東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

星野龍夫,『濁流と満月 タイ民族史への招待』,弘文堂,1990

2006-12-20 17:19:51 | フィールド・ワーカーたちの物語
田村仁(たむら・ひとし)カラー写真が64ページフューチャーされていて、共著の形をとっているが、まず、文章のほう、星野龍夫さんの文章のみレヴューする。

と、いっても、わたしにはとうてい評価できるものではない。
東南アジア関係でわたしが読んだ本のなかで、もっとも難解な書物である。

もし著者が星野龍夫氏ではなく、出版社が弘文堂でなければ、どうせ研究室にとじこもっている学者の重箱の隅をつついたような研究だろうとみなして無視するところである。
だが、本書は、東南アジア関係書を数多く出版している信頼できる出版社の本であり、著者も翻訳などで著名な研究者であり、しばしば東南アジア史の参考文献に挙げられている。

以下、内容を把握できない読者(つまりわたし)による紹介であるので、あまり信頼しないでほしい。

13世紀半ば、モンゴル帝国の東アジア・東南アジアへの膨張以前、タイ民族に関する資料はほとんどない。
ところが、13世紀後半から、タイ民族が東南アジア大陸部に湧き出たように史料が増える。
歴史学者によって「タイ人の沸騰」と呼ばれる現象である。(そうですよね?!)
では、このタイ民族はどこから現れたのか?を考察した書物である。(そうですよね?!)

扱う領域は、東北タイ・北部タイを中心に、ラオスやミャンマー北部、カンボジア、ベトナムを含む。
扱う史料は、クメール語やモーン語の碑文、ベトナムの漢文史料、中国の漢文史料。
そして、言語学的手法と考古学的手法によりタイ人の移動(ホントに移動したのかどうかも含め)、隣接して居住している民族、敵対した民族との関係を検証・推理した研究である。

著者の星野さんは以前、『月刊しにか』に、クメール碑文・モーン碑文を解読したヨーロッパの学者は漢文が読めないために、基本的な間違いを犯していると指摘するエッセイを発表した(号数不明、今手元にない、調べ直すのはめんどくさい。)。
その間違いが訂正されないまま引き継がれていると、警告していた。
その例として、碑文史料中の「ジャワ」は現在のインドネシアのジャワではなく、メコン中流域とする。
以上が第1章。
以上の地名同定の過程で、北タイ、東北タイ、ベトナム、ラオスの地理が外観されるが、これ以後も細かい地名がどんどん出てくる。
著者にとっては周知の地名であり、河川の位置、山脈の配置、現在の道路や都市など読者も自明の前提として話がすすむ。(このへんで、大半の人は読むのをあきらめる。)

第2章はさらにアタマが痛くなる言語学的考察。
ここで、ベトナム語が南亜語族であり(現在、ほぼ全世界の学者に承認されている。)、タイ語話者は、この南亜語族と同じ地域つまり、北部ベトナムの紅河デルタに7世紀ないし10世紀ごろまで住んでいた、後のベトナム人(京族)と後のタイ人は同じ地域に住んでいたという仮説が提唱される。
(ですよね?!)

第3章は、漢文史料の地名同定。
タイ族がすすんだと思われる道筋の推理、同定。
この章が一番ややこしい。しかし、もし、ちゃんと理解して読めば、ラオスから東北タイ、北タイまでの歴史紀行になっていると思う。

第4、第5章は、遺跡案内。
もし、これらの章をしっかり理解して読めば、最高の遺跡案内になると思う。
どうして、ここで遺跡・仏像・寺院の考察が出てくるかというと、タイ族移住以前の権力構造、その後の変化を追っているのだと思う。(そうですよね?)

第6章、さらに難解。
たぶん、先住の高度文明(クメール、モーン、それからパガンなども……)とタイ人の関係、タイ人は奴隷的な境遇だったのか、というようなテーマだと思う。
本書の白眉と思われるが、よくわからない。

第7章
タイ人による国家の形成。
星野龍夫さん独自の見解なのか、歴史学界である程度受け入れられている仮説なのか、よくわからないが、すごい仮説が提唱される。

スコータイ王国ラームカムヘェーン王は、フビライ率いるモンゴル帝国軍、占城軍総管、征緬行省招討使、「劉金」という人物と同一人物である。
え?
ええ?!
つまり、最初のタイ語碑文として名高い(タイの小学生は暗記させられる)スコータイ碑文を記したラームカムヘェーン(ラームカムヘーン)王は、モンゴル軍の現地案内人、モンゴルに協力してチャンパやパガンを襲った軍の地方長官だった、というわけ?
とはいうものの、結論部分も論証過程もよくわからない。

インドシナ半島全域の土地勘があり、川筋や山脈のようすが実感でき、遺跡や寺院をイメージでき、クメール語やラーオ語が多少ともわかれば、ものすごく楽しめるだろう。
筆者の推理を追体験できれば、すばらしい読み物になると思う。
しかし、「タイ語かラーオ語がわかっていれば、クメール語のラジオ放送なんか10日も勉強すればわかるようになる。」などと、のたまう著者とわたしのような読者では、かなり頭のレベルが違うようだ。残念。

われと思わん方は、じっくり読んで、著者の推理の盲点をついたり、ミスを発見して楽しもう!!

(蛇足;さすがにウェブ上で、本書をまともに紹介しているページはない。みなさん、中身を読んでないのに、いいかげんに紹介しているので注意!!)