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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

Theatre劇団子 トウキョウの家族

2015年05月24日 | 演奏会・映画など

 

「しらない方がよかった?」
「え?」
「吉岡先生と会わなかったら、こんなこと考えなかったよね」
「知らない方が、幸せだったのかな。悩まなくてすむし」
「うん。でも、会えてよかった」


 屋上で、演劇のこと、将来のことを語り合うさおりとユッコの台詞。
 「知らない方が幸せ」という考え方もありだろう。
 奥深い世界を知ったばかりに、人生をかけてのめりこんでしまい、堅気の暮らしができなくなることもある。

 「高校で音楽に出会えたおかげで大学でも楽しんでます」とか、「社会人になってからも趣味として楽しんでます」なら、ほどよいのだろうが、時に度をこえて人を虜にする魔力をも芸術はもつ。
 「大学に行っても続けたいから楽器買って!」「勉強もがんばるんだよ」「大丈夫」という親子の会話は成り立っても、「音大に行って、プロを目指したい」と言い出した息子は、「ねぼけたこと言ってないで、勉強しろ!」と叱られるのが普通の流れではないだろうか。
 もちろん、それくらいの反撃であきらめるなら、その道は向いてないのだから、親は一旦は拒否するのが正しい接し方だと思う。

 劇団「Theatre劇団子」さんの復活公演「トウキョウの家族」をみながら、ここにも業の深いひとたちがいると、しみじみ感じた。
 劇団子さんの本公演は30作目。たぶん、6、7こは見ているから、ひいきの劇団と言っていいよね。
 必ずこの小屋で、という定位置感がない劇団なおかげで、いろんな所に行けた。シアターグリーン、スペース107、あうるすぽっと、座高円寺、レッドシアター … 。
 有川浩作品を紀伊國屋ホールでかけたのが、一番キップの売れてた時なのだろうか。
 今回の復活公演は、下北沢駅前劇場。100席ちょっとのハコで、計7公演。チケット代はももクロの半分以下。
 補助椅子の出る盛況ぶりだったが、東京公演全部足しても、ももクロさんの舞台一回分に満たない集客だ。
 しかし、あの狭い空間で繰り広げられたお芝居のアツさは、ももクロさんにまさるとも劣らない。

 母親と長女が切り盛りする伊豆大島の民宿を舞台に、ある家族の歴史が描かれる。
 次女は、長女と折り合いが悪く島を飛び出してから連絡がない。
 三女は大阪に暮らしの基盤をつくり、連れ合いを見付けて、最近子供も授かった。
 気持ちも離ればなれになったままの次女と長女をなんとか仲直りさせたいと考えた母親が策を巡らし、三女を呼び寄せることにする … 。

 客電が落ちるとともに、母親役の斎藤範子さんが三味線を持って登場。
 「劇団子復活を祝って三下がりさわぎをおおくりいたします」と弾き語りをする。大学時代に6年間三味線を弾いたおれさまには、どれくらい上手かわかってしまう。練習し続けてるひき方だった。芸達者な方だ。
 しゃきっと弾いてて、歌い終わると同時にがくっと首を落とし、完全におばあちゃんになる。
 このシーンがすべての伏線だったことに、終盤気づくのだが。
 この家族の再生作戦に絡んでくるのが、たまたまその民宿に泊まることになった、ある劇団の主宰者。
 まもなく幕を開ける芝居の脚本が書けず、逃げるように島を訪れたが、恋人でもある劇団の女優が追いかけてくる。
 姉妹の仲直り作戦が、その劇団員の力も借りながら繰り広げられるのだが、一筋縄にはいかない。
 いくつかのどんでん返しがあり、諍いの原因となった過去の事件が、見てる側にも明らかにされていく。
 長女と次女との激しいやりとりの中で、相手の本当の気持ちに気づきはじめると、自分の気持ちが思い込みにすぎなかったことにお互い気づいていく。
 
 事件が起こった時にそう言えばよかったのではないか、と一瞬思うが、その瞬間の当事者には何を言っても通じないということは、いろんな場面で言えるはずだ。
 家族「だから」わかりあえる、なんてこともない。
 身近な存在だからこそ、いやなところは余計に鼻につく。
 距離をおけばいいのに、いつもそばにいる。
 いったん物理的、時間的に距離をおいてはじめて、お互いの気持ちもわかりあえたりするものだ。

