東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『旅行人』No.159 創刊20周年記念号

2008-12-16 19:49:51 | その他;雑文やメモ
この雑誌にはほんとうに世話になった。(なった、と過去形で書いたが、現在も定期購読しておりますので)
だいたい、このわたしのブログで紹介している本も大半は『旅行人』を通じて知ったもので、二番煎じの内容であります。

本号では創刊20周年ということで、有限会社旅行人の設立、「旅行人ノート」シリーズの発行、年10回発行から季刊になり、とうとう年2回の発行になるまでの経緯が編集長兼社長の蔵前さんの思い出として述べられている。

わたしがこの雑誌に魅かれたのは、バックパッカー流の旅行を扱っている、というのではない、それよりも雑誌の作り方ではないか、と自分で分析している。
この雑誌は、『本の雑誌』のような、しろうとっぽい手触りと同時にプロ的な雑誌作り、『シティ・ロード』のような自分たちが関心を持っていることを自分たち流に伝えようという意気込み、『ミュージック・マガジン』のような第三世界を見る(聴く)という世界観、『ぱふ』や『だっくす』のようなサブカルチャー的雰囲気(その後の言葉でいえばオタクか)、そんな編集方針がわたしの好みとマッチしたんだと、今思っている。

もっとも、蔵前編集長はどんどん専門的執筆者も起用していて、『季刊民族学』や『月刊たくさんのふしぎ』や『しにか』のような方向もあるし、現代書館か明石書店かという傾向もあるし、オカルト系やトンデモ系の話題もある。べ平連と海外青年協力隊と『リボン』が雑居している状態。こういう全方向的なところが『旅行人』の強さだろう。

今号の回想や分析の中で、前川健一さんと田中真知さんの、インターネットが変える旅行形態の話が気になった。
前川さんの、〈日本人はアメリカ化している〉という指摘。これは、旅行経験の少ないわたしでさえ感じていたことだ。アメリカ人は団体でばかり行動していて、外国語が不得意で、現地の文化に馴染まず、自分の狭い世界にしか興味がない。今や日本人もめでたくアメリカ化して、内に引きこもっている、と前川さんは皮肉っている。

また、田中真知さんは、あらゆる情報がウェブで入手できる現在、旅行も不確定要素をゼロに近づけ、効率よく予定どおりのスケデュールを消化する形態になりつつある、といういやな予想をしている。

うーむ。みなさん、こんな時期こそ未知の世界に旅立とうではないか!若いもんはほっとけ。中年・老年諸君、むかしに比べれば、はるかに旅行しやすくなった。失業と老親介護を乗り越えて、旅に出よう……、、(いまいち、説得力がないか……)

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ところで、ついでに話題にするような話ではないが、蔵前編集長が参考にしたという『本の雑誌』であるが、最新号2009年1年号で、経営が危機に瀕しているという事実が、編集者と発行人によって知らされている。

えー!?意外だ!!
『本の雑誌』は、宮田珠己や高野秀行といった強力執筆人をスカウトし、鏡明や青山南といった巨匠クラスのレギュラーがいて、さらに柳生毅一郎や穂村弘という他誌がうらやむ人材を持っているんじゃないか?(この号の三角窓口(投稿欄)では読者として、渡辺武信が投稿している!なんと贅沢な!!)

信じられない。これほど豪華な雑誌なら、年収1000万クラスの人がみんな購読しているだろうし、そのクラスの人は不景気の影響もないだろうから、安泰なんじゃないかと思っていたのだが……

もちろん実態は、大多数の読者は50代40台のつつましい人であって、インターネットやなんかの影響で、雑誌を購入する小遣いが減っているんだろうな。

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このブログのタイトルどおり、わたしは東南アジア方面に魅かれた、というより、忙しい家族関係や仕事の上で、東南アジア以外に行ける場所がないという、現実的な拘束があった、ある、のである。

一度、西アフリカ旅行をシュミレーションしてみたことがある。
しかし、あまりにハードルが高い。
もしもの時の医療、日本に緊急に帰らねばならなくなったときの帰路、連絡方法、現金や両替の問題など、うんざりするような問題がある。
重大なトラブルがないとしても、航空運賃、予防接種、ビザなどめんどうで金がかかる準備がいる。
さらに、フランス語を覚えて、単調な食事に耐えて、蚊帳を背負って、などと考えると、うんざりして諦めた。
何も知らないうちに旅立てば、意外とすんなり行けたかもしれないが。
死ぬ前に一度、というのも、実際に病気で死ぬ場面になったら旅行どころじゃない、ってことも解ってしまったしなあ……。

岩田慶治,『東南アジアのこころ』,アジア経済研究所,1969

2008-12-16 19:02:36 | フィールド・ワーカーたちの物語
前項に続き、これも著者のタイとラオスでのフィールド・ワークを紹介したもの。
調査地域がすごいんですよ。
北ラオス・ルアンナムター、ヴァンヴィアン(ヴァンヴィエン、バンビエン、ワンウィエンと表記される。)の近くのパ・タン村で、今、バックパッカーの巣窟と化した地域のすぐ近くなのだ。
そこで50年くらい前に滞在調査し、その後1968年に再訪した時の話が最初に語らえる。
なんと、この時は政府とパテト・ラオ派の抗争の真最中で、アメリカ軍も駐留していたのである。
ルアン・ナムター方面に行く方、ぜひとも一読を!

そして、本書の残り三分の二は、東北タイのドン・レーク(ダンレック)山脈北側とナム・ムーン(ムン川)にはさまれた地域、スリン県のプルアン村周辺の記録である。

前項『日本文化のふるさと――東南アジアの民族を訪ねて』よりも、日常生活、現在の収入や将来のこと、現実の問題などが扱われる。つまり、来世がどうの精霊がどうのという話は少ないので、その方面が苦手な者でも読める。

当然、著者の見方の中で、現在の研究水準からみておかしい部分もあると思う。たとえば、わたしが気になったのは、村人へ将来設計のことを質問するやりかた。これは、どうも純粋学問的にみると、誘導尋問のようなもので、危ないのではないだろうか。ただし、この部分も過去の記録としてはおもしろい。
民族とは何かとか、ラオ人とクメール人の過去の移動・移住、ラオ人とクメール人の違いといった話題も、分析が荒っぽいように思える。

以上、批判がましいことも書いたが、本書が書かれてから40年、調査時期からみれば50年近くが経過しているので、こういう時代もあったのか、と驚く貴重な記録である。
前項と同じく、
岩田慶治著作集第1巻『日本文化の源流 比較民族学の試み』,1995,講談社
に収録。