水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

流人道中記

2020年05月28日 | おすすめの本・CD
 近代社会ゆえに生じる主人公の屈託を描くのが近代小説だという話を授業中にしている。
 近代になって個人という概念が生まれたために、人は悩むようになり、その苦悩を描くのが近代小説だ、と。
 日本でいえば、前近代、たとえば江戸時代の人は悩まない。
 なぜなら、村や世間のなかで、ひとりひとりが決まったとおりに、与えられた宿命をいきていただけだから……
などと話す。
 もちろん類型化しているという意識はある。
 江戸時代に生きる人たちだって、心にさまざまな屈託を抱いていたにちがいない。
 しかも、こうありたいと願ったとき、そうはなれない自分の、なれなさ度合いは、今の比ではない。
 だから、気づいてしまったときには、近代人以上にせつない事態に陥る。

 武家とはいえ最下層の家に生まれ、貧乏がしみついて育った乙三郎。
 縁あって、格上の石川家に婿入りし、年端のいかない妻きぬとの間には、まだ夫婦関係はない。
 ある日、急な命令で、流罪となった旗本の護送役を仰せつかる。
 事情がよくわからないまま、奥州道を北上し津軽半島の果てまで押送(護送)する旅に出る。

 青森に行ったのはいつだったろう。
 毎年下北沢のスズナリで観劇する「渡辺源四郎商店」のお芝居がタイミングあわずに行けなくて、でもどうしても見たくなって、青森にある劇団のホームまで行った。余裕で日帰りで行けた。新幹線はおそろしく速い。ゾンビものってこなかったし。
 新幹線も高速バスもない江戸時代に、参勤交代などという制度があったのは、とんでもないことだと思う。

 蝦夷地へ送られる船に乗せるために向かう、津軽半島は三厩の地までは、およそ一ヶ月の旅。
 犯罪人と一ヶ月寝食をともにする仕事というのも、過酷すぎて想像がつかない。
 しかも、その流人とは高禄の旗本、つまり護送役の乙三郎よりはるかに格上の侍だ。
 そもそも、そのお武家は一体何の罪を犯したのか。
 急な出張命令でいぶかしむばかりだが、出立してすぐに、その旗本の青山玄蕃がやらかしたのは不義密通だと知る。
 不義密通 … 。なんと、破廉恥な … 。
 もしかすると、旅の途中で、そやつを斬ることが真の命令なのかとも、乙三郎は疑う。
 寝食を共にしていると、青山玄蕃は「食えない」ヤツだった。
 たしかに家の格では、彼がはるかに上の存在だ。
 天下の旗本と、一介の与力とが、日常会話をする状況は、ふつうならありえない。
 しかし、そんな格の違いを鼻にかけてくるようなたたずまいは、玄蕃にはない。
 自分は犯罪人、はるかに年下の乙三郎は押送人という、分はわきまえて接してくる。
 むしろ家としての、武士としての格以上に、人間としての格がちがうことを、乙三郎は感じていく。
 この者は本当に罪を犯したのか、本当にそうだとしたら、何か事情があったのか。
 とはいえ、切腹を拒否して流人になるということ自体は、許されるのか。
 旅を続けながら乙三郎の疑問はふくらむばかりだ。
 道中で二人は、さまざまな人に出会い、事件にまきこまれるが、そのたびごとに玄蕃がうまく解決していく。
 
 
~ ねえ、きぬさん。
 僕はこまごまと気に病むたちなのでしょうか。自分ではむしろ呑気者だと思っているのですが。
 青山玄蕃なる流人がそう言うのですよ。「石川さん、あんたは気が細かすぎる」と。
 さて、どうでしょう。自分のことはわからぬものです。
 どれほど目を凝らそうと、世の中にはひとりだけ見えぬ顔がある。自分自身の顔ですね。鏡に映したところで右と左が逆様だから、けっして正体ではない。
 どれほど耳を欹てようと、世の中にはひとつだけ聴こえぬ声がある。自分自身の声ですね。それは耳が捉えるのではなく骨に響いて伝わる音だから、実は他人が聴く声とはまるでちがう。
 それらと同じ理屈で、どれほど心静かに考えようと、自分の気性などわかるはずはない。だから僕は呑気者ではなくて、もしかしたら苦労性なのかもしれない。
 もっとも、それらは何から何まで、青山玄蕃のご高説なのですがね。聞きながら僕が考えこむと、高笑いをして指を向けるのです。
「ほおれみろ、何をそんなに考えこむのだ。しょせん考えてわかる話じゃあるめえ。それに、もっと肝心なことだが、あんたが思うほど他人はあんたを見ちゃいねえ。あんたの話も聞いちゃいねえ。ましてやあんたの気性がどうだなんて、誰も考えちゃいねえよ」
 玄蕃の物言いにはいちいち腹が立つのですが、そのときばかりは何やらスッと胸が軽くなったような気がしたものでした。
(浅田次郎『流人道中記』) ~


 まじめで一途な若者は、あるべき自分を貫かねばと思いながら、人生経験豊富な玄蕃とのやりとりを通じて、自分の考える「あるべき姿」がほんとうに正しいのかとの考えが浮かぶ。
 汚名を雪ごうとせず、家を捨て妻子を捨てても、玄蕃が守らなければならなかったものを知ったとき、「人」として生きようとすることの難しさと、しかし「人」でありたいとの強い思いの前に、自分のかかえていた屈託が別の形になっていくことを感じ始める。
 上下二巻の長編。江戸を発ち、粕壁を過ぎて杉戸宿、芦野宿、白川の関を越えて仙台、一ノ関、沼宮内……。
 残り頁が少なくなるにつれて、読み終えるのが惜しくなってペースを落とした。
 ずっと、この二人のやりとりを読んでいたかった。
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セルフコントロール

