著者は佐賀県で稲作とミカン、野菜栽培を営む。
本書は著者が参加したNGOプログラムでのタイ農村の見聞記。
著者が認めているように、超特急のかけあし旅行である。みのがした点、まちがっている点も多いだろう。
訪れた村は、東北タイではサイナワン村。ウドンターニー県バヤオー村。スク・ソングーン村。
チェンマイ近郊のチュームバン・センブン村とフェイゲオ村。
ちょこっとアユタヤ近辺の田。さいごにラヨーンの豪農。
ふつうこんなかけあし旅行で、むこうのNGOがアレンジした旅行の記録なんてもんはつまらんもんだが、本書はちょっと違う。
著者はしっかり簿記をやって、自分の経営を記録している人で、いく先々で売上高、粗利、純益をたずね、借金の利子をたずねる。
タイの百姓に同情しながらも、経営方針や無謀な借金にかんしては冷静な判断をする。
(そういえば、米の生産高の数字にかんしても、モミ(籾)か玄米か精米かなんてことを書いているのは、はじめて読んだ。経済学者も籾か精米かは知っているのだが、読者に注意を喚起しないんだよな。)
キャッサバ、サトウキビ、タマネギ、ステビア(タイで作られているってことをはじめて知った、この情報だけでもありがたい)など商品作物の現場で、どれくらい純益があるものかをたずねあるく。
村の共有地が土地開発業者に丸ごと買われる、なんて信じがたい話もきく。(著者も信じがたいといっている。しかし事実であるようだ。ただし、こういうことは、いくら長期滞在して調査しても確かめられる性質のものではない。土地取引をめぐる殺人もある、らしい。)
タイ通貨危機の前、土地投機に沸いていた時代のタイのすがたを切り取った旅行記である。だから現在の姿がどうであるのかは、これまたよくわからん。(調べればわかるのだが、めんどくさいなあ)
本書の存在はずいぶん前から知っていたが、読んだのはつい最近。
なぜならば、本書の副題が「タイ農村ふれあい紀行」となっているからだ。
わたしは「ふれあい」とか「やさしさ」といった言葉をみると、自動的にインプットを拒絶するように条件づけられているので、本書の中身もずっと見ないでいた。タイトルで判断してはいけないが、やっぱりこういうタイトルはやめてほしい。
本書は著者が参加したNGOプログラムでのタイ農村の見聞記。
著者が認めているように、超特急のかけあし旅行である。みのがした点、まちがっている点も多いだろう。
訪れた村は、東北タイではサイナワン村。ウドンターニー県バヤオー村。スク・ソングーン村。
チェンマイ近郊のチュームバン・センブン村とフェイゲオ村。
ちょこっとアユタヤ近辺の田。さいごにラヨーンの豪農。
ふつうこんなかけあし旅行で、むこうのNGOがアレンジした旅行の記録なんてもんはつまらんもんだが、本書はちょっと違う。
著者はしっかり簿記をやって、自分の経営を記録している人で、いく先々で売上高、粗利、純益をたずね、借金の利子をたずねる。
タイの百姓に同情しながらも、経営方針や無謀な借金にかんしては冷静な判断をする。
(そういえば、米の生産高の数字にかんしても、モミ(籾)か玄米か精米かなんてことを書いているのは、はじめて読んだ。経済学者も籾か精米かは知っているのだが、読者に注意を喚起しないんだよな。)
キャッサバ、サトウキビ、タマネギ、ステビア(タイで作られているってことをはじめて知った、この情報だけでもありがたい)など商品作物の現場で、どれくらい純益があるものかをたずねあるく。
村の共有地が土地開発業者に丸ごと買われる、なんて信じがたい話もきく。(著者も信じがたいといっている。しかし事実であるようだ。ただし、こういうことは、いくら長期滞在して調査しても確かめられる性質のものではない。土地取引をめぐる殺人もある、らしい。)
タイ通貨危機の前、土地投機に沸いていた時代のタイのすがたを切り取った旅行記である。だから現在の姿がどうであるのかは、これまたよくわからん。(調べればわかるのだが、めんどくさいなあ)
本書の存在はずいぶん前から知っていたが、読んだのはつい最近。
なぜならば、本書の副題が「タイ農村ふれあい紀行」となっているからだ。
わたしは「ふれあい」とか「やさしさ」といった言葉をみると、自動的にインプットを拒絶するように条件づけられているので、本書の中身もずっと見ないでいた。タイトルで判断してはいけないが、やっぱりこういうタイトルはやめてほしい。