ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

明日から仕事

2007年01月03日 | Weblog
暖かい正月休みも、今日で終わり。
結局、この年末年始も、家の片付けその他もろもろ、
「診療」以外のことは、ほとんどできなかった。(しなかった。^^;)
いただいた年賀状、出さなかった方々への返事も、まだだ。
ぼちぼち書いて、許していただこう。

明日からまた仕事だ。
きっと混むだろうなぁ。
この街でもそろそろインフルエンザが出てきたみたいだし。
この季節は特に、いつもドキドキしながらの外来だ。

この日記、今年も文字通り、三日坊主で終わりそうだ。
ま、いっか・・・。

「案山子」

2007年01月02日 | Weblog
物議をかもした昨年の紅白。
わたしは市の夜間診療所の当番だったのでその時間帯は視なかった。
あとで録画を視たが、あれはひどいねぇ。面白けりゃいい、ってもんじゃないと思う。
ああいう演出があるのをわかっていて、それを期待して集まるお客さん相手の、
彼らだけのオン・ステージなら、まだしもましだったかも知れないけど。
あるいは、会社の忘年会とかなら、ああいう演出は盛り上がったでしょうね。
でも、「紅白」だからさ。映像は世界にも流れる訳で・・・。
民報ならOK、NHKならNG、というレベルの問題ではなく、
TPOの問題でしょう。

裸踊りはともかくとして、
録画していたのは、さだまさしの「案山子(かかし)」を聴きたかったからだ。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/kakashi.htm

この歌を初めて聴いたのは、東京で浪人中の冬だった。

   元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
   淋しかないか お金はあるか  今度いつ帰る

予備校の寮で、勉強しながら聴いていたラジオから、この歌が流れてきた時、
不覚にも、涙ぐんでしまった。
父から時折送られてくる、手紙や電話の内容そのままだったから・・・。
 
   城跡から見下ろせば 蒼く細い川
   山の麓(フモト) 煙吐いて列車が走る
   銀色の毛布つけた田圃(タンボ)にぽつり
 
これらの歌詞を聴きながら、

  当時、雪深い城下町に単身赴任していた父の姿、そこに広がる肥沃な盆地の冬景色、
  故郷の山あいの村の光景、雪の中を今日も往診したであろう母の姿、

それらがひとつひとつまぶたに浮かび、自分が今直面している大きな壁を、
果たして今年は越えられるのかどうかという不安と、
不甲斐ない自分への情けない思いとがごちゃまぜになって、
浪人して初めて、泣いてしまったのだ。
大正生まれの父は、箸の上げ下ろしや口のききかたにもいちいち煩くて、
鬱陶しいと思うことも多く、
顔を会わせれば反抗的な態度ばかりとっていた私だったが、
この歌を聴くたびに心の中で感謝していた。
 
今は息子が、当時のわたしと同じ立場にいる。
今年は娘も我が家を離れることになる。
この歌詞と同じようなことを、
かつてわたしが親から言われていたことを子どもたちに言っていることに気付き、
ひとりで苦笑してしまう。

この歌は親から子へのメッセージと長いこと思っていたが、
さだまさしが遠く離れた弟のために書いたものだと知ったのは、最近のことだ。
 
 「案山子」はその後、「私花集(アンソロジー)」というアルバムに収められた。
 当然のことながら、そのLPレコードは我が家にもある。

 昨年は、父の13回忌だった。

新年に思うこと

2007年01月01日 | Weblog
「2006年という年を、俺は絶対に忘れない。」
 数日前、年賀状を書きながら、夫がこうつぶやいた。

 昨年の年賀状、産科医仲間の先生たちからのメッセージには、疲労感を漂わせながらも、
どれも、それぞれの希望と使命感が込められていた。
 少子化、激務、厳しい医療情勢のこれからも、どうにか頑張っていきましょうね、という・・。
 そして、昨年の2月。
 私たちにとっては、「福島県知事汚職事件」以上の「事件」が起きた。
 例の、「県立大野病院産科医逮捕事件」だ。

 避けられない医療事故と、避けられたであろう医療ミス、・・これには大きな違いがある。
それを深く検証もせず、警察発表ばかりを取り上げ、事故とミスをを混同したメディアの報道には、心底落胆した。
 さまざまなブログや掲示板にも取り上げられたが、一般の方々と、医療従事者との意識には、いかんともしがたい隔たりがあることに、あらためて愕然とした。
 この隔たりは、どんなに誠意と言葉を尽くして説明しても、埋めようがないと感じた。
 事件の詳細については、すでに多くのブログがあるので、ここでは触れない。

 ひとつだけ明らかなことは、あの事件をきっかけに、全国の医師たちのモチベーションが下がったであろうということだ。
 奈良県で起きた妊婦受け入れ拒否事件も、無関係ではないと思う。

 「産む」ということは、命がけなのだ。
 今も、昔も・・・。

 そして、乱暴な言い方をすれば、「医療行為」は「必要悪」なのだと思う。
 クスリは、使い方によっては「毒」にもなる。
 「毒」になるすれすれのところの「効果」を期待して投与しているから「クスリ」になる。
 手術だって、そうだ。
 別なとらえ方をすれば、手術というのは、人工的に傷を与える行為である。
 「傷」を与えても得られる効果とリスクとを天秤にかけて、効果の方が重い時にのみ、行われるのが手術なのだから。
 当然、傷跡が残る。
 場合によっては、予想もしなかった結果になることもある。
 「Dr.コトー」なんて、本当はありえない。毎週視てたけどね。
 「14才の母」? あれで赤ちゃんに後遺症が残らないなんておかしい!
 
 日本という医療先進国に住んでいると、殆どの病気は、治る・助かる、それが当たり前のことのように捉えられがちだけれど、本当はそうじゃない。
 風邪だって、肺炎だって、はしかだって、水ぼうそうだって、盲腸だって、帝王切開だって、妊娠中絶術だって、普通のお産だって、治った、助かった、無事だった、っていうのは、本当は、ただ運が良かっただけなんだ、って思う。
 所詮、ニンゲンの行うことには限界がある。
 今、私たちも含め皆がが無事に生活していることのありがたさを、本当は忘れちゃいけないんだ、と思う。

 いや、医療行為の結果がまずくても、それは医師のせいじゃない、と主張している訳ではない。   
 ただ、どんなに簡単と思われる医療行為にでも、リスクはあるということ。
 妊娠・出産は、それが正常妊娠、正常分娩であっても、実は紙一重なんだ、っていうことを、もっとわかって欲しいと思う。特にメディアの方々。
 医療従事者も謙虚になるべきなのは、もちろんのことだけど。
 私たちにできるのは、治る・助かる、ことのお手伝いだけなのだから。

 私ごとき一介の町医者フゼイが、ここで何を書いたところで、この国の医療、特に周産期医療の崩壊は、もうどうしようもないところまできている。
 みんな、気力も体力も、限界かもしれない。
 それでも、前に進むしか、ないんだなぁ。
 少子化に追い討ちをかけるような「産科医療たたき」報道に明け暮れた2006年は、
ともかくも、終わった。
 今年は、どんな年になるのだろうか。
 年末年始、夫の携帯は、なりっぱなしだ。
 またひとり、赤ちゃんが産まれるらしい。
 元気な産声は、しおれた心に沁みわたる、命の水のようだ。
 この子たちが大人になるころ、この国はどうなっているだろうか。


 不幸にして命を落とされた産婦さんのご冥福を、心からお祈りいたします。
 そして、無事に産まれた赤ちゃんが健やかに成長なさることを、切に願っています。