2020年05月27日 | 学年だよりなど
  3学年だより「セルフコントロール」


 学校が始まったら始まったで、こんどは行くのが面倒になる日もあるだろう。
 「このまま自分のペースで勉強し続けるのも悪くない」と内心思っている人もいるかもしれない。
 2パターンあるのではないか。
 この期間を十分にいかしきって、2年までの復習をやりきり、苦手科目も克服しつつある状態の人。すばらしい、そういう人は、学校に通い出せば、さらにスピード感を上げて進める。
 この期間が、思っていたほど有効にすごせなかった、山ほど時間があったわりに不完全燃焼感が漂っている人。大丈夫、学校に通い出せば、しっかり取り戻していける。
 閉じこもっている方が好きな人、もしくは意外に好きだったことに気づいた人も、今後のために多少がんばりながら、「新しい日常」を模索していこう。
 体調を整え、気持ちを整えていくことがすなわち感染予防でもある。


~ セルフコントロール力を高めるコツは、
1、自分の過去の最高の出来事、辛かった出来事と向き合い、「心・技・体・生活」で分析する。
2、自分の結果や生活の幅を感じる、幅を知る。
3、最高の状態を生み出したキッカケ、行動、コツを意図して増やす。
4、最低の結果を生み出してしまったことと縁切りする。
 この4段階に従い、少しずつ行動していくと必ず結果に繋がる。
 心はメンタルトレーニング、技はテクニカルトレーニング、体はフィジカルトレーニング、生活はライフスキルトレーニング、で鍛えることができる。
 やみくもに行動せず、一度しっかりと振り返って欲しい。
 コロナの影響でも在宅やホームワークが増えている。
 自分と向き合い、仲間、家族と楽しく振り返りミーティングをして欲しい。
 そして、セルフコントロール力を高めてもらいたい。
 コロナに勝つには、「免疫力を高める」ことは間違いないが、ワクチンや薬を待たずとも、自分の「セルフコントロール力」を高めるとよい。
 自己免疫力を高め、感染確率を減らす行動を選択して欲しい。
        (原田隆史メールマガジン「仕事と思うな、人生と思え」Vol.568) ~


 どう生きれば良い結果が出るのか、すべて自分の中に答えがあるのだろう。
 うまくいったこと、成功したこと、失敗したこと、やらかしちまったこと。
 それらを自己分析してみると、人それぞれに、それぞれの幅が見えてくる。
 自分の未来は、その幅の中からしか生まれないであろうことが予想できる。
 幅自体を大きくしていくために、学校生活の諸々が用意されているはずだ。
 明日待ってます。
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動きはじめる

2020年05月26日 | 学年だよりなど
緊急事態宣言が解除になって、本校では、明後日から準備登校、来週から分散登校が始まる。
 部活の開始はさらに2週間ほど遅れるだろうか。
 今年の高校3年生は、新共通テストの第一期生だが、しかし予定されていた英語民間テスト導入や数学国語の記述問題がなくなったりした。「時代に翻弄されてるね」などと苦笑いをしながら語り合っていたことは、翻弄の序章にすぎなかった。
 テストのあり方については、わたしたち大人の無能ゆえの責任だから謝るしかないのだが、コロナ禍ばかりはいかんともしがたかった。どの程度自粛すればいいのか、今後どうすべきかは、誰も答えをもっていない。
 コンクールもインターハイもほんとに中止すべきなのかという思いが全く消えたわけでもない。
 しかし、わたしたちが今いる環境のなかで、やれることをやって生きていくしかない。
 ネット上には、やれ政治がわるい、役所がわるい、専門家がわるいなどとご自身の説を滔滔と語る方はいらっしゃる。
 しかし、彼らはそうはいっても、現時点で現実を変えうる立場ではないという事実が、その程度の方であり、その程度のレベルの意見だと受け止めるのが、現時点での正解に近いのだろう。
 かりに現実の方がまちがっていたとしても、それもふくめて日本人みんなの実力だ。
 おっと、評論家よりの文章になってしまったかな。
 なんにせよ、一歩進めるのはうれしい。
 いや、もちろんこの期間も進んではいた。
 わが部で言えば、テレワーク合奏を世に問うこともできた。
 https://www.youtube.com/watch?v=N7RN2kdiP48&feature=youtu.be
 おそらく、まもなく100万回再生に達するであろう。
 あわてず、やすまず、一歩ずつ。
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アスリート

2020年05月25日 | 学年だよりなど
  3学年だより「アスリート」


 自らの身体能力を発揮することに心血を注ぐ人を、私たちはアスリートと呼ぶ。
 彼らは、自らの能力を鼻にかけて人の上に立とうとしたり、自己顕示欲を満たしたいという思いから、そうしているのではない。
 与えられた能力を存分に具現化することが、神への敬意であり感謝であるということを無意識のうちに理解しているのだ。
 人は、彼らのその姿を見て、心を動かされ、元気をもらい、生きる力を見出す。
 元気な若者の姿を見ることで、かつて若かった人は力を得るように。
 同時に年配者の知恵を吸収して、若者は道を見出す。
 大自然の前には無力な人間どもだが、そうやって連帯してこの世の理不尽と戦ってきた。
 ときには無力さに打ちひしがれながらも、手を取り合って立ち向かってきた。
 自分の持てる力を発揮し、何かのために役立てようとしている人は、アスリートとよんでいい。
 みなさんの場合なら、今たまたま目標としていた大会がなくなり、運動アスリートとしての生き方を見直す状況になっている人も多いだろう。
 しかし、これから進学、就職、社会人生活という形で、世のため人のためになっていくという人生を想定するなら、勉強アスリートとしての生き方は、ずっと維持しないといけない。
 いかにして自分の能力をのばすのかを、アスリートはいつも考える。
 何時間寝て、何を食べて、どういうエクササイズを自分に課していけばいいのかを考える。
 どのように毎日を過ごしたかを記録し、ふりかえりながら、自己を高めようとする。
 部活の後に書いていたノートと同じように、いやそれ以上に、日々のすべてを記録するといい。
 記録さえきちんとしていけば、能力は自然と向上する。
 健全な心身を与えられ、自分の目標に向かって専念してて誰にも文句を言われないどころか、賞賛までされるという、恵まれた状況に自分があることへの感謝になる。


