今年もいろんなことがありました。
うまくいかないこともたくさんありましたが、みなさまに声をかけていただいたり、見守っていただいたりして、乗り越えることができました。
年明けも、早々から様々な演奏の機会があります。
よろしければ足をお運びください。
一年間ありがとうございました。
よいお年をお迎えください!!
今年もいろんなことがありました。
うまくいかないこともたくさんありましたが、みなさまに声をかけていただいたり、見守っていただいたりして、乗り越えることができました。
年明けも、早々から様々な演奏の機会があります。
よろしければ足をお運びください。
一年間ありがとうございました。
よいお年をお迎えください!!
12月29日
ひきつづき指導者講習会へ。「コードネーム講座」、「指揮法」、「基礎合奏」、「ポップス合奏」、「リトミック」の5講座を受けておなか一杯になる。はっきり言って消化できてない。一応はのみ込んだので、時間をかけてさらっていかねば。幸い、効果的におさらいできるバンドをもたせてもらっているのだから。
リトミックの講座のとき、南古谷中学校の先生から声をかけていただいた。ずっと小学校で教鞭をとられていて、昨年から吹奏楽をもたれたそうだ。こんな近くの方にお会いするなんて。本校でイベントがあるときには、声をおかけしたい。
今年の吹奏楽部10大ニュースを選ぶなら、一位は数々の合同演奏の機会だろう。
6月の音楽座ミュージカルコンサート、9月の星華祭演奏、男祭り、12月のゆめぱれすコンサート。
とくに二学期の合同演奏は、事前に合同練習の機会をもてたことが貴重な経験だった。
もちろん自分にとってもだ。他校の先生に指導してもらい、それを間近で見て糧にする機会となったから。
この年になっても学ぶ姿勢を失わないオレさまの謙虚さって、はんぱないな。
12月30日
「アルフレッドリードについて」「運営法」の二講座を午前中に受けて、今年のお勉強も終了。
ご褒美に、ジュンク堂となりのキッチンABCで、オムカツカレー(980円)という、人間の欲望を集結させたかのような一品をいただく。そのままジュンク堂4Fの喫茶室で何人かへの年賀状を書く。「娘たちも社会人です、親の役目は果たしました!」とか書いた勢いで、「こどもに迷惑かけないよう健康に気をつけます」とか書いてしまったのもある(年寄りか!)。
『はなちゃんのみそ汁』を東上線の電車に揺られて読んできた。
がんでこの世を去らねばならない母親が、残される幼い娘が生きて行けるように、いろんな食事のレシピを残す。
その闘病の過程と家族の在り方を、奥さんのブログを紹介しながらご主人が綴った作品だ。
「たまたま自分は子どもが小さいうちに別れなければならないが、誰しも親が先に逝く。だとしたら、子どもを一人立ちさせるために何をすればいいかを、親として誰もが考えないといけない」というメッセージがあった。
午前中の「部活運営法」は、緒方まゆみ先生という吹奏楽の世界では有名というか名物先生の講座だった。
「部活の顧問は、まず教員だ。子どもが一人立ちするため、世の中に出られるようにするために、何をすべきかを第一に考えないといけない。音楽はそのための手段の一つ」と言う。
同じだね、やるべきことは。
勉強も同じで、「難しい大学を目指せ!」とふだん露骨に指導しているのは、結果的にそれが叶わなくても、そこで成長できるからだ。「自分のやりたいことができる学部をみつけよう」という指導は、多くの場合「ゆるさ」につながると経験上思う。
今後の方向性を考えさせられる年末になっている。
12月26日
午前中は最後の個別相談会。
この時期になっての相談は、迷ったすえに本校を選んで来てくださった方も多い。
ご縁は大切にしたい。部員たちは3F教室で、午後に備えて練習していた。
相談会が終わると、今度は小講堂を発表会用にセットしなおす。
そしてアンサンブル発表会。初めて通しを聞く曲もあったが、毎年まぎわの追い込みはたいしたものだと思う。
司会を担当させていただいたので、今日は一日しゃべくりの日だった。
発表のあと保護者会役員さんが用意してくれた飲み物とお菓子で乾杯し、今年最後の練習を打ち上げた。
12月27日
ウッディマッドメンに打楽器を貸し出すために早めに登校。積み込みを終えて一息ついてコクーン新都心へ向かう。午前10時の映画祭で「素晴らしき哉、人生!」をやっていたからだ。いつか観たいと思っていたのがやっと叶った。行ってよかった。カバンにタオル入っていてよかった。
お芝居もそうだけど、自分が「天使もの」が好きだったことに気づく。定演ネタにいかそうかな。
所沢に移動して、「ウッディ・マッドメン・オーケストラ」の演奏会。
