スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(我々は戦前右翼を超えている)

2020-03-23 15:42:53 | 日記
3月23日(月)
 戦前の右翼の人の本を読むと自己修練というか精神の緊張度は尋常ならざるもので、とても我々の及ぶところではないと思う。しかし中国に対する認識では我々より甚だ劣っていると感じた。この点で我々は戦前右翼を超えた地点に立ち得ている。
 大アジア主義というのか日支連携して西洋諸国に対峙して行こうというか、支那と手を携えねばならないという主張は、どの右翼団体も同じであったように感じる。だから孫文などの革命運動を援助もしたのである。我々は約100年の時を経て、それが大いなる間違いであったと結果を知っている。
 中国とは巧くやれないとの今日の認識に至るまでには多くの節目があった。第一は、支那事変を通して、中国とは日本の言い分も通した提携はできないと事実認識をした。第二は戦後のODAを通して、これだけ日本が努力しても中国からの好意が帰ってこないと消沈した。第三は天安門事件で救った筈なのに日本製品排斥がその後起こったのは、どうした事かとの戸惑いである。このあたりで戦前右翼の思想的影響を受けた親中日本人の大部分が、年齢的に引退していった。そして決定的なのが、GDPで日本を追い抜いてからの中国の日本軽視というよりも、中国第一主義というか、偉大なる漢民族の復興を目指す国家戦略であった。これが、中国にはもとから、革命をして強国になっても、日本と提携する気などなかったのだと、北一輝流の大アジア主義は片思いに過ぎないと、我々に知らしめた。
 どんな国家であれ自国に利がある間は隣国と協調するが、障害と見れば排除に動くのが国際政治の常だ。戦前右翼にはこの国際常識が欠けていた。支那とは日本に利がある限りで提携するとの考えがなく、何か盲目的にのめり込んだ様な印象を持つ。支那の認識を間違えていたから国内状況の認識も間違えていたと短絡する積りはないが、要人を暗殺すれば後は同志がうまく日本を作ってくれるとの発想は、なんとも幼稚な考えだとしか思えないが、今はまだ勉強が足りずそこまで批判できる知識がない。
 思うのだが優秀な戦前右翼が中国認識を間違えたのは、彼らが漢学の素養を持っていたからだと思う。漢学では中国を理想化する。戦前右翼は日本各地で精神的指導者的なことをしただろうから、戦後に活躍する年齢の人たちも、自分たちの先生の思想に従って中国を理想的に見たのではないか。今はその次の世代である。戦前の本など読むのに苦労する有様だ。だから漢学も消し飛んだ。そこへ力をつけた中国が飾りのない姿を見るようになった。100年の時を経て我々は中国認識を改めたのだ。我々が戦前右翼より個人的に優れているからではない。時が、その知識を与えてくれたのだ。

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