 ~ 一流のアスリート、アーティスト、リーダー、経営者を分析すると、ゾーンの上、すなわち過去の成功をもたらした「心・技・体・生活」の要素を、意図してリピートしているのがわかる。
 イチローが毎日カレーを食べていた、奥様のオニギリを何千個も食べていた、という逸話はここからきている。
 過去に成果を出せたコツ、ヒント、行動、状況を分析し、意図して繰り返しているのだ。
 それに対して、結果を出せず、残念ながらいつもよく似た失敗で撃沈をしている人は、過去の振り返り、分析をせず、毎回、最低の結果を生み出してしまった自分の考え方や行動を本能のように繰り返す。 (原田隆史メールマガジン「仕事と思うな、人生と思え」Vol.568)~


 振り返ってみて、よくない結果をもたらすものが見つかれば、排除していく。
 いい結果をもたらす行動は、それを繰り返しながら、さらに工夫して精度を高めていけばいい。
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津島祐子「水辺」(センター2001年)④

2020年05月24日 | 国語のお勉強(小説)
津島祐子「水辺」(センター2001年)④


補充記述問題(リモート添削)

設問「歪んだ、こわれやすい、透明なひとつのかたまり」とは、何をこのように表現しているのか。六十字以内で記せ。



S君より

「夫との別居で娘との生活に責任を持ち続けなければいけない不安がある一方、その生活が崩れることなく平穏が続いている生活。(58字)」

 自分でも答えと照らし合わせると、最後で無理矢理終わらせた感じがしました。(一応、「平穏」云々自体は49行目〜51行目から取り出しました)
 思考の順としては、「歪んだ、壊れやすい」=不安、これからの怖れ ↔「透明な一つの塊」=新しい生活が根付き、平穏? といった具合で、取り出しました。
 その思考に間違いがあれば教えてください。
 主人公↔世間 の関係は解答に盛り込んだ方が良かったでしょう



返信1

傍線部を説明するには、
 ①傍線部そのものを見る
   → 求められているのは何か? 何を言い換えればいいのか?
 ②傍線部の前後を見る
   → 指示語、SVO、係り受けなどに注意
 ③傍線部を含む段落・場面を見渡す
   →「=」「←→」のひとかたまりがないか
 の三つが大事です。これは評論、小説まったく同じですね。
 ○○くんは、①の意識はあり、言い換えるべき「要素」をおさえています。
 ③も意識できてます。
 ②は、補問の傍線部だけならとくに問題になりませんが、「=」部分のもう一つの「かたまり」には「愛着を持」つとつながっているのはチェックでしょう。

「歪んだ、壊れやすい」
 →言い換えるとして「不安定」はすぐ見つかるけど、もう一声ほしくないですか?
「透明なひとつのかたまり」
 →=「新しい生活」のことだけど、もう一声ほしくないですか?

「歪んだ」は、世間からは認められにくい家族の形式であると、「私」が意識していることを表現しているのでしょう。
 これを思いつくには、やはり「私←→世間」の意識があるといいと思います。
「透明」って、もう少し「+」にしたいです。まして「かたまり」は「愛着」だし。
 周りからは認めがたいものであればあるほど、人はそれにこだわってしまうこともありますよね。

 ○○君の答案を直すとしたら、「+」「-」の方向性をもっと強く出すということになります。
 解法①の意識はあるのですが、言葉のニュアンスを解答にもっと表したいと思って、これから勉強したらいいと思います。

夫との別居で娘との生活に責任を持ち続けなければいけない不安がある一方、
 → 夫の別居という、周りからは認めてもらえない、不安定な生活でありながら
その生活が崩れることなく平穏が続いている生活。
 → 娘と二人だけの平穏で大事にしていきたいと願ういまの生活。



S君より(2)

 ありがとうございます。改めて傍線部内の対立関係(マイナスとプラス)の相互関係を見直しました。
 主人公の葛藤の中核、主人公の心中のプラスマイナスは、傍線部に集約されている感じがしますが、だからこそ、答えはプラス、マイナスの差異→でも娘との生活に愛着がある、大事にしていきたいという、言葉のニュアンスをしっかり出さなければいけない解答が求められている。
 プラスを強く出す、マイナスを強く出す。そうするために、もう少し強い調味料=ニュアンス を考えてみる。
今後意識してみることとして、こんな理解で大丈夫でしょうか。



返信2

 そうですね、そんな意識をもち、とにかく傍線部をしっかり説明しようすべきなのでしょうね。
「傍線部」には、出題者の強い気持ちが表れてます。
 いろいろ出題したい箇所のなかから、やっぱここかな、この言葉のニュアンスをどの程度読み取ってくれるのかな、と考えるものです。
 試験問題というのは、書かれた文章と読む人の二方向ではなく、出題者という存在を意識しないといけないのでしょう。

解答例
 夫との別居という周囲からは認めてもらえない不安定な生活だが、
 娘と二人だけの平穏で大事にしていきたい今の暮らしの形のこと。

80字パターン
 母と娘だけで生きていくという、不安定で、世間から受け入れ難い形ではあるが、
 自分の気持ちに素直に従い大切にしていきたいと感じられる今の暮らしぶりのこと。
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過去問読解

2020年05月22日 | 学年だよりなど
  3学年だより「過去問読解」


 外出自粛が続く現在、構内への立ち入りが一切禁止になっている大学が多い。
 毎年夏に行われるオープンキャンパスの実施状況も、現段階ではほぼ未定といっていいだろう。
 そんな状況だからこそ、やるべきことはある。それは過去問研究だ(しつこいけど)。


