ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

新型インフルエンザワクチンの悩み(4)

2010年01月23日 | 医療
昨年末のワクチン接種と患者さんでごったがえする外来から一転、
新しい年が明けてから約二週間は、えっ!? こんなんでいいの!? っていうぐらい暇だったのですが、
成人式の連休を過ぎて少ししたあたりから、またちょっと混んできました。
新型インフルエンザも一時終息に向かいつつあるかな~・・・、と思いきや、
ここにきてまた、小さな流行があるようです。
中には、学級閉鎖になってる小学校もあります。
インフルエンザの患者さんの殆どが、新型と思われるA型。
それも、ワクチンが間に合わなかったねぇ・・・という年齢のお子さん&大人の方。

それにしても・・・。

新型インフルエンザワクチン、余ってるんですよ!!!

1月8日から開始される中高生へのワクチン接種に向けて、年末に県教育委員会経由で、
中学3年生の希望者を対象に、学校医及び学区内の医療機関で「集団接種」を行うことにしたので、
可能かどうか、の問い合わせ(というか通達)がありました。
その分のワクチンが、余分に配布されたのです。
しかも、その通達は、県にワクチンの希望量を提出してからでした。
それも、12月25日(金)ですよ。
学校現場の先生方も、かなり大慌てだったようでした。
もちろん、わたしを含め、当市の多くの医療機関も慌てたのではないかしらん。
26・27日は土日だし、28日は役所はご用おさめです。
問い合わせするにも、日にちが少なすぎました。

で、・・・余ってます。ワクチン。

なぜ??・・って・・・。

だって、今まで、注文した量の半分ぐらいしかこなくて、
何人予約を受ければいいのか分からない状態での注文だったから、
予約だって、ホイホイと受ける訳にはいかなかった状態でした。
だから、あらかじめ当院の患者さんの年齢と人数から予想を立てて「このぐらいかな?」という量で、
年末は多めに注文したんです。(その半分で間に合うぐらいの量で)
ところが!
年末に注文量よりちょっと多めに配布され、しかも、別枠で「中学3年生の分」まで配布されました。
その上、年末から年始にかけて、予約していたのに罹ってしまったお子さんが結構いて、
キャンセルが相次ぎました。

だ~か~らぁ~!!!

さっさと年度内に、小学生・中高生まで、接種できるようにしちゃえばよかったんだよぅ!!

足りない、足りない、って、大騒ぎしてたのは、いったい何だったんだよぅ!

子どもが一人罹って、兄弟姉妹まで学校や保育園を休んで、その親まで仕事休んで、
しかも、ワクチンは余ってて。
そのためにこうむった社会的・経済的・精神的ロスは、いったいどんだけになると思う?

この国のワクチン行政、もう、訳が分からん。

今日は、義父の命日です。
外科医から産婦人科に転向した義父は勉強家で、夫の家にいくといつも、
茶の間の義父の定位置まわりには医学雑誌が必ず数冊、無造作に置いてありました。
晩年倒れる頃まで、義父は当時勤務医だった夫よりも医療情報に長けていたそうです。
義父が生きていたら、この状況をどう感じたでしょうか・・・。

明日から始動!

2010年01月03日 | 医療
 「めでたさも 中くらいなり おらが春」

小林一茶の句です。
この句の意味は、特別なことはないけど、まぁまぁ、そこそこ平穏な正月だなぁ、
という意味かとずっと思っていました。

でも、南木佳士という人の書いたエッセイ「臆病な医者」によれば、
そういう意味ではないかも、だったのです。
この方は長野県の総合病院に勤務する(今もかな?)内科医なのですが、
死生観をテーマにした小説をよく書いています。
映画にもなった「阿弥陀堂だより」の原作者です。