 いったん距離をおいたからこそ気持ちがわかりあえたというスタンスは、二年間のブランクを経て再出発した劇団子さんの姿とも重なる。
 「おれにとってお前は家族なんだよ」と女優を抱きしめるシーンに胸があつくなるのは、演じている劇団員同士に心からそう思う気持ちがあるからだ。もちろん脚本の石川英憲氏にも。
 それにしても、最前列で見たけど、みんな声でかすぎてびんびんひびく。
 900席のはこでも、マイクいらないんじゃないかな。
 セリフももちろんしっかりしてるし、小さな動きも理に適っているし、ちゃんとトレーニングを積んでる役者さんの身体能力は大変なものだ。
 もし、彼らが芝居に出会わなかったら、役のように地元で地道な暮らしをしていた、できた方々ではないか。
 あれだけのスキルを身につける努力をできる人たちだから、地元で地に足を付けて生きてたって、しっかりとした生活を作ることができるにちがいない。
 でも、出会ってしまったんだよね。

 斎藤範子さんのリーダーシップ、大高雄一郎さんの存在感には目を見張るものがあった。
 おそらく活動停止中も劇団をひっぱっていたであろうお二人に心意気に頭が下がる。
 そんな劇団員の意気に答えた石川英憲の脚本は、自分的には劇団子ベストだ。
 劇団の復活を祝って、芝居の神が舞い降りたかのような舞台だった。
 もしここを大阪の方が読んでらっしゃったら、来週末の大阪公演に行ってみて下さい。
 東京風こてこてエンタメの一つの完成形があると思うので。

コメント (3)
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舞台「幕が上がる」

2015年05月22日 | 演奏会・映画など

 

 「幕が上がる」舞台版は、六本木のブルーシアター、昔ブルーマンをずっとやってた小屋で催されている。
 一階席だけでキャパ900席。イスが大きなせいか、1200席超の川越市民会館よりずっと広く感じる。
 その18列目の席だったので、もう少し近い席で見たかったけど、オークションサイトでの高騰ぶりやキャンセル待ちの列を見たりすれば、抽選であたっただけでもラッキーだし、何より今をときめくトップパフォーマーたち振る舞いを目にすることができたことに感謝せねば。
 彼女たちより物理的にかわいい子は世の中にたくさんいる。
 歌のうまい子だって、そこらじゅうにいる。
 お芝居が上手な子も、山ほどいる。
 しかし技術を越えて、彼女たちが持つ人の心をひきつけてやまない何かは、天分なのだろうか。
 つくられたものなのだろうか。
 お芝居を観てると、ほんとによく練習したなと感じる。努力の痕跡をかくそうとしない。
 逆に言うと、一般人が手に届かないレベルの芸をかるがると行ってしまう、名人とかプロ中のプロといった仕事ぶりではない。ひたむきさ。
 一生懸命にやれば、何者かにはなれるのではないかと人々に思わせる、その思わせ方に天分を発揮している … 、なんて今さら「ももクロ」さんを論評する必要などないか。
 900席の小屋を一ヶ月間満席にし続ける「普通の」お芝居なんてないのだから。

 でもお芝居の技術的なうまさって、何をさすのだろう。
 滑舌、声質、立ち居振る舞い、気持ちのこめかた、入り込み方、脚本の理解力 … 。
 音楽でいうと、音程がよかったり、いい音色だったり、表現力が豊かだったり … にあたるこれらの要素は、でも十分条件ではない。
 一定のレベルまでは必要条件ではあるかな。
 人に何かを伝えたいとか、楽しんでもらいたいとかの思いも。
 芝居でも、歌でも、楽器でもなんでも、それをやらねば自分ではなくなるという覚悟の有無が決めるんじゃないだろうか。だから、むしろ「業」といった方がいいかもしれない。
 朝井リョウさんの小説を読んで「アイドルって何」って考えてしまったが、アイドル中のアイドルを生で見てみて、なるほどトップランナーは業が深いものだと感じ入った。
 あ、一番業が深いのは、平田オリザさんだ。
 本、映画、舞台と、別々の現場で異なる言葉をつむいできて伝えようとしているのはおそらく、どの作品にも出てきた「演劇で人はどこまででもいける」という言葉だ。
 演じるという制約のなかでこそ、人は自由になれる。
 部活の顧問て、それを目指さないといけないのではないか。

