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晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真
雑記…

冬の日に、じんわりと心温かく『カフネ』

2025年02月05日 | 読書

弟を亡くした主人公の女性と弟の元恋人とのふたりの関係は最初からギクシャク。約束の場所に遅れてやって来た彼女は弁解するどころか、用件を早く済ませてほしいとの事務的な言葉。カーキ色のつなぎ服で目つきの悪い年下の女性、とても深い付き合いは出来ないはずだったのが意外な展開に。彼女が勤める家事代行会社のボランティア活動を手伝うことになる。様々な事情から食事を作ることや掃除も出来ない。その意思も無くした家を訪ね、持参した食材で食事を作り、部屋の掃除を行なう。特に、彼女が作る食事の内容、レパートリーの広さに目を見張る。レシピ付きのクッキング番組を見ているような手際の良さと美味しそうに出来上がった料理の数々。それらを目にし、口に運ぶ人たちの表情に変化のきざし。こうした間に知り得なかった弟の姿や彼女が抱えている事情も。ふたりの心が通わぬまま結末にむかう予感も最後にはタイトル「カフネ」の意味にしばし浸る。ポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」とか。冬陽が届く部屋で、じんわりと心温かく読み終えた。もうひとつの収穫は保存食としても彼女が作った卵味噌、早速試してみたい。

     


戦後80年の今年、多く詳しく知る『日ソ戦争』

2025年01月22日 | 読書

太平洋戦争末期の1945年8月8日から9月上旬までの日本とソ連との戦争。終戦の日とする8月15日を過ぎても満州・朝鮮半島や南樺太・千島列島においては消えることのなかった戦火と戦争被害。民間人含む多くの戦争犠牲者を生み続けた。何故に終戦間際に戦争は始まったのか、ソ連軍の侵攻と激戦、避難住民の苦難の実情とその背景など、多くを詳しく知る。著者は日本敗戦の<最後のひと押し>だけでなく、北方領土や朝鮮半島の分断など今につながる<戦後を見据えた戦争>だったと。米ソの思惑がからんだ日本の分割占領案のやり取りに思わず目が。米ソ共同統治を否定されたソ連は分割占領を画策、要求したのは郷里の北海道。最後までこだわり、北海道北半分の統治(釧路から留萌までを結ぶ線の北側)も消滅したことに今さらながら安堵。一方、明確な線引きがされなかった千島列島の今が北方領土問題という経緯に解決の難しさも実感。読み終えて思うことは、この戦いの終結日を真の終戦の日とすべきではないかとも。

          

 


今、なお考える『二月二十六日のサクリファイス』

2025年01月17日 | 読書

昭和11年の2月26日に起きた二・二六事件を題材とした内容。事件後、首謀者の一人として拘束された青年将校と取り調べにあたる憲兵との2か月間を濃密に描く。将校の経歴、思想を探るために何人もの関係者からの聞き取りを通して浮かび上がるのは本人の事件との関わりだけではない。当時の社会情勢、陸軍内部の序列人事や派閥抗争、事件の誘発となる事柄があまりに多く存在。そして捜査の憲兵に度重なる妨害や襲撃。真相を暴かれることに困る大きな敵、黒幕がいるのではないか。小説とは言え昭和天皇はじめ実在の人物の考えや行動は、教科書などの表面的な知識に深い刺激を与える。20名近くが死刑となった日本の近代歴史のひとコマ。題名にあるサクリファイス(犠牲)とは誰か、誰のために、何のために。今、なお問題提起に考えてみた。

    


