東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

坪内良博,『マレー農村の20年』,京都大学学術出版会,1996.その1

2006-03-17 23:17:50 | フィールド・ワーカーたちの物語
マレーシア、クランタン州、ガロック(galok)での1970年と1992年の調査の記録。

この種の調査は、あらゆる国で膨大な数の研究者が行っているが、1冊の著作として発表されることはめったにない。
たいてい学術雑誌の論文か学会の発表として印刷されるだけで、一般人の手にはなかなかとどかない。
本書の研究も新書ぐらいの形で発表されれば、もっと人目につくだろうが。

調査地となったガロックはクランタン川上流、パシルマス(人口1万強の町)とタナ・メラの間にある村。
人口は1970年で690人、1991年で1100人。

そろそろ、ブログの読者もリターン・キーを押すだろうが、これは、わたしの記憶と記録のためのブログですから、以下、要点を書く。
退屈な人はどうぞ退場してください。

開拓村である。
開拓されたのは、19世紀末、1970年の調査時点で、80年ほどたっている。
ということは、住民の記憶には、もう最初の開墾の記憶はない。
この80年という年月が長いのか短いのか、わたしは判断つかない。
東北や北海道では、このくらいの歴史は、とくに短いわけではない。

主食は米、天水稲作農耕。
下流地域では灌漑稲作もはじまったが、この地域は、国の灌漑計画地域の上流に位置するため、天水稲作である。
収穫は不安定。住民は不足する米を現金で購入する。
すでに、この要素からして、日本の農村とおおきく異なるわけだ。
天水稲作というのは、近代になって、人口密度がおおきくなって、稲作不適の土地に開拓がおよんだ結果うまれた形態で、近代的な農耕である。
谷間や扇状地の昔からの稲作とはことなる。

現金作物はタバコとゴム。
とくにこの村は1970年の調査のころタバコ栽培が浸透した地域で、農民は自分の土地でタバコを作る以外に、賃金労働者として、タバコ・ステーション(タバコ加工工場)で働く者もいる。
ゴムは零細な規模、プランテーションはない。

住民はマレー系。
マレーシアはチャイニーズ系の人口が多いし、インド系も重要な構成要素であり、マレー系の住民より先に住んでいた先住民も数は少ないながら散在している。
しかし、この村はほぼ完全にマレー系。

人口は自然増は多い。
しかし、流出も多く。つまり、20歳ぐらいを境に、村を出る者がおおい。
出稼ぎも多い。
しかし、一方、いったん村を出た者が帰る例もおおく、人口は全体として微増傾向。

家族構成
わたしがこんな学術書をみようという気になったのも、家族構成を知りたい、いったいぜんたい、マレーシアのイスラームの農村の家族ってえもんは、どんなもんか、ひとつの例でも具体的に知りたかったためである。

核家族が基本
夫婦の財産はきっぱり分けられている。
相続は、イスラム法にしたがうと、男子が女子より多く相続するが、慣習法では、男女平等。実際は、その中間であるようだ。
親の財産が父と母で分けられているから、片親が死ぬたびに、相続が生じる。
こどもが親の財産を平等に相続していくと、土地は細分されていくことになる。
親子・兄弟の間で土地の売買、賃借、小作刈分がある。

調査の時点で、土地は家族が食う米をつくるのに十分ではない。
その分、賃労働、タバコ栽培でおぎなっていたわけだが、1990年代になると、タバコは現金収入の手段としての割合がひじょうに少なくなっている。
その分、恒常的賃金労働、出稼ぎが多くなっている。
日本と同様、村仕事で食える率は低下している。

結婚と離婚
1970年の調査時点で、ほぼ皆婚状態。
女の初婚年齢最頻値は15歳。
男も20歳ごろには、おおかた結婚している。
そして離婚率の高さがすごい。
マレー人社会の離婚に対する寛容さが、イスラム法と結びつき、人々の間で、離婚を不名誉と考える習慣はない。
全人口の半数くらいが離婚経験者。
過去の統計によれば、昔はもっと離婚率が高かったようだ。
独立後、じょじょに離婚率がさがりはじめ、80年代、離婚に関する法律がかわり、離婚率がぐっと下がる。現在は10%以下。
政府やイスラーム指導者の近代化政策により離婚率がさがったのである。(初婚年齢があがったことに起因する要素もおおきい)

下川裕二,『12万円で世界を歩く』,朝日新聞社,1990.

2006-03-16 23:26:25 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
これは単行本が発売されてすぐ買った記憶がある。
12万円で海外へ行き、帰ってくるという、週刊朝日の企画をまとめたもの。
かかった費用が明示されているのがすごいと思った。
わたしがこの種のビンボー旅行本をよんだのは、この下川さんの本が最初だとおもう。

有名な『深夜急行』は読んでいない。(今後も読むことはなさそうだ)
藤原新也の『東洋街道』は読んだが、あれは旅の本とは意識しなかった。
当時まだ蔵前仁一さんは知らなかったから、この本が、実行可能な個人旅行として読んだ最初の本かもしれない。
いや、おそどまさこさんの本も読んでたなあ。でも、あの本で実際旅にでようとは思わなかった。

だが、このころ(1990年ころ)が仕事も家庭も忙しくなっていた時期で、1ヶ月の休むなんて、考えもしなかった。

その後、蔵前さんの雑誌『旅行人』をしり、短期間の個人旅行をするようになって、ますます長い旅がしたくなった。
そういうわけで、下川さんの本は、他の本も含め、海外旅行にでかける気にさせてくれた本である。感謝。

ウェブ上に、下川さん、蔵前さん、それから前川健一さんなんかも、若いもんに悪影響をあたえ、無謀なバックパッカーを生んだ元凶みたいに書いてあるサイトがあった。
しかし、無謀なやつというのは、本の影響とは無関係に存在するもんですから、彼ら旅行記ライターのせいではないでしょう。
影響を受けたのも、わたしのような中年で、若いひとたちは、そんなに読んでないでしょう?ですよね。

それにしても、本書の12万円というのが、時代を感じさせる。
当時12万円で海外旅行するとすれば、ほんとに本書のようなビンボー旅行にならざるをえなかったんですね。
今じゃ、ほんとに特殊なところをのぞき(スイスや北朝鮮のような物価の高いところ、パタゴニアのように遠いところ、公共交通機関が存在せず治安が悪いところ、etc.)12万円あれば、たいがいのところ2週間か3週間旅行できますからね。

東南アジアなんて、12万円あれば、使うのに苦労する(?)ほど。

浜井 幸子 著,『アジアの屋台でごちそうさま』,情報センター出版局,1998.

2006-03-16 00:13:04 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
サブタイトルは―おいしいごはん旅 ベトナム・ラオス・ミャンマー篇

浜井幸子さんのおそるべき消化力にはただただ感心するのみ。
消化力ばかりでなく、味にもうるさい関西人で、そのうえ屋台のおっさんやおばさんと話しをして、写真を撮り、スケッチをするのだから、そうとう疲れるのじゃなかろうか?

本書は情報センターからでている浜井さんの絵入り旅日記風エッセイの一冊。
中国から海外旅行をはじめた人らしいが、この本の旅がヴェトナム・ラオス・ミャンマー初訪問。
あの浜井さんでもはじめていく国は緊張するそうだ。
ああ、安心した。
びくびく旅行をしているのは、中年臆病旅行者ばかりではないのだ。

しかし、初めての国でも、うまいものを求め執念深く歩きまわるのはさすが。
この本にかかれているように、おいしいものに遭遇するのは、一種のスキルが必要で、誰でもなんとなくおいしいものに出会うわけではない。
それと、事前調査や言葉の勉強もかなりやっているようなので、誰にでもまねできることではありませんよ。

あと、わたしには絶対まねできないのは、おそるべき間食と甘い物系。
東南アジアにかぎらないと思うが、安い安いとおもって、ヘヴィなスウィーツをくっていると、腹がいっぱいになって、飯や料理がたべられなくなる。
見かけとヴォリュームが一致しないこともあるし、しょっぱい系だとにらんだ食べ物が極甘だったりするからゆだんできない。

あと、浜井さんも書いているが、東南アジアの一部で、(一部の国なのか、一部の都市なのか、それとも、たまたまその屋台の作り手の好みなのか)、砂糖をかなり使う場合があるんですね。
この傾向はつづくんでしょうか?

わたしは、お菓子やスウィーツは別として、おかずや飯、麺類に砂糖がはいっているのが苦手で、そのため、日本でさえ外食に苦労するときがある。
少量ならいいが、冗談みたいに大量にぶっこんでいるのがあるから。

東南アジアファンのみなさん、このおかずや飯に砂糖をいれる傾向どう思いますか?
日本の外食がそうなってきている以上、東南アジアに砂糖をいれるなと要求するのは無理なんでしょうか?

ウォーレス マレー諸島 その1

2006-03-15 00:21:05 | 自然・生態・風土
Alfred Russel Wallace 個人のトリビュート・サイトは以下のURL
http://www.wku.edu/~smithch/home.htm
個人の業績とリンクをまとめたサイトとして理想的なサイトです。

わたしが読んだのは
アルフレッド・R. ウォーレス 著,新妻 昭夫 訳,『マレー諸島―オランウータンと極楽鳥の土地』,上下2冊, ちくま学芸文庫,1993.

日本にはウォーレスのファンが多い。
まず、ダーウィンの影にかくれて不遇な一生だった人物に対する判官贔屓がある。
それから労働者階級出身で、自前の資金とほぼ独学で世界史に残る業績を残し
た人物としての近親感。
難渋な文章をつづるダーウィンに対し、簡潔でわかりやすいこと。
それに、このマレー諸島の旅行記がおもしろいこと。
さらに、晩年、心霊術や社会主義思想に傾倒し、へんてこな論議を発表したのも、実直なダーウィンに比べ好感がもてますね。

ただし!
ウォーレスファンも認めるように、思想史上の巨人として、とてもダーウィンにはかないません。
というより、19世紀という時代において、労働者階級のものが、ジェントルマン階級のダーウィンのような名声を得ることは不可能だったのだ。
あの19世紀の階級社会で、ウォーレスの業績を評価したダーウィンと彼の周辺のナ
チュラリストは偉い。けっしてウォーレスが不当に無視されたわけではないので、まちがえないように。

さて、ウォーレスをまったく知らない人が今このブログを読んでいるとは思えないが、念のために、話の進行上書いておくと、自然選択によって生物が変化し、新しい種がうまれるという理論、つまり、自然選択による進化説を史上初めて発表した人物である。

その理論を思いつき、手紙を書いたのが、このマレー諸島(現在のインドネシア、北マルク州、テルナテ)である。
その手紙を書いた相手というのが、ウォーレスの尊敬するダーウィン。
なぜ尊敬していたかというと、もちろんまだ進化論なんか発表していない時であって、ウォーレスはダーウィンの『ビーグル号航海記』を読んで影響を受け、熱帯を旅して自然を観察したいという情熱にかられ、当時のオランダ領東インドに旅立ったのだ。(その前にアマゾンに行っているが、詳細略す)

手紙をうけとったダーウィンはびっくり。

なんと、手紙には、自分が考えていた理論がそっくり理路整然と説かれていただ!
すったもんだのあげく、ダーウィンと彼の先輩・恩師であるライエル(地質学)、愚痴をこぼす相手であった植物学者のフッカーが相談し、ダーウィンとウォーレスの共同発表ということで、ダーウィンのサマリーとウォーレスの手紙が、ロンドンのリンネ協会で発表されることになる。

この歴史的瞬間、ウォーレスはテルナテあたりでマラリアで寝ていたか、休養をとっていた。一方ダーウィンは子供の死のショックのため自宅で鬱々としていた。
リンネ協会の発表に在席した人たちは、誰も論文と手紙の重要性に気づかなかったそうです。

もうひとつ、科学史上重要なことは、後の大陸移動説と関係する動物の分布。

東南アジアのバリ島まではインド、インドシナの動物相が共通するが、ロンボク島から急に動物相がかわり、ニューギニアと共通する要素が支配的になる。
この動物相の違いを発見したのがウォーレスで、その境界線がウォーレス線と名づ
けられていますね。

進化論と大陸移動という自然科学の大理論に接近したウォーレスであるが、当時
は「科学者」というか、研究を職業とする自然科学者は存在しなかった。
ダーウィンやライエルは資産を持ったジェントルマンで(ダーウィンの奥さんの家はもっとすごい富豪だったのだよ)、科学の研究、自然の観察は趣味だったのだ。

それでは、労働者階級のウォーレスはどうやって旅をし、観察や研究をしていたのか?
それは、ここマレー諸島で、珍しい昆虫や鳥の標本をつくり、それを金持ちや学者に売るという、商売をしていたのだ。
つまり、ウォーレスの旅はビジネスと趣味の自然観察を両立させる旅だった。

このことが逆にこの『マレー諸島』をおもしろい旅行記にしている。
少々の援助者はあるものの(たとえば、サラワクのラージャ、全サラワクを個人所有していたブルックスとか)、ほとんど自前の資金、自前の交渉、自前の準備、自前の移動手段である。
この点、ウォーレスという人、すごいスキルがある人であったようで、現地の人との交渉、移動する船の賃貸、住む家の賃貸、採集した昆虫や鳥類の標本づくり、商品の発送、保険や送金の手続きなど、自分でやったようだ。うーんすごい。

逆にいえば、それを可能にする、郵便制度、オランダ政府の管理網があったという
こと。
それに、現地の治安のよさ、人々のホスピタリティ、交通や物資の豊かさがあったということだ。
ええと、時代は幕末、明治維新前夜、アヘン戦争、アフガン戦争、ビルマ戦争の時代ですよ!

加地伸行,『沈黙の宗教―儒教』,筑摩書房,1994.

2006-03-14 22:46:41 | 基礎知識とバックグラウンド
日本人の信仰を祖霊信仰と規定し、その構造を解き明かしたもの。

日本人(日本列島に住む人間)の宗教を論じるとき、ナイーヴな人間は、自分の宗教を仏教といったり、新宗教の教団員と規定したり、さらには無宗教という人間さえいる。
本書はこうした世間に流通する妄言を否定し、日本の信仰体系を祖霊信仰を土台とした儒教と規定する。

圧倒的に正しい。
まいった。

まず、わたしは著者の分析を認めます。

仏教徒を自称しても、無宗教を誇らしげに主張しても、新宗教にかぶれても、理性的な宗教を信仰しようとしても、しょせん、この儒教という呪縛から逃れることはできないのだ。
あきらめて、きみもあなたもわたしも儒教徒であることを認めよう!

わたしは、個人で主体的に選べるのが宗教とは考えない。
そうではなく、言語や性別や身分と同じく、自己が確立できる前に刷り込まれてしまうのが宗教だと考えている。
それでも俺は無宗教なんだとがんばる人は結構であるが、そういうやつにかぎって、典型的な儒教、祖霊信仰に縛られている例がたくさんありますからねえ。

それでは、わたしは著者の意見に屈服するかというと、やはり屈服しない。
いやだ。
わたしは祖霊信仰したくない。
祖霊信仰しているふりはするけれどね。

ここで重要な宗教的問題。
宗教というのは、こころの問題ではなく、信仰している「ふり」の問題だという、見方もある。
たとえば、最近家族を亡くした方に対して、
「よかったですね、○○さんは成仏しましたよ。ほんとにめでたいですね。」
なんてことはいえない。
キリスト教徒に対し、
「ほんとによかったねえ、あの人は天国に召されますよ。もう、あの人を家族が心配することないので肩の荷がおりたでしょう!」
なんてことはいえませんね。
役所にいって、
「親が死んだから焼いてくれ」
といって、役人が
「火葬手続きですね。」
といったら、
「ちがう、ただ焼くだけだ。火葬じゃないよ。親は仏教徒だから、もう死んだ親は成仏してるよ。火葬じゃなくて処理だよ。役所が邪教をすすめるなよな!」
なんていったら、役人はなんのことかわからず当惑するだろう。
こういう具合に祖霊信仰は社会のすみずみに浸透している。
毎日毎日それに対して戦っていちゃ疲れる。

もうひとつ、宗教的寛容というのも、しんどいことだ。
イスラームやカトリックや上座部仏教に対し、宗教的寛容を示すことは、日本人にとって、比較的簡単だ。少なくとも、彼らと遠く離れて暮らしてるぶんには。
ところが、相手が儒教徒だと、とたんに寛容さをかなぐりすてることになる。
朝鮮半島の某国やユーラシア大陸東の某国を相手にするとき、同じ儒教徒として、とたんにライバル心をもやすことになる。
祖霊信仰というのは、仏教やイスラームと異なり、自分のイエの祖霊を信仰するという、とてもとても狭い宗教であるから、同時に他のイエの祖霊は侮蔑し、あしざまにけなすという、要素を持つ。
朝鮮半島の人間と日本列島の人間が争うのも、しょせん儒教徒どうしの争い、隣のイエとこっちのイエの争いであろう。

というわけで、わたしは著者・加地伸行の分析に賛同するものの、これがけっして永続する望ましい状態とは考えられない。

日本列島の祖霊信仰、墓をつくり、男系長子相続を基本原理とする宗教は、人口密度が高く、都市化されず、人口が増加する社会でないと維持できない原理である。
たとえば、天皇家はこのままでは男系長子相続ができず、祖霊を祀る男子が存在しなくなる可能性があるではないか。
もちろん、あのご一家のような身分の方々は、一夫一婦制などに拘泥せず、一婦多妻制にすべきであり、それが、儒教徒にとって名誉ある行為である。
しかし、一般の下層のものどもがそんな真似をすべきでない。
というより、日本人全部が一婦多妻制になるには、出生前に雄の胎児を殺すか、受精前に雌を受精させる方法をとらざるをえない。
ところが、雄の胎児を殺すとか、雌だけ受精させるということは、儒教にとってもっとも忌みきらわれることであろう。

では、一夫多妻制にするには、子孫をつくらない男子が社会に大勢存在することになる。
あなたは、一夫多妻でたくさんの妻をもつ家長になりますか、それとも子孫を残さず死にますか?
現代日本の男は子孫を残さないほうを選ぶだろう。
わたしも妻が一人でもたくさんなのに、一夫多妻なんてごめんこうむる。

議論がSF的になった。
ようするに、儒教は人口が無限に増え、人口移動もなく、子孫が鼠算式に増える社会を前提にしているのである。
こういう宗教が今後続くことはない。
かといってすぐに無くなるわけでもない。
わたしは、ちょうど、人口増加が軟着陸して人口減少に転じるように、祖霊信仰もしだいに力を弱め、消えていくのがいいと思う。

もちろん、そんなにうまくいくわけがない。
メディアは祖霊信仰をますますあおる業界の資金提供がなければ存在できないし、インターネットにような新しいメディアにもさっそく儒教徒が跋扈する。
狭い日本で生きていくのはたいへんだ。

こうした分析の土台を提供してくれただけでも本書はありがたい。

あっと、あんまり、あげあしとりはしたくないが、著者が現代社会の問題を論じようとすると、とたんにレベルがおちます。
親から子へ遺伝子と伝え、それを未来へとつなげるのが、儒教と共通する原理をもつなんて議論は竹内久美子なみのトンデモで、進化という事実・原理をまったく理解していない。
日本の宗教理解に関してこれほど的確な見方をする著者にしてもこんなもんか。

ジョエル・E. コーエン 著,『新「人口論」―生態学的アプローチ』,農村漁村文化協会,1998.

2006-03-13 23:29:38 | 基礎知識とバックグラウンド
ジョエル・E. コーエン 著,重定 南奈子・高須 夫悟・瀬野 裕美 訳,『新「人口論」―生態学的アプローチ』,農村漁村文化協会,1998.

アマゾンの検索で、"新人口論"でヒットしない。"新「人口論」"とかぎかっこをつけないとだめなようだ。なんてこった。

人口増加の実態を数学的に示し、なぜ人口を減らさなければならないかを、数学的に論じた本。
おそらく原書は政策担当者や研究者向けに書かれたとをもわれるが、この本を楽しんで読めるのは、たとえばマーティン・ガードナーの『自然界における左と右』とか、野崎昭弘の本を楽しめる読者ではないだろうか。

環境保護原理主義者や少子化対策で一儲けしようとしている連中にはとても本書の内容を冷静にうけとれる素地はないだろう。

本書は数学的な基本をはずさず、人口問題に付随するあらゆる要素を勘定にいれて冷静に地球の人口問題を論じたものである。

土台となる、前提は、
もし、人類が生存を続けたいとおもうなら、人類の存続が望ましいと思うなら(この段階ですでに、哲学的な前提があるのだが、)人口は減らさなければならない。
ということ。

かといって、強制的な断種、ジェノサイド、戦争が人口増加を抑制した例は過去にない。
宗教的な禁欲、隠遁が人口増加を抑制した例もない。
著者の主張する(そして、国連機関や先進国の共通認識でもあるが)教育と衛生と女性の選択権の増進がもっとも穏当な方法であるようだ。(これらの方法の有効性に関しては著者も自信があるわけではない。)

本書の内容を少し離れて、東南アジアの現状をみると、戦争や飢餓が人口を抑制する有効な手段になったことはないのだ。
第二次世界大戦に使用された爆弾と同じくらいの爆弾が投下されたラオスで人口は減っていない。
地域人口に対する減少率が歴史上最大と思われるカンボジアの内乱でも、内乱がおさまると、すぐさま人口増加に転じている。
どっか知らない未開発国の人間が死ねば人口問題が解決されると思っている政治家がいるとしたら、カンボジアやラオスの例を知らないのである。

一方で、低開発国にカウントされるヴェトナム、ミャンマーはすでに合計特殊出生率が2以下になっている。現在の合計特殊出生率が2以下になってもしばらく人口増加は続くから、当分人口はマイナスにはならないのだが。
一方で、GDPではヴェトナム,ミャンマーを越えるフィリピンではまだ合計特殊出生率が3近くである。
インドネシアも産児制限政策ととっているものの人口は増え続けている。
マレーシアは、マレー系住民の人口を増やすという、信じられない政策ととっていて、(その政策が影響しているのか、他に原因があるのか不明だが)人口が増えている。この政策が本当に有効に作用しているか、というのもむずかしい問題だ。

そして、おそろしいのはインド・中華人民共和国の人口増加である。
中華人民共和国は特殊合計出生率は下がっているものの、母集団が大きいから、当分巨大な人口が増加を続ける。
人口抑制というのは、フルスピードのタンカーを止めるようなもので、機関を停止しても巨大なモーメントで動き続ける。危険を察知してから舵をとり、スクリューを逆回転させても、しばらく動き続けるのだ。
さらにインドはまだ人口が減少する傾向を見せていない。

もしもインド・中華人民共和国が人口減少に転じたら、人類にとって、農業の開始以来の画期的な転機になるとおもうのだが、その前に、未曾有の混乱や大量死があるかもしれない。
幸か不幸か、わたしの生存中に、大クラッシュもばら色の未来も見ることはできないようだ。
地球規模の大混乱があるとすれば30年後くらいか?

インドと中華人民共和国が人口増加を克服したとしても、アフリカやアラブが人口増加を続けるのだからどうせ同じだ、とかんがえる人がいるかもしれないが、その心配はあんまりなさそうだ。
母集団の大きさからみて、インド・パキスタン・バングラデシュ・中華人民共和国が最初の危機だろう。

わたしとしては、インド亜大陸と中華人民共和国の人類がみんな死んでしまえばいいとさえ思っているのだが、彼らが今住んでいるところで死んでいくなんて、うまい結末はないのだよ。
おそらく、インド亜大陸と中原から膨張した人類が地球のあらゆる方面へはみだし、戦乱と飢餓と差別を生み出すだろう。

残念ながら、はみだした人間を機関銃で射ち殺すとか、原爆で一まとめに殺すという手段はとれないのだ。
そういう手段がとれると思う方は自分で殺してください。
原爆をおとすと人間も死ぬと同時に耕地や水資源も汚染されてしまう。

日本は世界に先駆けて人口減少に転じる地域となる。
これは人類の歴史に残る転機になるだろう。
人口減少していく地域として、国家としてどういう道を進むか、偉大な実験である。

移民が押し寄せるかもしれないし、経済や文化が停滞するかもしれないし、軍事的に弱体化して他国に占領されるかもしれない。
でも、それが先頭をきって人口減少にむかった地域の運命だろう。

無限に人口を増加させることはできないのだ。
本書にはその理由がちゃんと説かれている。

日本だけ人口を増加し、他の国が人口を減少させることはありえない。
アメリカ合衆国だけ人口が増加し(先進国で唯一合計特殊出生率が低下しない国)、ほかの国が人口が減少する、ということは、ありえない、と思われるが、意外とそんな未来が訪れたりして……。これ、SFのアイディアになりそう。

高谷好一,『東南アジアの自然と土地利用』,勁草書房,1985.

2006-03-13 00:03:31 | 自然・生態・風土
東南アジアを知るための基本中の基本にして、戦後日本人の研究の最高峰、だと、思います。

といっても、わざわざこの本をさがして読むべきかというと、めんどくさい人はその必要はないだろう。

基本中の基本であるから、ほとんどすべての研究者、歴史家、東南アジアに興味を持つ一般人に、すでに共有された成果である。
たとえば、中央公論社の『世界の歴史 東南アジア世界の形成』の一番最初にかいてあることは、本書の内容を下敷きにしている。山川出版社の東南アジア史も同様である。
てっとりばやく内容を知りたければ、『事典東南アジア』(弘文堂)とか『東南アジアを知る事典』(平凡社)を見ればよい。

であるけれど、やっぱり、本書はおもしろい。
ものすごく退屈そうな書名で、とっつきにくいが、東南アジアの生態を核心にせまることばでずばっと言い切ったおもいきりのよさが気持ちいい。

外国語の翻訳調やもってまわった表現など使わず、面白い旅行話を語るように、著者の経験をどんどん書いていく。
学者にあるまじき独断(?)や感想(?)をまじえて、その地域の特徴を読者に伝える技はみごとである。

第1章にある、東南アジアの民族(というより、小さいまとまり)を、農耕生産のタイプで分類した表がある。
この表は結論部分だけ紹介した記事で引用されることはないのだが、みごとに生態と生業が分類されていて、すぱーとわかる。
わたしは、カレン族とかアチェーとかニュースでみるたびに、この表に照らし合わせているのだ(今はもうやってないが)。
現在の生業とは食い違う部分もあると思われるが、稜線・山腹・盆地/モンスーン林・熱帯林/乾季が長いか短いか/火山帯か褶曲山脈か/という要素の組み合わせですぱっと分類できる。

分類できるだけでなく、そこに明確に風景や暮らし、心意気、信仰、の違いがあることが著者の見聞から伝わってくる。

前川健一,『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』,めこん,1996.

2006-03-12 23:06:33 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
東南アジアの旅本といえば、前川さん、だが、以外と旅行記そのものは少ないのだ。
これは、そんな前川さんの本で、純粋旅行記の部類。

めこんの出版で、前川さんの感覚にぴったり。
つまり、めこんの本はあるていど東南アジアを知っている読者を想定しているので、まわりくどい解説がなく、見聞をどんどん書いている。
ちょうどヴェトナム(あっと、ベトナムと表記するのが前川流か)の個人旅行が大幅に緩和された時期で、新鮮な感想が読める。

タイの旅行も、日頃田舎はきらいだといっている前川さんににあわず、ちゃんと田舎も旅行しているではないですか。ベトナムの村も美しい、といっている。前川さんらしくもない感想。

というわけで、都会の喧騒を愛する人ばかりでなく、のんびりとした東南アジアをもとめる人にもおすすめです。

門田修,『海が見えるアジア』,めこん,1996.

2006-03-08 16:10:44 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
東南アジアの旅行記を選ぶなら、ベスト10入り確実な傑作。

読みやすい活字組み、親切な地図(出雲公三 作)、美しく印刷されたモノクロとカラー写真、菊池信義さんの装丁、どれをとってもめこんの本造りの魅力を発揮した書籍である。
もちろん内容もすばらしい。

一応、取材旅行である。
つまり、研究者の余技でもなく、個人旅行者の感想でもなく、あらかじめ記事を書くことを前提とした旅である。
こうした取材旅行で書かれた文章てのは、おうおうにして、つまんない。
最初から書くことを想定していて、脱線もしないし、個人的な感想もない。さらに新聞記事なんかだと、記者個人の存在が消されることがある。

しかし本書は著者の旅行の道筋、どうやってそこまでたどりついたか、どんな人間とかかわりあいをもったか臨場感ゆたかに語られている。
ああ、インタヴューや取材ではなく、偶然あった旅行者やホテルのスタッフ、交通機関で働く人や物騒な人たちのことです。

題名がしめすように、漁村・港町・船・ビーチといった風景と人々をめぐる旅行記だが、著者のスタンスがとても気持ちいい。
やたらと自然保護を叫ぶのでもなく、昔はよかったと嘆くのでもなく、開発を無邪気に肯定するのでもなく、危険なところに出向いたことを自慢するのでもなく、現地の人や生業を無視して風景のみを見るのでもなく、あるがままに歩きまわっている。というか、そんなふうに感じさせる文章だ。

写真がいい。(プロのカメラマンでもある筆者に対し失礼か?)
80年代半ばから、東南アジアの風景・人々を撮るカメラマンの視線が変化したように思える。
それ以前の貧困や後進性を強調し、エキゾチックな風景ばかり切り取る写真から日常を写すようになった。
これは、東南アジアの人々の顔が変わったせいでもないし、写真技術の進歩のせいでもなく、写真を撮る人の頭が変わったためだろう。
そうした写真の変化をつくりだしたのも、門田修さんのような旅人である、と思う。

具体的な内容はそのうちぼちぼち書いていこう。