一部司会のかやま君が「マッドメンとはくるった男達という意味ですが、木管の男20人くらいで立ち上げて、その後くるった女たちも入団してもらい今50人くらいになりました」と自己紹介する。
じっさい人前で芸事を披露するなんてのは、ある意味「くるって」ないとできないことだ。
ステージ上で普通じゃないこと、非日常的なことをやってくれるから、客席は感動できる。
うちの部員たちにまだまだ足りない部分がこれかなと思う。おれもか。
一部最後の曲は、ステージ上の何人かがうちの部員だった時代に一緒に演奏した「イーストコートの風景」。
その時のことを思い出して二楽章はうるうるしてしまった(年寄りか!)。
「イーストコースト」の三楽章は、案の定最後のホイッスルが鳴らない。昔と同じだ。
休憩をはさみ二部はポップス。スターウォーズのテーマなど、吹きに吹きまくる。
中央、駒沢といった大学吹奏楽の雄のなかで鍛えられてきたメンバーが大人になって、自分たちをしばるものが何もなく好きに吹くのだから、それはそれは鳴る。
コンクールを目指すバンドじゃないからなおさら、ここまでのびのび楽しめるのだろうとうらやましくなった。
来年は練習をみてもらう機会を増やしたい。
12月28日
JBAの吹奏楽指導者講習会に出かけた。年末に催されるこのゼミナーに、思いついたように時々参加している。今までは溝の口の洗足学園で開催されていたが、今年は池袋の東京音大会場になったので、ちょー楽。
午後の指揮法の講座と、コードネーム入門講座。何度きいても新しい発見があるのは、もとがなさすぎるのだろう。でも学べばいい。
自分に何が足りないか、それを補うのにどうすればいいか。本を読めばいいのか、習いにいって身につければいいのか、もしくは外部委託してしまうのがいいのか、その判断は大分できるようになってきたと思う。
ウッディ・マッドメン・オーケストラ 第5回コンサートライブ
日時 12月27日 13:00開場 13:30開演
会場 所沢市民文化センター マーキーホール(入場無料)
曲目 「宇宙の音楽」、「イーストコーストの風景」、「スターウォーズ」他
本校20期OBが立ち上げたバンド(吹奏楽)です。
よろしかったら、ぜひお越しください!!
校内アンサンブル発表会
12月26日(土) 13:45頃スタート 4F小講堂
スクールバスご利用の方は、13:10ころの上福岡か南古谷バスをご利用ください(_ _)
保護者会役員のみなさま
ご家族のみなさま、野球部保護者のみなさま
ありがとうございました!!
昨日は、県立高校さんの中に入り込むような初めての形の合同演奏会だった。
いろんな意味でいい経験になった。ひとつはメンバーが本校以外は女子主体であったことで、中学校時代から楽器を吹いている生徒さんの比率が高く、譜読みの早さには差があると最初の合同練習のときに感じた。
なにせ、最初の合わせで指揮をみてくれる子がいるのだから。ドキドキした。
すごいきれいな平均運動の三拍子振ったり、図形の大きさ変えたりしてしまったよ。
運営の中心が県立高校の先生であったことも、「男祭り」とはずいぶん空気感が異なるものだと感じた。
9時に会館に集合し、4団体+2チームのリハーサルをなんとか終えて、ギリギリで開場し、始まってしまえばあっという間に進行していき気がつくと最後の合奏になっている。
気がつくと本校の部員が数名、着ぐるみを身につけもりあげにまわっている。なんか男子は健気だと思う。
そして4時半には完全撤収という健全な企画だった。
積み込みをして学校にもどると、OBたちが練習をしている。
彼らも本番間際で熱がこもっていた。八時半にバスで上福岡まで送り、校舎の戸締まりをしてパソコンに向かおうとしたら突如睡魔に襲われたか十数分おちていた。
一日吹奏楽な日だった。
とはいえ、演奏してた時間自体はそんなでもない。
そういうところがなおさら、こういうのが吹奏楽ぽいよなと思う。
ほかの競技も同じかな。たとえば陸上競技の大会で100mの選手だったら、朝何時におきて何時に何食べて、1時間音楽聞きながらストレッチして、イメージトレーニングして、一回筋肉たためて、少し栄養補給してとか綿密なスケジュールを決めて過ごすだろう。そして本番はおよそ11秒。
吹奏楽コンクールは12分も演奏させてもらえるのだから、たとえばフィギュアスケートのフリーの三倍もあるのはありがたいのかもしれない。
その12分はしかし、何百人×何千時間のピラミッドのほんとに先っぽの12分間だ。
氷山の一角よりも比率は小さい。
審査員の先生方には、氷山の隠れている部分の大きさがくっきりと見えてしまうのだろう。
そこをおっきくしないといけないのだ。
ご来場ありがとうございました!!
