紘一郎雑記帳

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第2部 企業の危機管理講演会・山口泰信氏 紘一郎雑記張

2010-05-26 04:52:09 | Weblog
【これだけは、やっておくべき
  企業の転変地変への危機管理】

講師ー山口泰信氏「㈱山口総研・代表取締役」
1966年長崎県、雲仙市生まれ
阪神大震災で神戸生田中学校避難所運営リーダー
防災危機管理アドバイザー 3Sコンサルタント、防災士

続き
では「企業」が「日頃」から災害にたいして
どの様な備えをしておくべきか、又被災した際に
どのような対応をすべきかを具体的にお話ししましょう。

まず、「消火器」は「火の元」と「出入り口」の
付近に設置するのが鉄則です。

建物が燃えたら内部へ戻ることは出来ません
また、消火器は構造上、非常に倒れやすいので
床置きはなく、壁掛けにし、誰でも簡単に
手を伸ばす事の高さに設定しておきましょう。

さらに、建物の図面は複数名の担当者が、
いつでも取り出せるように保管しておきます

地震や火災で配線や配管が破損する事が多いからです。

しかも災害時には予想外のことが起きて、
例えば「水害」はいつも下から来るとは限りません

ある会社では「4階」の水道管が破裂して水浸しに
なりましたが、そのような場合には、水を止めるために、
「配管の図面」が必要なのです。

日頃から、周辺の地域との関わり合いも大切ですね

大地震がおきると、会社の敷地に余裕があれば、
緊急支援場所として市民に開放するケースもあり、
「炊き出し」や「仮説トイレ」に使用でます。
とても喜ばれ大切で大事な事のなのです。

又、いち早く立ち直って通常業務を再開することは
重要ですが、周囲から「自分だけ」と、良くない感情を
抱かれることが無いように、社員の何人かを地域の為になる
ボランティアとして派遣することも方法です。

最近発生した「ハイチ」や「チリ」の地震後は「強奪行為」が
相次ぎ、大変な状況でした。

阪神・淡路大震災の直後は報道はされていませんが
「倒壊」した「家屋」からの「物品」が消えたり
どこからともなく現れたトラックが「支援物資」を
持ち去ってしまうこともあり、それを「ボランティア」の
人々が「せっせ」と手伝ったという笑えない話しもあるのです。

「都市型大規模災害」において「避難所」では「配給用支援物資」を
保管する場所も重要なのです。

丸見えだと「なぜ配付しないのか!」と非難を受け、実際には
配給できる数に達するまで保管する必要ものもあり、
外から見えない倉庫やテントも要ります。

私は「配給」は公平にわたるように全力を尽くしましたが
「2000人」以上の「避難者」がいるのに、
毛布が「100枚」しか届かないようなこともありました

「よこせ・よこせ」と大騒ぎになり毛布は配給の時ではなく
寝ている老人や乳飲み子を抱える母親に「そっと」手渡し致しました
被災地ではそのような臨機応変に対応する事が大事です。

「企業」は「被災地」に速やかに「事業」を
復旧させる為に「プロセス」についても、社員が
理解しやすい計画を事前に練っておくことも求められますが
それは一般に「事業継続計画」と呼ばれるものです。

具体的には次の「6項目」に」ついて
検討されることをお薦め致します。

先ず一つは「取引先のリスク分散」です
特に工場などを持つ製造業では、資材や材料の供給を
途絶えさせない為に、仕入れ先を分散させておき
たとえば「大阪」の会社なら九州や日本海側の
企業にパイプを持っておくことを検討し
「災害が起きた場合は取引を御願いしたい」旨を
予め数社に打診しおくだけでも、「いざっ!」という時には
スムースに対応できるはずです。

工場の機械などが被害を受けると「修理業者」には
「修理依頼」が殺到することは予測できるので
「優先的」に対応してもらえるように「良好関係」を
普段から築き、知己を得ておくことが大事です。

続いて「情報の管理」お話しします。

続きは【第3部】にて投稿致します。


紘一郎雑記張

清話会の会員企業の中に「地震対策商品」を
扱っている会社が有りますが、その会社の話しに依ると
「関東地区」では多くの企業が「災害」に対する
「危機感」を持っていて、「災害」で企業をつぶさない!」の
信念を経営者が持っており大変商売がやりやすく
「商い」も倍増している様である。

反面「関西地区」の企業家の皆様は、まことにのんびりしていて
多くの企業さんに全く地震に対する「危機感」がなく
【地震は100年に一度といわれているので、
 あと85年ぐらいの間は地震は来ないので大丈夫!】と
言われるそうです。

これでは「行政」だけではなく、「民間」でも「心ある」
「企業」が「本社」を「東京」に移転させるのも一理あり
この「緊張感」のない経営方針が「関西衰退」の
ひとつの要因のように思えます。