水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

一手間

2016年08月31日 | 日々のあれこれ

 

 娘達が就職して以来減っていたお弁当づくりを、またちゃんとしようかと思い始めた。自分一人なら夕飯の残り1、冷食1+一品ぐらいで十分だ。一昔前に比べて冷食の発展は目を見張るばかりだが、ちょっとした味付け調味料、タレのたぐいも、あらゆるメニューを網羅する時代になったから、料理ができる、できないの垣根と言うか質は大きく変わった。
 たとえば豚のショウガ焼き。難しいメニューではないが、ショーガをおろすことさえ面倒なら市販のタレをつかえば、その辺のごはん屋さんと味的には遜色ないものが一瞬にしてできる。
 男子のハートを射止めるメニューは「肉じゃが」と言われた時代があった。男子が自ら作成するには敷居の高いメニューだけど、市販の「肉じゃがのたれ」を使えば(すき焼きのたれでもいい)、大きな失敗はない。素材も、皮をむき、下ゆでしたジャガイモやにんじんのセットを使えばいい。
 一回分なら、100円で売っている「たれ」と野菜セット(これは298円ぐらいするかな)、豚こまを100円くらい、しらたき小(78円)の計600円で旦那さんキープできたら、コスパ高いよね。
 自分的に最強なのは「甘酢あんかけのたれ」(おたふく)だ。酢豚のたれをつくるのに試行錯誤した日々もあったけど、これに出会ってからは迷うことはない。豚肉を揚げて、野菜を炒めて、このたれにからめるだけ。これよりおいしい中華料理屋さんはあまりない。
 市販のものにほんの一手間加えるとさらにグレードはあがる。一手間というほどじゃないか。炊き込みごはんをつくるときに、市販の「素」を使って、プラスの食材をいれる。ものによっては水加減に注意しないといけないが、何を入れても大丈夫だ。ただし油揚だけは必需品だと思う。
 吹奏楽のアレンジ譜も、一昔前と比べてずいぶん質があがった … と自信をもって書けるほど理論的にわかってはいないが、買った譜面をそのまま演奏して、「ああ、いい響きだ」と思えるものが圧倒的に増えている。どんなタイプの曲でも。ただしこれも、バンドの実情に応じて一手間加えると、格段に変わる。努力とかがんばるとかではなく工夫を惜しまないことが大事。

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センス

2016年08月30日 | 日々のあれこれ

 

 ~ 一時期はこのセンスというのは、生まれ持った才能だと思っていた。でも迷いながらもデザイナーの仕事を続けてきて、三十代半ばを過ぎた頃からは、才能だけでは限界があることもわかってきた。センスは努力で磨かれる。もともと自分に天性の才能を感じていたわけではないから、その発見はうれしかった。 (藤岡陽子『手のひらの音符』新潮文庫) ~


 仕事でも芸術作品でも、自分には手が届かないような高見に達しているものに出会ったときに、人は(おれはかな?)天に原因を求めがちだ。
 そうやって自分を慰めるわけで、一面では正しい。どう考えても自分の中に、3000本のヒットを打ったり、100メートル9秒台で走る能力が埋もれているとは思えないから。
 同時に、安易に「センス」や「才能」で物事を評することは戒めないと、本質に気づけないことも多々あることを忘れてはいけない。
 もってうまれた才能が生み出したように見えた結果が、実は想像を絶する量の努力の蓄積であることは多々ある。ものすごい努力と緻密な計算の上に成り立っているものを、「天分」と一言ですますのは、ただのなまけものだ。

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御茶ノ水

2016年08月29日 | 日々のあれこれ

 

 出張で駿台の教員研修会にでかける。それなりの代金(18000円くらい)を自分で払って参加するセミナー(公費出張で来てる方もいるが)とちがって、学校経由で申し込む無料の会だ。だからかもしれないないな、ちょっと気合いが入らなかった。講師の先生に問題があるのでは全くないのだが、もう一歩突っ込んだお話が聞きたかった。まあ1時間半で慶應大学の小論文について、法、経済、文、総合政策それぞれについてコメントされるわけだから、問題があるとしたら企画の方だろうか。個人的には、経済学部の問題が毎年よくわからない。設問の難しさではなく、なぜこれを問うのだろうという根本的なところが。
 思いのほかはやく御茶ノ水に着いたので、ひさしぶりにキッチン南海によったり、東京堂をひやかしたりできた。見渡すと、本屋と楽器屋とリーズナブルな御飯屋しかない。なぜこの界隈がこんなに居心地がいいのか、あらためてわかった。ただ、ごはんは普通盛りでも十分すぎる年になってしまった。

