東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

山下惣一,『タマネギ畑で涙して』,農文協,1990.

2006-03-27 23:12:46 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
著者は佐賀県で稲作とミカン、野菜栽培を営む。
本書は著者が参加したNGOプログラムでのタイ農村の見聞記。
著者が認めているように、超特急のかけあし旅行である。みのがした点、まちがっている点も多いだろう。

訪れた村は、東北タイではサイナワン村。ウドンターニー県バヤオー村。スク・ソングーン村。
チェンマイ近郊のチュームバン・センブン村とフェイゲオ村。
ちょこっとアユタヤ近辺の田。さいごにラヨーンの豪農。

ふつうこんなかけあし旅行で、むこうのNGOがアレンジした旅行の記録なんてもんはつまらんもんだが、本書はちょっと違う。
著者はしっかり簿記をやって、自分の経営を記録している人で、いく先々で売上高、粗利、純益をたずね、借金の利子をたずねる。
タイの百姓に同情しながらも、経営方針や無謀な借金にかんしては冷静な判断をする。
(そういえば、米の生産高の数字にかんしても、モミ(籾)か玄米か精米かなんてことを書いているのは、はじめて読んだ。経済学者も籾か精米かは知っているのだが、読者に注意を喚起しないんだよな。)

キャッサバ、サトウキビ、タマネギ、ステビア(タイで作られているってことをはじめて知った、この情報だけでもありがたい)など商品作物の現場で、どれくらい純益があるものかをたずねあるく。
村の共有地が土地開発業者に丸ごと買われる、なんて信じがたい話もきく。(著者も信じがたいといっている。しかし事実であるようだ。ただし、こういうことは、いくら長期滞在して調査しても確かめられる性質のものではない。土地取引をめぐる殺人もある、らしい。)

タイ通貨危機の前、土地投機に沸いていた時代のタイのすがたを切り取った旅行記である。だから現在の姿がどうであるのかは、これまたよくわからん。(調べればわかるのだが、めんどくさいなあ)

本書の存在はずいぶん前から知っていたが、読んだのはつい最近。
なぜならば、本書の副題が「タイ農村ふれあい紀行」となっているからだ。
わたしは「ふれあい」とか「やさしさ」といった言葉をみると、自動的にインプットを拒絶するように条件づけられているので、本書の中身もずっと見ないでいた。タイトルで判断してはいけないが、やっぱりこういうタイトルはやめてほしい。

口蔵幸雄,『吹矢と精霊』,東京大学出版会,1996.

2006-03-27 00:00:35 | フィールド・ワーカーたちの物語
伊谷純一郎・大塚柳太郎 編,熱帯林の世界 4

マレーシア、トレンガヌ州、トレンガヌ川上流、クアラブランからさらに奥の保留地に暮らすスマッ・ブリの人々と1年間過ごした著者の記録。

それではこのスマッ・ブリという人たちはどういう人たちかというと……
オラン・アスリという言葉があるが、これはマレーシア政府の公式の民族呼称で、先住民を意味する。
ところが、政府によってオラン・アスリと呼ばれる人々は、均一の民族ではないし、先住民でもない場合がある。
ムラユ・アスリというプロト・マレー系の人々は、マレー人と形質的にほぼ同じ。
一方、セマン、セノイと区分されるグループは、プロト・マレー系より古くからマレー半島に住んでいたとみられる民族で、狩猟採集を生業とするセマンと焼畑農耕を生業とするセノイに分けられる。(彼らもほんとうのところ、先住民かどうかわからない。焼畑も狩猟採集も移動する生活様式だから、厳密に先住かどうかわからないが、少なくとも、この点に関しては、USAのような政治的問題はないようだ。)

