水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

魔法の杖

2007年09月30日 | 日々のあれこれ
 猿が神様に「一度でいいからバナナをおなかいっぱい食べてみたいのです」とお願いする。すると神様は、「よしかなえてやる」と言って、トントンと魔法の杖を振る。次の瞬間、その猿のお腹がバナナで大きく膨れあがっている。
 猿は「そういうことじゃないんだけど … 」とつぶやく。
雄カエルが、「あこがれのケロ子ちやんと一生を添いとげたいのです」と神様にお願いする。神様は、「よし、かなえてやろう」と言って、トントンと杖を振る。すると次の瞬間、その雄カエルとケロ子ちゃんが老人になっている。
 雄カエル「そうじゃなくて … 」
 佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)に載っている漫画だ。佐藤氏はこう解説する。

 この2つの漫画に共通していることは、最終的な「結果」が目的なのではなく、好きな人と一生過ごす過程や、念願のバナナをムシャムシャ思いっきり食べる、その経過が目的だったということです。一般的には、「結果」はとても大事です。特にプロスポーツやビジネスの世界では、いくら途中経過がよくても、いい結果を出さなければ評価されないというのが現実です。それはそれでとても健全でかっこいいことでもあります。しかし、それに反して、この漫画のように、結果だけでは意味をなさない事柄も、日常には少なくありません。

 日本ハムファイターズが昨日優勝を決めた。あのヒルマン監督はよほどの名将なのだろう。シーズン前は、前年優勝チームにもかかわらずBクラスに予想している人が多かった(と思う)。監督インタビューを聞いていたら「自分達とファン以外は誰も優勝できるとは思っていなかっただろう」と監督も話していた。いやファンだってあやしかったのではないかな。でも監督と選手達は優勝するつもりだったのだろう。それは間違いない。そして新庄・小笠原が抜けた今年の戦力の中で何をやるべきかを選手も監督も模索し、形にし、ここにたどりついたのだ。その喜びはひとしおだったろう。
 では、彼らがシーズンをすごさずに、昨日の日を迎えたらどうか。つまり神様に魔法の杖をふってもらい、なんなく優勝を手に入れたなら。4月から昨日にワープするように。もしそうだったら本当にうれしいだろうか。もちろんうれしくないことはないだろう。優勝したという結果があり、それに応じた金銭的報酬も得られるとしたら、十分それでいいと考える部分もあるだろう。それでも、何か物足りないのではないか。野球選手が野球をやらずにお金だけもらえてうれしいかな。
 つまり(あんまり「つまり」じゃないかもしれないけど)部活も同じじゃないかなと思ったのだ。コンクールに出れば金賞をとりたい。勝ちたい。そりゃあ負けるより勝ってよろこびたい。今年は悔しかった。だからといって、いきなり表彰式にワープして賞状をもらってうれしいかと聞かれれば、たぶんそんなことはない。賞状もらえなくても、みんなでがんばって、苦労して、いろいろあって、その結果として演奏させてもらえるなら、表彰式に出られなくてもいい。結果だけをとるか、過程だけをとるか、どちらかを選ばなければならないとしたら、やはり結果にいたるまでの長い過程の方をとりたい。考えてみるとマゾヒスティックだけど、そういうもんじゃないかなと思う雨の日曜日である。
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ポロ

2007年09月26日 | 日々のあれこれ
紺のラウムから紺のポロに替えた。10年乗った車と別れるのはせつないものがあったが、新車を見たとたんにその気持ちはすっかり消えた。卒業式はさびしいけど、新入生をみたとたんにわくわくしてくるのと同じだろうか。なかなか思うように乗りこなせないのも。同僚からは「似合わない」「らしくない」「かっこつけるな」「なんで?」「外車?はあ?」「欧米か!」などたくさんのおほめの言葉をいただいた。こんどはへこませないように乗りたい。
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ゴミ