 ~ 憧れているだけでは合格はできません。志望校の過去問をとりあえず1問でも解いてみましょう。なんとなくでも解いているうちに、その学校独自の出題形式が見えてきます。解いた問題が多ければ多いほど、自信につながります。さらに、過去問の英文、現代文、古文、漢文の優れた文章に早めに触れることによって、気分的に落ち着いてじっくり味わえるため、人生や人間について考えることもでき、人間として成長すると思います。
 入試日が同じでどちらの学校を受験するのか迷うときには、偏差値だけではなく、自分と入試問題の相性の良さも考慮しなければなりません。両方の過去問を解いてみて、自分の得意科目の配点が高い、得意分野がよく出題されている、問題の難易度や出題形式などが自分に合っている、といったようなことは非常に大切で合否を左右します。過去問をやってみて、自分に合った、より合格の可能性が高い学校を選ぶことが重要です。
 志望校に不合格になってしまった受験生は、志望校の解いた過去問の数が少ないケースが多いように思います。 (佐藤亮子『志望校に一発合格する過去問攻略法』光文社) ~


 志望大学の過去問を、時間を測って解いてみて、現時点の実力を確かめる――。
 そんなことを、今やるべきなのではない。
 現時点の実力がいかに不足しているかは、十分に自覚しているだろうから。
 大事なのは、大学からのメッセージを感じ取ることだ。
 出題内容、出題型式には、大学ごとの特徴がある。
 大学の先生方が、自分たちが行っている研究・教育活動をふまえた上で、一緒に学ぼうとする若者を見つけようと作っているからだ。
 模試の偏差値だけでは判定できない、各大学の「文化」がそこには表れる。
 解いてみて今の時点で全く解けなくても、この大学を目指したいという思いが生まれるのだったら、十分可能性はある。
 逆もまた然り。解けるけど、なんか今一かなぁ、とか。
 むしろ、オープンキャンパスという「飾られた」非日常のイベントに出かけるよりも、その大学の本質に触れることができる。
 大学を自分の眼で見たいなら、自粛解除後に、キャンパスの門の前まで行ってみればいい。
 ひょっとしたら、興味はあったけど、実際に来てみたら今ひとつ心が動かなかった、ということもあるかもしれない。
 延々と電車を乗り換えてやっとのことでたどりつき、それでも何か惹かれるものを抑えられない時、そこは大切な志望校だ。
 大学との出会いは、人との出会いに似ているのかもしれない。
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堀江敏幸「送り火」(センター2007年)③

2020年05月21日 | 国語のお勉強(小説)
  堀江敏幸「送り火」(センター2007年)③


 陽平さんにそれを話すと、墨はね、松を燃やして出てきたすすや、油を燃やしたあとのすすを、膠(にかわ)であわせたものでしょう、膠っていうやつが、ほら、もう、生き物の骨と皮の、うわずみだから、絹代さんが感じたことは、そのとおり、ただしい、と思いますよ、と真剣な顔で言うのだった。生きた文字は、その死んだものから、エネルギーをちょうだいしてる。重油とおなじ、深くて、怖い、厳しい連鎖だね。


 大人になれば、ものの見方は変わります。
 さまざまな経験を積み、新しい知識を手に入れるからです。
 陽平さんは、絹代さんにとって、ものの見方を変えてくれる存在です。
 「主役(主人公)」と「対役」は、敵対関係でとらえるよりも、主役を変化させうる存在、主役に影響を与える存在が「対役」だととらえるといいと思います。
 物語のパターンで説明すると、陽平さんは「賢者」とか「贈与者」とよばれる存在なのです。
 対役によって主役が変化することを、基本的に「成長」とよびます。


 なぜだろう、絹代さんはそのときはじめて、陽平さんのこれまでの人生を、あれこれ聞いてみたいとつよく思った。ほとんど毎日顔を合わせて食事をしているこの不思議な男の人の過去と未来を知りたい気持ちがどんどんふくらんで、それを押しとどめることができなくなっていった。どこで生まれて、どこで育って、どんな子ども時代、どんな青年時代を送ったのか。教室を閉めたあと、無理に頼んで持ってきてもらった古いアルバムを居間で開きながら飽きもせずに質問を重ねていると、これまで陽平さんを知らずにいたことがとても信じられなかった。絹代さんの横顔にときどき視線を投げながら、陽平さんは遅くまで、質問のひとつひとつに、あまりにまじめすぎて逆にはぐらかされているのではないかと聞き手が不安になるほど丁寧な説明をくわえた。そういう陽平さんの顔を、今度は絹代さんが見つめているのだった。


 自分にないものをもっている存在、自分にないものを与えてくれる存在に、人はこころ惹かれます。
 惹かれはじめると、もっと知りたくなります。
 西田幾太郎という、日本で一番えらいクラスの哲学者が、「愛は知の極点である」と言いました。「愛と知は決して別種の精神作用ではない」と。
 誰かのことが気になる、もっと知りたい、どんなことでも知りたいという思いが愛につながる感覚は理解できますね。


 絹代さんの気持ちが固まったのは、翌年、あんなに楽しそうに子どもたちと接していた母親が心臓発作で急死して、その喪が明けたさらに翌年の正月のことだ。全員参加の書き初め大会が教室で開かれ、四文字以内で好きな言葉を清書し、それをみんなに披露しながらひとりずつ新年の抱負を述べたとき、陽平さんは最後にすっくと立ちあがって一同を見渡し、当時大変な人気があったテレビ番組にひっかけて「絹への道」と書いた紙を掲げると、シル、ク、ロード、です、これが、ぼくの、今年の、抱負、です、と例の口調でそう読みあげておおいに笑いを取ったのだが、子どもたちには洒落(しゃれ)にしか聞こえない話で陽平さんがなにを言おうとしているのか、「初日の出」だなんてありきたりな言葉でお茶をにごした飛び入り参加の絹代さんにはすぐに理解できた。頬(ほお)が少しほてった。D有名な女優さんとおなじだねえと大人たちからいくら褒められても嬉しくなかった名前を、陽平さんは、あたたかい、人肌に触れるために生まれてきたなめらかな布地に、一瞬で変えてくれたのである。


問5 傍線部D「有名な女優さんとおなじだねえと大人たちからいくら褒められても嬉しくなかった名前を、陽平さんは、あたたかい、人肌に触れるために生まれてきたなめらかな布地に、一瞬で変えてくれたのである」とあるが、ここに至るまでの「絹代さん」の心の動きはどのようなものと考えられるか。