著者が滞在し、生活をともにしたグループは、狩猟採集を生業とする、形質的には「ネグリート」と分類されるグループである。
ネグリートというのは、アフリカ大陸住む黒人とは、形質的(いまはやりのことばをつかえばDNAの変異において)にはずっと離れたグループである。
東南アジアにマレー系やプロト・マレー系が移住する以前から住んでいたと考えられている。
狩猟採集を生業とする、といっても、カロリーの全部を狩猟採集によってまかなっているわけではない。(そうしようと思えば可能なようだが)
ラタンの採集による現金収入と賃労働で、米や砂糖や缶詰を買っている。
定住を促進する政府の援助食糧もある。
政府の定住政策で、イモや陸稲の栽培も試みられているが、彼らは、植えたあと、ほっぽりだしていて、もし実っていたらラッキーぐらいにしか思っていない。
食物の狩猟採集に関しては、動物は野生のものだが、植物はマレー人が放棄した村から野生化した栽培植物を採集することも多い。

つまり、まったく農耕民と無縁に暮らすわけではなく、交易と賃労働を通じてマレー人とつきあっている。
ただし、こういうグループは著者が滞在した1978~1979年時点で、ひじょうに少数である。

それでは彼らの生活は……

まず、ものすごく身体能力が高い人たちだ。
山刀以外の道具をほとんどもたず、森の木や籐からあらゆる道具を作る。
調理は鉄の鍋をつかうが、住居も手作り、持ち運べるもの以外は所有していない。
頻繁に移動をする。
移動をするのは狩猟や採集のためでもあるが、その必要がないときでも移動する。

以外なことに、村全体がそろって猟にいく、ということはない。
経済の単位は核家族。
子供は養うが、老親をやしなうことはない。
離婚は頻繁。再婚も頻繁。

猟で得た動物は村全体に分配されるが、これを見て、村全体でたんぱく質が平等に分配されている、と考えてはいけない。
分配されるのは、男たちがとった大きい動物であり、それ以外に魚・小動物は自由に食われている。カロリーのおおきな部分はイモや果実であり、栽培したサツマイモもかなりの比重を占める。
それに、商品であるロタンは個別の収入であり、それを売ってえた米や缶詰は、各家族のものである。

おもしろいことに、このグループにも「ごはん」(マム)と「おかず」(アイ)、「おやつ」という区分があるのだ。
アイ(おかず)はマム(ごはん)を食うためにある。アイだけたべてはいけない。また、アイが少なく、マムだけたべるのは、しょぼい食事と考えられている。
マムとアイがしっかりと規定された食事であるのに対し、各自がかってにくうのが「おやつ」で、いろんなものをかってに食う。
さらにおもしろいのは、こどもがかってに食う食物があることで、ネズミ、コウモリ、サワガニ、小鳥、カワエビなどはこどもたちだけたべる。これらの食物は、正式の食事を調理する火で焼いてはいけない。こどもたちは、カマドの火から別に火をおこしてネズミや小鳥を焼いてたべる。楽しそうですね。

著者はタフな人で、ロタン採集、吹矢猟、ヤマイモ堀、仮小屋つくり、なんでもやる。吹矢はとくにむずかしいらしい。著者は一年間の滞在中、一度も獲物に命中させることはできなかったという。
肝炎らしき病気も村の中でなんとかきりぬける。

こんなハードな生活をいとなむスマッ・ブリの人たちであるが、彼らは、対人関係のストレスに弱い人たちなんだなあ、というのがしみじみわかる。
彼らはマレー人仲買商人に交渉することができない。幸い、政府の保護政策もあり、むちゃくちゃな低賃金や買いたたきはないのだが。
さらに、彼らは、グループ内でも、もめごとを処理するのに、話し合いやケンカをするより、別行動をとることを好む。
さらにさらに、夫婦関係においても、もめごとがおきるとすぐ離婚してしまうようだ。
彼らが頻繁に移動するのは、採集や狩猟に必要という理由ばかりではない。
彼らは、一ヶ所に定住して、ストレスがたまるのがいやなのだ。

ああ、こういうところよくわかるなあ……。
ただし、わたしの身体能力では、スマッ・ブリの人々の生活を続けることはもちろんのこと、著者のようなフィールド・ワーカーとしても暮らすことも不可能なのだが。
本書に描かれたような生活が可能なのは、ごくごく限られたところである。
たいていの狩猟採集民は、彼らの暮らす森から追い出され、仲買商人にだまされ、企業や政府のやとった武装警備員に追い出され、低賃金労働者になるか、飢えて死んでいくことが多い。

本書の記録は1970年代後半まで残っていた奇跡的な生活様式である。