今、この時も!『ガザからの報告 現地で何が起きているのか』

2024年12月28日 | 読書

今年もあとわずか、テレビでは迎える正月準備の様子を映し出している。一方、昨年秋から続くガザの悲劇は終息の兆しが見えないまま2年目を越えようとしている。その連日の報道でも<ガザ住民の一人ひとりの日常生活と生の声伝わってこない>と、現地ジャーナリストのレポートを通して真の姿を伝える。今のパレスチナ社会では、住民の人的な喪失や建物の破壊以上にモラルの崩壊が起きている。ガザには木製の電柱が無いという。それを切って料理を作る薪にするためだ。窃盗の犯罪が蔓延、病院に置かれた遺体からのスマホや財布、靴さえも持ち去られる。そうした倫理とモラルの問題は、攻撃が終わっても未来に深刻な影響を与えるのではと危惧する。避難生活についても、雨が降るとテントの中が水浸しとなり、下水の水も入り込むので感染症と病気が心配。何も持たずに避難してきた子どもたちのために服が必要、食べ物を与えられない、飢餓の状態で息子を殺されたくない。子どもたちのためにも支援をと住民が訴える。そして怒りは、<未曾有の殺戮と破壊、屈辱を強いているのはイスラエル>だが、その引き金を引いたとしてハマスへも向いている。今回の契機となった昨年10月のイスラエルへの「越境攻撃」は「抵抗運動」ではない。イスラエルの占領だけでなく、ハマスの強権支配と暴走にも苦しんできた、と全てではないものの民衆の声も紹介する。確かに難しい問題だ。イスラエルが続けてきた「植民地主義支配・占領」を見過ごせと言うのか、「天井の無い監獄」と言われるガザの生活を受忍しなければならないのか。最後に著者は強く言う<「停戦」の実現が第一歩、ガザ住民の“生きる基盤”の再興、真の「ガザの解放」>さらに、<今の「ジェノサイドからの解放」でなく、問題の根源である「占領からの解放」がない限り、ガザの問題は終わらない>と。自分もそう思う。4万5千人を越えているガザ・パレスチナの犠牲者の7割が女性と子どもという。今朝の新聞で「冬の厳しい寒さで乳児3人が死亡―地中海沿岸の砂の上で避難のテント生活、気温の大幅な低下にも毛布が十分になく」と新たに「イスラエル軍による攻撃で38人が死亡」。もう、一刻の猶予もならない一日も早い停戦を。

    

(下記2枚の写真は本書より転載)

   

      (「パレスチナ子どものキャンペーン」支援募金のチラシ)   

    

                


眠っている差別ないか『「コーダ」のぼくが見る世界』

2024年12月18日 | 読書

この本を読むまではよく知らなかった「コーダ」という言葉。「Children of Deaf Adults」の頭文字(CODA)から取った<「耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った、聴こえる子どもたち」を意味する>。そのコーダ当事者の幼少期から現在に至る心の葛藤や周囲の眼差し、社会の差別、偏見に対して数多く綴り、問題提起する。例えば、聴こえない親への「通訳」として子ども時代に背負う役割。電話や来客への対応、役所や病院への付き添いなどだ。そのこと自体は嫌ではなかったが、大人の話が理解できない、うまく通訳できなかったことに自分を責めたこと。また、手話が上手でなかった著者はじめ、親とのコミュニケーションの取り方。「自分の耳も聞こえなければよかったのに」という複雑な思いを抱えるコーダも少なくないという。そして今の社会、不便さや不平等は子どもの頃に比べ解消しているものの<聴者の中に眠っている差別>の存在。安全性を担保できないとして乗り物や遊戯施設の利用制限が少なくない。進歩するテクノロジーの活用など図ろうとする前に<自分たちにかかる負担を想像して、諦めていないだろうか?>と問う。同様にサポートする製品開発の企業などにも当事者の声をもっと聴いてほしいとも。読み終えて「コーダ」の存在とともに、強く心に残った著者の言葉がある。障害への配慮に「優遇するのか」という反論を受けるが、「特別扱い」を願っているのではなく、<「同じように生きていきたい」という公平性>であり、<他の人々が当たり前のように利用できているものを同じように利用したいと言っているだけ><人として生きる上での「権利の尊重」でしかない>と。しっかりと耳に残したい。

      