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学習力(2)

2015年05月21日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「学習力(2)」


 学ぼうとする「思い」は、どうやって作っていけばいいのか。
 「よし、強い心を持とう!」と思っても、なかなかそうはならない。
 「やる気を出そう!」と願っているだけでは、やる気が出ないのと同じだ。
 「思い」は抱こうと思ったからといって、実現できるものではない。
 逆説的な言い方になるが、マインドをつくるのはフィジカルだ。
 運動部の人は、実感できるのではないだろうか。
 身体の調子が良いときは、自然と気力も満ちあふれてくるものだし、逆の場合も当然ある。
 気持ちを高めようと思ったときは、「よし気持ちを高めよう」と祈るのではなく、声を出したり、からだを動かしたりしなければならない。
 学ぶ気持ちを高めるのは、「お願いします」と言う言葉であり、ノートを開き、姿勢を正して先生を見つめるという「振る舞い」だ。
 苦手なものは、「好きになろう」と気持ちでがんばろうとしても、状況は変わらない。むしろマイナスにはたらく。
 しかし、物理的に繰り返し接し続けると、次第に違和感が消え、いつしか好きになっていく。
 それが人間の脳のシステムだ。
 人間は気持ちがあるから動くのではない。
 具体的な行動をするから気持ちが作られるのだ。
 気持ちに支えられた物理的な学習時間が、学習力を形成していく。
 そうやって身につけた学習力は、長く将来にわたって自分を支えてくれる。
 学習力を身につけた結果として、自然に学校の成績も、模試の成績も上がっていく。
 大学で学問をする力、社会に出てからの仕事力の基礎となる。
 まずは、明日からの中間考査に真摯に取り組むという行動をとろう。

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武道館(2)

2015年05月21日 | おすすめの本・CD

 

 愛子が所属するアイドルグループ「NEXT YOU」のライブ風景。


 ~ 左端にいる波奈が一歩後ろへ下がるのと同時に、右端にいる真由が一歩前へ出る。
「はい!」と手を挙げる其由に向かって、主に真由のファンが、飛び上がったり奇声を発したりと猛烈にアピールをし始める。
「皆さん一緒にお願いします! 怒られたってすぐ『忘れがち』! だけど笑えばすぐに『友だち』! 天真爛漫元気な『あだち』!! ありがとうございます、もうすぐ高校二年生になります、だちまゆこと安達真由です、よろしくお願いしまーす!」歓声の中、真由が一歩下がる。
「はい!」
 真由の左隣にいるるりかが大きく、一歩前へ出る。
「お肌ぷるりん、おめめくりりん、あなたを連れてくドリーミン! いつまで経ってもあなたの妹、つるりんこと鶴井るりかです! 今日は名古屋のお兄ちゃんたち全員の妹になりたいな~、って思ってます! よろしくお願いします!」 (朝井リョウ『武道館』文藝春秋) ~


 こういう自己紹介の作成を、うちの部員たちにも課そうかな。
 自己表現のいい練習になるだろう。
 本番のいくつかの時に求められる、部活紹介にも何かパターンがあるといい … て、あるか。

 「こんにちは! 川越東高校です。ぼくたちは、男子○名、女子ゼロ名で、活動しています!」
 
 というつかみは、誰が部長だった代から使われているのだろう。

 「最寄り駅まで徒歩45分、一番近いコンビニまで2㎞、自然あふれる、絶望的な環境でがんばっています」

 は、現部長が確立したはずだ。

 大事なことはすぐ「忘れがち」! 老眼で楽譜を「見失いがち」! だけどハートは少年の「みずもち」!
 何歳になったか忘れました! 顧問の水持邦雄です、よろしくおねがいします!

