著者は1947年生まれ(生きていたら来年還暦だ)。
戦場カメラマンをめざし、バングラデシュ・カンボジア・ベトナムを訪れた記録。
1972年から73年までの日記、家族・友人・恩師への手紙、日本からの返信を編集したもの、一種の追悼本である。親本1978年発行。
わたしが、この本を発行当時読んでいたら、そうとう不愉快に思っただろう。
わざわざ危険なところに行って、なにカッコつけてんだろ、なんて思っただろうね。
しかし、今、この市ノ瀬泰造の両親の年齢になって読んでみると、日本国内で閉塞感を抱いていた若者が、どこでもいいから危険なところに行きたい、なにかでかいことをやってみたい、という欲求が理解できる。
本書を読んで意外なことは、この無鉄砲なワカモノに対しまわりが非常に理解があることだ。
大手のメディアの人たちも面倒をみてくれるし、大使館が個人の書簡を保管してくれるなんて信じられないサービスですね!
家族も理解があり、格別このワカモノを異常な人間とみているわけではない。
古きよき時代でした。今だったら、たちまち非難の的で、外務省に迷惑をかけた男の家族は死んでお詫びしろなんていわれるだろう。
わたしとしては、こんな無鉄砲な人物がひとりやふたりいてもいい、という感じ。
ただし、くれぐれも、戦闘や戦場を撮影することが、他者の理解につながるわけではないぞ!(という必要もなく、今のワカイモンで、こんな行動に出るものはいないか)
戦場カメラマンをめざし、バングラデシュ・カンボジア・ベトナムを訪れた記録。
1972年から73年までの日記、家族・友人・恩師への手紙、日本からの返信を編集したもの、一種の追悼本である。親本1978年発行。
わたしが、この本を発行当時読んでいたら、そうとう不愉快に思っただろう。
わざわざ危険なところに行って、なにカッコつけてんだろ、なんて思っただろうね。
しかし、今、この市ノ瀬泰造の両親の年齢になって読んでみると、日本国内で閉塞感を抱いていた若者が、どこでもいいから危険なところに行きたい、なにかでかいことをやってみたい、という欲求が理解できる。
本書を読んで意外なことは、この無鉄砲なワカモノに対しまわりが非常に理解があることだ。
大手のメディアの人たちも面倒をみてくれるし、大使館が個人の書簡を保管してくれるなんて信じられないサービスですね!
家族も理解があり、格別このワカモノを異常な人間とみているわけではない。
古きよき時代でした。今だったら、たちまち非難の的で、外務省に迷惑をかけた男の家族は死んでお詫びしろなんていわれるだろう。
わたしとしては、こんな無鉄砲な人物がひとりやふたりいてもいい、という感じ。
ただし、くれぐれも、戦闘や戦場を撮影することが、他者の理解につながるわけではないぞ!(という必要もなく、今のワカイモンで、こんな行動に出るものはいないか)