どこかの山で出会いたい『片足で挑む山嶺』

2024年11月19日 | 読書

8歳で骨肉腫というガンのため左足を失った男性が綴る人生物語。11ヵ月間の入院を終えて始まる片足での生活は大変だったに違いない。だが本人はイジメにも負けず、友達との野球に興じるなど明るく前向きに過ごす。そこには<見られることに慣れなさい>との母親の教えや<やりたいことは自由にやりなさい>という後押し、もちろん本人自身の相当な努力も想像する。社会人となり、様々な競技スポーツを経て鉄人レースとも言われる水泳、自転車、ランニングのトライアスロンにも挑戦。しかし再び、絶望の淵に立たされることに。だが、それをも乗り越えて百名山と出会い、片足で全てを登った人がいないという事実に挑戦意欲が湧く。クラッチという杖を使い、体重を支えながら急坂も岩場も一歩一歩登って下る。すでに登頂を終えたという「大キレット」コースでの槍ヶ岳、自分は尻込みして未踏だ。剱岳の「カニのタテバイ」は前をよじ登る登山靴の裏を見上げながら、「ヨコバイ」も見えない前足の置き場を足先で確かめつつ必死の思いで登った記憶がある。NHKテレビで登山の様子を紹介された鹿島槍ヶ岳から五竜岳への縦走路も難所だ。健常者でも上級者向きで難関といわれる山々、コースを登ってきた。著者は、自分に与えられた“天命”は<五体満足で生きることでなく、「一本足」になって前人未踏を成すこと>。読者にむけて<自分に天命があることに気づいて、充実した人生を>とメッセージを送る。執筆した今年4月時点、百名山の残りは30座で幌尻岳、飯豊山、南アルプスなどの山々をあげている。自分の経験では技術よりも体力が必要だった。ぜひケガなどすることなく、目標を遂げてほしい。またトレーニング登山でどこかの山で会えることも願って。

          


少年に後押しされて小さな一歩でも『へいわってすてきだね』

2024年10月15日 | 読書

新聞の読者投稿欄で知ったこの絵本。小学1年生だった安里有生くんが「平和のメッセージ」に応募した詩を2013年の沖縄戦没者追悼式で朗読した。会場内の涙、TV中継で全国の感動と共感を呼んだその詩。さらに多くの人たちに伝えたいと絵本作家の長谷川義史氏が絵本に仕立てた。氏は「あとがき」で語る<(小学1年生の)純粋で、素直で、力強い、まっすぐな願い>が、開いた1ページ目からストレートに。そして、<みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。>など、その短い言葉そのままの心うち、情景がやさしい絵となって伝わってくる。<「ドドーン、ドカーン。」ばくだんがおちてくる こわいおと。>は、今のウクライナ、ガザをはじめ同じ境遇にいる子どもたちを思い出さざるをえない。最後のページに<ぼくのできることから・・・>と、幼い少年からの平和への誓い。90代近い投稿氏は絵本には「読み時」があり、今この本は再び読み時を迎えていると書く。読んで思う、我々大人は何をしているのだろうか。できることは小さく、限られている。それでもあきらめず、集まれば大きな声、いつかは力になると信じて行動しなければ。

            ちか


イスラエルは直ちに攻撃止めよ『ガザとは何か』

2024年09月26日 | 読書

昨年10月以来、もう1年になろうとする。ガザ地区を中心とするパレスチナに対するイスラエルへの攻撃が今日も続いている。ガザ地区が廃墟と化し、多くの女性、子どもを含む犠牲者が4万1千人を越えて、さらに増える一方。イスラエルは自衛であり、ハマスのせん滅、人質救出と言う。しかし、残虐な光景はパレスチナ人を皆殺しにしてパレスチナの国づくりを断念させようと映る。昨年直後の講演をもとにしたこの本は今に至る問題の根源を詳細に解説。鋭く、ストレートな物言いは分かりやすい。ガザの住民の7割が難民であり、なぜそうなったのか。2007年に始まったイスラエルによるガザの封鎖の中での生と死、今さらながら状況を深く知る。強調するのは、イスラエルのジェノサイド(大量殺戮)であること。イスラエル建国から始まる入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイトと断言する。まったくの同感である。著者が呼びかけている「即時停戦」、そして「イスラエルを戦争犯罪としての処罰」。それがアパルトヘイトの終了につながり、奪われているパレスチナ人の自由、人権を取り戻して人間らしく生きることができると言う。今、イスラエルはレバノンへの地上侵攻にも言及、さらなる戦火拡大も避けられない情勢。聞く耳を持たないイスラエルに支援を続けているアメリカはもちろん、国際社会はこの国の愚行を改めさせなければならない。

