漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント 第4章 その22

2006年11月01日 04時16分51秒 | 漫画家アシスタント
 ( この写真は、東京の雨の目白通りである。ちょうど、J・Aプロでの仕事が終わって外へ出て
  来たところ・・・・・。《 2006年10月、撮影 》 )
 
 
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】 
 
 
  
               その22
 
 
漫画家アシスタントなら誰でも欲しい「新人漫画大賞」。1981年当時の大
賞々金が、最高額100万円( 当時の大卒サラリーマンの手取り初任給が10
万円ほどでした )。そして、漫画家への片道切符が手に入る・・・。
 
私の頭には100万円の使い道と、連載漫画を依頼された時のための新たな
構想でいっぱいだったのです・・・・。
 
その上、愚かにも私は・・・・ 『 先生からほめられ過ぎたら、感動して
泣いちゃうかもしれないなァ・・・ 』などと、妄想していたのです・・・!
 
J先生の『 おみィ~は暗ェ 』の一言で自分の夢も希望もあっけなく消えて
いきます・・・ まるでローソクの火を吹き消す様に・・・・・・。
 
 『 漫画はエンターテぃーメントなんだぜェ! 』
 
当時流行した「サタデーナイトフィーバー」の主人公の様な真っ白のスー
ツを着て、人差し指を目の高さで上に突き出しながらJ先生はキッパリと
言うわけです。
 
 『 おみィ~はダメだね。暗すぎィ 』
 
「 ・・・ッ ・・・ッ 」と、J先生は口から針でも吹く様に、声を殺して
笑うのです。
 
 『 おみィ~の主人公は嫌なガキだぜェ・・・ こんなのがイイのォ?
   もっといい人間を描けよォ! ステキな事を描けェ~ッ! 明
   るいテーマはいくらだってあんだろうォ! 』
 
もうメッタ斬りにされて、ズタズタになって、一言も返す言葉なく、私とリ
ョウさん( 仮名:内海遼一、岡山出身、27歳 )は深夜の目白通りを帰って行き
ます・・・・・。
 
 「 キツイなぁ・・・・・ 」
 
リョウさんはそう言って、細い目をもっと細くして苦笑いします。 私の頭
の中には、『 漫画はエンターテぃーメントなんだぜェ! 』と、言うJ先生の
言葉が響いていました。
 
 
私の漫画制作に対する、狭い視点から暗い世界をのぞく様な姿勢が、より広
い視点に立脚して明るい(人並みの)世界を目指す姿勢に変わるには、さら
に数年の歳月を必要としたのです・・・・・・・・・。
   
   
   
          「 漫画家アシスタント 第4章 その23 」 へつづく・・・
 


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「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 
コメント (4)
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