 みたいなのを、秋の男祭りのときに、各先生に言ってもらおうかしら。
 自分でも作ろうとしてみて、あらためて朝井リョウの絶妙な設定に舌を巻く。

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躍進

2015年05月20日 | 日々のあれこれ

 

 昨日、日刊スポーツで本校野球部の躍進ぶりをチェックしていたら、隣に「あの夏とその後」というシリーズ企画があった。
 あの有名な、星陵高校vs簑島高校が取り上げられている。
 おれも高3だった。
 延長18回の死闘。延長に入り、星陵が二度のリードを奪い、しかもあとアウト一つで勝利を得るところまできていて、奇跡的なホームランで簑島が追いつき、最後には勝利した試合。
 甲子園で戦っていた同学年の選手達になんの思い入れもなかったが、あと一球という局面で、このフライをとれば勝利を手にするときに転んでしまった星陵高校の加藤くんのことは、記憶に残った。
 あのシーンをどこで見たんだっけ?
 学校帰りに、近くのおそば屋で(やばっ、店名が出てこない。ふじい君がかき氷食べてたっけ?)だったか。
 いや、家に帰ってからテレビをつけ、「うそ、まだやってるの?」と思いながら見たのだったか。
 そもそもなんで学校行ってた? 応援団の練習かな。
 延長18回を闘いきった両チームの選手たちは、その15年後に再試合をしたと記事にはある。
 最終回の二死後、簑島高校の尾藤監督が代打に立った。
 すると星陵は山下監督がリリーフのマウンドにあがる。
 尾藤監督の打った球は一塁方向に上がった。
 「加藤、とれ!」山下監督が絶叫する。
 両軍のメンバーみんなが祈るように見ている。
 「おれのせいで負けた」と自分を責め続けていた加藤選手の気持ちを、みんながずっと共有し続けていた。
 試合後の宴会では、「今日は加藤のために乾杯や」と言う簑島の尾藤監督の言葉に、元星陵ナイン達はみな泣いたという。
 昨年みた「アゲイン」も重なってきて、職員室の片隅で涙ぐんでしまった。

 いろんなドラマがある。
 野球にかぎらない。うちにだってある。
 部活でなくてもある。それぞれに貴賤はない。
 でも、野球は圧倒的に目立つけどね。
 
 「よーがんばるわ。でもあの落球の子、この先大丈夫か」と他人事でしか見ていなかった当時の私めは、将来高校の教壇に立つなどと微塵も考えてない。
 大学院を出るとき、地元公立教員の道は開けず、募集のあった二校の私立高校に願書を送った。
 たまたま先に面接日があったのが本校だった。
 もう一つの学校さんは、その後すぐに甲子園出場の常連になる。きっと喜んで応援とか行ってたことだろう。
 ここ数年、まさかこんなに行くことになるとはと思うくらい応援に行かせてもらっている。
 今回は試験前のため、ままならかったが、きっと夏は充実した応援デーが待っている。
 野球部にかぎらず、関東に行きまくっている運動部勢にあやかって、うちも躍進したい。
 

 応援いただいたみなさま、ありがとうございました。

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武道館(1)

2015年05月19日 | おすすめの本・CD

 

 アイドルになりたくて、アイドルになって、アイドルをやめざるを得なくなった女の子を描く『武道館』は、これからも青春小説の一つの頂点として語り継がれることになる作品だ。
 青春小説――。たとえば『幕が上がる』とか。『2.43』とか『武士道シックスティーン』とか『一瞬の風になれ』とか『ボックス』とか『俺はどしゃぶり』とか … 。
 あれ? 青春小説と聞いてすぐに思い浮かぶのって、みんな部活小説だ。
 アイドルの世界を描くこの作品が、それほど部活小説のにおいを発していたからかもしれない。
 アイドルと部活は、似ている。
 なんかミカンと分度器みたいな並列だけど。

 一番似てるのは、時間が限られている点だ。
 アイドルとして活躍できるのはほぼ十代の後半。
 もちろんトップアイドルとなり、二十歳を過ぎてもそのままの位置に居続けることができる人もいるが、二十歳を越えてあらたにアイドルになるのは難しい。
 少女から女性になる端境期に、天使としての最後の輝きを見せる瞬間に、その聖性を具現化するのがアイドルだと思う(おー、評論ちっく)。

