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久しぶりに読む『無言館を訪ねて』

2022年08月30日 | 雑記

先日、ある局の24時間テレビ番組の中で「無言館」をテーマにしたドラマがあった。長野県上田市郊外の丘にひっそりたたずむこの建て物は、戦没画学生の絵を展示している美術館である。2・3度目の数年前に訪れた際に入館者の減少を聞いていた。コロナ禍でさらに心配していただけに、存在が知られることは大変良いことだ。お盆帰省の際に立ち寄るので、いつも夏。小さな駐車場に車を停め、坂道を登っていくときに迎えられる蝉の大合唱。たどる道の正面、「無言館」のドアを開けて中に入った途端、静寂の世界に変わる。照明を殆ど落としたコンクリートの壁に浮かび上がる多数の絵。そのひとつひとが無言のまま、並ぶ。添えられている説明に綴られているのは、どのような思いでこの絵を描いたのか、遺された家族・恋人らの思い。涙が滲んで、とても最後まで字を追うことなど出来ない。再び絵の訴えに耳を傾ける。静かな館内のあちらこちらからは、すすり泣きの声。重苦しいときが過ぎ、無念の叫び声を心奥底に刻んで館外に出る。外はまぶしい光あふれる夏空の下。ドラマの最後に、主人公が坂道を下りながら「(あの絵を見て帰る)この坂道を『自問坂』と呼ぶことにした」と語る場面がある。あの日、帰りにも聞いた多くの蝉の声は今も耳に残る。それは、戦地に倒れ、絵筆を持つことも待っている人との再会も絶たれた泣き声のようにも。主人公と同様(今を生きる自分たちはこれで良いか)と自問しながら帰る道だった。(1行目の「無言館」をクリックするとHPに)

    

 



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