2007年09月25日 | 日々のあれこれ
練習場に落ちているゴミを、誰かが100%拾うだろうか。残念ながらうちのバンドはそこまで成熟していない。返事もまあまあできるようになったし、かばんの並べ方もきれいになったし、練習後のそうじもそれなりにできるようになった。それは一昔前にくらべたら大きな進歩だ。しかし、さらにうえを目指すのなら、「それなりに」「なんとなく」ではなく、「確実に」が必要になることは重々わかってはいる。私も部員もおそらく理屈ではわかっているのだ。しかしなんとかペーパーが一枚落ちているのを気づいていながら拾えないことはある。幸いなことに、そこから大きく崩れていくほどの甘さでもなくなっているとは思うけれど。
教室に落ちているゴミを、誰かが拾うだろうか。これはほとんど拾わないだろう。今日はたまたま拾っている生徒を見かけて感心した。その子はおそらく大学入試でもいい結果をのこすだろう。理屈はわからないが経験上そういうものだと言える。
神戸の私立高校でいじめを苦にして高校生が自殺した事件があった。学校は当初いじめの実態をつかんでなかったといながら、後にそれを翻した。担任の先生も予兆はつかんでいながら対策を講じなかった事実があきらかになっている。おそらく見えていて見ていなかったのだろう。見たくないものは見えにくいともいえる。いじめがエスカレートする以前の段階で、亡くなった生徒のクラスはどんな状態だったのか。想像でしかないけれど、ゴミが落ちているのを誰かが拾う空気はなかっただろう。授業中の態度、休み時間の様子、清掃のしかた、生徒達の声の大きさ、いろんな面で教師の指導がすっと通る状態ではなかったのではないか。ぎゃくにいうと、生徒・教師の関係がきっちりしている空間で、いじめが犯罪レベルにまでエスカレートする危険性は少ない。「管理教育はいじめの背景」などとのたまう先生が昔はいたが、ふつうに考えればしっかり管理されていれば、いじめは悪化しない。もちろん人間のつくる空間だから、いじめを皆無にすることは無理だろう。しかし、ゴミ一つの段階でなんらかの指導ができる空間であれば、いじめは回復可能ないじめレベルで終わらせることはできる。まあこれくらいはいいかの積み重ねは、いきつくところまでいってしまう危険性を持っている。
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9月24日

2007年09月24日 | 日々のあれこれ
 オフ日だがアンサンブル練習に何人も来ていた。午前は新車の納入、授業プリント作成。午後はソニックシティでの相談会にでかけ、約4時間話し続ける。星野ウインドメンバーのご母堂が、弟さんが受験だということで、ブースを尋ねてくださった。ジョイントなどにもお越しいただいたということで、わたしの顔もご存じであった。ここまでご縁があれば、もう来年度は川東で吹奏楽部に入るということでいいのではないかとお話する。人生とはそういうものではないだろうか。日本橋ヨヲコ『少女ファイト』3巻を駅で購入し電車で読んでたが、2巻が出たあとけっこう時間があいているので、登場人物の誰が誰だったかはっきりしない。1・2巻がすごく面白かったという記憶だけはしっかり残っているのだが。『デスノート』の時も、ちょっと間があくと理屈を忘れてしまい苦労した。
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普門館のチケット

2007年09月23日 | 日々のあれこれ
 今日は吹奏楽コンクールチケット発売の日。昨年は電話がつながらずゲットできなかったが、知り合いに譲ってもらえ前半を聴くことができた。今年は電話ではなくパソコンでチャレンジしたら見事前後半とも手に入った。いきおいで落語のチケットもとってしまった。吹奏楽連盟に郵便為替を送っていた時代は(といってもつい3年前ほどだったかな)のんびりしていたものだ。はっきりいって、うちと普門館はまだ別次元のものとはいえ、頂上で何が行われているのかは知っていないと、進む方向を誤ってしまう。だから、仕事でいくわけだな。だれか出張手当出してくれないかな。顧問じゃなかったら普門館に足を運ぶことはなかっただろうが、顧問であるがゆえにこのイベントにも大手を振って参加できるのだとも言える。実際2500円×2でこんなに感動できるイベントはめったにない。たまに出かけるプロオケでも、5000円出して心からよかったと思える機会はそうはない。10000円でも安いと思えるのは10回に1回だろうか。そういえば、先日出かけた燕楽という有名店のカツ丼1000円は高かった。もちろんおいしければカツ丼に1000円出すことに何の文句はない。でもあれはいただけなかった。よほど450円の富士そばのカツ丼の方が納得できる。卵でとじたカツ丼なら、金沢は片町にある文福、この一軒につきる。もう数年行ってないけど、東京のこの店があったら大変な行列になるだろうなあ。
 10:00にチケットをとり、10:30からコールユーブンゲンのテスト。例年より合格率が高い。午後の曲練習では、やはりリズムのとりかたはまだまだ。地道に一歩ずつすすんでいくしかないだろう。
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スクーティンオンハードロック

