晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

夢は世界を『日本初のジェット・エンジンは秦野で生まれた物語』

2017年12月29日 | 読書

12月も終わりに近づき、この1年に亡くなった著名人を偲ぶ番組が流れている。今年も現役時代の知り合いが何人か旅立った。この本の著者もその一人であり、かって同じ職場の上司だった。在職中はもちろん退職後も観光振興や歴史作家などエネルギッシュに活躍していたので驚きで聞いた。だが最近、体調を崩していたこと、それでも遺作となったこの本の仕上げで相当無理をしていたらしい。ご家族からそうした話とともに受け取った本、昔の語り口の痕跡にうなずきながら読み進めた。終戦近い昭和20年8月、アメリカも成功していなかったジェット戦闘機のテスト飛行に成功、その極秘開発が神奈川県西部の丹沢山麓で行われていたという話である。当時の日本と日独伊三国同盟はじめ米欧諸国との関係、ドイツから提供受けたジェット機開発の秘密資料の運搬、敵攻撃を避けての潜水艦による長い航海などスリリングな展開が興味をそそる。入手した資料の多くは撃沈され、持ち帰れた資料はわずか。しかし失敗を重ねた末にエンジン開発に成功、B29飛来の間隙をぬって「橘花」は木更津飛行場の空に舞った。世界で5番目となる初飛行の成功も数日後に終戦を迎え、歴史から消えた。関わった人物の詳述や開発地・秦野での生活ぶりなど、50を超える参考文献・資料を読み込み、地元関係者らの聞き取りによる労作である。あとがきには、地元の若者にむけた「世界に飛べ、秦野からの勇者たちよ」とのメッセージ。著者が在職中、周囲にふりまいた熱い思いに通じるものを感じた。ご本人からの最後の年賀状に「いまだ夢は世界を駆け巡っています」と。たぶん、あの世界でも大いに夢を広げているに違いない。

         

*本巻末の「著者プロフィール」より抜粋(定年後、観光コンサルタント、歴史作家として活躍。現鹿児島日英友好協会理事、元上海大学国際交流学院名誉教授/主な著書「日本留学生列伝」「明治文明開化の花々」「幕末に学んだ若き志士達」「最期の幕臣中島三郎介」「海外旅行基礎英語辞典」「熟年者のための海外旅行術」「英会話 ジャスト・ア・モーメント」など)

 


赤城おろしに負けず冬野菜を

2017年12月28日 | 市民農園

今年もあと数日を残すだけとなった。連日、真冬の寒さが続いているが幸いなことに晴天なので防寒を整えて畑へ。年内の予定として、収穫後の白菜畑に葉物野菜の種をまく作業が残っているのだ。先ずはミニ耕運機の手を借りて耕し、苦土石灰・堆肥・化成肥料を混ぜ、穴あきマルチで覆う。今回は春菊・小松菜・水菜・ホウレンソウの4種。ひと穴に5粒ほどまいてから不織布を被せて水をたっぷりとかける。最後にビニールトンネルを施して終了。来年の2月ごろには食べれるようになるだろう。赤城おろしの風が強くなってきたせいか広い農園には他に一人だけ。正月を前に風邪などひかぬよう今日の収穫、赤カブを持って早めに帰ろう。

黒マルチは重宝  

   

不織布も便利  

暖かく  

最後の赤カブ  

晴天だが寒い

 


中央アルプス・千畳敷へ冬景色と星を(2)

2017年12月23日 | 写真&旅

 夕食後に少しだけ仮眠の9時過ぎ、人間もカメラも最大限の防寒を整えて外に。昼間より当然のように寒く、マイナス10度以下は間違いない。ただ風はそれほどでもなく予報どおりの5~6m程度だろうか、耐えられないことはない。風が無い分、肉眼では星の輝きが弱い感じがする。新月から3日目の真っ暗な夜、周囲に誰もいないのは明日の登山にむけて皆眠りに入っているのだろう。カメラの感度を高めて撮り続ける。何とか捉えてくれた宝剣岳頭上の天の川、1時間半後には右上空から左上空に流れを変える。この間、夜間飛行の3機が北から南へ。カメラのインターバル機能にまかせて時おり暖を取ったが約2時間半の12時近く。さすがに寒く、疲れてきたので終了。あまり眠れぬまま翌朝を迎え、朝焼けを撮るのがやっと、でもまた来たい。3度目の正直ということわざもある、次回こそベストショットを。

