学年だより「多重人格(2)」
「多重人格」と聞くと、精神疾患の症状としての、この言葉をイメージするかもしれない。
もちろん、その意味の用法もある。自分の中に複数の人格があり、一つの人格が表面に現れているときに、他の人格がまったく意識できなくなってしまう状態だ。
だから、Aという人格で大きな犯罪を犯しても、Bという人格が現れたときには、自分がA時代に何をしでかしたかを全く覚えていない、嘘発見器にかけられてもバレない … という人がいた時、その人は「多重人格障害」「解離性同一性障害」と呼ばれる。
ここで話題にしたいのは、自分自身のなかにある複数の人格を意識でき、それを使いこなそうとする「多重人格」だ。
仕事の現場で自らの行いにも他人に対しても厳格で、いつも眉間に皺を寄せている人が、自宅に帰ると、幼い自分の子供の前でめろめろな父親になったりする。
ライブ中、シリアスな曲をしみじみと歌ってお客さんを泣かせたすぐあとに、ノリノリの曲で一気を会場を盛り上げる。
ある時は科学者として実験を重ね新しい法則を見いだしたかと思えば、翌日には美しい絵画を完成させたりする。時に空をとび、時に音楽を作る。
多様な人格をもつ人は、多様な才能をもつ人と判断される。
~ 例えば、営業の仕事においては、「顧客の気持ちを感じ取る力」が一つの才能となりますが、この場合、顧客の言葉のニュアンスや表情・仕草の変化を敏感に感じ取る「細やかな人格」が、その才能を支えます。
例えば、企画の仕事においては、「企画メンバーから創造的な意見やアイデアを引き出す力」が一つの才能になりますが、この場合、メンバーが自由に意見を言える雰囲気を作り、そのアイデアを励ます、包容力ある「温かい人格」が、その才能を支えます。
同様に、例えば、交渉の仕事では、「何があっても感情的にならない力」が一つの才能ですが、「冷静な人格」が、その才能を支えます。また、プロジェクト・マネジメントの仕事では、「仕事の正確さについてメンバーからの信頼を得る力」が一つの才能ですが、「緻密な人格」が、その才能を支えます。 (田坂広志『人は、誰もが「多重人格」 誰も語らなかった「才能開花の技法」』光文社新書) ~
「自分は他人とすぐに仲良くなれる才能はない」とか「物事に地道に取り組む才能がない」とか「リーダーシップをとる才能がない」というような言い方を私達はするが、才能を「人格」と置き換えた方が意味が通りやすいと感じないだろうか。
人は誰しも複数の人格を持っている。つまり複数の才能をもっている。
「自ら危険なチャレンジをする才能などない」と自覚していた人でも、家族が危険な目にあいそうなときには「おれが、なんとかする!」という人格が必然的に目覚める。
ここで声をかけないと友だちが心配だという時、普段のキャラとは違った声かけをしたりする。
想定外の事態にでくわした時、人はわりとたやすく別人格になれる。別の才能を発揮できるのだ。