ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

感謝を込めて

2012年12月31日 | 日々のつぶやき
今年も終わり。
あっという間の一年でした。

年明け早々のプライベートな講演会を無断で動画配信されたり、
無断で論文をブログに掲載されて中傷を受けたり、
一部の同業者からは奥歯にモノがはさまったような嫌みを言われたり、
不快な思いをしたことはさんざんあるけれども、

でも、くじけずに頑張ってくることができたのは、
恩師・先輩・後輩・仲間の先生たち、
遠くからエールを下さった同業の先生方、
来院する子供達の笑顔とお母さんたち、
昔からの友だち、
新しく知り合った友だち、
たくさんの人たちの支えがあったからです。
ありがとうございました。

そしてそして、
クリニックのみんな、今年も、本当にありがとう!
患者さんを思えばこそのわたしちの無理難題に、
口に出せない不満はたくさんあるだろうに、
我慢して付いて来てくれて、本当に心から感謝しています。
また来年も、みんなと一緒に頑張っていきたいです。

今も仮設で暮らしている人たちがいます。
離ればなれになったままの家族がいます。
瓦礫の処理はどうするのか、中間貯蔵施設はどこになるのか、
不安の材料をさがせばキリがないけれども、
強い気持ちで生きていく希望は失いたくないと思います。


今年お世話になったみなさまに感謝を込めて、
今、日本のどこかで頑張っているみなさまへのエールを込めて、
今年のシメに選んだ歌を贈ります。


 八神純子 「翼」
http://www.youtube.com/watch?v=WB2KpPeU6Xo

歌詞はこちらで♪
http://45646966.at.webry.info/201105/article_1.html


ならぬことはならぬものです

2012年12月26日 | 日々のつぶやき
記事の題は、かつての会津藩の子供達の間で決められていた、
「什(じゅう)の掟」の最後、結びになる言葉だ。


  一・年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
  二・年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
  三・嘘言を言ふことはなりませぬ
  四・卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  五・弱い者をいぢめてはなりませぬ
  六・戸外で物を食べてはなりませぬ
  七・戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

  ならぬことはならぬものです



これを初めて聞いたのは、高校生の時。
当時会津若松に単身赴任していた父から教えてもらった。
浜通りの生まれ育ちの父だったが、
会津に赴任していた4年間の間に大の会津贔屓になり、
以来、幾度となく会津地方に連れて行ってもらった。

でも、この「什の掟」に関しては、
思春期まっただ中だったわたしには、へぇ、ふ~ん、という印象しかなかった。
特に七番目の文言など
 (ケッ・・・!!)
てな感じで、内心、ま~たオヤジが煩いこと教えようとしてるな~、
なんて、あんまり真面目には聞かなかったように思う。

この「什」というのは、会津藩の子供達の、子供会のような組織だったらしい。
会津には日新館という学問所があり、
会津藩の男の子たちは10歳になるとここに入学することになっていた。
入学前の6歳から9歳までの子供たちは、日新館の生徒になる前段階として、
それぞれの町内に自分達だけの集まりを作って、その集まりでの決まり事を守るべく、
遊びを通して会津の武士としての心構えの基礎を学んでいった。
この集まり、つまり子供会の組織が「什」で、
「遊びの什」とか、「お話の什」などがあったそうな。
毎日持ち回りで各子供達の家で反省会を行い、
「什の掟」にある約束事は絶対に守るように努力をしたのだそうだ。
各町内によって少しずつその内容は異なったらしいが、
最後の結びの
 「ならぬことはならぬものです」
は、どの「什」にもあったという。

http://www.nisshinkan.jp/about/juu


現代のわたしたちの暮らしには合わないと思う人たちもいるだろうが、
ひとつひとつを現代に当てはめて考え直すことも、あってもいいのかな、とも思う。
(くどいが、七、は別として)
例えば 六、などは、わたしならこう書きたい(苦笑)。
 
 六、戸外で(公衆の面前で)化粧直しをしてはなりませぬ

一、二、三、四、五、などは、おおいに反省すべきことだ。

ただし、年長者といえども、白を黒と言えと言われたら、
現代ならそれは従う必要はないと思うけど。

幕末に会津藩のたどった悲劇をさまざまな角度から考察すると、
この教えにあるような、かたくなさ、頑固さも一因だったのではないか、
と指摘する学者もいる。(出典もどなたの説かも忘れたが)

そういう一面も、確かにあるのかもしれない。

でも、頑固さは意志の強さでもある。
そして本当の意味での優しさにもつながるように思う。
困難に直面した時には、それが武器にもなるのだ。

筋の通った生き方をしたい、と思う。


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 来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、前半が会津を舞台にしている。
 テーマ音楽担当者が気に入らないけど、音楽に罪はなし、
 実はかなり期待している。

