ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

子守歌♪

2010年10月30日 | 日々のつぶやき
午後から、県内の周産期に関わる医療者対象のセミナーがありました。
周産期というのは、妊娠・分娩の前後のことで、
周産期医療というのは、妊娠・分娩と新生児に関わる医療を指します。

新生児集中治療室の看護師さんの発表3題。
産婦人科の先生の発表3題。
小児科医(新生児科の先生)の発表3題。

ドクターの発表ももちろん勉強になりましたが、
わたしが興味惹かれたのは、看護師さんの発表で、
「未熟児のケアに子守歌を聴かせた効果」というもの。

もちろん効果あり、という内容だったのですが、
モーツァルトとかじゃなくて、
   ♪ ね~んねん、ころ~り~よ~、おこ~ろ~り~よ~♪
という歌を聴かせたところ、心拍数が安定した、ということです。

なるほど。
うちでも今度やってみようかしらん。
お母さんの歌を録音して聴かせる、っていうのはどうなのかな。

余談ですが、
実はわたし、この「子守歌」にはあまりいい思い出がありません。
うんと小さいころのこと。
おんぶしてもらったり、ふとんに入ると必ずその「子守歌」を聴かされました。
オトナは多分寝かしつけたかったのでしょう。
でも、あれって、マイナー(短調)なんだよね。
その悲しいメロディーのせいで、わたしは必ず泣きたくなりました。
寝せようと思ってたオトナは、さらに一生懸命歌います。
わたしはさらに悲しくなってわんわん泣いた覚えがあります。

わたしって、ヘンな赤んぼだったのかもしれない。

「自然なお産」てなんだろう?

2010年10月22日 | 医療
2年前の日記に、九州の女性医師さんからコメントをいただいてました。
福島県立大野病院の産科医師が不当に逮捕された件の日記です。
以下は女性医師さんのコメント:

    <<<助産院は安全? いや危険です>>>

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/09/images/s0905-7f1.gif

      50年前、分娩場所が助産所や自宅から、病院や産婦人科医院(診療所)に代わり、
      母体死亡率が激減してます。

      半世紀前に戻るのか????


本当は2年前の日記のところに返信を書くべきなのですが、
コメント日時が今年の8月ですので、こちらの新しい日付でご紹介いたします。
九州の女性医師さん、当ブログに初コメント、ありがとうございました。

コメントのご意見、おっしゃる通りだと思います。

大野病院の一件をきっかけに、全国的な産科医不足があらためて問題視され、
それに伴い、正常産は助産師が担い、異常産は産科医が、という構想で、
助産師さんたちの役割も大きくクローズアップされたように思います。
それはそれで、ある側面からは喜ばしいことだとも思いますが、
いまだに各所での院内助産院などの構想が頓挫していることをみれば、
現実はそう簡単なものではなかったことは、明らかです。

勤務医時代から開業しての、これまでの間、
小児科医として、また、ふたりの子どもを出産した立場として、
産科医の夫を通して現代の産科医療をみてつくづく感じることは、
「お産は、産まれてくるまで、正常産か異常産か予測できないことが多い」
ということです。

妊娠経過も順調で何のリスクもないと思っていたのに、
分娩がなかなか進まなくて帝王切開になることもあれば、
予定日前に破水してしまって早産になるからスタンバイしてくれと言われ、
わたしの外来を一時ストップして、ドキドキしながら待機してみれば、
予想外にツルンと元気に産まれ、わたしの出る幕じゃなかった、
なんてお産もあります。

九州の女性医師さんがアップして下さったグラフのように、
1970年代を境に、妊産婦の死亡率も新生児死亡率も低下しています。
30~50年前なら助からなくても「仕方ない、運命だったのだ」で済まされたお産が、
21世紀の日本の医療では、かなりの例数を救命することができます。

「自然なお産」を、文字通り自然の成り行きにまかせて経過をみることを指すのなら、
その中には必ず、不幸な転機をたどる症例が出てきます。
それを、「仕方ない、運命だったのだ」と受け入れる覚悟が、
自然なお産を選ぶ妊婦さんたちは、きちんと認識しているのでしょうか。
「自然なお産」を奨める方々は、
「自然の経過に伴う危険度」をきちんと妊婦さんたちにお伝えしているのでしょうか。

全部とはいわないけれども、
開業助産院のHPや、自宅出産・助産院での出産を選んだ方々のブログなどを拝見すると、
「自然にまかせる」ことは正義で、「医療行為」は無駄・悪、
のような印象を受けることがあります。
助産院だけではなく、一部の産科医でさえも、このような意見を唱える方もいます。

