水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

コンクール地区大会

2022年07月29日 | 日々のあれこれ
7月29日(金)吹奏楽コンクール 
高校B部門 二日目13番 13:40演奏 
所沢市民文化センター

金賞いただきました。応援ありがとうございます!

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雨に文句を言わない

2022年07月26日 | 学年だよりなど
2学年だより「雨に文句を言わない」




 終業式のときに学校長が紹介されていた本を、みなさんは当然に目にしているだろう。
 山中伸弥博士と藤井聡太棋士――。ジャンルも年齢も(おそらく)生活圏も全く異なる二人。
 しかし、ものすごい頭脳をもっている人というくくりでは、まさに同じ土俵のうえを、そして我々からすれば遙か遠い雲の上にいらっしゃるようなお二人だが、発せられる言葉はシンプルだ。




~ 山中 パンデミックなんて、もう人間一人の力で、どうこうできる状態ではないですからね。社会全体、みんなで努力しても一日二日じゃ改善しなくて、長期間の努力をしてようやく抑え込んだとしても、こちらが緩んでしまうと、必ずウイルスが元気を取り戻します。これからもそれなりの努力はみんなで続けないとだめで、そうなってくると自分だけじゃないわけですからね。僕が尊敬する作家の村上春樹さんが、「村上RADIO」でいろいろメッセージを話された中で「雨に文句を言っても仕方ない」とおっしゃっていたのが印象的でした。「いくら文句を言っても雨はやまない」と。そうだと思うんですね。この新型コロナウイルスは、あの国のせいだとかいろいろ言う人がいますが、誰のせいか文句を言っても、ウイルスはどこにも行かない。もうなるようにしかならないというか、ジタバタしても仕方ないので、今できるベストを尽くすしかないですよね。ワクチンが普及したとしても簡単には終わらないので、こういう不自由というか、制限のある状態は当分の間、続くだろうと思って、それはそれで受け入れていくしかない。じゃあ何ができるかというと、前向きに行くしかないというふうに僕は考えています。できないことをやろうと思ってもできないので、こういう状況でできることがないかな、ということを考えて過ごしています。 ~




 第七波ともよばれる感染拡大は、今のところ落ち着く気配がないが、山中先生がこうおっしゃるならば、じたばたしてもしょうがないと思える。




~ 山中 ただ五年後とか十年後、振り返れば、「あの時があったから今の私がある」と思える時が来ると思うんですね。自分の人生を振り返ると、そういうことがよくあったので。その時はつらくて大変でも、後から振り返れば「あの時のあのつらい経験があったから、今こうしてやれているんだ。むしろあの時の経験がなかったなら、どうなっていたかわからない」と思うことがありますから。 (山中伸弥・藤井聡太『挑戦』講談社)~




 雨に文句を言ってもし仕方がないのだ。
 自分がもってうまれたものに、環境に文句を言ってもしょうがない。
 たとえ予想もしない困難に見舞われたとしても。
 そもそも思ったとおりにならない人生だからこそ、面白い。
 思わぬ出来事、壁にぶつかった時に、ワクワクが顔に出てしまい、ついにんまりしてたというメンタルで生きていこうではないか。

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野球応援 準々決勝

2022年07月23日 | 日々のあれこれ
本校VS花咲徳栄高校
 2対10で惜敗しました。
 あつい戦いをありがとうございました。次は、わたしたちです。

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習う

2022年07月22日 | 学年だよりなど
2学年だより「習う」




 夏期講習を受けて、成果が上がる人とそうでない人がいる。普段の授業以上に、その差は大きい。
 原因ははっきりしていて、勉強したことを自分で身に付けようとするかどうか、その一点だ。
 身に付けるべき内容や、その方法を教えるのは私たちの仕事。
 習ったことを身に付けるのは自分の仕事。
 みなさんもわかっていると思うが、教室にいて話を聞いたからといって、自然にかしこくなることはない。 『声に出して読みたい日本語』の斉藤孝先生はこう述べる。