 正解選択肢が、本文に直接書かれていない言葉が用いられているので、難しい設問と言えるでしょう。
 与えられた情報、つまり小説の描写から、主人公の心情を想定するという作業が必要です。
 「ここに至るまでの『絹代さん』の心の動きはどのようなものと考えられるか」という問われ方に注意してください。
 まず、「ここ」をまとめましょう。
 「絹代さんの気持ちが固まったのは … 正月のことだ」とありますね、何があったのですか。
 みんなで書き初めをする。
 陽平さんは「絹への道」としたため、「今年の目標だ」とみんなの前で宣言する。
 絹代さんは、自分への求婚だと一瞬にして気づく。
 そして、蚕を連想させるために、たとえ「田中絹代(知らないよね?)と同じじゃないか、素敵な名前だねぇ」と言われたところで、今ひとつ好きになれなかった「絹代」の「絹」が、なめらかな生地としての「絹」にイメージが変わったと絹代さんは感じるのです。
 もちろんそれは、この時点で、二人の間に愛情が育まれていたからでもあります。
 直前の部分の、墨の由来やら陽平さんの来し方を語り合っている場面でそれはわかります。
 自分にないものを与えてくれる人に人はひかれる。
 知りたいという強い思いが愛を生む、という場面。
 その前提がなかったら、「絹への道」が求婚だとは言い切れなくなりますよね。
 「勝手に何書いてんの? きもっ!」て。
 ちなみに、子供達は誰も気づかなかったのでしょうか。
 これはまったく想像にすぎませんが、普段から二人の様子を見ていて、「絹への道」という書き初めを見て頬を赤らめている絹代さんに気づいたら、小学校高学年の女子なら、「ははあん、やっぱりね」となるのではないでしょうか。男子はぜったい無理でしょうが。

 「絹への道」 … ぼくの、今年の、抱負、です、
   ↓
 自分への求婚だと気づく
   ↓
 頬(ほお)が少しほてった
   ↓
 気持ちが固まった
     ∥
「絹代」… 蚕に結びつく・有名な女優と同じと言われてもとくにうれしくない
   ↓
「絹代」… (あなたは)あたたかい、人肌に触れるために生まれてきたなめらかな布地
   ↓
 頬が少しほてった
   ↓
 気持ちが固まった

 という構造です。なので、非常にエロチックに解釈しようと思えば可能な表現でもありますね。
 さすがにそういう選択肢は書けませんが。

 ①「陽平さんが墨の由来とともに名前の意味を教えてくれ、 … シルクロードになぞらえた愛情告白をしてくれたため」×
 ② 墨の匂いに関連した生き物の死と人間の営みとのつながりを教えてくれた陽平さんから、
   書き初めに託された愛情表現を受けたことで、
   好きになれなかった名前とともに自分のことも肯定的に受け止められるようになり、
   陽平さんと一緒に生きていこうと考えている。〈 正解 〉
 ③「陽平さんの … 書き初めによって、悠久の歴史を想起させるシルクロードとも結びつくものだと気づき」×
 ④「陽平さんのまっすぐな生き方を知ることによって」×
 ⑤「ようやく自分の名前の意味を肯定的に受け止めることができるようになったので」

問5を間違える人は、次の3つが原因です。
 1、本文の因果関係を読み取れない場合
 2、選択肢の構文を把握できない場合
 3、言い換えがわからない場合


問6 この文章における表現の特徴について説明したものとして適当なものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。

 表現についての問いは、三つのチェックポイントがあります。
  a どのような内容が
  b 何という表現技法によって
  c どう効果的に表現されているか
 です。a・b・cのどこかがおかしければ間違いです。
 またはそれぞれのつながり方がおかしければ間違いです。

 ① 「比喩表現を用いて描写されることによって」b○、「『絹代さん』の特異な感性が」a×
 ② 「感覚に訴える表現が多用されることによって」b○、「絹代さんの実感が」a○、「巧みに表現されている」c○
 ③ 「かぎ括弧を用いずに会話の内容が示されることによって」b○、「現実感が生み出され」c×、「人物が生き生きと描き出されている」b→c×
 ④ 「回想の形で語られる中に現在形の表現が挿入されることによって」b○、「臨場感が強められ」c○、「登場人物の心理状態と行動との結びつきが明示されている」b→c×
 ⑤ 「読点で区切りながら陽平さんの話し方が描写されることによって」b○、a「その人物像が」「浮かび上がるように工夫されている」c○
 ⑥ 「人物同士がふだん呼び合っている名称」a×、「平仮名書きが多用されることによって」b△、「大人の世界に子どもの視点が導入され」c×、「物語が重層的に語られている』c×。

 よって、②と⑤を選びます。
 表現の問題を解くためには、表現技法の知識が必要です。
 たとえば「擬人法」とは何かを知らなければ、どういう効果があるのかもわからないですよね。
 次のような観点をまず意識してみましょう。
  1 視点・語り手  2 比喩・象徴  3 時系列  4 文体
 個々についてはこれから随時勉強していきます。
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堀江敏幸「送り火」(センター2007年)②

2020年05月20日 | 国語のお勉強(小説)
  堀江敏幸「送り火」(センター2007年)②


 階段のすぐ近くに物入れがあるため、陽平さんは取り出しやすいようにとそのまえに自分の机を置いていた。だから子どもたちの顔を見るより先に、彼らのほうをむいて坐っている陽平さんの、針金でも入っているんじゃないかと疑いたくなるくらいまっすぐな背中と鶏(とり)ガラみたいにほそい首筋を拝まなければならないのだが、手本をしたためているときも朱を入れているときも、硯(すずり)で墨をすっているときも、子どもたちと言葉を交わしているときも、まだ(注2)枕(まくら)を話しているだけで本編に入っていない噺(はなし)家(か)みたいに座布団から垂直に頭がのびていて、その姿勢がまったく変化せず、食事の際も変わらないものだから、たまに傾いているとかえって不自然な感じがするのだった。


