【キャスト】
安寿ミラ
中村蒼
中国文化部歌劇舞劇院 劇団員(中国)
高塚恵理子・横山道子・横山愛・原章子
佐野大樹(*pnish*)・森山栄治(*pnish*)
鷲尾 昇(*pnish*)・土屋裕一(*pnish*)
【スタッフ】
作/寺山修司
台本・演出/栗田芳宏
振付/孟 嘉(モン ジャ)
音楽/宮川彬良
照明/沢田祐二
音響/松木哲治
衣装/木鋪ミヤコ
ヘアメイク/寺岡ふうこ
企画/笹部博司
監修/呉 汝俊(ウー ルーチン)
宣伝美術/宇野亞喜良
●制作/社団法人日本劇団協議会
●制作協力/メジャーリーグ・キョードー東京
●協力/中国文化部歌劇舞劇院
●公演日程/2006年10月4日(水)~8日(日)
●劇場/新国立劇場・中劇場
りゅーとぴあ能楽堂シリーズで、心掴まれた栗田演出。
今後は、可能な限り、栗田さん演出の舞台は観たい!!と
思っていたのですが、クラリモンドは行けず(ご本人もご出演だったのに)
この「田園に死す」を、非常に楽しみにしていました。
しかし、いろいろ忙しさにかまけ、今日の初日、当日券で観よう!
ってことだけは、だいぶ前から決意(!)していたのだけど、
芝居の詳細を把握しておらず…
ふつーに「お芝居」観る気分でいたら、「歌舞劇」という
タイトルがついていることと、休憩は何分かな~なんて
タイムテーブル眺め、上演時間も1時間30分程度であること
(当然、休憩なし)など、ホールについてから気付き…
実際、ちょっと期待していた内容とは異なっていました。
寺山修司という人が演劇界の中で、あるいは
彼の作品のファンや演劇関係者にとってどういう位置づけの方かは
まったく私は分からないけれど(ぼんやりとしたイメージでは
昔のアングラとかカウンターカルチャーのヒト?)
彼の世界観、もしくは実は非常に閉じた彼の観念というか想念を
具現するのは、なかなか困難なのかな~という感想を持った。
りゅーとぴあシリーズの栗田さんの演出では
「普遍」というものを強く感じたけど、
この「田園に死す」では、クローズドな印象。
好きな人だけ分かってくれればいい、みたいな。
「歌」も「舞」も「劇」の部分も、私はちょっとダメでした。
好みの問題と言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、
やっぱり、りゅーとぴあ女子たちは、
物語るテクニックがしっかりしていて、
作品の内包するなにもかを、きちんと三次元の世界に具現する手続きを
行っているように思えるのだけど、他がねぇ…
そして、なんでいきなり中国の雑技みたいなものが出てくるのだ~
アジアン各地の意匠&衣装なんだ~と、上演中ずっと疑問だったが
帰りの車内で、他の公演のチラシ類の間に、
『文化庁舞台芸術国際フェスティバル』の小冊子が入っていて
この作品もその一環であることを知り、う~~ん^_^;と唸った次第。
ま~別に無理矢理(ではないのかもしれないけど、ワタシ的には
無理矢理感ありまくり)「共演」しなくてもね~(ーー;)
韓国のチョゴリや中近東のベリーダンサーもしくは
インドネシアあたりの衣装も?と思っていたら、
衣装プランは基本『中国の民族衣装』だそうで、
チベット、モンゴル、ウィグル←ほぼ中近東の民族に近い
漢民族、朝鮮民族なのだそう。(すべての民族、領土を「中国」とする
絶大な中華思想については、ひとまずおいとくけど。演劇じゃなく
違うブログになってしまいそうなのでね)
雑技の超絶技巧系は、三国志で散々目撃したので
はっきり言って個人的には、中途半端でした。
今回の出演者が、バク転や側転してるの見て、これは、別に
ちょっと運動神経の良いフツーの役者(ジャニーズ系とかでも)
出来るワザでしょ、と、かなり冷めて観ていて
しかも、何度も何度もまったく同じワザが繰り返され…
思わず、あ~専用マット敷けないから、
この程度のワザしかやらないのかしら?
