晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真…雑記

梅雨の中休みに

2023年06月28日 | 市民農園

1週間近く梅雨の中休み状態が続く。そうした天候と関係ないと思われるが市民農園の我が畑は全体的にはパッとしない。順調に収穫できているのは早朝に受粉を続けているズッキーニ、そして中玉トマトぐらいなもの。キュウリやナス、シシトウ、ピーマンの出来がよくない。急遽、キュウリは種をまいて第2陣を、ナスは枯れそうな1本を抜いて新しい苗を植えてみた。我が身と同様、畑に疲れが出ているのかもしれない。玉ねぎ、ジャガイモ収穫後の畑はマルチを被せ、秋野菜作りまで早めの夏休みに。畑もそうだが、いつもどおりの雨が降る梅雨であってほしい。

   

       

 


立ち寄りで吹割の滝、赤堀花しょうぶ園

2023年06月22日 | 写真&旅

尾瀬を歩き、丸沼で星を眺めて2日目の帰路は睡眠不足もあり、寄り道しながらのんびりドライブ。最初は久しぶりの吹割の滝。雪解け水も少なくなり、まだ本格的な梅雨にもなっていないせいか水量は少な目。それでも無数の割れ目からの豪快な流れは迫力十分。マイナスイオンを浴び、落ちないよう慎重に足を運んでいるうちに眠気も覚めてきた。次は情報で得た初めての伊勢崎市の赤堀花しょうぶ園。800年ほど前の農業用水路の跡地に史跡保護を兼ねて花しょうぶを植えているのだという。それゆえ細長い区間に花が遠くまで続いている。残念ながら見ごろは過ぎ、強い日差しに息も絶え絶え。日陰に咲くアジサイも同情している。そろそろ、しとしと雨が欲しいところだ。

      

    

    

 

 


丸沼の星たちの遊泳

2023年06月21日 | 写真&旅

尾瀬沼散策のあとは群馬・栃木県境に近い丸沼へ。わずか先に日光白根山の登山口や金精峠を抜ければ奥日光という位置。標高1430mあるので陽射しがあってもヒンヤリとして涼しい。夏の避暑地に好適、多くは釣り人が訪れるらしい。早速、夜の撮影に備えて湖畔周辺の場所探し。見つけたところは足元が軟弱で沼地的だが致し方ない。暗闇となった9時過ぎにフリースを着込み、ヘッドライト・懐中電灯にカメラ・三脚を2台持参して湖畔に向かう。山なみに薄い雲見えるがセッティング、ISO感度を何度か調整して1時間半。静止画と光跡、そして短いがタイムラプス(微速度撮影)も初めてチャレンジ。湖畔には一軒宿あるのみで光害も少なく、新月で星空もマアマアの好環境。にもかかわらず飲酒が少々多めだったようだ。カメラ操作に手間取り、眠気も出たので夜半からの天の川は諦めることに。早朝発、温泉入浴後の飲酒は控えめに、を次回の教訓に。

    

    

 

    

 


ワタスゲは残念も尾瀬沼・大江湿原

2023年06月19日 | 

タイミング良く梅雨の中休みとなった。群馬県片品村丸沼で星を撮る前の昼間は尾瀬へ。鳩待峠から尾瀬ヶ原か、大清水からの尾瀬沼か迷った末に尾瀬沼・大江湿原に。あわよくば水芭蕉後の風景であるワタスゲを。早朝5時の自宅出発で着いた大清水から運行2日目のシャトルバスを利用。歩くと1時間だがバスでは15分、これを使わない手は無い。本番の夜の撮影に備えての体力温存も必要。バスを降りて林道少し先、左手の登山口から歩き始める。涼し気な清流の音を聞きながら沢沿いの足慣らしも、間もなく急坂に。次々に現れる階段状の道は越えれば多少緩やかになり、それほどきつくはない。樹林帯の爽やかな風が助けてくれる。岩清水に着くも、飲料に不適との注意書きに手を浸すだけの休憩。再びの急傾斜はジグザグに折れ曲がりながら高度を上げる。日当たりのよい三平見晴に出て山なみを遠望。この後は針葉樹の中の平坦な木道を進んで三平峠に。あとは下って三平下の広場、尾瀬沼の南岸から東岸に沿って燧ケ岳を眺めつつ大江湿原への散策。日陰に僅か残っている水芭蕉、この時期に咲く無数の小さな花々。残念ながら無知なので分かるのはタテヤマリンドウ、リュウキンカ、コバイケイソウぐらい。やはり想像していたとおり、一面のワタスゲにはまだ早かったようだ。それでも久しぶりの尾瀬沼。周囲の濃淡鮮やかな緑、湿原に咲く花とともに過ごした数時間は心地よいものだった。2023年6月18日(日)/(大清水駐車場は満杯で先にある8割ほど駐車の第2Pに。前日から運行のシャトルバス700円で一ノ瀬まで)一ノ瀬08:45~09:15岩清水09:25~09:35三平見晴~09:55三平峠10:00~10:15三平下10:25~10:50尾瀬沼東岸(尾瀬沼ヒュッテ)~11:20大江湿原~(大尾瀬沼東岸)~11:55三平下(昼)12:15~12:35三平峠12:45~(三平見晴・岩清水)~13:45一ノ瀬

         

    

    

 

    

    

 


