その日、午後の外来が始まって少しして、
白衣のポケットに入れていた携帯のブザーが突然鳴りました。
その時診察していたのは、たまたま大人のアトピー性皮膚炎の女性でした。
携帯のブザー音がなんなのか、ピンとこないわたしに、患者さんの女性が言いました。
「それ、地震ですよ。地震が来るんです。」
へえ、今の携帯って、便利なんだ。
機種を変えたばかりだったので、そんな呑気なことを考えた瞬間、ぐらっときたのです。
かなり、大きい。
また、ぐらっと来る。さらに大きい。
いつまでも続きます。
パーティションの隣で内科外来をしている母は、咄嗟に外の中庭に逃げました。
その直後、母の診察机に向かって、スチールの本棚が倒れました。
間一髪でした。
その日の午後のわたしの外来には、
産科を退院後1週間~10日の発育測定も兼ねた健診の予約の赤ちゃんが数名います。
みんな、来院していました。
お母さん達は赤ちゃんをぎゅっと抱っこしたまま、処置室のベッドの脇にうずくまりました。
わたしは、中庭と診察室の間のサッシ戸につかまりまがら、
うちのクリニックは大丈夫、倒れないから大丈夫、と声をかけるしかありませんでした。
揺れは、なかなかおさまりません。
診察が終わった患者さんたちも、帰るに帰れないでいました。
ようやく大きな揺れがおさまり、小一時間たって余震もやや収まったものの、
すでに停電していて、もはや診療を続けられる状態ではありませんでした。
残っていた患者さんや健診の赤ちゃんたちを大急ぎで診察し、
気をつけて帰るように見送りました。
まさか同時期に宮城沖・茨城沖でも同様の地震が発生していて、
その時間帯に、福島県浜通り・宮城・三陸沿岸には大津波が押し寄せていたことなど、
知るよしもありませんでした。停電でVも観ることができなかったので。
ただ、福島原発は大丈夫か、それが気がかりではありました。
停電になってしまったので、だんだんクリニック内も寒くなってきました。
余震も頻繁に起こります。
母親学級やミーティングなどをする広めの部屋にマットを敷き、
入院中の産婦さん8名と、地震発生1時間前に緊急帝王切開を終えたばかりの産婦さん1名を移動させ、
看護師・助産師・受付・中材・厨房スタッフなど10名ほども一緒に泊まり込み、
石油ストーブとアロマキャンドルで一夜を明かしました。
その夜、ラジオのニュースで、太平洋沿岸が大変なことになっていることを知りました。
自宅は屋根瓦が落ち、割れた食器や本やCDが散乱していましたが、
こんなものは被害のうちには入らない。
浜通りに住む親戚や、福島原発・女川原発は大丈夫なのか、
再び心配になりました。
それでもまだ、この状態を私たちは楽観していたと思います。
白衣のポケットに入れていた携帯のブザーが突然鳴りました。
その時診察していたのは、たまたま大人のアトピー性皮膚炎の女性でした。
携帯のブザー音がなんなのか、ピンとこないわたしに、患者さんの女性が言いました。
「それ、地震ですよ。地震が来るんです。」
へえ、今の携帯って、便利なんだ。
機種を変えたばかりだったので、そんな呑気なことを考えた瞬間、ぐらっときたのです。
かなり、大きい。
また、ぐらっと来る。さらに大きい。
いつまでも続きます。
パーティションの隣で内科外来をしている母は、咄嗟に外の中庭に逃げました。
その直後、母の診察机に向かって、スチールの本棚が倒れました。
間一髪でした。
その日の午後のわたしの外来には、
産科を退院後1週間~10日の発育測定も兼ねた健診の予約の赤ちゃんが数名います。
みんな、来院していました。
お母さん達は赤ちゃんをぎゅっと抱っこしたまま、処置室のベッドの脇にうずくまりました。
わたしは、中庭と診察室の間のサッシ戸につかまりまがら、
うちのクリニックは大丈夫、倒れないから大丈夫、と声をかけるしかありませんでした。
揺れは、なかなかおさまりません。
診察が終わった患者さんたちも、帰るに帰れないでいました。
ようやく大きな揺れがおさまり、小一時間たって余震もやや収まったものの、
すでに停電していて、もはや診療を続けられる状態ではありませんでした。
残っていた患者さんや健診の赤ちゃんたちを大急ぎで診察し、
気をつけて帰るように見送りました。
まさか同時期に宮城沖・茨城沖でも同様の地震が発生していて、
その時間帯に、福島県浜通り・宮城・三陸沿岸には大津波が押し寄せていたことなど、
知るよしもありませんでした。停電でVも観ることができなかったので。
ただ、福島原発は大丈夫か、それが気がかりではありました。
停電になってしまったので、だんだんクリニック内も寒くなってきました。
余震も頻繁に起こります。
母親学級やミーティングなどをする広めの部屋にマットを敷き、
入院中の産婦さん8名と、地震発生1時間前に緊急帝王切開を終えたばかりの産婦さん1名を移動させ、
看護師・助産師・受付・中材・厨房スタッフなど10名ほども一緒に泊まり込み、
石油ストーブとアロマキャンドルで一夜を明かしました。
その夜、ラジオのニュースで、太平洋沿岸が大変なことになっていることを知りました。
自宅は屋根瓦が落ち、割れた食器や本やCDが散乱していましたが、
こんなものは被害のうちには入らない。
浜通りに住む親戚や、福島原発・女川原発は大丈夫なのか、
再び心配になりました。
それでもまだ、この状態を私たちは楽観していたと思います。