2007年09月22日 | 日々のあれこれ
基礎をしっかりやるべきなのはわかっているが、やっぱり曲は楽しい。今日は、高校音楽祭やジョイントの候補曲の鑑賞会からスタート。その後人気投票に基づいて幹部と話し合い2曲決めさせてもらった。そのうちの一つは「スクーティンオンハードロック」という今ちょっと流行ぎみのジャジィな曲。ホルジンガーは川東初挑戦となる。譜面を配った直後の「えー」「まじー」「こんな高い音が」「こんな細かい音符が」「8枚もあるの」といいながら妙にうきうきしているような(ちがうかな?)光景を見るのが楽しい。昔バッハザールで「イーストコーストの風景」を演奏しおわった直後に、客席の女子高生から「かっこいい!」という声があがった。快感だった。今年は客席のすべての女子が「キャー!」と叫んでしまう演奏を目標にしたい。
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案山子

2007年09月21日 | 日々のあれこれ
友達のブログをひらいたら、「元気でいるか」というタイトルで案山子の写真。それ以降今日は頭の中でさだまさしの「案山子」が鳴り続けている。

 元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 城跡から見下せば 蒼く細い河
 橋のたもとに造り酒屋の レンガ煙突
 この町を 綿菓子に 染め抜いた雪が
 消えればお前が ここを出てから初めての春

 手紙が無理なら 電話でもいい
 「金頼む」の一言でもいい
 お前の笑顔を待ちわびる
 おふくろに聴かせてやってくれ

 元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

深夜放送のラジオで、この詩はいったい誰が誰に対して語りかけているのか論争というのがあった。論争というほどでもないのだが。ふつうに読めば、故郷にいる兄が、東京に出て行った弟に、というところが一番妥当なとこだろう。「おふくろに」と言っているし。あるリスナーからのはがきで、城跡のところに立っている大きな木が「お前」に語っている歌だ、という解釈が紹介され、なるほどなあと思った記憶がある。たしか高校3年の時。

 山の麓煙吐いて 列車が走る
 凩が雑木林を 転げ落ちて来る
 銀色の 毛布つけた 田圃にぽつり
 置き去られて 雪をかぶった 案山子がひとり

 お前も都会の 雪景色の中で
 丁度 あの案山子の様に
 寂しい思いしてはいないか
 体をこわしてはいないか

 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

高校のときは、ふつうにいい歌だと思い、ギターのコードも簡単だからよく歌っていた。故郷を離れたいまふと思い出してみると、より味わい深いものがある。さっき車にガソリンを入れに行ったとき、ちょっと本気で歌ってたら、自分の歌に感動してうるっときてしまった。やばい。うますぎる。この頃おぼえた歌はするする歌えるのに、さっき頭にいれたことをすぐ忘れてしまう今の自分もやばいかもしれない。
元気だし、街にもなれた。友達もできたし、お金もある。寂しいとか思っているひまはあまりない。今度はたぶん正月に帰ります。