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合同練習

2016年08月28日 | 日々のあれこれ

 

  「男祭り2016」の一回目の合同練習。今年は共学校の参加も一気に増えて、各校の男子達が集まって合同バンドを組むことになった。男子校勢は、単独で演奏するために(あたりまえだけど)バランスが整えられているが、共学校の男子が集まると、編成が極端に偏る。たとえば今日の合奏に参加した30人弱で、Tubaが4人、フルートが1人みたいに。しかしそこは人材豊富な男祭りチーム。仲間にひっぱりこんだ朝霞西高校は今年から川北栄樹先生が顧問。あの2013年課題曲「エンターテインメントマーチ」の作曲者だ。川北先生に、普通では考えられないこの編成用に楽譜をアレンジしてもらう。さらにフルートに城西川越の川人先生に入って頂くという布陣でのぞむ。
 そして、300人超で臨む全員合奏は、武生商業高校の植田薫先生をお招きしてのスペシャルメドレーを演奏する。ポケモンなみに進化してる。

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振る舞い

2016年08月27日 | 日々のあれこれ

 

 お世話になっている音楽座ミュージカルさんは、企業研修のワークショップも行っている。数年前にフリーで見学できる会に参加させてもらった。「ある会社で社長が急逝し、その後を継いだ娘が株主総会でどういう挨拶をすべきか」という課題を参加者が考え、役者さんがやってみる … という形だったかな。そのときの高野菜々の「模範演技」は、その頭の下げ方ひとつに目頭があつくなった記憶がある。役者さんとはそういうものだ。 どう語るか、どう振る舞うかは、役者さんになれるほどの天分を持たない一般人も、学習によって身につけなければならない。それが人として生きていく力であり、「まず心だ」という人もいるが、どちらが先という問題ではない。心ができてない状態でも、謝るという所作をとらないといけないとき、そうすることで心が醸成されることもある。感謝したい気持ちにあふれていても、それを表す身体的な形を身につけていないために、感謝の気持ち自体が減じてしまうこともありうる。
 だから本気で申し訳ないと思っている女優さんが、それを身体表現させたなら、舞台作品を凌駕することさえあるなと思った。

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君の名は

2016年08月26日 | 演奏会・映画など

 

  「黄昏(たそがれ)」時の語源は「誰そ彼(たそかれ)」時。そこにいる人が誰なのか判別がつくなくなっていく夕暮れ時、思わず「誰そ彼?」と尋ねてしまう。「彼は誰(かはたれ)」時とも言う … 。
 そんな話を古典の先生がしている授業風景。
 家のテレビでは、千年ぶりに地球に接近している彗星のニュース。
 こんなシーンを観て、つい枕草子を思い起こすおれって、ほんとに教養があるなあ。
 清少納言が書いた「よばひ星」は「プレアデス星団」を指す … という話は、実は池内了「新しい博物学を」という文章で知った。中学校の教科書のいくつかに載っている文章だから、本校を受験しようかと考えるぐらいの生徒さんなら、この映画を見始めればすぐに想起することだろう。

 基本的にアニメは観ないので、「今の」なのか、「日本の」なのか、「この監督さんの」なのかはわからないが、あまりにも緻密で美しい映像にすぐのめり込まされる。こんなクオリティに達していると予想もしてなかった。
 ほのぼのした「入れ替わりもの」系だろうなあと、軽い気持ちで見始めたから、びっくりした。
 われわれ世代だと「入れ替わり」映画のそれは大林監督の「転校生」につきる。
 同時に「君の名は」というタイトルは、昭和初期の名作ドラマも当然思い起こさせる。観たこと無いけど。
 監督さんはもちろんそれもふまえている。
 戦後すぐの数寄屋橋を舞台にして「すれ違い」をくりかえす男女の姿。
 生まれたときから携帯電話があるのが普通の若い人たちには(うわ、このじじくさい言い方)、待ち合わせで「すれ違い」が起きるなんて想像できないだろう。
 でもすれ違うのだ。そして出会う。

