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晴耕雨読、山

菜園・読書・山・写真
雑記…

交渉の総括を『消えた四島返還』

2022年05月13日 | 読書

悲惨な海難事故のあった知床半島。そのほぼ中央部にある羅臼岳の山頂を踏んだのは20年前。眼下のオホーツク海に横たわる国後(くなしり)島を、自由に往来が出来ない北方領土がこんなにも近くにあるのかと眺めた記憶がある。あの終戦時に北海道の半分をソ連領地とする計画があったとも知り、元北海道民として四島返還には人一倍関心を持ち続けてきた。この本は第二次安倍政権時代、通算27回にも及ぶ安倍首相とプーチン大統領との返還をめぐる首脳会談を追い続けた取材記録である。歯舞群島と色丹島の2島引き渡しを明記した日ソ共同宣言をベースに四島返還をめざしてきた長年の交渉から「2島先行返還」への切り換え。その道筋も見えないままの四島における共同経済活動の協議開始。選挙区山口での温泉接待など蜜月関係を演出し、レガシー(政治遺産)づくりに前のめりする安倍首相。対して、より強固さを増すプーチンの原則論的な考え方。ロシアの北方領土領有は「第2次世界大戦の結果」、「島の非軍事化」、日米安保や日米地位協定における「日本の主権への疑い」などなど。交渉停滞が続く中で軍事基地の増強や他国の経済資本の導入を含む四島の実効支配が進む。ついには「領土の割譲禁止」を明記したロシア改正憲法まで発効した。北海道新聞取材班は、そうした経緯を<重ねた妥協、残ったのは「負の遺産」>と言い切る。あとがきで<安倍政権下の対ロ外交をしっかり見つめなおすこと。浮かび上がった数々の課題をどう乗り越えていけばいいのか>と問題提起する。しかし今、非道の限りを尽くしているプーチンのウクライナへの軍事侵攻を目にするとき、そうした作業は果たして意味があるのか。そんな思いすら抱くが、次につなげる総括は政治の責務としてぜひやってもらいたい。それが無ければ手が届きそうなあの島影は永遠に戻っては来ない。

        

 

(表紙裏より)

 


根源的な問題を考えた『小説8050』

2022年03月11日 | 読書

時折り、新聞やテレビに出て来る「8050問題」。一般的には80代の親が家に引きこもっている50代の子どもの面倒をみるという社会問題を指している。100万人とも言われる引きこもりの当事者と家族をテーマとしたこの物語。ページをめくるごとに出て来る壮絶であり、深刻な場面にひと息つく間もない。幸せそうな歯科医の家に実は中学生のときに不登校になって以来、引きこもって7年も経つ子どもがいる。手を尽くしてきたが一向に改善せず、将来を想像すると悲観するばかり。ついに結婚する姉の相手の家族の前でパトカーを呼ぶ騒ぎになる。が、しかし引きこもりの原因が中学時代のいじめと初めて知る親。以降の後半部は学校と元同級生の謝罪を求める裁判へと展開するが、簡単には進まない。学校、いじめを行なった張本人の不誠実な対応の中で証拠集めに難航、予想もしない波乱も起きる。証人尋問における原告・被告側の攻防は知人の医療過誤裁判の場面をも思い出す。裁判が終結し、全てハッピーエンドとはならないものの再生へと歩み出す結末。当事者含め家族に同情するとともに深く考えさせられた。引きこもるには、さまざまな理由やきっかけがあるのだということ。この例に限らず、本人や親子関係だけでなく社会に根源的な問題が潜んでいるのではないか。「8050問題」を他人事とせずに関心を持ち続けていきたい。

          


「花うた」を聴きながら『スモールワールズ』

2022年01月21日 | 読書

文体も登場人物もテーマも異なる6つの短編からなるこの本は読み手泣かせかもしれない。それぞれの物語の出だしの情景や会話から筋書きをイメージするのに時間がかかる。出て来る一風変わった人物や暮らしぶりも想像しにくい。しかし読み進めていくうちに、そうした景色が世の中の片隅には潜んでいるようもに思えてくる。生きづらい現実や不自由さの中にいる人々に寄り添う「思いやり」や「優しさ」が沁みる。そんな作品集の中でもより異質なのは、兄を殺された妹とその刑で刑務所に服役している加害者との往復書簡で綴る『花うた』。お互いにぎこちなく始まった手紙の交換。天涯孤独となった妹は当然のごとく怒りを滲ませる。しかし幾数年を経て予想外の展開、さらに年月を経て迎えた何という結末か。手紙で始まり、手紙だけで終わる物語。読む側の想像力も大いに試され、そして涙腺緩むこと間違いなし。他の作品もそれぞれ味わいある世界を描いているが一番のお薦めである。