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母校

2007年09月20日 | 日々のあれこれ
放課後ずっと会議で練習には行けなかった。会議後、明日の講習のテキストや授業のプリントなどを作成。けっこうやることがある。明日をのりこえると少し楽になるのだが、連休中にのんびりしてしまうと、また来週は苦しくなる。わかってはいるのだが、同じことの繰り返しだ。うれしいことがあった。ある曲のアレンジ譜がほしくて、吹奏楽界では名の知れた、福井の植田薫先生に連絡をとってみた。植田先生は高校の先輩にあたる。すぐに楽譜を用意してくれたばかりか、おもいっきりフレンドリーなメールをいただいた。藤島高校在学中は、吹奏楽部がどれくらいがんばっているかわからなかったし、まして自分が入学する前に全国大会に出ていることなど知りもしなかった。そして、数年後自分が吹奏楽に関わりをもつなどということを予想もしなかった。人生とは不思議なものだ。人生は自分が望んだ通りになる、望んだとおりにしかならない、というような言葉がある。でも私自身は、高校時代に自分が望んだ姿とは全然違う人生をおくり、それでいてたいそう幸せな日々を送っていると感じているのもまた不思議なことだ。
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2007年09月19日 | 日々のあれこれ
基礎の合奏練習を、全員で行うのではなく、10人ちょっとのチームに分けて練習しはじめた。合奏の中ではうもれてしまうような細かいミスや乱れも明らかになり、誰がどの程度吹けてないのか、音が出てないのかも明らかになる。ぎゃくに1年生なのにいい音が出ているなあと気づくこともある。10人強で演奏し音程がぴっちりそろうチームはない。つまりこの状態のまま58人集まっても、きれいな音にならないのは火を見るより明らかだ。この時期にどこまで一音にこだわっていけるかが大事なのだろう。この時期にはかぎらないな。いつもだ。たとえば伊奈学園さんの音をきくたびに思うのは、どうやったらここまで正しい音を美しく吹けるようになるのか、ということだ。今のままでは差がひらくことはあってもちぢまることはない、というかどの程度の差があるのかがわからない状態であるというのが正直なところだ。
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部活

2007年09月18日 | 日々のあれこれ
部活指導の方法は大学の教育学部では勉強しない。そういう講義はないし、指導できる先生もいない。教育以外の学部を出て中学や高校の教員になる者も、部活指導の方法など学んではいない。そして中学高校のほとんどの教員が、なった途端に部活動を担当する。それはちょうど車の運転の仕方を習わないままタクシードラーバーになったり、医師免許をもたずに手術をしたり、包丁の使い方を教わらずに調理場に立ったりする板前さんのようなものだと言える。正式に習ってなくても、運転が上手にできてしまう人もいるだろうし、独学ですごい料理人になる人はいるだろうし、ブラックジャックもいる。しかしそれはまれな例であり、おそらく部活指導をちゃんと行える先生も数少ない。しかも、何の部活を担当するかは教員になってはじめて決まるものであり、何年かすれば自分の意志にかかわらず異動せざるを得ない。でも、学校における部活の占める位置は大きい。教科の教え方が下手な先生に当たった場合には、他の人に習う、自分で学ぶ、などの対策を講じることもできる。しかし、たとえば吹奏楽をいっぱいやりたいと思って入学した学校に、あまりにもしょぼい吹奏楽部しかないとしたら、その子の願いはかなわない。その子自身ががんばって仲間をふやして、専門家をよんできて、などということも不可能ではないが、やはり限界はあるだろう。そう考えると学校で部活動ほど不公平なものはないし、その原因は顧問にあるといえる。顧問の責任は大きい。しかしである。そういう状況がうまれるのは教員養成のシステムがおかしいんじゃないだろうか。税金で教育再生会議とか開いて偉い人が集まって、「テレビをへらして親子で会話しよう」とか「朝食をたべさせよう」とか提言してるヒマがあるなら、こういうことをもっと考えたらいいんじゃないかな。教員になって10年経ったら免許更新のための研修を受けなければならないことになったけど、それ以前に教員免許をとるための講習自体が間違っている。「自動車の哲学的意味は何か」「自動車の歴史」「エンジンの理論」といった講習ばかり受けて、運転そのものを教わらずに自動車免許が与えられたらどうだろう。教員免許はこういう状況にあり、案の定いろんな学校で事故おこりまくりである。
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