 「什の掟」は前から記事にしたいと思っていたのだけれど、
 福島の宣伝も込めて書いてみた。

 そういえば、平家物語のことも書いたが、
 大河の「平家物語」はついに一度も観ないでしまった。













生きていくこと

2012年12月24日 | 日々のつぶやき
わたしにしては珍しく、年賀状を書き終えた。
(いや、正確には、プリントし終えた、かな。)

昨年の年賀状を読み返しながら、しみじみ思った。

あと数ヶ月で、2年が過ぎるのだな、と。

何十年、何百年かが過ぎたのち、この出来事は歴史の教科書にどのように載るのだろう。
書物には、時の為政者や主立った人たちのことが記載されるのだろう。

わたしたちが暮らしている「今」を、後世の人たちはどう評価するのだろうか。

当然、その頃にはわたしはこの世にはいない。

広島・長崎の人たちがたどってきたこれまでの67年間に、
あらためて思いを馳せる。

いや、原爆や原発事故だけじゃない。

さまざまな、歴史の転換ともなる出来事には、
いつだって、名も無い市井の人たちの営みがあって、
それは今もこれからも、変わらないのだ。

福島のわたしたちや、東北の被災地の人たちが、
まいにち、何をおもい、どんな風に暮らしていたか、
それは決して歴史の書物には載らないけれど、
わたしたちの暮らしの一つ一つの積み重ねが、歴史になるのだ。


したたかに、しなやかに、生きてやる。


今日はクリスマス・イヴ。

真夜中に、緊急の帝王切開で赤ちゃんが産まれた。
元気な、いい子だ。
この子も、歴史を作っていくひとりになる。

がんばれ!
負けるな!











おごれる人も久しからず

2012年12月19日 | 日々のつぶやき
  
   祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の(注1)

   諸行無常の響きあり

   娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色

   盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす

   おごれるも久しからず(注2)
   
   唯(ただ)春の夜の夢のごとし

   たけき者も遂にはほろびぬ

   偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ

     (少年少女古典文学館『平家物語/上巻』より)


国語の授業で平家物語を習ったのは、中学校の頃だったか。
ひたすら暗記した覚えがある。

さて、これは平家物語の冒頭の有名な部分であるが、これにはもう少し続きがある。

   遠く異朝をとぶらへば、
   秦の趙高・漢の王莽・梁の周伊・唐の禄山、是等は皆旧主先皇の政にも従はず、
   楽みをきはめ、諌をも思ひいれず、天下の乱れむ事をさとらずして、
   民間の愁る所を知らざッしかば、久しからずして、亡じにし者ども也。

   近く本朝をうかがふに、
   承平の将門・天慶の純友・康和の義親・平治の信頼、
   此等は奢れる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、
   まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、
   伝えうけ給はるこそ、心も詞も及ばれね。

意訳すると、

   遠い異国でも、
   秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、
   梁(りょう)の周伊(しゅい)、唐の禄山(ろくざん)、
   などの逆臣たちは、
   かつての主人の命もきかずに、自分達の楽しみにうつつをぬかし、
   周囲の諫める言葉にも耳を貸さず、
   国内が乱れることにも、人々の苦しみにも気付かず、
   たちまちのうちに滅びてしまった。

   我が国のことに目をやれば、
   承平の乱の平将門(たいらのまさかど)、天慶の乱の藤原純友(すみとも)、
   康和の義親(よしちか)、平治の信頼(のぶより)、などがいた。
   この者達の驕り高ぶりはそれぞれであった(が、結局は滅んでしまった)。
   最近のできごとでは、
   六波羅の入道という、前の太政大臣にもなった平清盛という人物がいるが、
   この人について伝え聞く内容は、想像もつかぬ、言葉にもできないものである。


・・・という感じかな。

まぁ、歴史は繰り返す、ということか。

衆議院選挙も終わった。
どうやらまた政権が替わりそうだ。

さて、お手並み拝見といこうじゃないか。

わたしは、日々、目の前の、やるべきことを、粛々とこなしていくだけだ。



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  ひまわり注(12/25)
   注1:鐘の は、鐘のこえ、と訳している本が多いけれど、
      鐘のおと、という訳もあって、わたしは「おと」という読みの方が好き。

   注2:おごれる も、書物で紹介されている多くは「人」なのだけれど、
      中学校の頃は「おごれる者」と習った記憶が・・・。でもこの原文記載は少ない。
      「おごれる者も久しからず」という言い回しの方が、わたしは好み。