                           


冷雨、慈雨それとも『法の雨』

2021年12月28日 | 読書

友人の医療過誤裁判を応援しているので法廷ものに関心があるが、これは刑事裁判。限りなく100%近い有罪判決が下される裁判の中で無罪判決を連発してきた元判事、その裁判官に四度目の無罪判決を受けた検事、病気退官した判事の成年後見人に選任された弁護士。それぞれ法を守り、運用する三人の正義がぶつかる。そこに織りなす認知症の深刻な現実や成年後見制度の問題点。物語は無罪判決を受けた男が殺されたことで事件の真相を追うミステリーとして展開していく。読み物としての面白さよりも勉強になったことがふたつ。ひとつは法律の厳格な適用の例として、相手を殴り殺しても<殺人罪の構成要件である“殺人の故意性”を証明できないかぎり、殺人罪では無罪にするしかない>(検察側が傷害致死罪などに訴因変更しなければ無罪)。裁判官が勝手に他の罪を適用できないということ。もうひとつは成年後見制度。この物語では、認知症になった夫名義の預金で不動産契約を断られた妻が成年後見制度を利用しようとし、弁護士が選任されたケース。結果、夫の通帳・印鑑等を弁護士に預けることになって勝手に引き出せない。10万円程度の生活費以外は認められないとも。被後見人の財産を守るための制度とは言え、生計を共にしていた家族の場合は慎重にしたほうが良い。最後、元裁判官の家族に降り続いていた雨はようやくやんで安堵した。

        

 


家族を見つめ続けた『やさしい猫』

2021年10月25日 | 読書

タイトルからペットの猫との暮らしや思い出話など想像したが大間違い。父を早くに無くした娘と母との二人だけの生活、そこへ後に家族となるスリランカ出身の男性が現れる。ほのぼのとした交流から母との再婚に進むも一時ストップ、それを乗り越えてハッピーな国際結婚となるも大問題が起きる。新たに父となった男性が在留資格の手続きに出向いた入国管理局で収容されてしまう。理由は不法残留、さらに偽装結婚を疑われ国外退去命令を受ける。物語の後半部は、撤回を求めて裁判を起こした家族の思いと周囲の熱い支援を描く。何度も絶望的になるシーンがあり、どのように展開していくのか目が離せない。圧巻は<著しく非人道的で正義に反する、裁量権を逸脱乱用するもので違法である>と提訴した「退去強制令書発付処分取消請求訴訟」でのユニークな弁護士と相手側とのやり取り。その弁護士の解説では「相手側が『反論する』と言うのは、原告に道理があるので分が悪いと思ったときの反応。無視しても勝てると思えば反論なんかしません」。高校生となった娘も必死の証人尋問に立つ。そしてこの間、1年以上にも及ぶ長期収容の実態、病気になっても何かと理由をつけてまともな医療を受けさせない様子など、この春に名古屋出入国在留管理局で収容されていた女性の死亡事件を思い出させる。ともかく、この物語は「退去命令の取消し」を勝ち取り、在留許可を得ることが出来た。勝訴率1%程度と言われる絶望的な退去強制訴訟。我々も他人事と思わず入管法の実態をよく知り、諸外国並みに改善していくことが必要ではなかろうか。つらい出来事の連続をユーモアと温かみで包み込むのは、やはり“猫”の存在か。その猫は、読み終わって気がつくと表紙裏カバーの絵に小さく描かれていた。あの家族が住んだアパートに“やさしい”視線を向けているように。

                                   