 有限の時間の中でこそ人は輝く。
 部活も限られた三年間で燃焼しきらないといけないからこそ、愛おしいのだ。
 かりに部活が20年とか続くとしたら、保護者のみなさまも困ってしまうだろう。
 そんなに何十年もバーベキューの準備をお願いできない。
 有限の時間という制約の上に何かを作り上げるには、多くの時間を費やす必要がある。
 その結果部活以外のことに割く時間は減る。
 学校さんによっては、勉強時間すらほとんどなくなる。
 アイドルに至っては、生活のすべてがアイドルとしての自分を支えるために費やされる。


 ~ この教室にいる皆は、これから、今は想像もしていないようなものにたくさん出会う。大学に行って留学するかもしれない、就職していきなり大きな仕事を任されるかもしれない、好きな人にとんでもなくひどい振られ方をするかもしれない。自分が何になるかもわからない中で、何になってもいいような土台をつくるために、これから生きていくのだ。
 私は、アイドルになった。今は、レッスンを重ねることで、歌とダンスを極めている。紙の白が、周りの景色にまで侵食していく。
 自分は今、歌とダンスを極めているのだろうか。それとも、歌とダンス以外のすべてを、奪われているのだろうか。
 目の前の生徒の体が、びくんと跳ねた。寝ていたのだろう、その変な動きをごまかそうと、なんとなく伸びをしたりと、体を動かし続けている。
 自分はもう、そうだとは気づかないうちに、ひとつの選択を終えていたのかもしれない。愛子は急に、そんなことを思った。その選択が正しいのかどうかもわからないまま、何かを選び、何かを捨てているのかもしれない。そしてその何かは、自分が想像しているよりも、ずっとずっと大きな――。 (朝井リョウ『武道館』文藝春秋) ~


 アイドルも部活も、一体どれほどのものを犠牲にするというのか。
 しかし、成長期の自分という貴重なリソースを惜しげも無く投入されて作られたものが、人の心をうたないはずがない。
 ファンやおっかけが生まれて当然だ。

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変わりたくないわたしたち

2015年05月18日 | 日々のあれこれ

 

  大阪は「都」ちゃうやん、ぐらいの感覚的問題で賛成しなかった人もいるのではないだろうか。ちがってたら申し訳ないけど。
 でも、いっぺん、がらがらぽんをしたほうがいいかもね、と言う人が多くなるのかなと思ってみていた。
 日本全国いろんな自治体があり、いろんな問題を抱えているのはたしかだが、あまりにも大阪の実態はやばくないかと感じていたからだ。
 橋下さんの人柄や手法や「大阪都」という方法論など、どれをとってもすっきりさわやかに「賛成!」とは言えないものの、さすがに変わっていかないと立ちゆかないのではないか、といろんな報道をみながら考えていた。
 大阪でそれくらい変われれば、日本全体津々浦々、自治体に限らずいろんな組織に影響があるのではないかという気もした。
 でも、冷静に考えたら、そんなことはあるはずはない。
 大震災であれだけ大きな犠牲をはらったあとでさえ、いろんなことは変わらなかった。
 行政組織でなくても、たとえば我が校の職員室でさえ、何かを変えようとするにはとんでもなく大きな力が必要になる。
 県立の先生方を拝察するに、本校以上に頑なな変わらなさを生きてらっしゃる方が多そうだし、吹奏楽関係の組織にもそれを感じる。
 最近の話題だとバスケット連盟なんかもそうだ。
 身も蓋もない言い方かもしれないが、それが日本人だ。
 ひょっとすると「それが人間だ」なのかもしれない。
 アメリカの変わらなさなんかも、ぱないからね。
 だから、政治に携わろうなどと思う人は、それを前提に働かねばならないのだ。
 大変だけど、がんばってほしい。
 みなさん、ほんとうによくやってくださっていると感心する。