 すぐにのめり込み、途中から壮大なSF作品であることに気づいた。ほのぼのどころではない。
 「入れ替わり」がなぜおこるのか。「新しい博物学を」が提示した、文系・理系の枠をとりはらった新しい学問があれば、謎は解明されるかもしれない。彗星が最接近した「かはたれどき」には何でも起こりうる。
 そしてその壮大なSFファンタジーが、誰の日常にも起こりうる奇跡に結び付いていることに気づく最後の場面。
 涙をこらえることはできない。生きててよかった、これからも生きていけるかなと思えるくらいに。
 今年観た、いやぁ、ここ数年って言ってもいいかな、最高の作品だ。

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青空エール

2016年08月24日 | 演奏会・映画など

 

 「チルソクの夏」「スゥイングガールズ」「奈穂子」「サマータイムマシンブルース」「のだめカンタービレ」「陽だまりの彼女」 … 。上野樹里さんが出ている映画を思い出したら、どれもヒロインばっかりではないか。こんなに観ている女優さんはほかにないかもしれない。夏帆ちゃんもけっこうみたかな。
 そんな彼女が脇で出ているのだから豪華な感じがするし、サックスもピアノもできる彼女だからこそ、名門札幌白石高校吹奏楽部顧問の役はまさに適役ともいえる。
 土屋太鳳ちゃん演じるつばさの先輩役に、志田未来さん。彼女もビジュアル的には全然大丈夫なのだが、セリフを発した瞬間に、女子高生役の他の役者さんとはグレードがちがいすぎることが明らかになるので、そういう意味で高校生役はきびしかった。なんていうか、若い子特有の「おろかさ」みたいなのが感じられず、風格? みたいな何かしかない。その他の役者さんは、みんな素人っぽかったら、「青空エール」の青春感がでていた。太鳳ちゃんは、でもほんとに吹けるかんじだったなぁ。どれだけ練習するのだろう。

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8月11日

2016年08月11日 | 日々のあれこれ

 

 内村選手を讃える他国の選手の言葉を聞いていると、ほんとうのすごさは彼らにしかわからないのだろうと思う。
 昨日は高校Aの県大会。地区大会のシード演奏直前に越谷北さんを聴き、このまま全国大会に行っても遜色ないのではないか、なんというレベルの高さだと感じていた。その越谷北さんも昨日は銀賞。同日の銀賞代表だった狭山ヶ丘さんが見事に金賞。シード校のいくつかが銀賞。そんななか、伊奈学園さん、栄高校さん、春日部共栄高校さんは、長年にわたり上位を占めつづけ今年も圧巻の演奏だったらしい。
 見学にいったり、話を聞いたりさせてもらったことはあるが、何がどうちがうのか、自分にはまったく見えてないのだろうと思う。そういう学校さんの演奏がどうの、選曲がどうの、練習方法がどうのと語れるレベルに達している人って、実は少ないんじゃないだろうか … と、茫然としてても前に進めない。
 せめて同じ土俵にあがれるところに行かないと。西関東大会に進む選ばれしみなさんは、去年と同じように圧倒的な埼玉の力を見せていただきたい。たぶん、ふつうにそうなるとは思うけど。
 お盆明けから、文化祭、男祭りに向けて一気にすすんでいきたい。
 そういえば、もう遠い昔の話みたいだけど、都知事選の日に行われてた高校B地区大会に、慶應志木さんと立教新座さんが出場したが、小池先生対鳥越先生のたたかいだったのだ。


 みなさま、よいお盆をおすごしください!