自分はどの山になるのか『帰れない山』

2021年09月12日 | 読書

都会の少年が夏になると訪れていたイタリア北部、モンテ・ローザ山麓。そこでの日々が今の大人に至るまで心の奥底に大きく占める。寡黙で山に厳しい父との関係、自然を好むものの父とは距離をおく母との生活、ぎこちない出会いから無二の友となる地元少年との交流。そうした回想が静かに、丁寧に描かれる。背景にはアルプスの山々や氷河・流れ下る川、山上の池、空に浮かぶ雲、そよぐ風、足元の草花、牧場の羊たち。移ろう四季の中で読み手がそこに佇んでいるような気持ちさえ覚える。時とともに成長してゆく主人公、登場人物との関係にも微妙な空気と変化、それでも変わらぬもの。格別に語られることはないが、聳える「山」の大きな存在。心揺さぶれながらたどり着いた終わりの一文。<人生にはときに帰れない山がある>にしばし考えさせられ、読後の余韻に浸った。なお、この作品は世界39の言語で翻訳されている国際的ベストセラーとのこと。日本語訳者のイタリア語読解の労もさることながら、居住しているという奥武蔵の自然風景との対話も随所に投影されているのではと感じた。そして、忘れかけていた10年前のスイス旅行の思い出。ツェルマットから登山電車で向かい、ゴルナーグラート駅を降りて眺めたマッターホルン、その反対側に雪のモンテ・ローザ山塊4634m。この向こう側が物語の舞台だったとは感慨深い。

         

    


コロナ禍の今にも『護られなかった者たちへ』

2021年09月02日 | 読書

社会派ミステリーとでも言おうか。粘着テープで巻かれ、食べ物や水分を与えられずに死んだと思われる事件が2件続けて発生する。なぜ、餓死、衰弱死という犯行手段を選んだのか。所持金は手を付けられずに残されたまま。考えられる怨恨説も被害者二人の評判は良く、犯行目的も不可解。その謎を追う刑事と刑務所から仮出所したばかりの男のストーリーが交錯する。舞台は震災後の東北の地、背景として浮上してくるのは国による生活保護利用の抑制政策。窓口における申請切り捨ての実態が生々しく描写される。以前、マスコミでも何度か報じられた電気・水道などの停止による悲惨な事例を思い出す。その後も物価下落などを理由に生活保護費の切り下げも行なわれてきた。親族への扶養義務の照会など、運用の改善はされていると言われる。だが、これも“自助”最優先の現政権のこと、内実はあまり変わっていないかもしれない。物語は、頼みの福祉行政から切り棄てられた老女の死に関わる最後の一人に向かっての終章へ。息詰まるシーン、予想外の展開に読み応え十分。護ろうとした人、護れなかった人、最後の数行にある言葉は今のコロナ禍にも重く響く。

        


読んで、聴いて余韻に『羊は安らかに草を食み』

2021年08月19日 | 読書

認知症が進む友人の夫から妻を連れて旅に出てほしい、との依頼を受けた2人。年老いた女性三人で向かう行先は彼女がかって住んでいた地。多少の喜怒哀楽の感情しか残っていない彼女。僅かな手がかりをもとに大津、松山、九州の離島へと辿る。ただ、思い出の観光や単なる感傷旅行に終わらない。時折りの感情表現に潜む戦争の悲劇、隠された過去の出来事。それらが重石が取れたように浮かび上がってくるのだ。終戦番組などで語られ、目にしてきた以上の悲惨な戦争の現実。日本軍の中国人への蛮行、親を失った彼女の満州からの壮絶な逃避行、引き揚げ船を待つ過酷な日々。少女時代から場面は変わって得られた安らぎ、それも一時で戦争の影がつきまとう。読むのが苦しくなるほど。旅の途中、同行する二人の友人にも高齢化と内在する家族や健康問題。終盤では推理作家らしい筆の走りで予想もしない展開にハラハラ、しかし結末を登場人物とともに安堵。読みごたえある作品で戦争と平和を考えるこの8月に出会えて良かった。物語のエンディングに流れるパイプオルガンの『羊は安らかに草を食み』。それをYouTubeで聴き、余韻に限りなく浸った。

              


