東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

坪内良博,『マレー農村の20年』,その2

2006-03-20 23:06:00 | フィールド・ワーカーたちの物語
その1で要約した調査をみて、ほんとにこんな調査が可能なのかふしぎにおもう人がいたら、その疑問はただしい。

本書のような農村調査は、ごくかぎられた地域のごくかぎられた時代にのみ可能な奇跡のような調査だ。

著者のような調査研究者が日本の農村にやってきたと想像してみるといい。
結婚や離婚のような質問に正直に答えるとはおもえない。
収入についての調査はもっと困難だ。
年貢や税金をのがれるため隠し田をもっているなんて、現在の農村では考えられないけれど、大地主と小作の関係であったなら、小作料や労働供与が正直に申告されるだろうか?
あるいは、村全体が政府に禁じられている生業をしている場合、いくら外国人の研究者にでも正直にしゃべるわけにはいかないだろう。
さらに、東南アジアでは、ゲリラに対する税金、軍隊に対する賄賂、盗賊にたいする用心棒代(これらは区別がつかない場合が多い)をとられる村もある。こうした経費がおおっぴらにできるわけはない。
非合法の商売による収入(たとえば、日本だったら呪術による医療行為は非合法)、人にいえない職業をしている家族からの仕送りも申告できないだろう。

こうしてみると、研究者が自由に調査できた地域はかぎられる。
中華人民共和国やインドで収入調査はできないのだ。
この開拓村はそうした意味で、ひじょうにあけっぴろげで、住民の間の格差が少なく、税金も少なく、宗教関係機関への支出も公開できるものだった。
タイやマレーシアに研究対象が集中したのも、こんな開放的な人間関係に起因するのではないだろうか。

相互監視し、ねたみとやっかみが蔓延する日本の農村からみると、実にのびのびしているようにみえる。
また、水資源の管理をめぐるムラの掟はないし、村人どうしの水争いもない。
男系長子相続ではなく、男女平等相続を基本にした個人財産を基盤とした、核家族制度は日本人が"欧米風"としてうらやんだ制度である。(実際は欧米風とは異なる点がおおい。欧米も一様ではない。)

開放的でルースな個人主義の農村は、人口が少ない開拓社会だからこそ成立した、というのが研究者の共通した理解だ。

そして、現金収入の方法がない村では、出稼ぎと臨時雇用が現金収入の道となる。
常時雇用賃金労働者にたいする憧れも農民の間に浸透する。こどもを教師にすることが農民の夢になる。そして90年代、それを可能にした村人もいる。
教師以外の常時賃金労働者は医療関係労働者、軍隊勤務者などで、90年代になると、この種の賃金労働者が夫婦別居になって、孫が祖父母を暮らすといった家族形態が出現している。
もはや、このガロック集落も近くの町に勤める給与所得者の住宅が建つようになる。それだけ、インフラや道路が整備されたのだ。

読み慣れない純学術書をざっと読んだわたしの感想をのべる。

まず、農民といっても、自由にうごきまわる人々である。
一生土地にしばられ、自給自足とう農民イメージは、どの時代、どの地域でも幻想にすぎないのだが、マレーの開拓社会では特に動きまわる要素がおおきい。
そして、出稼ぎ・離婚・夫婦別居・祖父母と孫の同居・出戻り娘との同居といった一見ネガティヴにとらえられがちな家族形態も、そんなに異常なことではない。
むしろ、近代化が無理して抑圧したきたもので、このような家族形態も昔からあったものなのだ。

収入が多様で、季節ごとにかわり、景気や市場の動向で変化していくのも、都市にかぎったことではなく、むしろ農村の特徴なのだ。
農民は安定した賃金収入を望むけれども、それは官僚・軍隊のような組織に勤務することになる。
そして、住宅地という、以前想像もできなかった形態が生じることになる。
そんなわけで、いろいろ参考になりました。

なお、このような開拓地の農村というパターンはマレー半島ばかりでなく、タイでもボルネオやスマトラでもみられるパターンである。
それぞれ宗教や生業の違いはあるが、小人口の開拓村ということでは共通するものがあるそうだ。