水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ありがとうございました!!

2024年03月31日 | 学年だよりなど
 おかげさまで第31回定期演奏会、盛会のうちに幕をおろすことができました。
 たくさんのご来場、そしてたくさんの拍手、手拍子、笑顔ありがとうございました。
 よろしければ、来年もおはこびください!!


 アンコール「セプテンバー」「You Cant Stop The Beat」

 第32回定期演奏会 2025年3月29日(土)15:00開演予定

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第31回定期演奏会

2024年03月30日 | 日々のあれこれ
 川越東高等学校吹奏楽部 第31回定期演奏会

日時 3月30日(土) 14時30分開場 15時00分開演

場所 ウエスタ川越 大ホール (入場無料)

交通 東武東上線/JR川越線「川越駅」西口より徒歩5分

曲目 1部 風紋  ウィークエンド・イン・ニューヨーク
       イースト・コーストの風景
   2部 J-POPヒットメドレー ~ あの夏の日を忘れない「ドルオタですが、何か?」 ~ 
   3部 スクーティン・オン・ハードロック インディゴ・クラウド
        テンプター  スペイン  他


          みなさまお誘い合わせのうえお出かけください!
          ご来場お待ちしてます!!!

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何をやるか

2024年03月02日 | 学年だよりなど
3学年だより「何をやるか」




 自分のものの見方を広げていける場として、大学は有効な場所だ。
 どの大学に進学するかは、今までの人生になかで一番大きな決断だと感じた人も多いと思う。
 そして、その決断も、純粋に自分の気持ちだけで決定できるものではないという現実を、感じ取ったかもしれない。
 目標が100%叶った人も、まったく違う方向になった人も、それがどこであれ、自分で決めて入った大学が、自分のベストだ。そこからスタートしよう。
 「ほんとは違ってたかも」と考える時間ほど無駄なものはない。
 もう取り返しがつかないのだから。
 後悔にかける時間も、自分の貴重な資産の一部であることにまちがいない。
 これからの人生に於いて重ねることになるであろう数々の失敗は、それを後悔している時間は資産の浪費になるが、次の自分にいかすことができるなら、失敗でさえなくなる。
 「自分」という資源は、自分の今後の可能性を高める方につぎこむべきだ。
 自分のやりたいこと、すごしたい人生に、1%でも近づく方向になるように、毎日を積みかさねていけばいい。




~「成瀬さんは将来何になるんですか?」
 漫才も司会もできて、パトロールが趣味で、京大を目指すほど勉強が得意な人は将来何になるんだろう。
「先のことはわからないからなんとも言えないが……。何になるかより、何をやるかのほうが大事だと思っている」
 何になるかより、何をやるか。わかるようなわからないような言葉だけど、成瀬さんが言うとかっこよく感じる。
「たとえばわたしはパトロールを好きでやっているが、警察官になりたいとは思ってない。会社員になったとしても、パトロールはできるだろう。だからわたしが何になるかは未定だが、地域に貢献したいとか、人の役に立ちたいとは思っている」
 わたしは鳥肌が立つのを感じた。わたしはこれまで何になりたいか訊かれたら、ケーキ屋さんとかお花屋さんとか好きなお店を適当に答えていた。でも、何をやりたいかと考えたら、人を笑顔にしたいとか、別の視点が生まれる、何になるかより、何をやるか。あとでちゃんとノートに書いておこうと思った。 (宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』新潮社)~




 将来、具体的に何をやりたいのか――。
 大学に入るとすぐにでも決断しないといけないような雰囲気におかれる場合もあるが、あわてる必要はない。
 どんな方向、どんな方面のことを考える自分が楽しいのかな、何をやっている自分が好きかな? 
 というようにゆっくり考えてみたらどうだろう。
 せっかくそれができる時間をいただいたのだから。
 卒業おめでとうございます。
 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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人間像

2024年03月01日 | 学年だよりなど
3学年だより「人間像」




 筋トレ、メンタルトレ関係の本をたくさん書かれているテストステロン氏は、「人間を信頼していない」という。
 なぜか。
 そもそも「人間が弱い生き物だと知っているから」だと。
 だから、かりに友人が悪い事をしてメディアでバッシングされたとき、「あいつがそんなことをするはずがない」などとは絶対言わないそうだ。




~ どれだけ立派な人間でも魔が差す事はある。
 第一に、人間は環境に強く影響される。特殊な環境下に置かれ、普段なら絶対に取らないであろう行動を取ってしまうような外圧が高いとき、人間の自制心やモラルなんてもんは簡単に崩れ去る。俺にも自制心とモラルはあるが、今後の人生で自分が自制心やモラルに反する事を絶対にしないなんていう自信は一切ない。自分の事すら確信が持てないのに、他者に確信など持てるはずがない。俺が悪い事をしなくて済んでいるのは、環境に恵まれているから。こっち側と向こう側なんて、紙一重だと思っている。
 第二に、人間の脳は暴走する事がある。慢性的な睡眠不足だったり、ストレスがかかりすぎたりしていると、自分自身の制御が効かなくなる。制御が効くのであればアルコール依存症も摂食障害も存在しないはずだ。人間には、正しいと思っているわけでもないしやりたいと思っているわけでもないのに、その行為を避けられない、どうしてもやってしまうという事が往々にしてあるのだ。そこに論理は存在しない。そういうもんなのだ。
 第三に、他人が腹の底で何を考えているかなんて絶対にわからない。絶対にだ。
 ということで、俺は基本的に人間を信じてない。なんなら、自分の事すら信じられていない。
 では、俺は人間が嫌いなのか?というと、そんな事はない。むしろ、大好きだ。 (Testosterone「X」)~






 この先、いろんな人に出会うだろう。
 自分の想定している「人間像」が狭いままだと、想定外の人に出会ったときに、とまどい、圧倒され、ときに傷つく。
 「そんな人はいるはずがない」ではなく「こんな人もいるんだ」と受けとめていけるようになることが、大人への大事な階段だと思う。

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