     

 

(『ガザとは何か』より転載)

     (同)

     

     


考えながら読み、読み終えても『もうじきたべられるぼく』

2024年09月03日 | 読書

生まれ育った牧場の母牛に会いに行くところ始まる小さな物語。まもなく食べられてしまうボクは最後にひと目だけの思いで列車に乗る。流れゆく車窓の景色とともに思い出すのは優しかった母のこと、広々とした牧場で過ごした楽しい日々、そして食牛としての自分のうんめい(運命)をも。牧場に着いてからのシーンの数々は想像を超えて何とも言えない。文章が無く、絵だけで発せられる言葉を想像するクライマックスの数ページ。それぞれに価値がある生命(いのち)の大切さ、そのことを静かに訴える絵本。流し読みすればわずか2・3分で読みきってしまうが、その何倍もかけて深読みし、本を閉じても考えさせられた。巻末の作者紹介にあるメッセージにも共感、子どもだけでなく多くの大人にも読んでほしいと思う。

       

 


加齢シーナの思い出日記『続 失踪願望。』

2024年08月17日 | 読書

「失踪願望」というタイトルに惹かれて久しぶりにシーナこと筆者の本を手にする。『岳物語』などの小説よりも釣りキャンプや焚き火宴会のエッセイが面白おかしく何冊も読んだ以前。気の合う仲間と「怪しい探検隊」と称し、好奇心や探求心のままに日本各地の無人島や世界の秘境に出かける。抱腹絶倒の場面や嗅覚鋭く美食・美酒にありつく姿に羨望するばかりだった。あの強靭な体力、行動力を兼ね備えた筆者も気が付けば80歳、その最近を日記風に綴る。読み進めるごとに思わず納得する日常。人並みに病院や孫の話、体力の低下がそうさせるのか時には弱気な一面も。しかし変わらないのは数日おきの食べて飲み語らう会。酒量は減ったが、その雰囲気の心地よさは昔とそう変わらない。半世紀以上も前から続く交遊録の延長ともいえる内容は登場人物みんなが好人物。それゆえ加齢とともに必然的に増えてくる別れがつらい。筆者の“失踪願望”とは、そうした仲間を偲んで回顧のひとり旅を思い描いているような気がする。

        


あらためて日航機事故を『書いてはいけない』

2024年08月14日 | 読書

520人が犠牲となった日航機墜落事故から39年を迎えた。その当日に知人から借りた本、勧められたとおり「日航123便はなぜ墜落したのか」の章から読み始める。冒頭に昨年6月、東京高裁での控訴審の判決シーン。墜落事故の遺族が日本航空にボイスレコーダー(音声記録装置)やフライトレコーダー(飛行記録装置)の開示を求めた控訴審が棄却されたのだ。すでに事故原因は国の調査委員会報告で「(過去の尻もち事故の際の修理不備による)機体後部の圧力隔壁の破損から尾翼一部、油圧装置が吹き飛んで機体コントロールを失い墜落事故が起きた」と確定。事故直後は目撃者の話など含め色々な憶測も飛び交っていたが世間と同じく、自分もこの説明を納得して受けとめた。しかし、過去の航空機事故では行われたことのあるデータ開示を何故に拒むのか、著者は不都合な真実が隠されているのではと事故当時の経緯を振り返る。墜落現場の特定が遅れたこと始め、関係者の証言や著作から「いち早く到着した米軍救援ヘリに中止の要請」「墜落直前の日航機に自衛隊2機が追尾、墜落情報により発進した自衛隊機とは時間差あること」「圧力隔壁説とは異なる異常外力の存在」「米軍横田基地への着陸断念」など多数の疑念。尾翼への何らかの飛翔体が自衛隊機のミサイル飛行実験中の何かであるとしたら、知り得るアメリカの協力を含む驚愕の大隠蔽説が浮上する。それが次章「日本経済墜落の真相」につながるという著者の推論。真相解明につながるとしたブラックボックス内の生データの開示請求は、ネット検索で今年3月に最高裁が上告を退けたと知った。あらためて、墜落原因に異を唱える書物(『日航123便 墜落の新事実』『永遠に許されざる者』『524人の命乞い』)を読むことにしたい。そして、生データ開示請求の裁判を取り上げない大手メディアに対して、以前のジャニーズ事務所や財務省と同じく“書いてはいけない”タブーとしているのか闘病中の著者同様大きく声を上げたいところである

