ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

大名古屋ビルヂング

2012年09月30日 | 日々のつぶやき
大学進学で初めて名古屋駅に降り立ったとき、最初に目に入ったのが、駅前のこのビル。
   

 「大名古屋ビルング」
  (赤字はひまわりが強調)

はぁ
ビルヂング、って、何

名古屋は都会だと思って来たけど、日本語を知らないのかいな

などなど思ってしまったけれど、もちろんそんなはずはなく、これには訳があったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大名古屋ビルヂング

名古屋名物ともいうべき(と思っているのはわたしだけかも知れないけど)ビルが、
9月30日をもって閉館され、駅前再開発事業に伴う建て替えのため、近々取り壊されるらしい。

「大名古屋ビルヂング」のレトロなネーミング、無くなってしまうとなると、なんだか寂しい。

いろんなことが、少しずつ、変わってしまうのだなぁ。

そういえば、学生の頃住んでいた街に、美味しいパスタ屋さんがあった。
何を食べても美味しいけど、和風パスタがおすすめ。
「アサリ・シイタケ・シメジ・納豆」がわたしの定番。
マスターにも奥さんにも、とってもお世話になった。
ここも今月一杯で移転するのだそうだ。

  お店の名前は、ジャンニーノ
  移転先は刈谷市とのこと。営業は12月から(?)
  ご興味のある方は、ぜひお訪ね下さい。
  美味いです まじで。

名古屋といえば、喫茶店の数が全国1とか。(聞いた話なので確認はしてない)
確かに、わたしが住んでいた街にも、そこここにあったような記憶がある。
それも、ふつーの住宅街にだ。
で、たいていが朝8時頃から営業している。
さらにびっくりなのは、モーニング。
住宅街の喫茶店の多くは、朝8時~9時か10時までの時間帯はモーニングサービスをしていて、
その内容がオドロキなのだ。

この時間帯は、「コーヒー」と「モーニング」は別メニューなのだ。
どういうことかというと、
「コーヒー」を注文すると、モーニングサービス時間帯は、バタートーストが付いてくる。
「モーニング」を注文すると、バタートーストの他にサラダと卵が付いてくる。

モーニングサービスの時間帯を過ぎても、殆どの喫茶店では、コーヒーにおつまみが付いてきた。
柿ピーとか、アーモンドなどが、小皿に盛られて。

今はどうなのかなぁ。
こういう営業形態の喫茶店は、今も健在なのだろうか。

福島に帰って来て、最初に戸惑ったのは、
ちょっと休憩したいな~、と思っても、喫茶店が少ないこと。(無い、といってもいいぐらい)

 (ちなみに、わたしがここで言う喫茶店とは、スタバとかじゃないです。)

大名古屋ビルヂングから話が逸れてしまった。

かつてあったもの、馴染んだものが消えていってしまうのは、やっぱり、寂しいな。
仕方ないことなのだろうけどね。


 「あったものがなくなる」・・・。
 結局、行き着くのはこのはなしになってしまう・・・。







遠くで、たたかっている友だち

2012年09月26日 | 日々のつぶやき
昨年、遠くにいる幼なじみの友人から、わたしのブログを見たと、メールをいただいた。
頑張ってね、応援してるから、・・・と。

嬉しくなって、桃を送った。
美味しかったとすぐに返事が来た。

今年も、桃を送った。

しばらくして、8月の終わりに、手紙が来た。
少し、書体に元気がなかった。

難しい病気がわかり、入院していたのだそうだ。

彼女の病気がどれほど大変なものだったか、数行の文章からもわかった。

それなのに。

手紙のさいごに、わたしに、頑張って、と・・・。

自分のことだけで精一杯のはずなのに、自分のことは淡々と綴り、
福島のわたしを気遣ってくれる。

彼女の優しい笑顔が浮かび、なんと言葉を返していいのか、ずっと逡巡していた。

先日、退院したと、メールが来た。
退院はしたけれど、これからいろいろな治療があるらしい。
そして、そこにもまた、わたしを気遣う言葉があった。

彼女もまた、たたかっている。
それは強く静かなたたかいだ。

どうか、負けないで。

わたしは祈ることしかできないけれど、
あなたへのエールも込めて、わたしも、ここで頑張る。

だから、どうか、負けないで。

ずっと、応援してるから。







福島県小児科医会声明

2012年09月22日 | 東日本大震災
毎年7月に、福島県小児科医会の総会が行われる。
この会において、
 福島県小児科医会総会声明
「福島のこどもたちの未来を守るためにー原子力災害と子育て支援-」
を出すことを、全会一致で承認された。

