晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

ダイコンの独り立ち

2020年09月24日 | 市民農園

心配していた台風は日本の東海上を通り過ぎ、雨もそれほどは降らなかった。ダイコン畑に覆っていた寒冷紗を外す。9月初めの種まき時の不織布、そしてこの寒冷紗と大事に育ててきた。美味しい葉に寄ってくる虫や鳥の害はもうないだろう。いよいよダイコンの独り立ち。これから秋の陽射しを浴び、ぐんぐんと大きくなるに違いない。先日蒔いた葉物野菜は期待以上に芽を出してきた。いつも発芽の良くないホウレンソウもほぼ100%。近いうちに間引きして育ちやすい環境を作ってあげよう。市民農園隣りの「花のオアシス」はコロナで休眠状態だったが、久しぶりに秋の花やヒマワリで目を楽しませてくれる。あとは”天高く馬肥ゆる秋”ではないが、澄み渡った青空を待つだけだ。

    

    

 

 


大霧山と原爆の図・丸木美術館(2)

2020年09月23日 | 雑記

秩父高原牧場のソフトクリームの甘い余韻。しかし、次に向かった原爆の図・丸木美術館の展示室に入ったとたん吹き飛んだ。新聞・テレビで多少の予備知識はあったものの絵を見た瞬間、圧倒されて息をのむ。原爆投下数日後の広島で目にした惨状や被爆体験者の証言をもとに描いたという「原爆の図」連作の「幽霊」「水」「少年少女」「竹やぶ」など。壁一面のどの絵もまさに地獄絵図、苦しみ・絶望・悲しみの極みにある人々が目の前にいる。<画面の奥からうめき声が聞こえる気がする。熱や臭いまでも伝わってくるようだ(チラシ裏面の「中國新聞」記事)>のとおりだ。宙をさまよう視線、射るような眼差し、その何百倍もの累々と重なる屍、正視することが苦しく、言葉もない。被爆から75年、あの戦争も含めて記憶が遠ざかり、継承も難しくなっているという声を聞く。でも、それらを呼び覚まし、”決して忘れないでほしい”というメッセージを確かに受け止めた。孫を連れての再訪を考えながら帰宅して知った「(核兵器の開発・保有・使用を禁じる)核兵器禁止条約を新たに1か国が批准、発効に必要な批准国はあと5か国」というニュース。唯一の被爆国である日本は何故に賛成しないのか、あらためて強い怒りを覚えた。

(以下は「原爆の図 丸木美術館」のパンフレット・チラシより)

        

       


大霧山と原爆の図・丸木美術館(1)

2020年09月22日 | 

同じ県内で近くにありながら機会がなかった丸木美術館。コロナの影響で入館者が減少、苦境にあると報道で知った。美術館から遠くないところに気軽に登れる山もある。ということで久しぶりの山歩きを兼ねて訪れることにした。まずは外秩父七峰のひとつ大霧山。車を停めた秩父高原牧場の駐車場から薄曇りの中を歩き始める。大霧山を前方に見つつ牧場脇の道を行き、車道をまたいで林道に入る。途中右手の小さな案内板に従い山の中へ。少し登って下ったところが登山口の粥新田峠。雑木林の中を緩やかに進み、ジグザグに登ると登山道は二股に。ここはいつものとおり、右手の林の中を行く。5月のころは若緑にあふれ気持の良い道には枯れ葉が落ち始めている。先ほど別れた道と合流、平坦な道は徐々に傾斜を増して最後の急登。ひと踏ん張りで山頂に到着。上空は晴れてきたが見渡す山なみには雲。それでも近くの皇鈴山・登谷山方面や眼下の街並みを眺め、気温21度の涼しい空気にもふれて満足。秋へ進む山道を踏みしめながら往路を下山した。戻った駐車場そばの牧場売店で購入のソフトクリーム、濃厚さは予想以上で納得の味。気分よく次の目的地へ車を走らせた。2020年9月22日(火)秩父高原牧場駐車場07:40~08:00粥新田峠565m~08:40大霧山767m 08:50~09:20粥新田峠~09:50 牧場駐車場

    

    

    

    

    

 

 

 

 

 

 

 


ダイコンに続け秋野菜づくり

2020年09月17日 | 市民農園

猛暑をくぐり抜けてきた夏野菜の一部はまだ元気。そのナス、オクラ、シシトウ、モロヘイヤを収穫。そしてダイコンに続く秋野菜第二陣の作業に移る。小松菜、ホウレンソウ、春菊、水菜、からし菜、それにレタス、さらに赤カブの種を蒔く。葉物野菜の勢ぞろいと言った感じだが、ほとんどが昨年の余った種。小さな畑ゆえ少量多品種でいろいろな野菜を楽しむ。発芽促進のための不織布をかけて、たっぷりの水。ブロッコリーの苗も植え、寒冷紗で覆って終了。順調に育っているダイコンと同様に元気に育ってほしい。

           

    

    

 


過ぎゆく季節を彼岸花と

2020年09月16日 | 写真&旅

秋の気配が漂い始めてきた。この時季の花と言えば彼岸花。車で15分と気軽に行けるお隣の吉見町のさくら堤公園へ行ってみた。ここは桜並木が2kmほど続く名所だが彼岸花も有名なところ。平日9時過ぎの雨が降りそうな空模様の中、カメラを手にした人が10名近く。あいにく主役である紅色の花は盛りを過ぎ、疲れた感じも。数は少ないものの薄い黄色やピンクの彩りに元気を分けてもらう。マスクに猛暑という異常な夏が過ぎてゆく。次の涼しい季節、コロナも下火となって迎えたい。

    

    

       