        


爽やかな余韻のまま『父がしたこと』

2024年07月09日 | 読書

藩主を幼少のころから支え、側近である父とその後を追う子の物語。江戸時代の麻酔による外科手術の詳細には固唾をのむ。直近まで漢方による内科治療しかなかったころのことである。受ける藩主も相当な覚悟だったと思うが、まかり間違えば断罪にもなる医者。その手術と術後を見守る父と子も同様の覚悟で臨む。そして少し前に生まれた赤ん坊にも外科的治療が必要な症状が。当時の医療技術、手術道具、薬草を主とした医薬品など、作者はよく調べ上げたものだ。すべてがうまく進み、ハッピーエンドの予想。しかし身辺に影がちらつきはじめる。家を取り仕切っていた母の死、父の早い隠居という日常の変化はまだ序奏。続く、医者の不慮の死亡、父の海難事故。それに予想外の展開が隠されていた。武家父子の過酷な運命に往時の医療を重ねた行く末。『実意深切』という言葉も初めて知った。藩主の物言い含め、登場人物の爽やかな余韻のまま本を閉じた。

                                       


震災だけでなく『涙にも国籍はあるのでしょうか』

2024年05月24日 | 読書

東日本大震災14年目の今年も3月11日を中心に震災関連の多くの新聞記事。だが見出しや写真を追うだけで深読みをすることはなかった。この本を読み、過去に報道された内容の繰り返しという先入観だったことを深く反省させられた。新聞に掲載された特集記事をベースに岩手県・宮城県の沿岸で亡くなった外国人の生き方や痕跡を追いかけた内容。きっかけは国が外国人犠牲者数を把握していないことから始まる。そこには、元データ作成の自治体と厚労省の集約方法、警察庁の集計の考え方の違い、住民登録・外国人登録の制度的問題などが横たわる。しかし「亡くなったという事実」と各登録データとの突合せや身辺者との聞き取りを可能な限り行ったのだろうか。震災直後の混乱期ならまだしも10年以上たっても正確な死亡者やその数を知らない、調べを尽くそうとしない国や自治体。この本で取り上げられたのは、その中の数人。それでも、それぞれに多くの物語があった。海を越えて長く続く遺族との交流、母が亡くなった息子の滞在許可を支援する仕事仲間などの話もあるが、各章にわたる「涙にも国籍はあるのでしょうか」と問うテーマに考えざるを得ない。筆者は<この国の行政が潜在的に内包している、日本で暮らす外国人への「冷たさ」>、(今後、多民族国家に進んで行かざるを得ない日本において)<あまりにも不平等であり、何より不正義>と提起する。震災に限らず、目をこらして見渡していきたい。

        