と余計なお世話モードになってしまったほど。
手を使わない、あの連続バク宙とか観てしまってるので^_^;
安寿さんのモノローグ的な台詞も、どうも作品世界との齟齬を感じてしまって
こういうモノこそ女優さんでなく、それこそ、女形の笑也さんでも
良かったんじゃないかな?とも思ったり。
照明、装置はなかなか良かったけれど、
『昭和』のデフォルメで、ヘンテコな化粧施されても
優れた表現力で頑張っていた、りゅーとぴあチーム以外には
拍手は送れなかったなぁ~。
妙なところで、一人、フフっと悦に入ってしまったのが、
客席の人々の持つパンフレット!!
これがまさしく血の色をしていて、二階席から眺めると、
少し照明が落ちた瞬間(完全に暗転する前)に
一階客席の皆さまの膝の上に置かれたプログラムたちが、
これから目の前で繰り広げられる(血に纏わる)物語に
加担するかのように、あちこちで赤々と反射し
面白い効果を上げていたということ。
いや、面白いと感じたのはワタシだけの感覚かもしれないけど。
それを目撃した段階では、血の物語であることすら知らなかったが
あ~演出家は、この様子は本番開けるまで(開けたとしても)
知らないのだな・・・と。
-続く(と思う)-
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安寿ミラ
中村蒼
中国文化部歌劇舞劇院 劇団員(中国)
高塚恵理子・横山道子・横山愛・原章子
佐野大樹(*pnish*)・森山栄治(*pnish*)
鷲尾 昇(*pnish*)・土屋裕一(*pnish*)
【スタッフ】
作/寺山修司
台本・演出/栗田芳宏
振付/孟 嘉(モン ジャ)
音楽/宮川彬良
照明/沢田祐二
音響/松木哲治
衣装/木鋪ミヤコ
ヘアメイク/寺岡ふうこ
企画/笹部博司
監修/呉 汝俊(ウー ルーチン)
宣伝美術/宇野亞喜良
●制作/社団法人日本劇団協議会
●制作協力/メジャーリーグ・キョードー東京
●協力/中国文化部歌劇舞劇院
●公演日程/2006年10月4日(水)~8日(日)
●劇場/新国立劇場・中劇場
りゅーとぴあ能楽堂シリーズで、心掴まれた栗田演出。
今後は、可能な限り、栗田さん演出の舞台は観たい!!と
思っていたのですが、クラリモンドは行けず(ご本人もご出演だったのに)
この「田園に死す」を、非常に楽しみにしていました。
しかし、いろいろ忙しさにかまけ、今日の初日、当日券で観よう!
ってことだけは、だいぶ前から決意(!)していたのだけど、
芝居の詳細を把握しておらず…
ふつーに「お芝居」観る気分でいたら、「歌舞劇」という
タイトルがついていることと、休憩は何分かな~なんて
タイムテーブル眺め、上演時間も1時間30分程度であること
(当然、休憩なし)など、ホールについてから気付き…
実際、ちょっと期待していた内容とは異なっていました。
寺山修司という人が演劇界の中で、あるいは
彼の作品のファンや演劇関係者にとってどういう位置づけの方かは
まったく私は分からないけれど(ぼんやりとしたイメージでは
昔のアングラとかカウンターカルチャーのヒト?)