 橋下さんのように、「じゃあ、やめます」と言うのは、だからがっかりもするのだ。
 橋下市長の志とは、その程度のものだったのかと思ってしまうから。
 一見潔くも見えるふるまいだが、結局は覚悟が不足していたのではないか。
 人の上に立って何事かをなそうとする場合、「千万人と雖も我行かん」の心構えがいる。
 たとえ、数人の組織のリーダーであっても、その気概が必要なときはある。
 反対票が多かったとはいえ、賛成とほぼ同数の方が賛同し、なんとかしたいと意思表示をしてる状況だ。
 これでやめるのはどうだろう。生き方の問題だから、とやかく言うことはできないものの、「やめれる人はいいよね」って思ってしまうのも正直なところだ。

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学習力

2015年05月18日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「学習力」

 スタディサポートの結果は、みなさんが考えている以上に正確に将来を予想するようだ。
 先日、Benesseの担当者さんから説明を受け、なぜそうなのかを知ることができた。
 普通の模擬試験とスタディサポートが異なるのは、学力だけではなく学習習慣もあわせて診断される点にある。学力だけではなく「学習力」という概念の存在だ。
 学力はあっても、学習力が不足していると、今後成績は下降していく。
 今の学力が劣っていても、学習力をつけていくことで、成績は上昇していく。
 今のみなさんに必要なのは、まずは「学習力」を身につけることだ。
 これまで多くの川東生を見てきたが、大変優秀な成績で入学しながら、結果的にその能力を発揮することなく卒業していった先輩もやはりいた。
 逆に、はっきりいってギリギリで入学し、三年後に最難関の国立大に合格した先輩もいた。
 「中学校までは、そんなに頑張らなくても成績は上位だった」という人もかなりいると思う。
 しかし高校の勉強内容は、ほとんどの川東高生にとって、純粋に地頭のよさだけで処理できるものではない。
 毎日一定の学習時間を費やす習慣がないと、成績はあっという間に下降していくだろう。
 では勉強時間さえ確保されれば学習力が身につくと言えるだろうか。
 実はそれも違う。
 与えられたことに、義務的な気持ちだけで取り組んでいる場合、学習力はあがっていかない。
 学びたい、学ぼうという「思い」の存在が必要だ。


 ~ 学ぶ力には三つの条件があります。第一は自分自身に対する不全感。自分は非力で、無知で、まだまだ多くのものが欠けている。だからこの欠如を埋めなくてはならない、という飢餓感を持つこと。
 第二は、その欠如を埋めてくれる「メンター(先達)」を探し当てられる能力です。メンターは身近な人でもいいし、外国人でも。故人でも、本や映画の中の人でもいい。生涯にわたる師ではなく、ただある場所から別の場所に案内してくれるだけの「渡し守」のような人でもいいのです。自分を一歩先に連れて行ってくれる人は全て大切なメンターです。
 第三が、素直な気持ち。メンターを「教える気にさせる」力です。オープンマインドと言ってもいいし、もっと平たく「愛嬌」と言ってもいい。
 以上、この三つの条件をまとめると「学びたいことがあります。教えてください。お願いします」という文になります。これがマジックワードです。これをさらっと口に出せる人はどこまでも成長することができる。この言葉を惜しむ人は学ぶことができないのです。学ぶ力には年齢も社会的地位も関係がありません。みなさんも、いつまでも学ぶ力を持ち続けてください。 (内田樹「キャリアの扉にドアノブはない」より) ~

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学年だより「ビリギャル」つづき

2015年05月14日 | 学年だよりなど

 

  「ビリギャル(3)」


  言われたことに素直に従ったこと、自分で「慶應に入る」と本気で思ったこと、「さやかなら入れる」と言ってくれる人の存在。
 それらが合わさったせいか、彼女の成績は徐々にあがってきた。
 金髪ギャルだったさやかちゃんも、黒のひっつめ髪で、ジャージ生活を送っていた。
 高校3年の秋には、英語の偏差値が70を越える。
 しかし、それでも日本史や国語が遅れていて、模試ではE判定しかでない。
 模試の判定をみて「やっぱり私には無理だ」と泣くさやかちゃんに、「そんなにつらかったらやめてもいいよ、今までの頑張りをみただけでお母さんは十分」と母親は声をかける。
 「あきらめるにしても一度大学を見てきたらどうでしょう」という坪田塾長の勧めにしたがい、母娘は名古屋から車をとばし、日吉と三田の二つのキャンパスをくまなく歩いた。
 すぐに車を出してくれた母親に感謝の思いをいだきながら、やっぱり最後まで頑張りたいと、さやかちゃんは帰りの車の中で口にしたのだった。