何かを見つけられそう『お探し物は図書室まで』

2021年07月01日 | 読書

人生の踊り場で足が止まり、考え悩む年齢の異なる男女。とある街中の図書室で手にした本で次のステップに進む、そんな5人のショートストーリー集である。ここの司書さんは一風変わっている。求めに応じた本のリストアップとともに、全く関係の無い一冊を提示する。それは例えば、パソコンの指南書とともに絵本とか、娘の絵本に加えて占いの本など。さらに、その本の付録として渡してくれる羊毛フェルトの小さなプレゼント。雑談の中で心うちを探り、それにピタッと合わせたかのような本と付録。その本をそれぞれの主人公とともに読み進めるうちに感情移入、心暖かくなってくる。舞台となる図書室のスタッフや出て来る登場人物も皆、善い人ばかり。世の中、そううまくはいかないとは思うが、こうしたメルヘンのような世界があってもよい。仕事や生き方など人生の何かに行き詰ったとき。今のコロナ社会もそうだが息苦しさを覚えるとき、ホッとできる一冊。近くの図書館に足を向ければ何かを見つけられるに違いない。例え、変わった司書さんが待っていたり、声をかけてくれる人の好いスタッフが待っていなくとも。

          


“点の記”を超える平安の時代に『剱岳-線の記』

2021年06月26日 | 読書

 似たようなタイトルの本に『剱岳-点の記』(新田次郎・作)があり、10年ほど前に映画化もされた。今でも百名山の中で最難関と言われる剱岳。明治時代末期の1907年、未踏のこの山へ測量のために登った男たちの物語だ。今のような登山装備や情報も乏しい中、壮絶な苦労の末に山頂に到達した。しかし初登頂と思われた頂きに先人の形跡、古代のものと思われる仏具(錫杖頭と鉄剣)が残されていたのだ。そして山好きのAさんに勧められたこの本、副題として<平安時代の初登頂ミステリーに挑む>とある。遥か昔、誰が最初に登ったのか。いつの時代、どのようなルートで、何の目的で、と著者がその謎を追いかけた記録である。居住する東北から剱岳が位置する富山へ何度も往復、ルートを替えての登頂と山頂周辺の探索。博物館や地元資料館など手がかかりを求め、70冊もの各種文献の解読。隣接する立山をはじめとした山岳信仰・山伏との関わり、各地に飛んで関係者への聞き取りなど、精力的な行動には感服する。そうした2年にも及ぶ調査・研究と実地踏査による推論を重ね、謎の解明に至る。大胆な仮説でもあると思うが時空を超え、点を繋いでたどり着いた労作は“線の記”と名付けるにふさわしい。著者はこう書いている<平安期の日本人は神に会うために、命がけで剱岳に登ったという事実だ。(略)現代の登山者の目的意識からは想像もつかない>。20年近く前のたった一度だけの剱岳登山。あのカニのたてばい・よこばいと呼ばれる絶壁を頑丈な鉄の鎖・ボルトに支えられ、ようやくの思いで山頂を踏んだ記憶が蘇る。今さら遅い気もするが景色や花だけでなく、日本古来の山岳信仰にも目を向けていきたいと思わされた1冊である。(後段の写真は唐松岳から遠望の剱岳)

        


万葉集・東歌を訪ねる旅は続く

2021年06月03日 | 読書

コロナの影響で半年遅れの昨秋から始まった『古代東国の叙情-東歌を訪ねて』全20回が先週終わった。最終講義で講師の川上定雄先生から<受講生の熱意に支えられての万葉集巻14、完読です>と言われたが、何と言っても先生の努力に負うところが大きい。講義はもちろんのこと、事前の準備、膨大な資料作成には相当な時間を費やされたことと思う。配布資料は「本テキスト(訳注)」「サブテキスト(講師訳注)」「東歌資料」「前回のまとめと補足」など合わせて200頁に近い。これらを駆使して毎回の講義では「テキスト」の講読(語句の分析、意味の再構成)とともに、歌が出てくる時代背景や周辺事情を把握して進む。2012年の「芭蕉『おくのほそ道』を読む」から続く川上講師の“中世文学を読み解くシリーズ”お馴染みのスタイルだ。おかげで宮廷とは無縁に生きた東国の人々の暮らしぶりや心情の一端にふれることができた。その中で東歌の8割を占める相聞歌、男女の恋歌における隠さない感情表現には少々面食らったが、その背景を参考資料の「東国相聞歌の哀しみ」(田辺幸雄『万葉集東歌』)で知る。また、歌に登場する山、川、海、動植物などには心情を託さず、一線を画すという平安歌とは異なる「東歌の表現の方法」。さらに「東歌は大和朝廷の集権化の現実に抵抗する歌であった」という佐々木幸綱の仮説など、知りえた考察は数多い。今、開講初日に川上講師より示された講義全体のテーマ<東歌230首は「どこから生まれ」「どのような世界を開示したのか>は、おぼろげながら理解できたように思う。しかし、三つ目に言われた「それを読むことにどのような現在的意味があるのか(現在との関係)」はまだ掴み切っていない。考えるに<(東歌を歌った)人々の心の記録>の中に未だ自分の<社会的条件(周辺事情)の考察>がたどり着けていないからではないか。資料、ノートを再読、通り過ぎてきた「東国の叙情」を丹念に振り返ることで少しでも近づきたい。訪ねる旅はまだ続く(以下の画像は講座資料より)