12月20日 12:30開場 13:00開演
クリスマスジョイントコンサート@朝霞ゆめぱれす
~ 第一部 各校ステージ ~
1 朝霞西高等学校 クリスマスフェスティバル
チャルダッシュの女王
あわてんぼうのサンタクロース
2 所沢北高等学校 昭和アイドルコレクション
アルヴァマー序曲
3 川越東高等学校 さくらのうた
スピリット・オブ・セントルイス
365日の紙飛行機
4 和光国際高等学校 コンサートマーチ「テイクオフ」
交響曲2番
ラブ・ピース・アンダー・ザ・グルーブ
~ 第二部 合同ステージ ~
1 1年生合奏 「くるみ割り人形」より、マーチ・トレパック
愁陽の路
君の瞳に恋してる
2 2年生合奏 グランド・マーチ
M.ルグランの世界
3 全員合奏・合唱 みんなで歌おう! クリスマスメドレー
学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(6)」
到着後、二人はオスマン帝国皇帝のアブデュル・ハミト2世からトルコに留まることを求められた。陸軍学校で講師になってほしい、そして日本の近代化の様子を講義してほしいと請われたのだ。
野田はその後2年間にわたり、現地の記事を日本に送りながら教鞭をとる。イスラム教に改宗し、日本人初のイスラム教徒となった人物である。
その後を受け継いだ寅次郎を慕い、弟のようにつきまとっていた少年がいる。名はムスタファ・ケマル。後にトルコ共和国を建て、初代大統領となったムスタファ・ケマル・アタテュルクである。
1986年(昭和61年)3月19日、午後3時過ぎ。待ちに待ったトルコ航空機が機体を輝かせて空港に降り立った。搭乗手続きを終えた日本人が駆け込むように乗り込む。爆撃に遭わないうちに早く飛び立ってほしい、誰もが願った。17時10分、トルコ航空機は離陸した。残り3時間20分。
第一便が飛び立ったあと、陸路を目指すトルコ人達を、野村大使たちは見送っていた。ひとりひとりに声をかけ、肩をたたきありがとうと伝えた。そして深々と頭を下げた。全員がロビーからいなくなるまで、そのまま頭を下げ続けるつもりだった。
だが、こらえららくなった。大使は、頭を下げたまま鳴咽した。
涙がぼたぼたと床に落ちた。 大使館員たちもまたしゃがみ込むものもあり、顔を覆うものもあり、皆一様に鳴咽した。
トルコ航空機は、雲をきって飛行していく。午後8時30分、機は国境の山を越えた。
機長のオズミルクがマイクをとる。「ただいま、アララト山の上空を通過しました。日本人のみなさん、ようこそ、トルコへ!」機内は歓声に包まれ、多くの者が涙を流した。
1999年(平成11年)8月17日。トルコ北西部に大地震が発生し、死者1万7千人を越える大惨事となった。日本政府はすぐに緊急援助を行った。仮設住宅を載せた海上自衛隊の輸送艦が横須賀基地からトルコに向かう。この時、輸送艦「おおすみ」の艦長は、居並ぶ乗組員にこう訓示している。
~ 「トルコ共和国は、イラン・イラク戦争のおり、危険もかえりみずに2機の航空機を派遣し、テヘランに在留していた邦人二百十五名を放出してくれた。日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。トルコのひとびとの友情に、こたえなければならない。われわれは仮設住宅をトルコに届けるとともに、震災からの復輿を支援する。われわれがトルコに恩返しをすることによって、こののち百年、日本とトルコとは友愛によって結ばれてゆける。日本が苦しいときにはトルコが、トルコが苦しいときには日本が、どのような困難が待ち受けていても、先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。トルコには、日本の支援を待ち焦がれているひとびとがいるのだ」 ~
人と人とが紡いだ歴史が、新しい歴史と友情を築いていく。歴史は決して傑出したリーダーや偉大なヒーローがつくりあげるものではないのだ。
紀伊大島の墓地公演には、今も大理石の弔魂碑が建っている。
