東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

椎名謙介,『エルフィ・スカエシ/シリン・ファルハット』ライナーノーツ,1985

2006-12-29 11:18:28 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
OVERHEAT C25Y0159 の解説。
インドネシアで1984年9月発売のカセット・アルバムをそのままLPレコードにして日本発売したもの。
ディレクターが解説を執筆した椎名謙介氏。同じくオーバーヒート・レコードからでた、エルフィ・スカエシのベスト盤の選曲もしている。

この椎名謙介さんが、「ダンドゥット」という音楽を意識的に聴いたのは、1983年ジャカルタの街中でのこと。皆既日食をみるためバリ島に行く途中のことである。
強烈なショックを受けた著者は、帰国後、オーバーヒート・レコードの米光達朗ディレクターとともに、インドネシアのポップ・ミュージック、特にインドネシア産レゲエをレコードを企画する。
しかし、その企画がすすむうち、インドネシアポップの主流ダンドゥット、そのもっとも人気のあるスター、エルフィのレコードを出すことになる。
これが、日本における最初のダンドゥットのレコードである、といいたいが……

椎名謙介さんが書いているように、すでにダンドゥットはレコードになり、何万人もの日本人がきいていたはずである。
そのレコードとは、
スネークマンショー『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対』。
スネークマンショーのコントの間に、リップ・リグ・パニックやホルガー・シューカイの曲が収まっている。そのなかに、Su'udiah という歌手(?)の名義で、'Bunga Dahlia' というダンドゥット曲が含まれている。

そして、椎名謙介こそは、そのスネークマンショーの構成メンバーなのである。
自分で作ったアルバムの曲を、ろくに聴きもしなかった、というわけである。
が、ちょうどこのころ、海外の文化が、コンテキストや文化背景をすっとばして、ぞくぞく日本に流れこむ現象がはじまったのではないでしょうか?

このことは、決して悪いことではなかった、と思う。
椎名謙介と米光ディレクターが「インドネシアのレゲエ」レコードを企画したのも、文化的背景を無視した企画だが(インドネシアのレゲエもおもしろいですよ、ダンドゥットと同様に)、こうした企画があってこそ、今まで知られなかった文化が発見できるのだ。
何万人も観光客が訪れ、何千人も現地駐在員がいるにもかかわらず、ダンドゥットは、日本人にきこえない音だったのだ。

もちろん、文化的背景、歴史的コンテキストも大事ですよ。
村井吉敬さんの『スンダ生活誌』には、すでにロマ・イラマ(ダンドゥットの創始者といわれる男性歌手)のことが話題になっているらしい。(未見、未読)

あるいは、このレコードのタイトル『シリン・ファルハット』の意味。
これは、ニザーミーの『ホスローとシーリーン』、岡田恵美子訳で平凡社東洋文庫、1977年に翻訳がでていたペルシャ文学の古典からの翻案なんですね。
このことを教えてくれたのは、インド文化全般の案内人・生き字引のような松岡環さんでした。