東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

会田雄次,『アーロン収容所』,中公新書,1962

2008-12-05 21:27:48 | 20世紀;日本からの人々
現在は中公文庫で入手可能(字句の修正などあるようだが、大幅な改訂ではないようだ。)

まず、わたしも発行当時に読んだわけではないから、刊行当時の反応について。

意外なことだが、本書は、その書き方があまりに軽く、ユーモラスなので反感をもたれたらしい。
敗戦後すでに17年たっていたわけだが、被害者意識だけの苦労話、あいつが裏切った、こいつが汚いマネをした、という罪のなすりつけあいを垂れ流した記録が先行したようだ。

さらに、意外だが、(以下わたしの主観が入るが)、アメリカ人は軽薄な物質文化だけのやつら、ロシア人は共産主義という狂信的な主義にそまった野蛮人、シナ人は……(以下略)という、固定観念・民族差別があったにもかかわらず、最大の害悪であるイギリス人に対しては、紳士的・合理的・冷静・秩序をおもんじる・といった肯定的評価がまだまだ残っていた、ということである。 というか現在でも同じような勘違いが跋扈している。

そうしたなかで、本書は、客観的に捕虜収容所の生活を記録し、イギリス人とはどういうものかを暴いた代表的な作品。何千冊、何万回もくりかえし、引用、論評されているであろう。

ええと、若い読者にいっておきますが、本書の中隊は、ひじょうに例外的。
英軍側が信じなかったように、大学卒の人間が一兵卒で参戦しているなんてのは、めったにないことだ。
そのうえ、この中隊は町場の旦那衆とか、職人とか、ふつう戦場には駆り出されない階層の人たちがいっぱいいて、とても戦場で戦力になるような部隊ではない。
敗戦直前のごたまぜ即席編成部隊です。

さて、何度も何度も論じられているエピソード、著者ら収容所の日本兵が白人女性に屈辱的な扱いを受けた話について。
わたしも、最初は著者の憤懣に同感したし、著者の分析、白人以外を動物扱いする文化的背景を西洋人たちが確固として保持している、ということに同意していた。

しかし……。
現在では、ちょっと違う感想を持っている。
本書で描かれる収容所での白人女性たちも、暗い抑圧的なブリテン島からアジアにやってきて、解放的な気分になっていただけではないか。勝者対敗者という力関係があったのは否定できないが、無邪気に楽しんでいただけではないか。
その白人女性たちに、屈辱を感じたのは、白人女性たちの具体的な行為ではなく、日本人側の精神状態ではないのか、と思えるのだ。(よくいわれるように、日本兵も平気で人前でハダカになって水浴びしていた。暑い地域では当然のことだが、西洋人側から野蛮と言われた。)

現在でも、〈どこでもハダカになるバカンス客〉〈みだらな格好をして現地の習慣を尊重しない観光客〉、といった非難はよくあるし、さらに〈ふしだらな日本人女性旅行者〉というのも繰りかえし唱えられる文句だ。
だけども、そういう非難・文句を垂れるのは、ようするに羨ましいだけではないか。
本書で描写される女たちも、本国に帰れば、淫らな女、イギリスの尊厳を傷つける女、と言われたかもしれない。

本書の中で、この〈日本人兵士の前で平気でハダカになる白人女〉というエピソードだけが強調されるのは、読む側に暗い欲望と劣等感があるためだろう。
そういう意味で、この点を、つまり読者のコンプレックスを白日の下に曝した著者は先駆的であった。ただ、それを向こう側、白人側だけの問題として、〈西洋人なんてこんなもの〉で済ませるのもウソだし、問題を隠蔽している。

植民地的状況下でのハダカの問題、性の問題は、果てしなく広いテーマであって、わたしのブログでも何回かとりあげたが、問題が多肢にわたり、まとめて論じることは不可能。

*****

『家畜人ヤプー』の作者(もしくは作者の代理人??)である天野哲夫氏死去の報を読み、本書を取り上げた。
あの本も、植民地的状況・キリスト教文化とアジア・白人と黄色人、といったさまざまな角度から論じてみたいが、今、余裕ない。

