東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

坪内良博,『マレー農村の20年』,京都大学学術出版会,1996.その1

2006-03-17 23:17:50 | フィールド・ワーカーたちの物語
マレーシア、クランタン州、ガロック(galok)での1970年と1992年の調査の記録。

この種の調査は、あらゆる国で膨大な数の研究者が行っているが、1冊の著作として発表されることはめったにない。
たいてい学術雑誌の論文か学会の発表として印刷されるだけで、一般人の手にはなかなかとどかない。
本書の研究も新書ぐらいの形で発表されれば、もっと人目につくだろうが。

調査地となったガロックはクランタン川上流、パシルマス(人口1万強の町)とタナ・メラの間にある村。
人口は1970年で690人、1991年で1100人。

そろそろ、ブログの読者もリターン・キーを押すだろうが、これは、わたしの記憶と記録のためのブログですから、以下、要点を書く。
退屈な人はどうぞ退場してください。

開拓村である。
開拓されたのは、19世紀末、1970年の調査時点で、80年ほどたっている。
ということは、住民の記憶には、もう最初の開墾の記憶はない。
この80年という年月が長いのか短いのか、わたしは判断つかない。
東北や北海道では、このくらいの歴史は、とくに短いわけではない。

主食は米、天水稲作農耕。
下流地域では灌漑稲作もはじまったが、この地域は、国の灌漑計画地域の上流に位置するため、天水稲作である。
収穫は不安定。住民は不足する米を現金で購入する。
すでに、この要素からして、日本の農村とおおきく異なるわけだ。
天水稲作というのは、近代になって、人口密度がおおきくなって、稲作不適の土地に開拓がおよんだ結果うまれた形態で、近代的な農耕である。
谷間や扇状地の昔からの稲作とはことなる。

現金作物はタバコとゴム。
とくにこの村は1970年の調査のころタバコ栽培が浸透した地域で、農民は自分の土地でタバコを作る以外に、賃金労働者として、タバコ・ステーション(タバコ加工工場)で働く者もいる。
ゴムは零細な規模、プランテーションはない。

住民はマレー系。
マレーシアはチャイニーズ系の人口が多いし、インド系も重要な構成要素であり、マレー系の住民より先に住んでいた先住民も数は少ないながら散在している。
しかし、この村はほぼ完全にマレー系。

人口は自然増は多い。
しかし、流出も多く。つまり、20歳ぐらいを境に、村を出る者がおおい。
出稼ぎも多い。
しかし、一方、いったん村を出た者が帰る例もおおく、人口は全体として微増傾向。

家族構成
わたしがこんな学術書をみようという気になったのも、家族構成を知りたい、いったいぜんたい、マレーシアのイスラームの農村の家族ってえもんは、どんなもんか、ひとつの例でも具体的に知りたかったためである。

核家族が基本
夫婦の財産はきっぱり分けられている。
相続は、イスラム法にしたがうと、男子が女子より多く相続するが、慣習法では、男女平等。実際は、その中間であるようだ。
親の財産が父と母で分けられているから、片親が死ぬたびに、相続が生じる。
こどもが親の財産を平等に相続していくと、土地は細分されていくことになる。
親子・兄弟の間で土地の売買、賃借、小作刈分がある。

調査の時点で、土地は家族が食う米をつくるのに十分ではない。
その分、賃労働、タバコ栽培でおぎなっていたわけだが、1990年代になると、タバコは現金収入の手段としての割合がひじょうに少なくなっている。
その分、恒常的賃金労働、出稼ぎが多くなっている。
日本と同様、村仕事で食える率は低下している。

結婚と離婚
1970年の調査時点で、ほぼ皆婚状態。
女の初婚年齢最頻値は15歳。
男も20歳ごろには、おおかた結婚している。
そして離婚率の高さがすごい。
マレー人社会の離婚に対する寛容さが、イスラム法と結びつき、人々の間で、離婚を不名誉と考える習慣はない。
全人口の半数くらいが離婚経験者。
過去の統計によれば、昔はもっと離婚率が高かったようだ。
独立後、じょじょに離婚率がさがりはじめ、80年代、離婚に関する法律がかわり、離婚率がぐっと下がる。現在は10%以下。
政府やイスラーム指導者の近代化政策により離婚率がさがったのである。(初婚年齢があがったことに起因する要素もおおきい)