晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

ジャガイモ畑の準備完了

2017年02月26日 | 市民農園

数日前からの北風がやんで今日は畑作業に最良の日。もうすぐ3月、種イモを蒔くジャガイモの畑づくりを行なう。掘り返し、吹きさらしにしてあった畑に苦土石灰を蒔いて耕運機をかける。何度か往復して、やっとサラサラの土に。次はタマネギ畑、覆っていた風除け用の寒冷紗を取り外す。これからは防風よりも春の陽射しのほうが大事だ。そして、葉物野菜とスナップエンドウにたっぷりの水やり。今年の冬は例年以上に雨が少なく、育ちが良くない。何せ、小さな畑だから葉物野菜の後には次の春野菜たちが控えている。こちらのビニールトンネルは収穫を期待して、まだそのままにしておこう。風はまだ冷たい。

玉ネギ 

外して気持良い 

 

水分で元気に 

 


春を連れてきた「鴻巣びっくりひな祭り」

2017年02月25日 | ひな人形と花のまち

先週から始まった「鴻巣びっくりひな祭り」、ひと足早く春を感じさせてくれる風景だ。メイン会場のほか、5カ所のサテライト会場など市内各所で彩られるひな飾り。「花久の里」ではひな壇以外に見事なつるし飾り、「ひなの里」の鴻巣びな380年の歴史の展示なども興味深い。そしてメイン会場・エルミ鴻巣ショッピングモールでの日本一高いというピラミッドひな壇に今年も足を向けた。ここ数日は北風が吹いても陽射しが眩しく、冬の終わりを思わせる。気が付けば来週は光りあふれる3月、ひな祭りが春を連れてきた。

     

花久の里入口 

ひなの里で 

3/12まで  


たいまつは燃え続ける『日本で100年、生きてきて』

2017年02月24日 | 読書

昨年101歳まで生きて亡くなった、むのたけじ氏については経歴をはじめ独特の語り口、風貌が印象にあり、長いこと頭の片隅にあった。従軍記者として戦地に赴いた太平洋戦争が終わったその日に「戦争遂行の手助けをした責任を取る」と新聞社を辞め郷里に帰る。以来、30年にわたって「たいまつ」という小さな週刊新聞を通して世の中の矛盾を語り続けてきた。古巣の新聞地方版で連載された聞き書きの一部を収録した本書はこの国や社会に対して、もちろん目にしてきた戦争について厳しい眼差しを向ける。そして根を下ろす東北と沖縄の問題についても。ただ、それらの言葉は炉辺でお茶をいただきながら聞いているように温かみと優しさに満ち溢れている。そうした本文と紹介されている<絶えず噛みしめているという自戒の言葉>、巻頭言の<人は違っているからわかり合える>、どれもが熱い思いのこもった伝言。読む人の心に“たいまつ”は燃え続ける。

                  


越辺川の白鳥、旅立つ前に

2017年02月17日 | 写真&旅

秩父の低山歩きか川島町・越辺川の白鳥かと迷ったが、もうすぐ北の地へ帰ってしまう白鳥の飛来地へ向かうことに。夜明け時刻の30分前に着いた駐車場は10台少し、予想外に多い。だが何とかセーフと思った川岸下流の撮影ポイントは三脚が並んで入り込む余地が無い。カメラマンの数は10数人、そろそろ白鳥が減り始める時季だが皆同じことを考えているのか。やむを得ずギリギリの端に三脚を立てる。日中は暖かくなるが朝晩は冷えて風が弱いとの予報で狙ったとおり、期待の川霧が湧いている。川面が真っ赤になる朝日が出て、陽が上っても好ポジションが空かない。カメラマンの隙間から狙ってみるが思うような構図で撮れないので水門近くに移動。飛び立つところを待ってみたものの、その気配が無いので終了。そんなに寒くは無かったが2時間近く、場所取りだけが残念。帰るときには30台収容の駐車場が満車で外の路上に数台停まっていた。次回は夜明け1時間前までに現地に行かねば。

