goo blog サービス終了のお知らせ 

晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真
雑記…

”共感”を考えさせてくれた『アーモンド』

2020年09月01日 | 読書

脳神経細胞にある偏桃体が小さいことなどから失感情症と診断された少年。怒り、恐れ、喜び、悲しみなどの感情表現がうまく出来ないだけでなく、それを感じることさえ苦手という。その少年自身の視点を通して成長の日々の物語。それが並みのストーリーではない。次から次へと問題が起きる日常。中でも6人が死んだ通り魔的事件に巻き込まれて祖母を失い、母は寝たきりの植物人間となってしまう。だが、その惨状を目の当たりにしても無表情に見つめるだけの自分。以降、親代わりとなって相談相手となる家主との会話、高校生になっての学校生活、悪ガキとの離れがたい奇妙な関係、女生徒との出会いなど。当然のように感情無く淡々と語られるが、読み手を飽きさせない緻密な描写。その中に心の揺れが見え隠れしていく。例えば、あの事件当時を思い出し、<ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。感じる、共感すると言うけれど、僕が思うには、それは本物ではなかった>などと。そして最悪の事態を迎えたラスト、作者は自身の子どもや世の子どもたちへの愛情を込めて結んだ。初めて読んだ韓国の小説だが、異なった社会、街の風景、人々の日常など映画の吹き替え版のようにすんなり入り込めた。その訳者はあとがきで<物語は「共感」と「愛」を私たちに問いかけている>。さらに韓国の競争社会の生きづらさの中で<「共感」が育つ余地はどんどん小さくなっている>とし、<日本の現状とも相通じるのではないか>との問題提起も。確かに、この国の息苦しさはコロナウィルスのせいだけではない、と思った。