    

    

 


安らぎとともに戦争と平和を『神さまの貨物』

2021年02月17日 | 読書

ナチスによってユダヤ人が強制収容所へ送られる。それは家畜用の貨物列車だった。人々の中に生まれて間もない双子を抱えた家族。収容された収容所から次の収容所へ、また貨車に押し込まれてどこか遠くへ運ばれて行く。乗せられた仲間たちを眺め、はっと気が付くのは年寄り、身体の不自由な人、子どもたち。もう用無しの人間なのか。飢えと寒さ、絶望の中で夫が取った行動から物語が展開していく。雪原の中を走る列車から投げられた小さな包み。それを神さまからの贈りものとして貧しいきこりのおかみさんが必死になって育てる。<お粥に指をひたして差し出すと吸い付く赤ん坊>。邪魔者扱いしていたきこりの夫もいつしか変わる。<ズボンの裾をつかみ、膝のあたりに両手でしがみついて、はじめて立ち上がったときの(夫の)歓声>など思い浮かべて、読み手も目を細めてしまう。だが、幸せもつかの間、仲間の通報で駆けつけてきた民兵。夫の犠牲で森の奥へ逃れることができた二人。やがて戦争が終わり、本当の平穏なときがやって来る。そして、ラストの劇的な場面。戦争の狂気は人々のすさんでいく心、次から次へと押し寄せる容赦ない悲劇を語る。だが、それらを凌駕して描かれる森や村々の自然、人の優しさや自身の命を捨てても子ども達に注ぐ愛。童話を読み、聞かせてもらったような安らぎに満足した。この二人は、あの父親、家族のその後の運命など、余韻に浸りながら閉じた本。あらためて戦争と平和について深く考えさせられた。

        


学術会議任命拒否の著者『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

2021年02月10日 | 読書

新聞の書評欄で以前見かけたこの本。思い出したのは著者の加藤陽子氏の名前。例の菅首相によって日本学術会議会員の任命を拒否された6人の一人だったからである。新会員候補の推薦理由で多少知った人物評を自分なりに肉付けしょうと本を手にした。内容は高校生への日本近現代史についての出張講義を再現、まとめたもの。日清、日露戦争から第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と繰り返された戦争。当時の世界情勢、東アジアをめぐる列強諸国の動向や日本社会の状況、各指導者、学者が考えたことや国民意識などを学び、考える。その時代に生きていたならば、どうしたのか。日本の選択について著者は押しつけがましく語らない。研究者として得た<時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化>を、ともに考えるのである。著者が言う<(歴史家は)過去の一つの出来事を見るとき、常に無意識に一般化を試みている。個別と一般、特殊と普遍をつなげてものを見ている>の意味を考える。特別な事情・状況、特別な一握りの人だけで戦争が引き起こされるのではない。自分もあらためて戦争の歴史を学んだ気がする。そして冒頭の話に戻る。任命拒否の背景には、軍事研究に否定的な立場の学術会議とともに、安保関連法を批判してきたのが人文・社会学系の研究者との見方があるようだ。著者はその一人だが、小林秀雄賞受賞のこの本を読んでもバランスある優れた歴史研究者と思える。森友・加計問題や桜を見る会同様に拒否問題をうやむやにしてはいけない。