彼の世界観、もしくは実は非常に閉じた彼の観念というか想念を
具現するのは、なかなか困難なのかな~という感想を持った。
りゅーとぴあシリーズの栗田さんの演出では
「普遍」というものを強く感じたけど、
この「田園に死す」では、クローズドな印象。
好きな人だけ分かってくれればいい、みたいな。
「歌」も「舞」も「劇」の部分も、私はちょっとダメでした。
好みの問題と言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、
やっぱり、りゅーとぴあ女子たちは、
物語るテクニックがしっかりしていて、
作品の内包するなにもかを、きちんと三次元の世界に具現する手続きを
行っているように思えるのだけど、他がねぇ…
そして、なんでいきなり中国の雑技みたいなものが出てくるのだ~
アジアン各地の意匠&衣装なんだ~と、上演中ずっと疑問だったが
帰りの車内で、他の公演のチラシ類の間に、
『文化庁舞台芸術国際フェスティバル』の小冊子が入っていて
この作品もその一環であることを知り、う~~ん^_^;と唸った次第。
ま~別に無理矢理(ではないのかもしれないけど、ワタシ的には
無理矢理感ありまくり)「共演」しなくてもね~(ーー;)
韓国のチョゴリや中近東のベリーダンサーもしくは
インドネシアあたりの衣装も?と思っていたら、
衣装プランは基本『中国の民族衣装』だそうで、
チベット、モンゴル、ウィグル←ほぼ中近東の民族に近い
漢民族、朝鮮民族なのだそう。(すべての民族、領土を「中国」とする
絶大な中華思想については、ひとまずおいとくけど。演劇じゃなく
違うブログになってしまいそうなのでね)
雑技の超絶技巧系は、三国志で散々目撃したので
はっきり言って個人的には、中途半端でした。
今回の出演者が、バク転や側転してるの見て、これは、別に
ちょっと運動神経の良いフツーの役者(ジャニーズ系とかでも)
出来るワザでしょ、と、かなり冷めて観ていて
しかも、何度も何度もまったく同じワザが繰り返され…
思わず、あ~専用マット敷けないから、
この程度のワザしかやらないのかしら?
と余計なお世話モードになってしまったほど。
手を使わない、あの連続バク宙とか観てしまってるので^_^;
安寿さんのモノローグ的な台詞も、どうも作品世界との齟齬を感じてしまって
こういうモノこそ女優さんでなく、それこそ、女形の笑也さんでも
良かったんじゃないかな?とも思ったり。
照明、装置はなかなか良かったけれど、
『昭和』のデフォルメで、ヘンテコな化粧施されても
優れた表現力で頑張っていた、りゅーとぴあチーム以外には
拍手は送れなかったなぁ~。
妙なところで、一人、フフっと悦に入ってしまったのが、
客席の人々の持つパンフレット!!
これがまさしく血の色をしていて、二階席から眺めると、
少し照明が落ちた瞬間(完全に暗転する前)に
一階客席の皆さまの膝の上に置かれたプログラムたちが、
これから目の前で繰り広げられる(血に纏わる)物語に
加担するかのように、あちこちで赤々と反射し
面白い効果を上げていたということ。
いや、面白いと感じたのはワタシだけの感覚かもしれないけど。
それを目撃した段階では、血の物語であることすら知らなかったが
あ~演出家は、この様子は本番開けるまで(開けたとしても)
知らないのだな・・・と。
-続く(と思う)-
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『田園に死す』の初日の感想を探していて、こちらへたどり着きました。
数時間前に同じ空間にいて、ホントに真逆な思いが生まれることに、面白さを感じました。
もしよかったら私のダイアリィにもお越し下さい。
走り書きの感想ですが…。
中国歌劇舞劇院の公演を見たことはありませんが、基本的に「バレエと中国民族舞踊をミックスさせた創作ダンス」のような舞台をやっているところだと思います。ですのでバレエダンサーにバク転をさせても、中途半端になるのは当然の結末です。中国は共産主義の国なので、芸術はロシア(旧ソ連)の影響を受けていて、バレエやクラシックもかなり受け入れられていて、最近は欧州の劇団の公演もよく中国で行われます。
呉汝俊が関わっている舞台は「日本人受けしそうな中国モノ」を目指しているようなので(あくまで私個人の印象ですが)、彼が関わっていて日本で公演される舞台は、基本的に純粋な中国モノではなく、日本人向けにアレンジされたものとみた方がいいと思います。純粋な中国のモノを日本に持ってきても日本人が受け入れられるかは別の問題ですから。それの善し悪しは別問題だと思いますが、私は好きではありません。
監修者の方のことはよく知りませんが、民族舞踊を残すために、そういう手段を残すことはありそうですね。
ちょっと毎晩遅いので、続きは後日
>お絵描きぺんぎんさん
いらっしゃいませようこそ。
ワタシも、「自分と違う感想」を目撃するのは
興味深いし、結構好きです。
個人的に芝居の評価は、自分がお金を払って
「もう一度(あるいは何度でも)是非、観たい!!」
ってところにあったりします♪
>紅娘さん、こんばんは
(あとで直そう…)
紅娘さん、感想全部アップしたら呼び出そうと思ってました(笑)
あ~紅娘さんの分野やん!!とか帰宅の車内で
プログラム読みながら思ったりしてたし。
そか、「雑技」じゃなくて、「舞踊」の人たちなのね。
「舞踊」の表現方法の一環か…
このタイトル、このお芝居はなら、
別に、中国とのコラボでなくても、良かったのでは?