 さやかが通っていた高校の生徒は、そのほとんどがエスカレター式に上の女子大に進学していく。
 外部受験をすることを公言し、授業時間のすべてを内職と居眠りに費やすさやかの態度は、許しがたい「反体制」の生徒だった。
 「おまえなんかが、慶應に受かるわけはないだろ。バカなことを言うな」と笑う担任を見返してやりたいという強い気持ちも、一つの大切なモチベーションだった。

 三科目合計の偏差値が60を越えたのが高校3年の12月。
 やり方は間違っていない、あとは残された時間との勝負だ。
 坪田塾長は、英単語をアホみたいに覚え続けさせたり、日本史対策に『学研まんが日本の歴史』全巻を5周読み直させたりする。小論文対策を意識してライブドアに関する話をふって、無理矢理意見を言わせたりした。
 そして最後の一ヶ月は、徹底した過去問演習と、弱点補強。
 慶應の入試問題の傾向と共通する大学の過去問を解き、その出来具合から併願校を決める戦略は、塾長が立てた。
 本命校の前に、抑え校が一つ受かり精神的に楽になっているようなスケジューリングも行った。
 最初に受験した関西学院はいけるという感触だった。母親と上京して受験した明治はまあまあの出来で、上智は英語の時間中にあきらめた。
 いったん名古屋にもどり、慶應の試験は一人で出かけることにしていたが、その直前はさすがに緊張を隠せなかった。
 「先生、プレッシャーでおしつぶされそう」と言うさやかちゃんに、坪田塾長はこう答える。
 「プレッシャーがあるってことは、受かる、って心の中で思ってるってことだよ。だって、落ちるって思ってたら、プレッシャーなんか無いはずだから。すごいね! 成長したね!」


  「ビリギャル(4)」

 関西学院に続いて明治にも合格。上智は予想通り失敗、慶應の商学部、経済学部は不合格。
 坪田塾長が最も可能性がある考えていた本命の文学部は、不合格だった。


 ~ 最後の、慶應大学政策総合学部の結果発表は、昼のことでした。
 家には誰もいませんでした。
「ああちゃん(注:お母さんのこと)もいなくて、みんな気を遣っていなかったのかも」
 そんな中、さやかちゃんが、規定の時刻に指定のホームページへアクセスし、パソコンでぽちぽちっとマウスをクリックすると、画面に表示されたのは、
「おめでとうございます!」
 という文字でした。
「むぁじか!!」 というのが、その画面を見て、出た言葉でした。でも、意外とすぐに冷静になって、「やっぱりな~、だって、できたもんなあ」と、思い直しました。 ~


 さやかちゃんはすぐに、ああちゃんに電話する。急いで帰って来た母親と二人で抱き合う。父方のおばあちゃんも帰ってきて、泣きながらさやかちゃんに抱きつく。この時さやかちゃんは、おばあちゃん孝行ができたと思ったという。
 総合政策は難しいだろうと思っていた塾長は、さやかからの着信を目にして、一瞬出るのをやめようかと思った。不合格だったときのために、手紙を書いて用意していたくらいだったのだ。
 意を決して通話を押した瞬間、耳に飛び込んできたのは、「受かった~!!」という言葉だった。
 頭の中が真っ白になり、「おおお~、おめでとう」しか言葉がでなかった。
 二人はしばらくの間、「おめでとう!」「ありがとうございます」と繰り返していた。
 (ちなみに現在公開中の映画「ビリギャル」では、さやかに扮する有村架純ちゃんが、坪田先生におもいきり抱きついてくる。おもいきりうらやましくなったシーンだった。そして見終わったあと、思わず学校にもどって仕事してしまうほどやる気の出る映画でした。)
 さやかちゃんの合格は、坪田塾長にも大きな自信となった。
 そして改めてさやかちゃんが合格した理由を考えたとき、やはり一番は、彼女が「中途半端なプライドを捨てて、恥をかくのを恐れなかった」ことだと感じていた。