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シンゴジラ

2016年08月10日 | 演奏会・映画など

 

 「ゴジラは移動しているだけ」なのだ。
 そこに何の感情もない。人間に対する憎しみもなければ、現代文明に対する抗議もない。
 ゴジラから感情を読み取ろうとするのは、人間の恣意にすぎない。「シンゴジラ」は、そのような新しいゴジラ像を描く。
 だとすれば、シンゴジラは人間の想像を絶する災害の象徴であり、今の日本人なら自然と東日本大震災を重ねあわせる。
 想像を絶する災害に接したとき、人は、国はどう対処するか。どう対処したか。
 基本的にパニック映画の文法に則った脚本だが、ハリウッドのそれと異なるのは、個人と個人のせめぎあいではなく組織の一員としての個人に焦点が向かう点だろう。
 ちがうかな。「組織」というと西欧的なニュアンスもまじってしまう。むしろ「義」のために自分をどう処するかという問題かもしれない。とくに、公の立場にある人たちのふるまいがリアルに描かれ続ける人間ドラマとして、歴史に残る作品だとさえ思った。

 東京湾から上陸し、容赦なく街を破壊しつくしたゴジラは電池切れとなって「眠る」。
 活動を再開するまでの時間で、なんとかゴジラを凍結させる作戦を遂行しようとする特命チームが、政府の下に発足した。
 同時に、人類の脅威と認識した各国は、国連軍の名のもとに早急に排除する作戦をとろうとする。それは熱核兵器を使用し、東京ごとふっとばすというものだった。
 各国の結論もやむを得ないと思わせるほどのゴジラの力は前半部で十分に描かれる。
 残された時間のなかで、特命チームは結果を出せるのか。チームの面々、自衛隊員、警察、消防、現場の作業員、化学薬品の会社、省庁の事務やスタッフのおばちゃんまで、なんとかしよう、この国を救おうという気持ちが、それぞれの持ち場で懸命に発揮されることで、不可能かと思われた作戦が徐々に形になっていく。
 だから、長谷川博己にお茶とおにぎりをもってくるだけの官邸職員役に、片桐はいりさんが必要なのだ。
 1シーンだけの消防隊員に小出恵介くんが必要だった。避難民役の前田敦子さんて、セリフあったっけ?
 チームの一員である環境省の役人を演じる市川実日子さんのお芝居は、個人的には一番光って見えた。
 コンクール疲れをとるには、ほんのりしたラブコメとか見たいなあ、でもやってないなあ、まあシンゴジラかなというゆるい姿勢でイスに座った自分を反省するほど、日本の映画界の総力が結集した大作だ。よかったぁ、見ておいて。

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「失敗」

2016年08月09日 | 日々のあれこれ

 

 出勤直前に体操団体の金メダルが決まった。「加藤」と耳にすると、凌平君はほんとによかったけど、沢男さんを思い出してしまう世代にとって、やはりオリンピックというと体操だ。
 娘を送ったあと、城北埼玉前セブンイレブンの駐車場で表彰式を観る。萩野選手の表彰式は見られなかったので今回初めて聞く「君が代」だった。テンポおそ。これが正式バージョンなのだろうか。ちょっとうちは演奏しきらないと思う。
 しかしオリンピックが始まって三日で、もう何度泣いただろう(じじいかっ!)。
 重量挙げの三宅選手といい、内村選手といい、メダルの背後にある人生そのものの重さ厚さが、年をとればとるほど見えてくるのだからしかたがない。
 なんでもいいから俺等も出ようと、幼馴染みと中学のグランドにあつまり朝練をしていた夏は、モントリオールオリンピックだったかな。なんにも考えてなかったな(遠い目 … )。
 そのころの4年は長かった。それが今は、もう4年経ったの? という感覚だ。
 選手たちの感覚はどちらがわなのだろう。
 4年準備して、生活のすべてをオリンピックにために費やして、本番の日、もしくはほんの数時間体調がおかしくなっただけで、または一瞬気の迷いがあっただけで、実力を発揮できずにおわる。
 むしろそれが普通という感覚でいないといけないのだろう。
 それが普通だから、もっとやるという感覚。本人のなかでは失敗でも、他人から見れば成功に見えるレベルに達するほどの努力を積むのだろう。
 われわれ凡人は、コンクールでも、試験でも、「本番だけ失敗しちゃって」みたいなことを口走ったりするけど、そんな次元でとらえる人が世界の頂点に立つことはない。もちろん推測でしかないが。
 インタビューする方々はせめて、それくらいの推測はして声をかけてあげてほしいなあ。
 「今のお気持ちは?」しか言えないのは、小学生の学級新聞レベルだ。
 喜びの言葉を口にしながら、心から喜びをかみしめながら、同時に自分たちの演技がパーフェクトではないと感じている内村選手の話を聞きながらそう思った。

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