  昨年度も、福島県知事宛に県小児科医会から声明を出してはいるけど・・。
  http://blog.goo.ne.jp/yi78042/e/466ae2ef47392f708369cc89d5d4006c

先日、会長代理として、県小児科医会副会長の先生と二人で、
この声明文を以下の3箇所に提出してきた

 福島県子育て支援課
 復興庁・福島復興局
 東京電力・福島原子力被災者支援対策本部

県・国の行政担当の方々とお話していて思ったことは、
やっぱり、それぞれの立場で、現場の方々は努力して下さっているのだな、ということ。
言いたいことはたくさんあるけれども、
行政を非難・批判ばかりしていてもいけないな、ということだ。

東京電力の方々は・・・、現場の方々が大変なのは、こちらにも伝わった。
 (・・・あんまり、ここでは、書きたくない。)

以下は、声明文。(要望といってもいいかな)
会長が草稿を作成し、理事会で何度も取り上げ、完成した。
それぞれ、県知事宛、復興大臣宛、東電の会長及び社長宛の、会長からの依頼文も添付した。
会長は普段から物静かな方なのだが、この依頼文を拝見すると、その熱意が伝わる。
(ここでは載せません)
 ____________________________________

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具体的には、
 ・全てのワクチンの無料化(任意接種のもの)
 ・思い切り遊ぶ場所として、子ども健康センター(仮称)等の施設を県内各地に設置

などなどをお願いしてきた。

小児科医会の一員としては、自画自賛みたいだけれど、
わたしたちだって、指を指を加えて事の推移を見てるだけじゃない。
実現するかどうかはともかく、伝え続けることが大事かな、と思っている。






エネルギーは「断捨離」できるのか?

2012年09月11日 | 東日本大震災
苦し紛れのタイトルですが・・・。
「脱原発」や「反原発」ってタイトルは、突っ込まれそうなので・・・。
(「断捨離」の提唱者・やましたひでこさん、勝手にごめんなさい。)

さて、その、やましたひでこさんによれば、

  だんしゃり 断・捨・離とは、
  自分とモノとの関係を問い直し、
  暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。

だそうだ。

福島県で暮らす者として、原発はもうごめんだ。
原発の電力なしでは医療だって崩壊する成り立たないかも知れないことはわかっているけれど、
感情として、受け入れることはできない。

では、代わりに50年前の暮らしをせよと言われたら、それも自信がない。
モノがあふれ、便利な時代、一度楽することを覚えてしまった身には、
ひとむかし前の生活に戻ることは、できそうでできない。

猪苗代湖の南側に、布引高原という場所がある。
住所は郡山市湖南町になっているが、位置的には会津の猪苗代、という印象だ。
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot_disp.php?id=3348
http://www.studioo2.co.jp/img/Photo_Library/nunobikiyamakogen/index.html

 (最初にご紹介していたアドレスが開かなかったので、別のものをご紹介します。9/17)

その高原には、風力発電の風車が33基あり、約12,500万kWhの発電ができる。
これは、一般家庭約35,000世帯分の年間消費電力量に相当するのだそうだ。
http://www.jpower.co.jp/wind/win01000.html

わたしも昨年夏に初めて行ってみた。
風力発電がどのぐらいのものか、確かめてみたかったのだ。
かなり広い。
これだけの敷地に、33基。
でも、たったの3万5千世帯分の電力。

当然だが、メリット・デメリットがある。
http://jp.meritdemerit.com/topic/421
http://allabout.co.jp/gm/gc/380620/


1年前にも書いたのだけど、こんなことを時々考える。

 一般家庭・マンションなど共同住宅・会社・工場・官公庁・病院など、
 あらゆる建物には全てソーラーシステムを配備する。
 採算はこの際、考慮しない。
 とにかく、自力でまかなえる分はわずかでも、太陽光発電の電力を使う。
 日本全国、全て。
 国策として、これを行う。

 その上で、絶対的に常に大量の電力が必要な場所には(当分は)原子力発電でまかなう。
 (わたし個人の感情的には、これは暫定的に・・・)

 原発立地の自治体では、万が一に備えて、

  1.避難範囲の設定
  2..避難先の確保(近県自治体とも連携の体制)
  3.原発周辺の気象情報を常にアナウンスする(特に風向き)
  4.付近住民には安定ヨウ素剤を配布しておく(これは非常食と同じく更新する)