 陽平さんのことを。めっちゃ見てますね。


 しかし、Cとりわけ絹代さんを惹(ひ)きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂(にお)いだった。子どもたちはみな既製の墨汁を使っており、時間をかけて墨を磨るのは陽平先生だけだったけれど、七、八人の子どもが何枚も下書きし、よさそうなものを脇(わき)にひろげた新聞紙のうえで乾かしていると、夏場はともかく、窓を閉め切った冬場などは乾いた墨と湿った墨が微妙に混じりあい、甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂いがつよくなり、絹代さんの記憶を過去に引き戻した。


 書道教室が始まり、陽平さんも気になり、墨の匂いに惹きつけられます。
 墨の「甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂い」を嗅いだとき、絹代さんに幼いころの記憶がよみがえります。
 映画なら、回想シーンに入るところです。
 回想シーンの主人公は、子役が演じます。ぎりぎり許せる範囲なら、主人公が若作りして演じます。
 どっちがわかりやすいですか?
 男の俳優さんだと、けっこう年配の役者さんが、ふさふさのカツラをつけて、学生服を着たりすることがありますね。
 でも、顔はメイクでもごまかしにくく、回想シーンであることはわかるけど、今ひとつ入り込めなかったりします。
 先日観た「弥生、三月」で、アラサーの波瑠さんが、制服で17歳役を演じてましたがまったく違和感がなく、むしろ萌えました。
 洋画の場合、邦画よりわかりにくいことないですか?
 外国の役者さん、とくに女優さんは16、7歳であってもけっこうお姉さんに見えますし、基本的に年齢がわかりにくくないですか。
 BGMや背景の映像にも、やはり邦画のそれほど理解できないことがある。
 邦画ならば、たとえば繁華街の様子が映っただけで「昔の新宿かな」と気づいたり、昭和歌謡ぽい曲が流れてれば時代もイメージできます。
 シーンが変わって、「○○年、どこそこ」みたいに説明してくれる作品もありますね。
 小説は、基本的に、突然回想シーンに入ります。
 一行開けもなく、「それは20年前の夏だった」との説明もふつうはありません。
 ですから、「場面ごとが時系列で並んでいない」という小説の特徴を念頭において読む必要があります。
 91行目あたりから、絹代さんの思い出のなかの映像になっています。
 蚕のアップから入りたい場面ですね。


 まだ小さかったころ、ここにも生き物がうごめいていたのだ。絹代という名前は祖父母がつけてくれたもので、彼らはこの古い家の二階で細々と養蚕を手がけ、生活の資をさずけてくれる大切な生き物を、親しみと敬意をこめて「おかいこさん」と呼んでいた。同居していた息子夫婦はともに会社勤めだったから、孫の絹代さんがあとを継ぐ可能性はほとんどなかった。あの時分はまだ片手間にでも養蚕にかかわっている家がいくらもあったし、そこで生まれた娘に絹子だの絹江だの絹代だのといった名前をつけることもないではなかったが、絹代さん自身は、二階の平台にならべられた浅い函(はこ)の底をわさわさとうごめいている白っぽい芋虫の親玉と自分の名前がむすびつけられるのを、あまり好ましく思っていなかった。
 触ってごらん、と言われるままに触れたその虫の皮はずいぶんやわらかく、しかも丈夫そうだった。使いこんだ白い鹿(しか)革(がわ)の手袋の、ところどころ穴があいたふうの表面の匂いとかさつく音をこの書道教室に足を踏み入れた瞬間ふいに思い出し、匂いといっしょに、あのグロテスクな肌と糸の美しさの、驚くべきへだたりにも想(おも)いを馳(は)せた。あたしは肌がつるつるさらさらして絹みたいだから絹江になったの、絹代ちゃんとこみたいに蚕を飼ってるからつけられた名前じゃないよ、と一文字だけ名前を共有していたともだちが突っかかるように言った台詞(せりふ)が、絹代さんの頭にまだこびりついている。生家の周辺を離れれば、養蚕なんてもう、ふつうの女の子には気味の悪いものでしかない時代に入っていたのだ。それなのに、墨の匂いを嗅いだとたん、かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである。


 昔、この家の二階では蚕が飼われ、生活の糧となっていました。
 幼いころの絹代さんは、白っぽく、もぞもぞ動いている蚕にふれてみて、気持ちわる! みたいに感じていたのですね。
 自分の名前につけられた「絹」が「大切なもの」を表すことはわかっていても、それを生み出す「芋虫の親玉」と結びつくので、今ひとつ名前に愛着ももてなかったのです。
 91行目ですうっと、回想シーンに入り、103行目でいったん元の時系列にもどり、すぐにもう一度回想シーンになり110行目「~いたのだ」で終わります。

 今① → 昔 → 今②

のように場面が変わっていくとき、「今①」と「今②」は連続しています。その間に何十行、何頁の文章があっても、直接つながっています。
 「今①」で起こった出来事の原因は、「昔」シーンで説明されます。

今① Cとりわけ絹代さんを惹(ひ)きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂(にお)いだった

 昔  蚕 → グロテスク 気味が悪い

今② それなのに、墨の匂いを嗅いだとたん、
   かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである

問4 傍線部C「とりわけ絹代さんを惹きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂いだった」とあるが、「絹代さん」が匂いに惹きつけられたのはなぜか。

 理由のまとめ部分である、「墨の匂いを嗅いだとたん、かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである」と「=」の選択肢を選ばないといけません。

 墨の匂いをかいだとき、「かつてのおどろおどろしさ」が、「なつかしいもの」に、「かわった」から、と書いてある選択肢を探します。
 ①「家族と過ごした幼年時代の記憶が」「子どもたちと一緒にいる楽しい時間と重なって」「よみがえってきた」から
 ②「グロテスクな … 蚕にまつわる記憶が」「家族とつながるなつかしい思い出に」「変化した」から
 ③「蚕に親しみと敬意を感じていたことを」「大切な生き物として」「思い出した」から
 ④「気味の悪い … 養蚕にかかわる思い出が」「陽平さんへのほのかな想いへと」「変質した」から
 ⑤「蚕を飼っていた忌まわしい記憶を呼び起こし」「そのときの生活を」「思い出した」から