 ~ 「頑張る」って意外といいもんでした。
 もし慶應に落ちて別の大学にいっていても、同じことを思ったと思います。大学受験をして得られたものは、慶應に受かることと同じくらい価値のあるものだったと思うからです。なにも、頑張るそれが「受験」でなくてもなんでもいいと思います。何かひとつやり遂げることって人生何度も経験できるものではないし、こんな私でもそれなりにできたんだから、誰でも本気になればなんだってできるよ! と大声で言いたいです。 ~


 巻末に載せられた、さやかちゃんから読者へのメッセージだ。

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婉曲表現は「言いたいこと」

2015年05月13日 | 国語のお勉強(評論)

 

  古典文法の時間に「この助動詞の意味は婉曲です」と言うと、多くの高校生は「婉曲?」という顔をする。
 たしかに日常会話では耳にする機会は少ないし、「婉」て何だし? と思うのがふつうだ。
 ではいつものように問題です。
 「婉曲」という言葉と、同じ構成でできている熟語は、次のうちどれでしょう。
  a日没 b流氷 c読書 d平均 e善悪
 答えは … 。
 ジャジャジャカジャカ … ドン。
 正解はdです。 

 「婉」は「まがりくねった」という意味の語で、「婉曲」は同義の語を重ねた熟語だ。
 つまり「婉曲」とはストレートではなく、変化球ということ。
 直接的、断定的物言いではなく、遠回しに、ぼかして言う表現のこと。
 実は、日常会話において私達は頻繁に用いている。

 「どんな音楽聴いてるの?」
 「う~ん、Jポップだとミスチルとかかな」
って言うときの「とか」が婉曲表現だ。
 「えっと、JAZZとか言うのもかっこつけてるみたいだし、AKBって言うのも子どもっぽいし … 」という内面にうずまく思いが「~とか」に表される。
 「どう思う?」
 「そうだなあ。おれ的には … 」の「的」、「どこの大学行ってるの?」「え? いちおう○○大」の「いちおう」なんかは、その典型だ。

 古文の助動詞「む」の婉曲用法は、訳には直接出さなくてもいい。
 「む」のついている内容が「未確定」だと理解しておけばいい。
 現代文では、婉曲的な表現の部分にこそ、筆者の「言いたいこと」が述べられているので、注意しないといけない。
 「水の東西」の授業9「注意する表現」で、こう書いた。

   … と思われる
     … と言えるのではないか
   … ではないだろうか     断定してない表現は、実は強い主張の現れである。

 もう少しくわしまとめておきたい。

   … と思われる  … と考えられる  … と言える

 のように、あくまで自分の考えですよ、という「主観・推論」表現。

   … ではないだろうか  … と言ってもいのではないか  … のようだ

 という、「疑問・反語・推定」などの形。

 こういう婉曲的表現はくっついている文は、実は、筆者がより強く「言いたい」内容が表されている。

 なぜ、そう書くのか。
 ストレートな言い方をしない方がよりよく伝わることを、無意識のうちにわかっているのだろう。
 評論文の「言いたいこと」、つまり「主張」は、普通の人の考えとは反対のことを言う。
 「みんなこう思ってるよね、でも実は … 」という中身だ。
 その内容が、強く言い切られたら、読む方はどう感じるか。
 カチンとくる人もいるにちがいない。
 ちょうど、先生に頭ごなしに注意されると、筋の通ったものであっても反発してしまうように。
 同じ内容でも、「君の考えも一理あるけど、先生はこう思うんだよね、あくまでも参考にしてほしいんだけどね」と言った方が聞いてもらえる可能性が高くなる。
 
 だから筆者はこう書く。

 ~ 言うまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、おそらく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた。それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れではなかっただろうか。 ~

 「形なきものを恐れない心の現れなのだ」(わかったか、このやろう!)とは書かない。

 ~ もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのに、もはや水を見る必要さえないと言える。ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言えるかもしれない。 ~

 「日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだ」(そんなことも理解できないのかよ、しょうがねえな、教えてやるからおぼえておきな)とは書かない。

 「ぼかした部分にこそ言いたいことがある」の原則をおぼえておこう。
 もちろん、筆者の内面は自信満々なのだが。

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