夜明け前 

陽が差し込んで 

三者三様 

水門で日向ぼっこ  

家族連れ  

  

 


風邪治って、寒起こし

2017年02月16日 | 市民農園

1月末の赤城山以来の風邪がようやく治った。途中、38度から39度近くの熱が出て、その後にオタフク風邪のように左頬が膨らんでしまった。診てもらったがインフルエンザでは無く、腫れも2日ほどで収まり、よく分からない。ともかく、高齢になると抵抗力が落ちて風邪も長引くし、ウィルスがいろいろと悪さをしたのだろう。風が弱まるのを待ち、久しぶりに畑に行く。途中までだった寒起こしを再開、スコップで土を掘り返す。この畑も1年間、ほぼフル回転なので休み期間は僅か今だけ。太陽の光りを存分に浴びて病原菌を退治し、次の春野菜づくりまで鋭気を養ってほしい。ジャガイモを植える3月もそう遠くはない。

少しばかりの収穫 

 

 


裁判報道を読むときに『逆転無罪の事実認定』

2017年02月12日 | 読書

<刑事裁判で真実を知る者は神様のほかにいる。それは目の前の被告人である>とこの本の一節が朝日新聞・天声人語で紹介されていた。神様は別にしても被告人本人がことの一部始終を一番良く知っているのは間違いない。著者は東京高裁時代に20件を超える逆転無罪を言い渡した元裁判官。だが自身も<無実の者を有罪にしている可能性がある><どんなに頑張っても誤りが潜む危険がある>その本質的なおそろしさを理解してもらいたいと書いた動機を述べている。ていねいに審理を行なった結果というが、その内容は<事実認定は、刑事裁判の基本である>から始まる「えん罪を防ぐ審理のあり方」や「控訴審における審理のあり方」の中に詳しい。特に最初の場面「人定質問」における被告人との人間関係・信頼関係に意を尽くした具体的内容は大いに頷ける。本題の「逆転無罪の事実認定」で取り上げている16判例の判決文は難解なところもあるがコメントと対照し、繰り返し読むことで理解できる。裁判官も人間であり様々であろう。著者のような姿勢で臨む裁判官が今、どれだけいるのだろうか。そうした疑問も頭の隅に置いて裁判報道を読むことが大事と思わされる本だった。

           


霧氷の赤城山、代償その後

2017年02月07日 | 

念願だった最高の霧氷を見ることができた赤城山。しかし、サブ機として持参したコンパクトデジカメの紛失という代償も。と、意気消沈していたそのカメラが手元に戻ってきた。しかも奇跡的に無傷で。当日、3度にわたって雪道を登下降して捜すも見つからず、登山口近くに交番なども無かったので帰宅。翌日、念のためと管轄の警察署へ電話で紛失を申し出た。その数日後、警察から届けと同じと思われるカメラが見つかったとのまさかの連絡。無くした日から4日後に同じルートで山へ登った方が拾われ、親切に警察へ届けてくれたのだ。それから所有者確認などの手続きを経て、9日ぶりに手にすることができた。早速、動作確認してみたが問題無し、写した画像もちゃんと残っていた。雪の中で5日間、さすがに電池は消耗していたが雪や水の浸入も無く、よく耐えてくれた。しかし、カメラの耐水機能なども発見が遅くなれば限界がある。この日、拾って届けていただいた方に大感謝しなければ。連絡を取ると、赤城山麓近くに居住する方で何度も通われている赤城山、ご夫婦で登っていて見つけたとのこと。数日、暖かい日が続いたので雪面から出て来たのではと言われた。ご主人が登山ガイドされているので、どこかの山で会うかもしれない。そのときにあらためてお礼の言葉を。冬の霧氷と冷たい赤城おろしだけだった赤城山が随分と身近に感じられた。(今回分かったことだが各県警のHPに落し物・忘れ物の検索欄がある。そして管轄の警察署の対応も親切だった)

最後に撮った画像(この後、ザック腰ベルトの右ポケットに入れたつもりだがフックをせず、この付近で落とした?)