ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

ゆりもどし・2

2016年11月24日 | 東日本大震災
おとといは、久しぶりの大きな地震だった。

やっぱり地震は怖いなぁ・・・。



最近、横浜に自主避難したお子さんの手記の記事をあちこちで見かける。
テレビでも新聞でもネットでも。

自主避難だから、避難指示命令での避難とはちょっと違う。

わたしの父の実家は浪江町津島で、父の兄弟姉妹は12人もいるから、
双葉にも浪江にも小高にも富岡にも親戚がたくさんいる。
みんなそれぞれ避難している。

たしかに、避難している人たちにも色々な人がいるのは事実。
いろんな人がいるから、
言われたくないことまで言われてしまう原因を作っている側面があるのも事実。
でも、そういう人たちばかりじゃないのも事実だ。

だからこそ、「福島からの避難者」とひとくくりにはできない。

でもそんなことは関係なく、

いじめることは、どんな理由でもいけない。

たぶんこれは氷山の一角だろうと思う。

釈然としないのは、
まるで鬼の首でも取ったかのように一斉に
学校や行政の責任を糾弾するかのような記事をどのメディアも書いていることだ。

そもそも「福島だから・・」と誹謗中傷を受ける原因の一因となるような、
誤った情報をこれでもかと垂れ流したのはどなたでしたっけ。
そのために無用な偏見を生んだと言っても過言ではないと思う。

今でも耳にする両論併記、
これ、本当に正しいのですか? と言いたい。
正しい情報・理論と、誤った情報・理論(の解釈)を
1対1の割合で呈示することが、本当に正しい報道の在り方なんだろうか?
いや、むしろあの当時は誤った情報9割、
まっとうな情報はほとんど見なかったように思う。

だから、
誤った情報を多くの人たちが信じ込んでしまったがゆえのいじめ、
じゃないの?
これは、周りの大人の責任でしょう?

あの当時
本当にまっとうな情報を記事にして下さったメディアはあっただろうか?
今に至ってもなお、誤った情報のまま突っ走っている週刊誌などがある。
最近はそういう記事を目にしてもばかばかしくて腹も立たなくなっていたけれど、
今回の手記報道に関しては、
久しぶりに当時のあれこれを思い出してむかっ腹が立っている。


ここまで書いてきて、ふと気付いた。

今年の3月に、IAEAのセミナーがあって、
福島県の小児科医としてのリスクコミュニケーションの試み、
というテーマでお話しをさせていただいた。
あ。もちろん日本語です。(同時通訳の方がいらした)

セミナーが終わってから、ある先生から個別に質問をいただいた。

 あなたはどうしてこんなに一生懸命なのですか?

と。

予想外の質問だったので咄嗟にはうまく答えられず、
自分でもよくわかりませんが、使命感、みたいなものでしょうか?
と、苦笑いと照れ笑いを交えて答えたのだけれど、
もちろん、使命感が心の奥底にはあるのは本当だけど、
わたしを今まで突き動かしているのは、

理不尽なことへの、静かな怒りだ。

う〜ん・・・。
活性酸素溜まる一方かも・・・。苦笑。