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万葉集「東歌」を訪ねる旅の始まりは

2020年09月09日 | 読書

コロナの影響で中止となっていた埼玉県民活動センターの講座「古代東国の叙情―東歌を訪ねて」が半年遅れでスタートした。2012年の「芭蕉『おくの細道』を読む」から続く川上講師の中世文学を読み解くシリーズ。マスク着用などの不便さあるものの久しぶりに名講義を聞けるのが嬉しい。初回は『万葉集』全体の成り立ちや時代背景をはじめ<東国とはどこか>などの周辺事情の説明。次回より本格的に「東歌」それぞれの生まれてきた<場所>、示した世界<内容>、現在的意味<現在との関係>など、無名の歌人たちと心通わせる旅が始まる。その予習ではないが、万葉集に出てくる歌碑が近隣にあると聞いて早速出かけた。隣り町・行田市のさきたま古墳群近く、埼玉県名の発祥とも言われる前玉(さきたま)神社。境内から石段を上がり、次の本殿石段の入口にある左右の石灯籠がそれである。元禄10(1697年)に神社氏子たちが奉納したもので右手に「埼玉の津」の歌。年月の風化で判読できるのは数文字だけ。ネット情報によると『佐吉多万能 津爾乎流布禰乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽禰』と刻まれているらしい。(巻十四・3380・読み人知らず )<佐吉多万(さきたま)の津におる船の風をいたみ 綱は絶ゆとも音な絶えそね>(訳:さきたまの津にある船は風が強いので綱が切れそうだ。船の綱は切れようとも、私への言葉は絶やさないでください)。そして左手の灯籠には東歌ではないが、同じくこの地を詠んだといわれる「小崎沼(おさきぬま)」の歌。『前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有欺』(巻九・1744・高橋虫麻呂)。<前玉(さきたま)の小崎の沼に鴨ぞ羽きる おのが尾に降りおける霜をはらうとにあらし>(訳:さきたまの小崎沼で鴨が羽をきっている。自分の尾につもった霜をはらっているのであろう)。その「小崎沼」に向かう。おおよその見当をつけて車で3キロほど、鴻巣市との境界寄りの畑の中に見えた小さな森。車道から細い道を森に向かって50mほど歩くと案内板があった。今は水も枯れ、草が茂る僅かな地は沼の痕跡を見つけるのも難しい。奥へ進むと「武蔵小埼沼」と書かれた石碑がある。その裏面に先ほどの前玉神社と同じ2首が刻まれていた。側面には宝暦3年(1753)、忍城主阿部正允が建立とある。当時どのような景色があったのであろうか。残暑に思い出して鳴くのか、今日の蝉は遠慮がちに聞こえた。帰路、せっかくなので利根大堰近くの利根川に立ち寄る。「さきたまの津」は諸説あり、場所や川の形状など往時とは大きく異なるだろう。だが岸辺に吹く赤城おろしの強い風は昔も今も同じはず。見送る船の大きな揺れに穏やかでいられなかった心のうちを想像した。(碑文・訳とも前玉神社及び横田酒造HPより引用)

    

       

 

    

    

       

 

 



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