 正解は②です。
 思い出は、つまり過去は、今の有り様によってその意味を変えることが可能だということですね。

 問4を間違える人は、次の二つが原因です。
 1、本文の時系列を読み取れない場合
 2、本文の根拠部分と選択肢とを対応させられない場合
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恋はデジャ・ブ(4)

2020年05月20日 | 学年だよりなど
  3学年だより「恋はデジャ・ブ(4)」


 目覚ましを止める。ベッドから抜け出し、顔を洗う。朝食を摂り、コートを羽織って祭りの会場に向かうと、苦虫をかみつぶしたような顔で、いつものレポートをする … 。
 繰り返されるパンクスタウニーの2月2日は、苦痛以外のなにものでもなかった。
 しかし勉強と人助けがルーティンになったフィルには、毎日が新しい意味を持ち始める。
 毎朝廊下で出会うイタリア系のコンシェルジュにあいさつする「チャオ!」。
 食堂ではウェイトレスのおばちゃんの体調を気遣う。
 道で出会う人たちがどんな暮らしをしているのか、フィルはすべて把握している。
 奥さんの具合どう? 洗濯物出しっ放しだよ! スーパーの帰りに転ばないで!
 祭りのレポートでは、市役所とかけあって放送しやすい場所を確保する。
 中継では、古典の一節を引用しながら祭りの由来を紹介し、町の人々のやさしさを讃える。
 中継後、いつものように、町の人々のトラブルを解消していくので、フィルは一日にして(フィルにとっては数ヶ月だが)町の有名人となっている。
 初めて過ごした2月2日とは、まったく違う世界をフィルは生きているのだ。

 こうなる前のフィルと同じ生き方を、わたしたちはしていないだろうか。
「なんか、毎日が同じでつまらない。こんな日常から抜け出したい」と不満を抱きながら。
 変化のなさと、仕事のつまらなさを愚痴っているかぎり、ループを抜け出すことはできない。
 自分をとりまく環境は、愚痴っても、祈っても変わらない。
 自分が変われば、世界は変わる。いや、自分が変わることでしか、世界は変えられない。

 いつもの勉強や、少しずつ増えていく人助けを終えて、大雪の中、リタとパーティに出かける。
 生演奏のバンドに飛び入りで参加し、ピアノを弾く。
 え! フィル、ピアノが弾けるの? 
 2人で行った公園で、降り積もった雪に彼女の顔を彫る。
「素敵 … 」リタが呟く。
「明日どうなろうと、未来がどうなろうと、ぼくは今が幸せだ」フィルがささやく。
 歩み寄り、抱き合う二人を包みこむように、雪が舞う。
 そして、リタと一夜を共に過ごしたフィル。
 翌朝目を覚ましたときに、まずおかしいと思ったのは、リタが隣で眠っていることだった。
 目覚まし時計に目をやる。一時はやけになってボコボコに破壊した時計。
 日付は … 、「2月3日」。おそるおそるカーテンを開ける。町は一面雪景色だ。
「やったーー!!」
 ループから脱出したと確信するフィルは、リタに結婚を申し込む。
 二人は、このパンクスタウニーで永住することを決めるのだった。
 パンクスタウニーの街は、1993年に公開されたこの作品のおかげで、一躍有名になり、2月2日には毎年数万人の観光客が訪れるという。2017年にミュージカル化されて好評を博し、トニー賞7部門にノミネートされた。ビル・マーレー主演「恋はデジャブ」はTSUTAYAで絶賛レンタル中!
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堀江敏幸「送り火」(センター2007年)①

2020年05月19日 | 国語のお勉強(小説)
  堀江敏幸「送り火」(センター2007年)①


 さて、第2問目です。作品自体は読みやすいと思いますが、解くとなると難しい設問があります。
 難しいとはどういうことか、みなさんはなぜ間違うのか、それを明らかにしたいと思います。
 まずは、リード文。


 次の文章は、堀江敏幸の小説「送り火」の一節である。父の死後、老いた母とのふたり暮らしが心細くなった絹代は、自宅の一部である二十畳敷きの板の間を独身女性に限定して貸し出すことにした。以下の文章はそれに続く場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。


 主人公は絹代、老いた母親との二人暮らしです。家は大きそうですね。
 女性の二人暮らしですから、部屋を貸し出すといっても、当然女性限定になるでしょう。
 しかし、本文にあるように、交通の便がいいとはいえない家の「二十畳敷きの板の間」を借りる独身女性はなかなかいなさそうなのもたしかです。
 そこに訪れたのが一人の男性、陽平さんでした。
 「一人の男だった」ではなく、「陽平さん」としてあるところに、敵対者ではないことが予想できますね。


 もう貸間なんてよけいなことを考えず、やっぱり母とふたりで静かに暮らそうとあきらめかけた二月末の寒い日曜日、事前になんの連絡もなくふらりとあらわれたのが陽平さんだった。周旋屋さん  不動産屋のことを陽平さんはそう言った  で、ひろい、板敷きの部屋が、ひとつ、空いている、とうかがったのですが、と当時四十代後半にさしかかっていたはずの陽平さんはなぜかいまとまったくおなじかすれ声の(ア)老成したしゃべり方で切り出し、申し訳ありません、男の方にはお貸ししないんですと驚くふたりに、はい、それはもう、うかがったうえで、やってきたんです、と言い、まだ二十代だった絹代さんの顔を恥ずかしくなるくらいじっと見つめて、おだやかにつづけたのである。


