福州市の開元寺は、福州市に現存する最古の仏教寺院の一つで、鼓楼区开元路に位置している。
549年(南朝梁太清3年)に建設され,当初は『大雲寺』と名づけられ、唐代初期では『竜興寺』と呼ばれたが、738年(唐代開元26年)に玄宗李隆基によって『開元寺』と改められた。
902年(唐代天複2年)閩王の王審知は仏教の信仰に厚く、寺院内に戒壇を開いて、およそ3000人の僧侶が集められた。928年(後唐天成3年)にはその息子の王琳によってまた2万人の僧侶が集められた。
その後、開元寺は何度か火災にみまわれたが、1979年に修築された後には、鉄佛殿、霊山堂や佛化社などの神殿仏閣が現存している。現在は、鉄筋アパートに囲まれた街中に建っている。観音殿は改築中。
→开元寺 / KaiYuanSi
804年(延暦23年)5月、空海を乗せ出航した第16次遣唐使船4艘は、途中暴風雨に遭い、うち2艘は消息を断ち、空海の乗った第一船は漂流したのち、8月10日に「福州長渓県赤岸鎮己南ノ海口」(現在の福州市から北へ約250キロに位置する海岸)へようやく辿りついた。→「空海」を参照
その後、一行は福州の観察処置使・閻済美(Yan ji měi)のところへ向かうことになり、この開元寺に逗留し、修業したと言われてます。
寺境内には、空海入唐之地と書かれた碑があり、空海の像が立ってます。
また、天台寺門宗の宗祖の円珍(智証大師)も、ここで修行した(853年~3年間)ようで、寺の沿革に書かれてました。
薬師殿と鉄仏殿(高さ約6メートル、重さ5トン以上と言われている金箔の特大鉄仏が安置されており、鉄の鋳造仏としては中国で最も古い918年(五代後量貞明四年)に造られ、現在は福建省の重点文物保護単位に指定されていると)
福州開元寺は仏経典を刻印する寺院として有名であったようで、ここで刊行されたものが日本にも入って来ており、交流があるようです。→日中友好宗教者懇話会
羅漢堂 (沢山の人が法衣を着て、お経を唱えていた)
<追記1>
ところで、この開元寺の空海の像ですが、大興善寺(西安)の空海像と、特に、松山の石手寺の空海像とよく似てますね。作者は同じ?
→こちらの松山石手寺の像の写真では、金剛講員一同の寄贈のようです
一方、福州開元寺の像については、福州晩報によると、1993年に松山市の原田龍元先生が寄贈。