23:34の撮影 

100枚の合成  

駒ヶ根市と南アルプス方面  

快晴の朝   

今朝もあの雪稜へ  

*スライドショー「雪と星輝く千畳敷」http://www.digibook.net/d/3a54abdf804a3cb0e5035723e664cf3a/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true

 


中央アルプス・千畳敷へ冬景色と星を(1)

2017年12月22日 | 写真&旅

今年3月に続いての2回目、月曜の出発予定は曇り・強風予報のため中止。真冬の寒気団が列島を覆っている。今回は無理かなと思ったが、その後の天候チエックにより2日遅れで決行。圏央道の混雑も中央道に入ると平日のせいか車はスムースに走る。初狩PA付近で左手に真っ白な富士山、その後も甲斐駒、鳳凰三山、北岳などの南アルプス、右手に八ヶ岳と前方に豪華な山なみ。それぞれの湧き上がる思い出は安全運転に集中、走行250km、所要3:40の予定時間で駐車場に着く。連絡バスは途中でチェーン装着のバスに乗り換え。面白いことにバス同士が横づけとなり出口のタラップから新たなバスのタラップに移動。地面に降り立つことの無い初めての経験。凍結路を慎重にロープウェイ乗り場、そして高低差950mを8分で駆け上がって2600mの千畳敷に。寒い、だが目の前には白銀の峰々と真っ青な空、待望の景色が待っていた。千畳敷カール左手の極楽平から真正面の岩峰・宝剣岳、乗越浄土の右手緩やかに和合山、伊那前岳へ続く2900m級の山なみ。しばしカメラとともに眺め、乗越浄土へ向かう八丁坂下部まで行く。トレースは付いているが段々と雪が深くなる。前回同様、アイゼン・ピッケルの冬山道具は持ってきていないので、ここまで。星夜にそなえて、しばし休養しよう。

登山者ひとり  

冬陽の雪煙ショー  

  

木立が見つめる南アルプス  

影宝剣  


寒い!水管橋の星たちと集う夜

2017年12月19日 | 写真&旅

12月の新月、空気が澄んで月明かりがなく星空を撮るには絶好の夜。予約していた中央アルプスの千畳敷は強風と曇り予報で残念ながら取りやめて、昼間は畑仕事。そして夜、市内吹上の水管橋のある荒川河川敷に向かう。陽が沈む前に下見していた場所近くに車を停め、撮り始める。肉眼では街の灯りのせいか星も小さく、わずかに見えるだけ。静止画を数枚撮った後は光跡を比較明合成で作成することにして約210枚、1時間半。カメラのインターバル機能だから車内待機でよいのだが暇、時々カメラチエック兼ねて周囲を歩きまわる。風は無いもののやはり12月の夜11時近く、寒い。市街地での限界か、腕前か、この夜の星空撮影を振り返りつつ帰る車の車外温度は1度だった。

夕焼け  

北の方角を確認  

西南の方角  

肉眼では難しい   


風の無い冬晴れは畑作業

2017年12月18日 | 市民農園

雪や曇りの日本海側と違い毎日晴れの日が続いている。風の無い日を選んで市民農園の畑通い。今日は残り少ない大根と虫食いで放置していた白菜を取り込む。白菜は外葉をはがしていくと芯近くになるが多少は食べれそうだ。もらった苗の山ワサビ、2年目だが去年より太いのが多く取れた。寒さのせいかビニールトンネル内でも葉物野菜はまだ小さく、これはお預け。野菜くずを片付け、農園内の捨て場に運ぶ。これは後々に堆肥になる。1ヵ月半たった玉ネギは元気だが、植穴に生えてきた雑草が邪魔しそうなので丁寧に除く。次の葉物野菜の畑準備は別の日の作業に。今日は12月の新月の日、星を撮りに行く準備がある。

山ワサビ

  

 

雑草除いてすっきりと

収穫まだ  

 

 