 下人のとっての老婆のように「敵対」はしてないですが、陽平さんが主人公(主役)に対しての対役です。
 すると、主役が対役をどう見ているか、見えているかというのは大事なポイントになります。 
 そういうところは線をひいてチェックしましょう。
 連絡もなく尋ねてくる、不動産屋を周旋屋とよぶ、かすれ声、老成している、女性の顔を遠慮無く見つめ続ける、などの表現で、陽平さんのキャラクターが固まっていきます。
 そして、住むのではなく書道教室として借りたいのだと、「部屋も見ずに、風呂あがりのような表情で」頭を下げるのでした。

(ア)「老成した」は、「十分の経験をつんでいること」または「大人びていること」なので、③が正解です。


 母と娘は、正直、(イ)不意をつかれて顔を見合わせた。男性に、しかも書道教室として貸すなんて考えもしなかったからだ。ともあれせっかくだからと部屋を案内し、どうぞ召しあがってくださいと陽平さんから差し出された豆大福をお茶請けに三人で話をしているうち、絹代さんは、このひとが会社を辞めたのは書道教室を開く開かないという以前に、勤め仕事にむいていなかったからだろうと思った。Aまわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている。年齢も、まったく読めなかった。でも、なんだかこの人なら信用できそうだと絹代さんは直感し、まだとまどっている母親に、小さな子が集まるんならにぎやかでいいんじゃないかな、楽しそうだから、貸してあげましょうよ、と好意的な意見を述べた。母親は母親でまたちがう基準から陽平さんを眺めていたらしいのだが、自分よりも遅いペースで話す男の人をひさしぶりに見たと言ってしまいには納得してくれたのである。


(イ)「不意をつかれて」は辞書的意味が「予期しないことがおこり、驚かされる」ですから、⑤が正解です。言葉の意味の問題は、本文を読まずに解いた方がいい場合は多々あります。

 さて、絹代さんは陽平さんを観察します。
 「勤め仕事にむいていな」いタイプの人だと思うわけです。「年齢も読めない」。しかし「信用できそう」な人だとも感じる。
 母親目線ですが「遅いペースで話す」人というのも、人物像の一つです。

問2 傍線部A「まわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている」とあるが、「絹代さん」は「陽平さん」をどのような人物としてとらえているか。

 傍線がひかれた「まわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている」は、絹代さんの視点から見た、陽平さんの人物像です。
 傍線部と「=」の関係になる選択肢を選びます。
 「まわりを拒んだりしない」は①、②、⑤と対応させられるでしょう。
 「ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気」と近いのは、この中では①「泰然自若として周囲に惑わされない」でしょうか。
 この設問は、四字熟語の意味を知っているかどうかも大きいので、「漢字帳」はもれなく学習しておく必要があります。
 確認しておくと、
  泰然自若 … 動じない、無為自然 … ありのまま、謹厳実直 … ちょーまじめ、闊達自在 … 自由人、直情径行 … 気持ちつよめ、ぐらいのニュアンスです。


 貸し教室としての賃料は不動産屋で適切な額を見積もってもらい、数日後には与えられた書式での契約を無事に済ませる早わざで、それから十日ほどのちに、折り畳み式の細長い座卓が五つと薄い座布団が十数枚、そのほか、紙だの墨だの筆だの作品を乾かすのにつかう下敷きとしての古新聞だのといった消耗品がつぎつぎに運び込まれて(ウ)教室の体裁をなし、新学期がはじまって落ち着いたころには、貼(は)り紙や口(くち)コミも手伝って、学年もばらばらな小学生が五名集まった。


(ウ)「教室の体裁をなし」の「体裁(ていさい)をなす」は「見た目が整う」の意味。「体裁が悪い」「体裁を気にする」などとも使います。⑤が正解です。「体をなす」も意味的に近い言葉ですが読み方は「たいをなす」になります。


 とても暮らしが成り立つような人数ではなかったけれど、夏休みを迎えるまでには総勢十二名となり、家の空気もがらりと変わってしまった。勤めている駅裏の大手電器店から絹代さんが自転車で帰ってくると、いちはやく学校を終えた低学年の子どもたちが課題を済ませていて、新興の一戸建てばかりで古い田舎家を知らない彼らは、ぎしぎしきしむ階段があるだけでもう楽しいらしく、わざと大きな音をたてて降りてくる。階段は居間の一角にあるので、教室に出入りする子どもたちは、絹代さんと母親の生活をそのまま横切っていくことになり、なんだか親類の家に遊びに来ているような雰囲気なのだ。そしてかならず、おばちゃん、おばあちゃん、さよなら、と言って帰っていく。この年でおばちゃんはないよ、と泣くふりをしたりすると子どもたちは逆に喜んで、ぜったいにおねえちゃんとは呼んでくれない。そして、B絹代さんにはなぜかそれがとても嬉(うれ)しかった。


 陽平さんのひらいた書道教室に子供達が通い始める。絹代さんは子供達をどう見ているか。
 「楽しい」「親類の家に遊びに来ているような雰囲気」です。
 そして二十代の絹代さんに「おばちゃん、さよなら」と言って帰っていく。「おばちゃんじゃないよ、おねえちゃんだよ」と泣くふりをすると、子供達は逆に喜ぶという、親しげな関係が生まれている。
 もともとは、父親を失って以来ひっそりと暮らして家に、子供達が出入りするようになり、子供達の遠慮のない親しさを、家族が増えたかのような感覚でとらえています。

問3 傍線部B「絹代さんにはなぜかそれがとても嬉しかった」とあるが、この部分を含む子どもたちとのやりとりを通してうかがえる「絹代さん」の心情とはどのようなものか。

 ①「仲間意識」、②「保護者になった気持ち」は少しずれますし、③「書道教室を一緒に経営しているように感じて」は全く違うし、⑤「以前の活気がよみがえった」は事実として読み取れません。④が正解です。

 母親は、子供達のためにちょっとしたおやつや、軽食を用意するようになります。
 絹代さん自身も、仕事が終わると急いで帰宅し、子供達の面倒を見るようになる。
 傍線部Bは、その前に部分で解ける問いではありますが、後ろの部分からも、子供達と「家族に対するような親密さ」を形成していく様子はうかがえますね。
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