前回の学術会議主催シンャGントリーで、アファーマティブアクションについての話題が少しでた。
その中でも、
という系統のアファーマティブアクションへの批判がある、という、シンヵ垂フ中の記述があった。
入学に際してのアファーマティブアクションというのは、あくまでもより多様な大学の教育環境をつくりだし、社会に多様な人材を送り出して行くための様々な方策のひとつだ、と考えるべきだと思う。単にマイノリティを入学させるだけではダメなのは当たり前。入学させてそのまま放っておいたり、マジョリティと同じ教育を受けさせるだけでは、落ちこぼれてしまったり、途中でやめるような展開になる可能性は高い。入れるだけでなく、不利を補うような教育やサメ[トシステムを大学が実践していくことが重要なのだ。それなくしては、何のために入学させたのか?ということになりかねない。実際、アメリカの大学でのマイノリティが卒業するレートは、マジョリティより低いことが多いだろう。すなわち入学後もきちんとサメ[トするシステムを実践している大学が少ないということだ。
マイノリティ学生が、様々な社会的差別や不利益により、大学の勉強のための準備がマジョリティよりできてないのは当然であり、入学時の点数や準備度が、その学生たちの能力と一致するわけではない。もし「授業についていけない」のなら、授業のやり方を根本的に考え直し、多様な学生のニーズにあう教育にしていくことが必要だろうと思う。
ゆうこさんとyokoさんから、実は女性のほうが試験得点が高い場合もよくある、というコメントが寄せられた。確かにそういう場合も多いだろう。
ただ、その「女性」に、ほかのマイノリティの要素が絡んだ場合は?など、単に「女性」とひとくくりにして語れりきれない面もあると思う。そのために、この文書に引用された発言で「女性はみんな納得しない」などと言い切ってしまっているのがあるのに、私は違和感を覚えた。
しかし、この文書ではアファーマティブアクション=女性優遇、みたいに語られていて、まったく複合差別的な視点が欠けているのはどうしてなのだろうか。
私はミシガン大学時代、アファーマティブアクション関連の運動に多少関わったが、私は「外国人学生」であったので、大学のアファーマティブアクションの恩恵にはまるで預かることはなかった。アメリカ人限定だからだ。(外国人留学生はかなり数が多いしね。)でも、例え私がアメリカ人だったり、永住権をもっていたとしても、社会科学分野での「アジア系」や「女性」はアファーマティブアクション対象外だった。すでに数が多いからだ。私のいた大学では、人文分野での「アジア系」、理系の「女性」は対象にはいる場合があったはずだ。
要するに、どうひっくり返っても私には直接の恩恵はない制度だったのだが、やはりアファーマティブアクションを支持する大学環境というだけで、マイノリティのためのサメ[トといった雰囲気があったり、様々なプログラムや授業のテーマに反映されたり、、と実は間接的に非常に恩恵を受けていたのだと思う。
その中でも、
低い点で優先入学させると授業についていけないことがある。あるいは女性を優先的に入学させると,「女性」であるがゆえに能力が低くみられる。低い点で入学できるなら,勉強しなくなるのでは等々。
という系統のアファーマティブアクションへの批判がある、という、シンヵ垂フ中の記述があった。
入学に際してのアファーマティブアクションというのは、あくまでもより多様な大学の教育環境をつくりだし、社会に多様な人材を送り出して行くための様々な方策のひとつだ、と考えるべきだと思う。単にマイノリティを入学させるだけではダメなのは当たり前。入学させてそのまま放っておいたり、マジョリティと同じ教育を受けさせるだけでは、落ちこぼれてしまったり、途中でやめるような展開になる可能性は高い。入れるだけでなく、不利を補うような教育やサメ[トシステムを大学が実践していくことが重要なのだ。それなくしては、何のために入学させたのか?ということになりかねない。実際、アメリカの大学でのマイノリティが卒業するレートは、マジョリティより低いことが多いだろう。すなわち入学後もきちんとサメ[トするシステムを実践している大学が少ないということだ。
マイノリティ学生が、様々な社会的差別や不利益により、大学の勉強のための準備がマジョリティよりできてないのは当然であり、入学時の点数や準備度が、その学生たちの能力と一致するわけではない。もし「授業についていけない」のなら、授業のやり方を根本的に考え直し、多様な学生のニーズにあう教育にしていくことが必要だろうと思う。
ゆうこさんとyokoさんから、実は女性のほうが試験得点が高い場合もよくある、というコメントが寄せられた。確かにそういう場合も多いだろう。
ただ、その「女性」に、ほかのマイノリティの要素が絡んだ場合は?など、単に「女性」とひとくくりにして語れりきれない面もあると思う。そのために、この文書に引用された発言で「女性はみんな納得しない」などと言い切ってしまっているのがあるのに、私は違和感を覚えた。
しかし、この文書ではアファーマティブアクション=女性優遇、みたいに語られていて、まったく複合差別的な視点が欠けているのはどうしてなのだろうか。
私はミシガン大学時代、アファーマティブアクション関連の運動に多少関わったが、私は「外国人学生」であったので、大学のアファーマティブアクションの恩恵にはまるで預かることはなかった。アメリカ人限定だからだ。(外国人留学生はかなり数が多いしね。)でも、例え私がアメリカ人だったり、永住権をもっていたとしても、社会科学分野での「アジア系」や「女性」はアファーマティブアクション対象外だった。すでに数が多いからだ。私のいた大学では、人文分野での「アジア系」、理系の「女性」は対象にはいる場合があったはずだ。
要するに、どうひっくり返っても私には直接の恩恵はない制度だったのだが、やはりアファーマティブアクションを支持する大学環境というだけで、マイノリティのためのサメ[トといった雰囲気があったり、様々なプログラムや授業のテーマに反映されたり、、と実は間接的に非常に恩恵を受けていたのだと思う。
ま、産経なんでそのつもりで読んでください。アメリカに公立の小中がいったい何校あると思ってるんだ!って私も知らんがな。ともかく、全体から見ればごく少数であることはたしか(だがその比率を書かないのが産経流)
「男女7歳にして不同席」人気 米の公立小中250校実践
http://www.sankei.co.jp/news/061129/kok005.htm