樫野の人々が世話をし、小学生たちが定期的に訪れる清掃活動を行っている。
学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(5)」
「トルコがチャーター便を飛ばしてくれるそうだ!」
テヘランの日本大使館に連絡が入ったとき、野村大使たちは胸をなでおろした。
トルコ政府は、トルコ人と日本人を救うために、2機のDC10を飛ばすことを決めた。
ただ、イランにいるトルコ人と日本人の数を合計すると、2機で運ぶことはできない。
他の国々と同じように、トルコも自国民を優先するにちがいない、すると200人強の日本人のうち半数はやはり取り残されることになるのではないか … 。
しかし、心配しても事態は変わらない。大使館の職員たちは、テヘラン市内の日本人を手分けして空港へと運んだ。空港と市内をピストン輸送する間にも、市内へのミサイル攻撃は激しくなっていく。一刻の猶予もないと言っていい状況だ。
空港に集まった日本人達は、同じく空港に集まっているトルコ人の多さに驚いていた。本当に自分たちは乗せてもらえるのだろうか。
その人々の群れをかきわけて先頭に立ち、話をはじめたトルコ人がいる。
騒然とした人々が黙り始める。いったい何を語っているのだろう … 。
「われわれは、誇り高きオスマンの民だ。 … 今こそエルトゥールル号の恩をかえすべきではない のか。」ビルセルは続ける。
「最後の飛行機は、日本人のために突入してくる。しかし、テヘランに残留している日本人を救出 するという、ただそれだけのために突入するのではない。日本という国に対して、百年の恩返し をするために、オスマンの誇りにかけて突入するのだ。日本とトルコのこれまでの百年を胸に、 次の百年の礎を築くために突入するのだ。どうか、二機やってくるうちの一機を、ここにいる日 本人のために使わせてほしい」
「話はわかったが、じゃ残されたわれわれはどうなる … 」一人が声を発する。
「歩けばいいじゃないか!」ある若者が叫ぶ。
「そうだな、元気なものは歩けばいい。トラックもある。年寄りや怪我をしてる者、女、子どもを 乗せよう。おれたちは、陸地をゆけば間違いなくトルコに帰れるんだ」
「そうだ陸路を行こう!」「日本人を乗せてやれ!」
声をあげると、日本人が集まっている方に目をむけた。表情からとげとげしさがなくなっていた。「無事に日本に帰ってくれ!」誰もがそう言っているように見えた。
明治23年(1890年)10月5日、エルトゥールル号が遭難してから20日足らずのうちに、軍艦「比叡」「金剛」が品川を出港し、トルコ人生存者を乗せるため神戸に向かった。
オスマン帝国の首都イスタンブールに両艦が到着したのは、翌年1月2日である。
オスマンの国民は、傷ついた同胞をはるばる送り届けてくれた日本からの一行を熱狂で迎えた。
このとき「金剛」「比叡」には、民間人も乗り込んでいた。
義捐金を集める中心となった新聞記者の野田正太郎、実業家の山田寅次郎である。
午前中は冬期講習、午後は練習という日々になる。
講習は、センター試験国語Ⅰの、古文、漢文をテキストにしている。
プリントをもって教室に入ると「先生、何か用意するものありますか?」とU君が問う。
「大丈夫だよ、やる気だけ用意して!(ニコッ)」(おー、うまいこと言ってやった)
「しまった、忘れてきた!」と軽やかに返される。やられたぜ。
いまはなくなってしまった「国語Ⅰ」の問題は、基本事項をまとめるのに、大変使いやすい。
今のセンター古文は、もう笑うしかないぐらいの難問になってしまったが(はっきり言ってクズですね)、昔の国語Ⅰの古文は扱いやすい。
漢文も、よくもこの短く、簡単は文章で、きちっと6題を作りきってるものだと感心する。
まず最初の三日間で漢文の基礎とは何かを整理しておきたい。
午後は部活。合同演奏会まで日がないが、やはりただ演奏するだけでは自分で納得できないので、少し歌を入れることにした。間に合うかな。
心配してやらないよりは、うまくいかなくてもやってみた方が楽しいはずだという心境に今日はなれた。予習しないと。