~ 先日、中国武術の達人である二人の方と対談をする機会がありました。
 そこで、お二人が共通しておっしゃっていたのは、「日本人は教えられに来たがる」ということでした。それはつまり、教室に「いる」時間だけを練習だと思っている、ということです。しかし、中国では、先生と一緒に過ごす時間を「自分が一人で練習をするためのヒントをもらう時間だ」と考えているのです。
 学習というのを「先生に学び教わる」という時間だとすると、その時間に先生がこういうふうにやるんだと身をもって教える、技をかけてみる。それで「この技を身につけるための基本練習はこうだよ」という練習メニューを与えるわけです。いわば生徒は、その部分に対して授業料を払う。そして帰ったら、それができるようになるまで「練習」をする。
 中国の武術の世界では、これが「先生に習う」ということなのです。 (斉藤孝『相手を伸ばす!教え力』宝島社)~




 成績がふるわないからと、塾や予備校に行こうとする人がいる。
 自分の弱点を克服しようとか、逆に得意な分野を伸ばそうといった目標をもち、具体的にこういうことを学ぼうという意志を持って通うなら、効果もあがるだろう。
 しかし現実には「なんとかしてもらえるかもしれない」という受け身の人が多いようで(だから今時点での成績がふるわないのだが)、結局お金がむだになることも多い。
 ゲームの攻略本を読んだだけでは、ゲームは上手にならないように、解き方を教わっても、自分で解いてみないと、解けるようにはならないのだ。
 説明を聞いて、理解したと思っても、ひとりで解き直したらやはりできないことは、多々ある。
 一人でできるようになるまで、繰り返す。そこまで含めて「習う」だと考えよう。
 夏休みを利用し、志望大学のオープンキャンパスに行こうとしている人もいるだろう。
 ここでも気をつけないといけないのは、行くことによって、何かをやった気分になることだ。
 大学を見てきたからといって、成績があがるわけではないし、合格の確立が高まるわけではない。
 やたらオープンキャンパスへ行くけど、それに時間をとられるばかりで肝心の勉強時間を減らし成績があがらなかったという先輩も実際にいた。
 いま、何より大事なのは、講習の問題を自力で解けるようになることだ。

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野球応援5回戦

2022年07月21日 | 日々のあれこれ
本校VS市立川越高校
 1対0で勝利しました。ベスト8おめでとうございます。
 次は、23日第1試合、レジスタ大宮球場です。

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野球応援4回戦

2022年07月18日 | 学年だよりなど
本校VS秀明英光高校
 10対3で勝利しました。
 次は、21日第2試合、県営大宮球場です。

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野球応援 3回戦

2022年07月17日 | 日々のあれこれ
本校VS浦和高校
 6対5で勝利しました。
 次は、明日(18日)第一試合、レジスタ大宮球場です。

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この夏

2022年07月16日 | 学年だよりなど
2学年だより「この夏」




 人は、自分の未来像を描いて行動できる唯一の生き物だ。
 「今を大切に生きる」とは、未来から逆算して過ごすべき今を精一杯生きることであり、けっして刹那的な快楽を貪ることではない――。
 ……という理屈は、多くの人が「そうなんだろうなぁ」とは思っているだろう。
 わかっていても、思うように生きられないのが人でもある。
 原因の一つには、「思い描いた未来像は本当に手に入るのか」という疑問、というか不安があるかもしれない。
 実際問題として、「がんばった → 成功する」「困難に打ち克った → 幸せになる」という式は、成立しない。
 せいぜい、がんばった時、運がよければ成功する、と言える程度だ。
 逆に、何の働きかけもしないまま、突然成功が与えられるということもない。
 世の中には、最初から恵まれてそうな人も、いそうな気もするが、そういう人は、見えないところで、とんでもない努力を積み重ねているものだ。
 「成功」は約束されていないが、「成長」は、ほぼほぼみんなに約束されている。