彼によれば、長野(信州)では「中くらい」を「ちゅっくれえ」と表現するのだそうな。
あるとき彼が、患者さんに温湿布と冷湿布を間違えて処方してしまい、
その患者さんから「ちゅっくれえな医者だ」と言われてしまったそうです。
つまり、信州弁で「ちゅっくれえ」というのは、
「てきとうな」とか「いい加減な」とか「あいまいな」などの意味合いもあるのだとか。
小林一茶も信州の人なので、一茶の表現する「中くらい」というのは、
実は信州弁の「ちゅっくれえ」という意味合いも含んでいるのではないか、
つまり、「ほのぼのとした正月」ではなく、
「めでたいと言っていいのかどうか、中途半端な、いいかげんな正月だなぁ」という、
自嘲気味な思いもあったのでは? という解釈でした。

なるほどなぁ・・・。


この「臆病な医者」という本は、タイトルに惹かれて買いました。
彼のさまざまな思いは、生い立ちもだいぶ影響しているようです。
「ダイアモンドダスト」という小説で芥川賞も受賞しているのですが、
受賞の際の彼のコメントを何かで読みました。

 学校を出たての二十四、五歳の若者が、
 多くの想い出を抱え込んだまま旅立つ死者を見送ることは、苦痛であった。
 この苦しみから抜け出したくて小説を書き始め、もう十年になる。

この気持ちは、わたしもよくわかります。
たしかに、医師になって最初の数年間は大きな病院に勤務することがほとんどですから、
必然的に重症の患者さんを診ることになります。
特に修業時代の数年間は、食事を取る時間も寝る間もなく、患者さんに接する日々です。
日常的に人の死に接していると、感覚が麻痺してくることがあります。
わたしは小児科だったので、子どもの死に馴れるということは勿論ありませんでしたが、
(いえ、他の科が死に対して鈍感だという意味ではありません。)
あまりに忙しい日々が続くと、人の痛みが「他人事」になりそうな瞬間が、ありました。
一方で、患者さんが亡くなっても、医者は涙を見せるな、と先輩から叱られたこともありました。
若い頃、この感覚にどう折り合いをつければいいのか、つらい時期がありました。

第三者として冷静に対処しなければならない立場を保ちつつ、
患者さんの思いに共感する、という、
一見、相反する対応は、今でも難しく感じることがあります。

本の内容からはそれるのですが、
医者はある意味、臆病でなければいけない、とわたしは思っています。
もちろん、生き方そのものが臆病になってはいけないのですが。

いろんなところで、いろんな方々に話すのですが、
医療行為に100%安全・完璧なんてないんですね。
いつも、患者さんを診察したあとに「万が一」のことはアタマの隅にあります。
どんなクスリでもワクチンでも、ルシアンルーレットのような事がいつ起きるか、
それは、神様にだって、わからないかも知れないのです。
不測の事態が起きた時にどう対処するか。
医師の技量はこのような時に問われるのだと思います。

自分は完璧ではない。
だからこそ、臆病なほどに心配りをしなければ・・・。こんな風に思っています。
(いえ、ヤブ医者ではないつもりですが・・・^_^; )

さて、明日からまた仕事開始、です。

休日インフルエンザ外来

2010年01月02日 | 医療
今日の午前中は、市のインフルエンザ外来の当番でした。

当市では、
 平成21年11月15日から平成22年3月28日までの、日曜日、祝日(振替休日含む)と
 平成21年12月29日から平成22年1月3日までの年末年始
に、市の保健福祉センター内にある夜間診療所の場所を使って、
日中にも発熱でインフルエンザを心配なさる方々のための休日外来を設けました。
ただし小学生以上の方々が対象です。
一応、3月までの暫定処置のようですが。

年末の23日の夜間診療所もかなり混んだので、
「よっしゃあ!!」
って気合いいれて出かけましたが、予想外に患者さんは少なく・・・・。
本当に少ないなら、これは喜ばしいことではありますが、
もしかして、市民の方々はこの外来をあまりご存知ないのではないか、
と、少々心配になってしまいました。

もっとも、冬休みになってからのこの外来の患者さんは、ぐっと少なくなったそうです。
4日からは殆どの医療機関が診療を開始します。
でも、新型インフルエンザが落ち着いたといっても、
当地で季節性のインフルエンザが流行するのは毎年1月下旬頃から。
小さい赤ちゃんがかかるとひどくなる呼吸器感染症もあるし、
冬場に流行する嘔吐下痢症もありますからねぇ・・・。
まだまだ、油断はできません、って。

