしょう)