東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

門田修,『海が見えるアジア』,めこん,1996.

2006-03-08 16:10:44 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
東南アジアの旅行記を選ぶなら、ベスト10入り確実な傑作。

読みやすい活字組み、親切な地図(出雲公三 作)、美しく印刷されたモノクロとカラー写真、菊池信義さんの装丁、どれをとってもめこんの本造りの魅力を発揮した書籍である。
もちろん内容もすばらしい。

一応、取材旅行である。
つまり、研究者の余技でもなく、個人旅行者の感想でもなく、あらかじめ記事を書くことを前提とした旅である。
こうした取材旅行で書かれた文章てのは、おうおうにして、つまんない。
最初から書くことを想定していて、脱線もしないし、個人的な感想もない。さらに新聞記事なんかだと、記者個人の存在が消されることがある。

しかし本書は著者の旅行の道筋、どうやってそこまでたどりついたか、どんな人間とかかわりあいをもったか臨場感ゆたかに語られている。
ああ、インタヴューや取材ではなく、偶然あった旅行者やホテルのスタッフ、交通機関で働く人や物騒な人たちのことです。

題名がしめすように、漁村・港町・船・ビーチといった風景と人々をめぐる旅行記だが、著者のスタンスがとても気持ちいい。
やたらと自然保護を叫ぶのでもなく、昔はよかったと嘆くのでもなく、開発を無邪気に肯定するのでもなく、危険なところに出向いたことを自慢するのでもなく、現地の人や生業を無視して風景のみを見るのでもなく、あるがままに歩きまわっている。というか、そんなふうに感じさせる文章だ。

写真がいい。(プロのカメラマンでもある筆者に対し失礼か?)
80年代半ばから、東南アジアの風景・人々を撮るカメラマンの視線が変化したように思える。
それ以前の貧困や後進性を強調し、エキゾチックな風景ばかり切り取る写真から日常を写すようになった。
これは、東南アジアの人々の顔が変わったせいでもないし、写真技術の進歩のせいでもなく、写真を撮る人の頭が変わったためだろう。
そうした写真の変化をつくりだしたのも、門田修さんのような旅人である、と思う。

具体的な内容はそのうちぼちぼち書いていこう。