新しいいのち

2010年01月01日 | 医療
大晦日から元旦にかけて、4人の赤ちゃんが産まれました。
ひとりは36週とちょっと早めでしたが、さほど小さくもなく元気そのものでした。

昨年、年の瀬になってから、お正月をどこかで過ごそうと夫が急に言い出しました。
母も結構な年だし、大学生の子どもたちも、来年の正月はどうしているかわかりません。
家族水入らずで過ごせるのは、今年が最初で最後かもしれない、と思ったようです。
(病院の当直は別として)大晦日を自宅以外のところで過ごすのは、
母はもちろん、わたし達家族も、これまた初めてのことです。
とはいえ、お産がどうなるかわからないし、近いところじゃないと行けません。
うちの助産師も看護師も、ベテランだからこそ、の計画です。

車で20分ほどの温泉宿に、ダメモトであちこち問い合わせたところ、
やっと1軒だけ予約が取れました。
でもそこは、お料理が美味しいことではかなり有名なお宿。

わくわくして出かけたのはいいのですが、
案の定、夜9時過ぎに、夫の携帯が鳴りました。
まぁ、お産の予定日状況からは夫は予想はしていたようで、
(どうりで、あんまりお酒も呑まないと思いましたよ。)
出された料理はさっさと食べ、温泉には2回も入り、
(モトは取らねば! と思ったらしい(^_^;) )
さっさと着替えてタクシーを呼んで病院に戻りました。

お産は1件だけかと思いきや、夜10時過ぎに夫から連絡がはいり、
あと3人ほど陣痛が来てるから、多分今夜は戻れないから・・・。とのこと。
ま、こういうのは、いつものことなので、覚悟の上です。
万が一分娩が長引いたり、赤ちゃんに何かあれば、わたしも戻らなければなりません。
内心ハラハラしながら紅白を観て、その後も心配で寝付けませんでしたが、
赤ちゃんは幸いにもみんな元気で、わたしが呼ばれることはありませんでした。

元旦の朝、ほとんど寝ていない夫は、それでも朝食をとりに宿に戻ってきました。
昨夜からの雪はやんで、家の前の街路樹の枝には雪の花が咲いていました。
すがすがしい元旦です。

 赤ちゃんが無事に産まれること。
 お母さんのからだが無事であること。

この願いさえ叶うのなら、わたし達はどんなことだって我慢できちゃいます。

新しい年の、新しいいのち。
ねぇ、きみたち、きっとこれから先、いろんなことがあるけれど、
しっかり生きてくださいね。

謹賀新年

2010年01月01日 | 日々のつぶやき
あけましておめでとうございます。
大晦日から降り始めた雪で、今朝は庭が真っ白になっていました。
この足跡は多分、この頃時々訪れるトラ猫のもの。
トラならぬトラ猫の新年のご挨拶です。

こんな猫ちゃん♀ です。
最初に現れたのは、数ヶ月前でした。
毛並みがツヤツヤしてるので、ご近所の飼い猫かと思ってたのですが、
どうもそうではないらしい。
近寄ろうとするとささっと逃げるし、
おいで、と手をだせば「シャーッ!」と威嚇して引っ掻くところをみると、
どうもノラ猫らしい。
でも、時々忘れたころに、こうしてやってきます。
はじめは警戒して、こんなに近くまでは来ませんでした。
軒下のエサを私たちが見ているところで食べたのは、ほんの最近です。

野生のまま成長した動物は、決して人には馴れませんが、
こういう付き合いもいいかな、と・・・・。

彼女はきっと、あちこちでこういう距離でニンゲンと付き合っているのでしょう。
気高く、たくましく。

知らないふりをするのでもなく、近づきすぎるのでもなく、
相手の立場に思いをはせながらお付き合いをする。
人と人も、このようなかかわり方ができれば、心がひりひりすることも少ないでしょうにね。

彼女(彼猫?)のつけたまっすぐな足跡から、いろんなことを考えた新年でした。