万葉集「東歌」を訪ねる旅の始まりは

2020年09月09日 | 読書

コロナの影響で中止となっていた埼玉県民活動センターの講座「古代東国の叙情―東歌を訪ねて」が半年遅れでスタートした。2012年の「芭蕉『おくの細道』を読む」から続く川上講師の中世文学を読み解くシリーズ。マスク着用などの不便さあるものの久しぶりに名講義を聞けるのが嬉しい。初回は『万葉集』全体の成り立ちや時代背景をはじめ<東国とはどこか>などの周辺事情の説明。次回より本格的に「東歌」それぞれの生まれてきた<場所>、示した世界<内容>、現在的意味<現在との関係>など、無名の歌人たちと心通わせる旅が始まる。その予習ではないが、万葉集に出てくる歌碑が近隣にあると聞いて早速出かけた。隣り町・行田市のさきたま古墳群近く、埼玉県名の発祥とも言われる前玉(さきたま)神社。境内から石段を上がり、次の本殿石段の入口にある左右の石灯籠がそれである。元禄10(1697年)に神社氏子たちが奉納したもので右手に「埼玉の津」の歌。年月の風化で判読できるのは数文字だけ。ネット情報によると『佐吉多万能 津爾乎流布禰乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽禰』と刻まれているらしい。(巻十四・3380・読み人知らず )<佐吉多万(さきたま)の津におる船の風をいたみ 綱は絶ゆとも音な絶えそね>(訳:さきたまの津にある船は風が強いので綱が切れそうだ。船の綱は切れようとも、私への言葉は絶やさないでください)。そして左手の灯籠には東歌ではないが、同じくこの地を詠んだといわれる「小崎沼(おさきぬま)」の歌。『前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 己尾爾 零置流霜乎 掃等爾有欺』(巻九・1744・高橋虫麻呂)。<前玉(さきたま)の小崎の沼に鴨ぞ羽きる おのが尾に降りおける霜をはらうとにあらし>(訳:さきたまの小崎沼で鴨が羽をきっている。自分の尾につもった霜をはらっているのであろう)。その「小崎沼」に向かう。おおよその見当をつけて車で3キロほど、鴻巣市との境界寄りの畑の中に見えた小さな森。車道から細い道を森に向かって50mほど歩くと案内板があった。今は水も枯れ、草が茂る僅かな地は沼の痕跡を見つけるのも難しい。奥へ進むと「武蔵小埼沼」と書かれた石碑がある。その裏面に先ほどの前玉神社と同じ2首が刻まれていた。側面には宝暦3年(1753)、忍城主阿部正允が建立とある。当時どのような景色があったのであろうか。残暑に思い出して鳴くのか、今日の蝉は遠慮がちに聞こえた。帰路、せっかくなので利根大堰近くの利根川に立ち寄る。「さきたまの津」は諸説あり、場所や川の形状など往時とは大きく異なるだろう。だが岸辺に吹く赤城おろしの強い風は昔も今も同じはず。見送る船の大きな揺れに穏やかでいられなかった心のうちを想像した。(碑文・訳とも前玉神社及び横田酒造HPより引用)

    

       

 

    

    

       

 

 


この小さな種、大きなダイコンになるように

2020年09月02日 | 市民農園

今日の天気予報は午後から雨、そして明日以降は雨が降りやすい空模様と聞いて決断。もう少し先と準備していたダイコンの種まきをする。予定している畑はこれまでに鍬入れとミニ耕運機ですでに6回耕した。さらに耕運機を入れて何とか10回、”大根十耕”の格好はついた。さらさらになった土で畝を立て、ペットボトルの底で30センチごとに窪みを付ける。1ヵ所に4粒づつ蒔いて土をかけ、軽く押さえて発芽までの不織布を覆う。最後にたっぷりの水やり。吉永小百合がある映画で「おいしく、おいしくな~れ」と唱えながらコーヒーを淹れる場面を想い出した。こちらもジョーロで円を描くように水をまく。「(ダイコンが)おおきく、おおきくな~れ」と。こんな小さな種が大人の足ほどの太さになる大根の不思議をあらためて思う。あとで調べた映画のタイトルは『ふしぎな岬の物語』だった。

    


”共感”を考えさせてくれた『アーモンド』

2020年09月01日 | 読書

脳神経細胞にある偏桃体が小さいことなどから失感情症と診断された少年。怒り、恐れ、喜び、悲しみなどの感情表現がうまく出来ないだけでなく、それを感じることさえ苦手という。その少年自身の視点を通して成長の日々の物語。それが並みのストーリーではない。次から次へと問題が起きる日常。中でも6人が死んだ通り魔的事件に巻き込まれて祖母を失い、母は寝たきりの植物人間となってしまう。だが、その惨状を目の当たりにしても無表情に見つめるだけの自分。以降、親代わりとなって相談相手となる家主との会話、高校生になっての学校生活、悪ガキとの離れがたい奇妙な関係、女生徒との出会いなど。当然のように感情無く淡々と語られるが、読み手を飽きさせない緻密な描写。その中に心の揺れが見え隠れしていく。例えば、あの事件当時を思い出し、<ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。感じる、共感すると言うけれど、僕が思うには、それは本物ではなかった>などと。そして最悪の事態を迎えたラスト、作者は自身の子どもや世の子どもたちへの愛情を込めて結んだ。初めて読んだ韓国の小説だが、異なった社会、街の風景、人々の日常など映画の吹き替え版のようにすんなり入り込めた。その訳者はあとがきで<物語は「共感」と「愛」を私たちに問いかけている>。さらに韓国の競争社会の生きづらさの中で<「共感」が育つ余地はどんどん小さくなっている>とし、<日本の現状とも相通じるのではないか>との問題提起も。確かに、この国の息苦しさはコロナウィルスのせいだけではない、と思った。