~ ほとんどの人は、「幸せ」を「結果」として捉えていると思います。「仕事を頑張ると、幸せになれる」といったように。
 あるいは、「頑張って、頑張って努力を続けていくと、いつか幸福というご褒美が手に入る」と考えているのではないでしょうか。努力の階段を昇っていくと、その頂上には「幸福」という楽園が広がっている。いつか自分もそこに到達できるはずだ。そんな期待を胸に、日々仕事を頑張ったり、様々な努力をしているはずです。
 しかし、たいへん残念なことに、私の脳科学的な幸福論から言うと、「幸せは結果である」という考えは、完全に間違いです。
 「幸せ」とは今、この一瞬の「状態」であり、「プロセス(過程)」なのです。「ゴール」でも「結果」でもない。ですから、「今」幸せであることが重要です。
 幸せは「未来」ではなく「今」にあります。、
 苦しい努力をした結果、素晴らしい幸福な状態(持続的、継続的な幸福)が得られるかというと、そうではないのです。この「幻想」にとりつかれている限り、ゴールのない階段をあなたはいつまでも昇り続けるだけで、10年たとうが、20年たとうが、幸福になることはないでしょう。 (樺山紫苑『精神科医が見つけて三つの幸福』飛鳥新社)~




 がんばって成功するかどうかは「神のみぞ知る」だが、成長は、みんな手に入れることができる。
 だから、がんばれる今があるということは、幸せなのだ。
 圧倒的な存在感で目の前にある、成長しほうだいの夏を、自分のものにしようではないか。

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水分補給(3)

2022年07月12日 | 学年だよりなど
2学年だより「水分補給(3)」




 講談社の編集者として『ドラゴン桜』を担当した佐渡島庸平氏は、受験勉強の世界でさまざまな取材を行った結果、シンプルな事実に気づいたという。




~ 「小さい頃は数学が得意だったのに、いつからか不得意になった」という人は多くいます。そういう人たちに共通していたのが「計算問題を大量にやらなくなった時期に数学を嫌いになっている」ということでした。
 小学生までは、誰もが計算ドリルや宿題で出された計算問題にたくさん取り組みます。数学が苦手であっても、かけ算の「九九」や「たし算・ひき算」ができない日本人はほとんどいないでしょう。それは小学生時代に、ほぼ全員が繰り返し計算問題に取り組むからです。
 ところが中学生になると学校の授業では、抽象度の高い数学的思考を説明する時間が増えて、小学生のように単純な計算問題をやらなくなる。するととたんに数学ができなくなるのです。
 取材先の先生の指摘は興味深いものでした。ただ単に計算が遅くて問題を解ききれなくなっただけなのに、難しくて自分には解けないのだと思い込んで、数学を嫌いになってしまう、というのです。だから、中学、高校でも計算問題をもっとたくさんやって計算力をつけるだけで、数学の実力はまったく変わります。 (佐渡島庸平『ぼくらの仮説が世界をつくる』ダイヤモンド社) ~




 基礎力は山の裾野だ。裾野の広さがないと高い山がそびえない。
 高度な問題を解く、抽象度の高い問題を解くには、その下支えとなる計算力が必要だ。
 計算問題をやっていないと、数学的基礎体力が落ちてしまう。
 腕立てが三回もできない体力では、スポーツを楽しむことができないのと同じだ。
 重い物がもてる、たくさん走れる、速く走れる、遠くに飛ばせるといった、筋力レベルの体力があるかないかで、競技のレベルがどれくらい変わるかは、みなさんの方がよくわかっているのではないだろうか。
 たとえば英語でも同じことが言えるだろう。英語が苦手です、とくに長文が読めませんなどと訴えてくる人は、たんに単語力がないだけの人がほとんどだ。
 現代文でも、読み方以前にボキャブラリーが不足している。
 言葉を知らないと、どの部分とどの部分が同じか、反対かなどが見えてこない。
 人間全体で考えてみよう。
 睡眠、栄養、運動という「水やり」をし続けてはじめて、自分そのものの大きさが変わっていく。
 まずはフィジカルだ。脳もフィジカルだ。「頭がいい」とか「頭が悪い」とかは、まずフィジカルとしての脳を鍛えたうえでの話だ。
 もっと言えばフィジカルとしての心も、経験をつむ、失敗をたくさんする、といったトレーニングで鍛えられる。基本トレーニングもこなさないで、「夢」とか「やりたいこと」とか言ってもしょうがないではないか。

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野球応援

2022年07月11日 | 日々のあれこれ
7月11日(月)14:00~ 野球応援 
 川越東高校vs春日部工業高校 @市営大宮球場
  6対0勝利! おめでとうございます!
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