ある地域に、一部の方々からカリスマ的に信頼を得ている産科医がおられ、
近々、彼を取材し自然なお産を題材にした映画が公開されるようです。
監督は、以前に何かの映画祭でも賞を獲った女性です。
その映画の予告動画を拝見しました。
綺麗です。とても。
女性ならではの、細やかな優しい描写です。
監督の「命」に対するあふれるようなメッセージが伝わってきます。
わたしがこれから妊娠・出産を控えている立場なら、文句なしに惹かれます。

でも、実はこの産科医院、近隣の総合病院での評判やすこぶるよろしくない。
なぜかといえば、自然を謳い文句にするあまり医療介入の機会を逃し、
どうしようもない状態で母子搬送されたり、仮死分娩で新生児搬送される例が、
かなり多いからです。
不幸な結果になった方々も多いと聞きます。

それなのに、これらの事実は、妊婦さんたちにはあまり知られていないようです。
でなければ、このような映画に取り上げられること自体、信じられません。

現代の医療行為をもってしても、ある一定の割合で救命できないことがあると、
それを医療ミスを世間からは糾弾されます。
なのに、一方では偏った「自然礼賛」で妙な医療を行っている人がお咎めなし。

これって、なぜなのだろう、といつも不思議に思います。

先にも書いたように、自然にまかせれば危険なお産でも、
その何例かは医療行為によって無事に産まれてくることができるのです。
それはすでに「自然なお産」ではありません。
それでも、お母さんも赤ちゃんも、無事なほうがいい。
まずは命ありき、なのではないでしょうか。
自然に産むことができたら、それはそれは素晴らしいことでしょう。
でも、自然じゃなくたって、母子ともに無事なら、それでいいじゃないですか。

つい最近も、こんなお産がありました。
その妊婦さんは、母ひとり子ひとりの家庭で育ちました。
妊娠はしたものの、子宮筋腫があることがわかり、その上前置胎盤でした。
当院のような個人産科医院では対応できませんから、
地元の大学病院に紹介し、37週で帝王切開で2300gの赤ちゃんが無事産まれました。
この方のお産、50年前だったら、母体の命だって危ないものでした。
現代でも、万が一の危険性は実はあります。前置胎盤ですから。
その万が一を予測して、現代でできうる限りの医療介入の結果、無事産まれたのです。
女手ひとつで育てた娘さんが無事に出産するまで、
そのお母さん(新米ばあちゃん)の不安はいかばかりだったでしょう。
紹介したわたしたちも、「産まれました」の連絡をきくまで、本当に心配でした。

味噌だって醤油だって、自家製のものを使っているご家庭は少ないでしょう。
野菜は泥のついてない虫食いのないキレイなものをスーパーで買い、
お肉は畜産農家で厳重に管理され育てられたものがほとんどです。
コンビニではいつでも手軽に欲しいものが手に入ります。自販機もしかり。
暑ければエアコンや扇風機を回し、寒ければこれまたエアコンやストーブをつける。
50年前なら歩いた距離も、車やバスや電車を使う。
こんな生活、すでに自然ではありません。

日常生活そのものが今や自然ではないのに、
妊娠・分娩だけを「自然」にしようとしても、それは無理というものです。
もし、本当の意味で「自然分娩」を目指すのなら、
赤ちゃんの時から50年前のような生活で過ごし、
「自然分娩」に適した身体を作り上げていなけれななりません。
いざ妊娠してから薪割りしたってぞうきんがけしたって、遅いとわたしは思います。
(まったく無意味とはいいませんが・・・・・)

もちろん、一般常識として、食品に気を遣うとか、身体を動かすなどの工夫は大事です。
その上で、必要であれば医療介入があったっていい、
「母子共に無事なお産」であればいいのではないでしょうか。

命が助かるのなら、お産のスタイルなんて、なんだっていい、とわたしは思います。
大切なことは、自分のお産がどんなであれ、受け入れること、
そして、その後の長く続く子育てだと思います。


久々の更新

2010年10月21日 | 日々のつぶやき
4月からこっち、なんだかだと忙しく、
なかなかブログを更新できずにいました。
写真を取り込んでいなかったので、そのせいでもあります。

ちょこちょこ草稿を書きためていたものを、一挙掲載しました。
ま、わたしのブログなんて読者はほとんどいないんで、
あんまり関係ないんですどね・・(^_^;)