梅雨合間に梅の実取り

2023年06月15日 | 雑記

小さい庭ながら訪れる小鳥のさえずりを聴かせてくれる梅の木。3月初めの春到来とともに咲いた花々が実り、黄色く熟してきた。採りごろと判断、雨の降らないタイミングで収穫作業。脚立を使うも手を伸ばし、小枝に阻まれながらの悪戦苦闘。1時間余りで14キロ、今年は表年なのか去年の2倍以上の成果となった。肥料は特に施さなかったのに地中の養分と太陽、雨の恵みで育ってくれた。老木ゆえに大きくなった樹勢も負担のような気がする。こちらも梅取り作業が大変になってきた。葉が落ちるころに剪定、すこし小ぶりにしてあげよう。その前に小梅、青い梅は梅ジュース、そして大部分は梅干しに。まずは梅雨どきのひと仕事が終わった。

       

    


梅雨の晴れ間を畑で

2023年06月13日 | 市民農園

梅雨入り早々の台風接近に心配したが、大雨降ることなく今日の晴れ間。市民農園の畑に様子見と少しでも収穫をと出向く。元気が良いズッキーニを筆頭に、中玉トマト、シシトウ、ピーマンを少しづつ取る。赤い中玉トマトもやっと色づき始めたので間もなくに。雨が大好きキュウリ、ナスが不調に見える。先日に追肥したばかりなので様子を見るしかない。取り残したトマトのわき芽を土に差してみた。枯れずに根付くよう、ひと雨ほしいところだ。始まったばかりの今年の梅雨、野菜と一緒に空を見上げる。

    

    


アジサイは雨が似合う

2023年06月12日 | 雑記

ほぼ例年通りの梅雨入りとなったが曇りや時々の小雨程度。今日は朝からのしとしと雨でこの時季らしい空模様となった。待ってましたとばかり、さきたま緑道入口にある近隣公園に。遊歩道沿いの短い区間だがアジサイが固まって咲いている。どの花も、ようやくの雨にほっとしたような表情。濃い、薄い紫色に白い色、花びらの形も様々で5・6種類ほど。早く咲いていたので気になっていたが、散る前に雨が間に合って良かった。気のせいか去年よりも元気そうに見える。やはりアジサイには雨がよく似合う。

    

   

         

 

 


夕星を眺めて思い出したい『汝、星のごとく』

2023年06月08日 | 読書

瀬戸内の小さな島で出会ったふたり。お互い高校生だった17歳から紆余曲折を経て32歳までのストーリー。銀色に輝く穏やかな海、都会の喧騒とは無縁の世界で、甘くせつないときが流れる。刺激のない島で交わされるのは他人の噂話。似たような境遇のなかで将来の夢を抱きつつも都会と島に別れ、季節が流れていく。ふたりの巡る日々を横糸に、深刻なヤングケアラーやLGBTの問題などが縦糸に織り込まれ、ゆれる心のうち。別離と究極の再会のとき、念願かなって花火を見るシーンがある。花火が<揺れながら地上から放たれて・・・>と打ち上がり、光り輝き花開いた後に<力尽き、尾を引いて海へと落ちていく幾千の星たち>の描写。二人の砂浜に押し寄せては引いていく波の音、一番星が見え始めるトワイライトタイムなどの描き方には唸ってしまう。さすが全国の書店員が絶賛する本屋大賞、作者2度目の受賞作だけある。

       

       


ズッキーニは人工授粉で

2023年06月06日 | 市民農園

ズッキーニの実が大きくならず、途中で腐って収穫できない。市民農園の近くの人が言うには人工受粉したほうが良い、とのこと。ミツバチの手助けを得るには蜜源となる草花が近くに必要なようだ。早速、花が開いている朝のうちに農園に出かける。雄花を取って花弁を取り除き、おしべの花粉を雌花の頭に転がすようにつける。結果は数日後のお楽しみ、今度は大きな実になってくれるか。先日の2日間降った雨で畑もぬかるみ状態。しばらくは新たな野菜作りはあきらめ、今の野菜をしっかり育てねば。

       

             

               


オシャレに変身、さきたま緑道

2023年06月04日 | ひな人形と花のまち

先ごろ、いつものウォーキング路であるさきたま緑道が新しくなった。路面の改修を機に石畳状にデザインされたシートを張り付けたらしい。緑道全体の半分ほどだが、今までの単調なアスファルト舗装がオシャレになり、明るい感じになった。終わったと思っていたツツジの花が残り、ヤマボウシが咲き始めた小径。そよぐ初夏の風が路面の木陰をも揺らし、五感に伝わる心地よさ。暑い中の工事の皆さんに感謝。今月下旬のキャンドルナイトも楽しみだ。

    

    

    


『週刊朝日』の休刊

2023年06月01日 | 雑記

もう出向くことの少ない朝の駅に急ぐ。駅売店に残っていた最後の1冊を購入。店のお姉さんに「今日は売れ行きがいいでしょう?」と軽口をたたいて帰宅。今日発売で100年の幕を閉じるとあって総力戦、渾身の最終号は表紙(2枚に裏表紙も)からも読み取れる。今は7万部余りの発行部数だが150万部も読まれたころの活気ある編集部風景である。本文も連載記事はもちろん、惜別で一色。パラパラとめくりながら目に残ったのは「新聞社系の週刊誌の時代は終わっていた。支払う金額に見合う情報を週刊誌の形で世に出すのは無理がある時代」とのノンフィクション作家。さらに横尾忠則氏の「休刊は、社会に反省と自立を促している」の言葉。新聞、テレビも厳しい時代、スマホについ食指が動く世の中。情報とは何か、この休刊特別号をじっくり読みながら考えてみたい。そして本棚に飾ってある一冊、現役最後のころの時刻表。書店でまだ見かけるが、この先大丈夫だろうか。旅行自粛のコロナ猛威も乗り切ったが、頑張ってほしい。