東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

上田広美・岡田知子 編著,『カンボジアを知るための60章』,明石書店,2006

2006-12-11 22:14:33 | 多様性 ?
最終の第60章で、力強い発言が送られる。
読むことが一番たいせつ
ははああ!もっともであります。
百聞は一見に如かず、なんてウソである。ことばが通じなくとも心がふれあえるなんてウソである。
もしも外国を知りたい理解したいと思うなら、まず言語コミュニケイション、むこうから発せられる言語文化を読むことである。
ヨーロッパや中国ならば、この態度は当然であった。
当然、相手がカンボジアでも、当然ではないか!

とはいうものの、日本にいて、カンボジア語なんて学ぼうとする、学ぼうとした人たちはすごい。
教科書も辞書もなく、書物も新聞もポップ・ソングのカセットも入手できない状況で、きわめて限られた地域でしか通じない言語を学ぼうとした人たちは偉い。
本書は、そんな研究者たちによる、基礎的カンボジア案内である。

最初に言語、文字、民話、文学についての項目があり、その後、宗教・衣食住・歴史・社会・芸能芸術、という構成である。

日本のマンガに描かれたカンボジアにかんする短いコラムあり。(岡田知子 執筆)

このなかで、山上たつひこ『光る風』が、カンボジア派兵をテーマにした作品だという指摘あり。
えー!そうだったのか?!
わたし『光る風』そうとう細部まで記憶があるのだが、あの中で日本の自衛隊(という名称は変わっていたかな?)が戦闘にむかうのがカンボジアなんてまったく記憶に残っていない。
いやあ、わたしの記憶はあてにならないものだ。

さらに、映像作品に描かれたカンボジアという一章があるが(同じく岡田知子執筆)、テレビドラマ『怪傑ハリマオ』がカンボジアでロケをしているそうだ。
『怪傑ハリマオ』が国産テレビドラマ最初の海外ロケ作品であるのは知っていたが、カンボジアまで行ったとは!
わたしは、この番組を見ていて、(ただし、東京と同時期の放送だったのか不明、当時秋田では民法1局しかなかったから、後の再放送だったとも考えられる。確認するのはめんどくさい。)主題歌(三橋美智也)だって歌えるんだが、ドラマの中でアンコール・ワットやアンコール・トムが映されたなんて、まったく記憶にない。(記憶にないのではなく、その回を見ていない、という可能性もある。)
『怪傑ハリマオ』といえば、香港やマレーをめぐる話だという固定観念があったが、この固定観念も、直接ドラマからのインプットではなく、後の情報によるインプットなんだなあ……。

一ノ瀬 泰造,『地雷を踏んだらサヨウナラ』,講談社文庫,1985

2006-12-10 10:20:49 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
著者は1947年生まれ(生きていたら来年還暦だ)。
戦場カメラマンをめざし、バングラデシュ・カンボジア・ベトナムを訪れた記録。
1972年から73年までの日記、家族・友人・恩師への手紙、日本からの返信を編集したもの、一種の追悼本である。親本1978年発行。

わたしが、この本を発行当時読んでいたら、そうとう不愉快に思っただろう。
わざわざ危険なところに行って、なにカッコつけてんだろ、なんて思っただろうね。
しかし、今、この市ノ瀬泰造の両親の年齢になって読んでみると、日本国内で閉塞感を抱いていた若者が、どこでもいいから危険なところに行きたい、なにかでかいことをやってみたい、という欲求が理解できる。

本書を読んで意外なことは、この無鉄砲なワカモノに対しまわりが非常に理解があることだ。
大手のメディアの人たちも面倒をみてくれるし、大使館が個人の書簡を保管してくれるなんて信じられないサービスですね!
家族も理解があり、格別このワカモノを異常な人間とみているわけではない。
古きよき時代でした。今だったら、たちまち非難の的で、外務省に迷惑をかけた男の家族は死んでお詫びしろなんていわれるだろう。

わたしとしては、こんな無鉄砲な人物がひとりやふたりいてもいい、という感じ。
ただし、くれぐれも、戦闘や戦場を撮影することが、他者の理解につながるわけではないぞ!(という必要もなく、今のワカイモンで、こんな行動に出るものはいないか)