*****

ただし、一番最初に書いたように、本書『アーロン収容所』は、飄々としたユーモアと意外にのんびりした収容所体験を読むべき。
前項『「ベンゲット移民」の虚像と実像』などと同様、東南アジアにおける日本人・日本移民という広い視野を忘れないように。

早瀬晋三,『「ベンゲット移民」の虚像と実像』,同文舘,1989

2008-12-05 00:05:48 | 20世紀;日本からの人々
避暑地の恋、高原のサナトリウム、テニスコートにティーハウス、軽井沢からシムラまで、アジア各地に点在する高地の植民地宗主国人のリゾート地、そのルソン島版がバギオであり、そこまでの道路が通称ベンゲット道。
その工事と日本人移民をめぐる事実と虚構を論じた研究書。

1901年、アメリカ合衆国がフィリピン諸島を領有してすぐに工事は計画された。
当初の目論見を大幅に超過した予算と工事日程、その中で日本人労働者の募集が行われ、〈日本人移民によって完成した道路〉という伝説が生まれた。

まず、この20世紀初頭の状況だが、日本人出稼ぎ労働者は単純労働に従事するだけの低賃金労務者なのである。後の農業移民や独立商売人とはかなり様子が異なる。
さらに、アメリカが日本人・中国人の契約労働者を規制していた時代なのである。日本人出稼ぎ労働者は、曖昧な地位のまま、移民周旋業者によって送られ、劣悪な環境の中で工事現場で働き、ある者は病死し、ある者は離脱するなか、完成後にダバオに渡りマニラ麻栽培で成功した者もいた。
その後の農業移民の活躍により、この通称〈ベンゲット移民〉は勤勉な日本人移民の先駆とされる伝説が生まれたが、本書は一次資料から、その実態を考察し、さらに、虚構と現実のズレを考察する。

もとより資料の不備や散逸があるが、おおよその概略としては、この工事は決して日本人移民が中心ではない。
フィリピン人が多数であったし、アメリカ人(この場合のアメリカ人というのは、黒人や中米諸国からの労働者を含む)、中国人も多かった。
その中で、日本人の美徳とされる時間厳守、集団行動が後に過大評価されるわけだが、労働者の質としては、特に優れたものではなかった。死亡や病気が多かったのは、アメリカ当局の対応の悪さもあるとはいえ、日本人労働者の衛生観念の無さ、現地の気候への順応力の低さ、経済観念の無さ、そういうことが影響している。
〈怠惰なドジン〉といわれたフィリピン人のほうが、衛生観念や健康管理の面で優れていたのである。(自分たちが生まれた土地だから当然ですが。)

その後の〈ベンゲット移民〉伝説は、1930年代の南進論、大東亜共栄圏論議の中で増殖していく。
さらに戦後も映画やマスメディアで(それに本書には記されてないが、観光ガイドなどでも)伝説が無批判に繰り返されてきた。
詳しいことは本書を読んでくれ。

で、大筋の枠組みとしては大東亜共栄圏時代から現在まで続く、発想というか、思考の枠組み、偏見がある。

つまりだ、日本人移民と中国人移民は、他からみれば、(よい意味でも悪い意味でも)同じようなものなのだが、中国人移民と利害が拮抗しているという認識がない。
アメリカと日本の間の関係だけが意識されている。
さらに、現地の住民が存在しないかのように考える。地元のイゴロット人と婚姻関係を結んだ者は、あっぱれ日本男子などとは思われず、堕落した非国民とされる。
あるいは、工事現場にはインド人、アメリカ・インディアン、黒人、ラテンアメリカ系の労働者もいたのに、まったく存在が無視されていく。

早急な結論はともかく、当時の移民状況、対米関係を知る逸話が冷静に記されているので、どうぞ一読を。