 ・・・などなどのシミュレーションを最低限やっておく。


デモや集会で叫んだところで、原発はなくならないよ。当分。
なら、上記の1~4などについて、具体的に行動を起こすのが先決じゃないのかな。
ただ、4,については、どの段階で内服するのか、
住民への常日頃の啓発が必要になると思うけど。

福島県発事故では、一般市民に放射線による健康被害が起きる可能性は、かなり低いと思う。
でもそれは、前にどこかでコメントしたかもしれないけど、
不幸中の幸いでしかないんだ。

今後も、万が一どこかの原発で事故が起きても、
放射線による健康被害には至らないかもしれない。

でも、もしもその万が一、が起きたら・・・。
 そのために、付近住民は、屋内待避かもしれないよ。
 いや、避難生活を送るかもしれないよ。
 命は永らえても、故郷を無くすことになるかもしれないよ。
 「健康には問題がない」ことを証明するために、
 平時なら必要なかった検査を定期的に受けなければならないよ。
 毎日の食品は「測定されたもの」を確認して口にしなければならないよ。
 ベクレルだのシーベルトだのが、いつもアタマの隅にこびりついている。
 公園にも学校にも幼稚園にも保育園にも、モニターが設置されている。


これが、今の福島県の現実。

それでも、なにごともなかったように、暮らしていく。
わたしたちのこの地での日々の暮らしは、今までとおりだ。

でも、「あの日」から今までのことは、「なかったこと」にはできない。
忘れたふりをしてるのでも、ない。
なにも考えてない訳じゃない。
受け入れて、ここで、暮らしている。


今、原発を立地している地域の方々が、原発と共存するということは、
万が一コトが起きたら、どうなるか、
常にその覚悟と備えが必要だということだ。


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  今回も、記事をアップするの躊躇してました。(9月17日)




久々に・・・

2012年09月02日 | 日々のつぶやき
この1ヶ月余り、更新が滞っていた。

あるブログで、わたしの実名を出し、ある医学雑誌に投稿したわたしの文章を、批判していた。
批判というより誹謗中傷に近い。
その文章は、今回の原発事故による福島県での現状を、
これまで出そろっている健康調査をふまえて述べたものである。
当然であるが、福島県内の子どもたちの将来の健康被害の可能性は低い、という内容だ。
わたしの文章をブログ主に送りつけた「福島県の医師」と、ブログ主と、コメントする方々は、
どうもそれが気に入らないらしい。

気に入らないのなら、医学的な根拠を示し、その雑誌に反論を投稿すればいい。
わたしを知り、わたしのブログも、当院のHPも知っているのなら、
こちらにコメントすればいいではないか。

それもせずに、他人のブログに誹謗中傷を送りつけ、コメントするというのは、
どういう神経なのだろう。

そのブログ記事に寄せられたコメントは、
わたしの出身大学が私立だから、権力に弱いのだろう、とか、
わたしがアレルギーの専門医だから、
アレルギーを診る医者は何でもステロイド剤で症状を抑えようとする、
だから、放射線の被害にもフタをして安全デマを吹聴するのだろう、とか、
開業医だから借金が多いから、妊婦や子どもがいなくなると困るのだろう、とか、
わたしの家族や、辞めた職員のことまで、書く人もいた。
「ひまわり」が癪にさわる、どうしてくれよう、と何度もコメントを残す人もいる。

岩上安身ジャーナルの現地スタッフ?に無断で動画配信された時よりも、
今回のほうが、さらに恐怖心を覚えた。
と同時に、このままにしていていいものか、考えていた。

訴えることも考えた。
ブログ主の素性は、わかっている。
コメントした人たちも、調べればわかるであろう。
(日本の警察をなめたらいけないよ。)

件(くだん)のわたしの文章についても、
「悪質」と言い切った「福島の医師」の見解について、わたしのブログで反論しようとも考えた。

でも、やめた。

馬鹿馬鹿しいことに余計なエネルギーを費やすのは、気力・体力・時間の無駄だ。

わかる人には、わかる。
それでいい。

わたしが今すべきなのは、
福島の子ども達が、いつもの生活を、いつも通り送ることを、支えることだ。


  草稿のままにしていた記事、載せます。
  例のブログへの反論記事は、今はやめときます。
  いつか、書くかも・・・?、いや、書かないかな・・・。