重い問題提起の『日本人のための平和論』

2017年12月14日 | 読書

何度も来日し、いくつかの大学で教鞭も執った社会学者の著者。50年近くにわたって日本を見つめてきたその視力には説得力がある。北朝鮮のミサイルの脅威、韓国・中国との歴史認識、領有権やロシアとの北方四島をめぐる対立など周辺諸国との関係。そして昨日もヘリからの落下事故が起きた沖縄の米軍基地についての日本政府と沖縄の対立。そうした<解決の糸口すら見あたらない>諸問題の根本原因は、<まず米国への従属という事実>であり、<近隣諸国との間で高まる緊張はその帰結>と明快に指摘する。その上に、安倍政権が進める安保関連法や集団的自衛権などの安全保障政策の危険性、それを容認する日本国民に対して別の選択肢として代替案を示す。各テーマとも読み手にとって異論が噴出するところだろうが、熟考すべき問題提起が多い。未だに占領下にある沖縄や日本からの米軍撤退はリスク高まらないとしつつ、専守防衛のための武力保持は必要と説く。北方四島はじめ尖閣諸島・竹島の領土問題も発想転換が必要としているが、共同所有・管理の解決策は歴史的経緯を棚上げできるか。今、一番厄介な北朝鮮との関係は懸案の拉致問題も含め経済制裁の強化一辺倒では出口は見えて来ない。著者の<北朝鮮が核を持つ5つの理由>を読むとき、米国の「核の傘」の下で核兵器禁止条約に反対する日本がどう向き合えるのか。<対米従属からの決別>はじめ、安眠枕化しているという9条について<反戦憲法にとどまらず、積極的平和の構築を明確に打ち出す真の平和憲法を>など、タイトルどおり私たちに向けられた一冊は相当重い。

     


御坂・黒岳で冬富士を楽しむ

2017年12月07日 | 

 冬日に凛と聳え立つ富士山を撮ろうと御坂山塊の黒岳に向かう。元々は夜明け前の富士、そして山麓の河口湖畔の街灯りを宝石箱として考えていた。だが、10月の台風で林道が1ヶ月近く不通に。その後、天候などタイミングをみているうちに夜行車中泊が厳しい時季になってしまったのだ。冬季通行止めが11日からなので、この日しかないと早朝初の日帰りプラン。この冬一番の寒さとかで車外温度はマイナスだが予定どおりの時刻で気楽に走っていたら、凍結路に。最初はゆっくり走行で乗り切ったが次は坂道。まだ夏タイヤのままなので無理せずにあきらめ、手前の駐車場に入れる。約1時間の林道歩きは予定外、タイヤを履き替えておけば良かったと反省しながら進む。と、なんとゲートが閉まっているではないか。積雪で林道閉鎖が昨日6日からに早まったとの表示が。これでは仕方ない、あきらめがついた。冬タイヤに変えていても通れないのだから。久しぶりの雪道の感触を楽しんで林道終点。この先の新道峠・第一展望台までは今年4月に来たコース。しばらく写真を撮った後、緩やかに破風山を越えて、すずらん峠、2度の急坂を登り切って黒岳に着いた。200m先にある展望台は誰もいない貸し切りの一等地で新道峠の展望台と遜色なし。途中の冷たい風も、ここだけは陽射しが包んでくれているよう。ひとり、富士の晴れ姿を飽きることなく見続けた。2017年12月7日(木)/(河口湖ICから40分のすずらん群生地Pに駐車)駐車場08:15~(水ケ沢林道)~09:05林道終点~(新道峠・第二展望台)~09:15第一展望台(写真)10:05~(破風山1674m)~10:25すずらん峠~10:55黒岳1993m(展望台)11:25~11:45すずらん峠~(破風山)~12:10第一展望台12:25~12:35新道峠~12:40林道終点~(水ケ沢林道)~13:15駐車場<山中で出会った人は1組2人のみ。広い駐車場も後から来たこの方のようで計2台>

 

予定外  

閉鎖前の轍か  

林道最終点、ここまで車で来る予定だった 

破風山を越えて  

あれが黒岳  

急登2度 

展望なく  

200m先の展望台から  

 


嵐山渓谷の紅葉、今ごろは

2017年12月02日 | 写真&旅

先日の美の山からの帰路、嵐山渓谷に立ち寄った。この周辺が京都・嵐山の風景に似ているので町の名前も改称されたという由来の地だ。槻川橋そばのバーベキュー場に車を停め、川沿いの遊歩道を歩く。流れ着いたと思われる木の根や泥流の跡など、10月の2度の台風の大きさをここでも感じる。飛び石を渡り、冠水橋を進んで行き止まりの撮影スポット。それから少し戻って、展望台から与謝野晶子の歌碑があるところまで行く。この地に来て「比企の渓」として歌いあげた29首のひとつが刻まれている。今回は帰りを急ぐので、その感傷に浸る間もなく車に戻る。肝心の紅葉は色づきにばらつきがあって今一つ。イベント開催の今ごろが一番よいのかもしれない。それも朝夕の静かな時間帯がお薦めのようだ。歌碑の一節にも「山のしののめ」とあった。

冠水橋近くにて 

 

頭上の極彩 

歌碑近くのススキ