                     


犬と山好きにはたまらない『雨降る森の犬』

2020年12月27日 | 読書

最初の数行読み出して見覚えある地名<蓼科高原><女神湖><蓼科山>が出てきた。1か月前、去年に続いて上信道佐久ICから高ボッチに向かった時の往復を思い出した。主人公の少女が車の窓から数年ぶりに眺める八ヶ岳山麓の景色。自由奔放に生きる母から離れ、伯父が建てたログハウスに同居するためにやって来たのだ。そこで出会うのは以前可愛がっていたのと同じ種類の犬。だが今度は牡、かつ伯父が言うとおり個性的で懐かない。だが日を追うごとに距離が縮まり、お互いの気持ちが分かりあうような間柄に。その間合いが何とも良い。そして山岳写真家でもある伯父から山登りの手ほどきを受ける。段差を登るときは高低差を小さく、岩や木の根を利用。登りできついのは心肺、下りは筋肉を酷使するので登りでは筋肉を温存するなど。山岳小説も書く作者ならではの会話や描写が随所に織り込まれる。そんな親しくなった犬と自然に囲まれた生活に父親と揉め事を抱える隣家の別荘の息子が登場。似たような家族環境の二人の共通のやすらぎは犬の存在と緑あふれる森、周囲の山なみ。やがて二人はそれぞれ山をめざす。ラストシーンで森の中に響く雨音は印象的。いつの日かそうした場面に出くわしたら、この物語を思い出してしまいそう。犬と山好きな人におすすめの一冊である。

      


十勝開拓の先駆者たち『チーム・オベリベリ』

2020年10月03日 | 読書

「オベリベリ」や「依田勉三」「晩成社」の言葉を聞いて分かる人は北海道・十勝の在住者か記憶の良い出身者くらいだろう。「オベリベリ」とは、先住のアイヌの人々が呼んでいた十勝内陸部の地名で今の帯広市のこと。明治の時代、その地に開拓の先駆者として足を踏み入れたのが「依田勉三」率いる集団「晩成社」である。社名を“大器晩成”から取ったとおり、苦労の道のりは織り込み済み。しかし道路も無く、十勝南部の海岸から丸木舟で3日かけて川を遡る奥地の大原野。そこに待っていたのは少数のアイヌ人と北の大地の過酷な気候、自然の厳しさ。住むのは茅で覆われた掘っ立て小屋、冬には家の中にまで雪が積もる。蚊やブヨと闘いながら人力で畑を広げ、育て始めた作物。それが6月にもやって来る遅霜や真夏の低温にやられ、空が暗くなるほどのバッタの大群に食い荒らされてしまう。そうした想像を絶する開拓の日々を晩成社幹部の一人と結婚した妻カネの視点で描いた作品である。郷里でもある今の酪農、農業大国・十勝の礎を築いた人々の苦闘をあらためて知らされた。そして、入植者とともに慣れぬ鍬を持って開墾に汗を流し、夫や家族を支える主人公・カネの生き方である。宣教師が設立した女学校で英語を学び、卒業後に教壇に立っていた人物は時には絶望し、心が折れそうになる。入植して7年が過ぎ、すでに半数がこの地「オベリベリ」を離れた。が、未だに成果の光りが射し込んで来ない。それでも神に祈って安らぎを保ち、学ぶ機会の無いアイヌや子らに教えることに喜びを見出す。ここで生き抜く決意を固めて物語は終えるが、補遺で知るのは夫をはじめ依田勉三、晩成社の行き末。もちろんカネについても<それぞれの人生を最後まで見守り続け、さらに帯広の誕生と発展とをつぶさに見てきた人生>を過ごし、最後まで教育への意欲、信仰と共にあったと記されている。実在の人物・史実を基にしたフィクションとあるが、作者10年に及ぶ資料集めや関係者聞き取りを経ての労作。読み手には真実に迫ったドキュメンタリーのようにも思える。700ページ近い分厚い1冊、厳しく暗い描写だけではない。冬を耐えて迎える春の表情<目映い春の陽射し、木の枝から雪が落ちる音、雪解け水の流れ>やアイヌの人々との共生・交流など心休まる場面も随所にある。いい映画を見終えたような満足感にしばし浸った。