と思っているのですが、最初に「文化庁」ありきで
「文化交流」せざるを得ない、“イベント”なのかな~
http://blog.eplus.co.jp/etheatrix01/2006-10-04denen
川劇の劇団は私が知っている限りでは四川省の川劇院と成都市の川劇院があります。
おそらく当初(ちらしの作成を依頼するまで)は歌劇舞劇院を呼ぶはずだったのが、何らかの都合でこれなくなったので、代役として川劇院が来日したのではないかと想像します。
川劇の俳優さん達ならバク転はうまいはずですが、どうして中途半端になったのでしょうね yayaさんのおっしゃるように床にマットが敷いてないからというのが当たっているかもしれませんね。あれがないと怪我をするので立ち回りができないそうです。
呉汝俊という方は、もとは京劇の伴奏をする楽団員だったそうですが、日本で京劇や昆曲をアレンジした舞台を作って成功を収めたのをきっかけに、日本や中国であれこれ新しい舞台を作っているようです。最近では「白鳥の湖」を中国的にアレンジした舞台を作っているようです。たぶんヨーロッパに持って行くのではないでしょうか。中国の京劇ファンには一概にあまり評判は良くない人ですが、国際交流的なことをよくしている方のようです。今回の公演ではおそらくプロデューサー的なことをしているのでしょうね。
川劇院に変わったのは、そのためだったのかも知れません。
実際には許可が出ず、火はなくなりました。
中国のダンサーが参加した理由ですが、『血の起源』がイランでの公演のために創られた幻の公演を栗田流に再現したもので、一家族の血以外の血族をペルシャ風な衣装で象徴していました。
この作品のテーマのひとつに、他人の血を入れない血の継承があって、多民族の中国の方たちがそれを象徴する衣装、演技はその実感を与えてくれたというのが個人的な感想です。
中国のこと、事情など、いろいろ教えていただいて嬉しかったです。
また、普段20~30人ほどの訪問者の私のダイアリィに、こちらにお邪魔して100を越えるアクセスがあり、驚いています。
ありがとうございました。
ごめんなさい。
それと、関係ない話かもしれませんが、北京では特に冬になると、小さいレストラン(というか食堂的な小さいところ)の入り口で羊の串焼きを焼いているのをよく見かけますが、羊肉専門のお店は半分以上がウイグルなど西北系の民族の人たちです。また回族という中国人の中のある民族のルーツはイスラム系で、今は中国人に同化して見た目は全くの中国人で、イスラムの信仰をしていなくても豚肉を食べないという習慣を守っています。中国の焼き肉屋さんは主にこの回族のためのところと韓国系のところがあるように思います。
あとモンゴル人も中国人的な感覚では中国人で(確かに今モンゴル族は二手に分かれていますが)、たとえばチンギスハーンも中国人からすると中国人のようです(それは違うだろう、と私は思うのですが)。私の留学時代のルームメイト(ウランバートル出身のモンゴル人)は中国人の中に彼女が留学生であることを理解していない人がいると怒っていました。
中国ってどこまでが中国でどこまでが中国でないか、というと非常に難しいんですね。政治的にいうと清朝の勢力が異常に大きかった分、それを受け継いだ民国や今の中国が周辺を大きく取り込んでしまったという側面もあると思います。そして最後は経済力でしょうね。いくら漢字を使っていても中国人は日本人や韓国人のことは、自分たちとは違う民族だと思っています。
とりとめもなくてすみません