ずっしりと重い『昭和街場のはやり歌』

2024年04月24日 | 読書

昭和の時代に多く歌われてきた馴染みのメロディー。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もあるが、GHQと戦後日本をつくったと書く「炭坑節」からウクライナ戦争を読み解くという「カチューシャ」まで20曲ほどの歌を紹介。表層的な部分のさらに奥深く、著者は<時代の深層に潜む真相>にまで迫る。少し先輩だが同じ団塊世代であり、思想的な見方にも共感しつつ興味深く読み進めた。「希求と喪失の章」の『あゝ上野駅』は今や<人生の応援歌でなく失われた故郷への挽歌>と指摘。特急寝台列車「はくつる」「ゆうづる」を利用した自分自身も郷愁とともに納得。「祈念と失意の章」の美空ひばりが歌う『一本の鉛筆』は<昭和の歌姫がうたい遺した鎮魂の反戦歌>とみる。聴いた記憶はあるが、彼女の幼児期の戦争体験など反戦意識の背景の推論には再認識。一部反対のなかで出演した第1回広島平和音楽祭、前年からの病をおして15回目の舞台で熱唱などの経緯について頷かされた。そして、ウチナー(沖縄)からヤマト(本土)への反問歌とする『沖縄を返せ』は、今なお危険な基地や辺野古問題をあらためて思い起こさせる。歌詞の一部が2度にわたって変えられてきたこと。最後の「♪沖縄を返せ 沖縄を返せ」を「♪沖縄を返せ 沖縄へ(に)返せ」に。続いて冒頭の「♪民族の怒りに燃える島」を「♪県民の怒りに燃える島」と。本土復帰への内容が明らかになって歌われなくなった時期、悲惨な事件・事故など幾多の経緯を経て再び歌われてきた。<沖縄人にとっては、幾度となく見捨てられた「祖国」に対する終わることのない反問>であり<かって彼らが“復帰”を願った「祖国」の住民にとっては、終わることのない自問でなければならない>と結ぶ。ユーチューブで実際に聴き、耳の奥深くにその叫びを留めておかねばと思う。本のサブタイトルである「戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」が通奏低音となり、ずっしりと重く届いた本である。

        

 


タイトルの意味を深く知る『すくえた命』

2024年03月24日 | 読書

激しい暴行の末に遺体となって発見された妻であり母でもあったひとりの女性の死。その家族の「警察のせいで殺された」「警察の怠慢のせいで」という思いと真相を追究した地方テレビ局記者の取材記録である。実家に金を要求してきた女が男らを操り、ターゲットを女性家族に変えて数年にわたり金を巻き上げてきた。背後にヤクザがいると信じ込ませたグループは死亡事件の数か月前からエスカレート。女性を連れ出して同居させ、生活費やホストクラブ費用の支払いを名目に脅す。危害の恐れを感じた家族が警察署に十数回も相談、訴えるも家族間の金銭トラブルとして応じることなかった。家に押しかけて来た際の110番通報で出動した警察官も無対応。金銭要求する3時間の音声テープにも文字起しの上に再提出し、どれが脅迫、恐喝、強要にあたるか付箋するようにとの発言。とんでもない警察官、警察署があったものだ。この間、被害届を受理して捜査を開始していれば激しい暴行も、それが死に至ることにはならなかった。事件後、遺族の求めに一部謝罪するも納得のいく説明は得られなかった。さらに、その一部謝罪さえも翻されて警察の対応に問題無しとされる。県警も同様の見解、県公安委員会も追認する。公安委員会のトップは県警の顧問契約している事務所所属の弁護士とのこと、さもありなんだ。ネット検索した佐賀県警HPには「県民のために寄り添い、守り続ける力になりたい。」とある。どう寄り添って、どう守ってきたのか。著者の記者は「あとがき」でこう記す。報道、警察、政治を生業とする人間が寄り添うとは「背負うこと」。<ただ耳を傾けるのではなく、時には肩を貸し、その重みを分け合い、共に歩む>ことだと。印税は遺された子どもたちへというこの本。タイトルの「すくえた命」は<「すくえたかもしれない」でも「すくえたはずの」でもない。「掬(すく)えた」の意味も込めてひらがなで「すくえた命」>と付けた著者の気持ちが最後まで届く。