水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

小説二問目

2014年02月28日 | 国語のお勉強

 次の文章を読み、あとの問に答えよ。

「おまえたち、よくこんなややこしいことができるな」
 箕月監督が文字どおり目を丸くして、画面に見入っていたのを思い出した。目を丸くした顔つきや声が1〈 唐突に 〉よみがえる。
 部室でのことだった。練習の始まる数分前、微かに埃と汗が漂う部屋の中には、三人の他にマネジャー志望の一年生が二人いた。その二人にデータの説明をしていたのだ。新入部員より先に監督の方が感嘆の声をあげた。
「すげえな、天才だ」
「体連が主な大会で配布した資料を、単に見やすく整理しただけですけど」
「それがすごいじゃないかよ。うほっ、ボタン一つ押したら、学校ごとのデータが2〈 一目 〉瞭然ってかい。たいしたもんだ」
 信哉が肩を竦める。
「監督、ボタンてなんすか、ボタンて。うちの爺ちゃんでもキーボードって言葉知ってますから。そんでもって、この程度の操作できちゃいますから。このくらいで騒いでちゃ二十一世紀の高校教師なんて勤まりませんて」
「りっぱに勤まってるじゃないか。それは、おまえらが一番よーくわかってるだろうが」
「どうわかればいいんだか。まったく監督、幾つですか。まだ三十でしょう。パソコンぐらい使いこなしてくださいよ」
「二十九だ、馬鹿野郎。勝手に他人の歳を加算するな」
 一年生たちが顔を見合わせて笑う。
 信哉と箕月のある意味、3〈 軽妙なやりとり 〉を、杏子は一歩離れて見ていた。自分の指揮下にある部員を相手に素直に感嘆を表せる箕月を、杏子もまた感嘆の目で見ていたのだ。A〈 笑う気にはなれなかった 〉。
 なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
 この人は衒うことや装うこと、体裁をつくろうことを知らないのだろうか。そんなもの必要ないのだろうか。
 箕月が振り向いた。視線が絡む。
「お杏」
 呼ばれた。胸の奥に疼痛が走る。B〈 やめてくださいと言いたい 〉。
 やめてください。そんな呼び方しないでください。いつものように、マネジャーとあっさり呼んでください。そうでないと……わたしはまた、揺れてしまいます。
「いい後継者ができたな」
 箕月が信哉の背中を指差す。
「西野と桑山がやめてしまって、おまえ、悩んでただろう」
「ええ、それは……二人とも来年度のマネ候補でしたから。急でもあったし、正直、ちょっと堪(こた)えました」
「おれも同じだ。悩んだし、反省もした。おまえは正直、優秀すぎるぐらい優秀なマネだったからな。その優秀さに慣れちまって、西野たちに対して要求のハードルを上げすぎたってな」
「過去形にしないでください」
「うん?」
「優秀だったなんて、過去形にしないでください。あたし、五月の記録会が終わるまでは、東部第一の現役マネジャーですから」
 胸を張る。視線に力を込める。箕月からすれば睨(にら)まれたようにも感じただろう。
「いや、別に、そんな誤解だ、誤解。おまえを過去形にしてどうするよ。できるなら、ずっと傍にいてほしいぐらいなのに」
 ズットソバニイテホシイグライナノニ
 杏子は横を向いた。箕月の目には不貞腐れていると映ったかもしれない。
 睨んだ後に不貞腐れる? 最低じゃない。
 C〈 かまいはしない 〉。動揺した心のままに赤らんでしまった顔を直視されるより、不貞腐れていると思われた方がましだ。ずっとましだ。
「先輩?」
呼びかけられ、我に返る。
「え?」
「どうかしたんすか」
「え?」
「なんか、ぼーっとした感じですけど」
 信哉がいぶかしげに首を傾げた。
 ぼんやりしていた? わたしが?
 あぁそうか、また、4〈 あらぬ 〉思いに囚われていたか。
 まったく、杏子、あんたったらちっとも成長しないんだから。
 自分に苛立つ。
 信哉が呆れるほど、はすっぱに舌打ちの一つもしてみたい。
 杏子は舌打ちの代わりに、苦笑を浮かべた。
「ごめん。一瞬、白昼夢だった。疲れてんのかな」
「かもしれませんね。やっぱ、試合前って、きついのは選手もマネジャーも同じなんすよね。いや、きついって顔できないだけマネの方が大変かもって……今回、よく、理解できました」
 嘘や軽口でなく、信哉は支える者の苦労をちゃんと理解したのだろう。理解したうえでマネジャーの仕事と役割を楽しんでいる。少なくとも杏子にはそう感じられた。
 頼もしいことだ。
 箕月の言うように、確かな後継者を残して去ることができる。それはD〈 安堵であり解放であり、一抹の寂寥だった 〉。
「久遠くん」
「はい」
「加納くんね、去年の大会のこと、まだ、かなり引き摺ってる……かな」
「そうすね。そうかもしれないっす。まぁでも、引き摺ってても背負ってても、走らないとしょうがないでしょ。あいつ、帰ってきたんだんから」
 自分の意思で、トラックに帰ってきた。だとすれば、走るしかない。過去の栄光も挫折も、今走ることに何の意味ももたらさない。
 碧李は知っている。信哉も知っている。
 E〈 走ることは、いつだって、まっさらなシャツに袖を通すことだ 〉。見知らぬ道程を行くことだ。何が起こるのか、何が起こらないのか誰も予測できない。
 それは、どうしようもないほど苦しいことなのか。他の何にも替えがたいほどおもしろいものなのか。
 ふっと考え、杏子は胸の痞(つか)えを覚えた。息が苦しい。同時に背中に寒気が走った。
 わたしは見逃していたのだろうか。
 箕月への想いにばかり振り回され、走ることそのものに心を馳(は)せることを忘れていた。あのトラック、あのフィールドで繰り広げられるのは予測不能なドラマだ。それを楽しむことを忘れていた。
 わたしは見逃していた。
「あたしね、久遠くんと同じなのよ」
 呟いていた。信哉が問うように顎を上げる。
「最初は選手として陸上、やってたの。トラックじゃなくてフィールドの方だけど。高跳び」
「へぇ、それは初耳だ」
「すぐにやめちゃったから。というか、自分が競技者よりマネジャーに向いてるって、気づいちゃったの」
 座ったまま真剣な面持ちで見上げてくる信哉に向かって、しゃべり続ける。
「マネジャーの質って何かって訊かれたら、加納くんじゃないけどちゃんと説明できないんだけど、だけど、選手としてじゃなく選手を支える側……ううん、そこからも離れて見てるとね……」
「一観客として、競技を見てるってことですか」
「うーん、それとも違うかも。一般の観客にはなれないの。やっぱ、東部第一の選手に勝ってほしいし、この競技が終わったらすぐに飲み物の手配しなくちゃとか、コンディションをどう整えようかなんて考えてるんだから。けどね、そこがおもしろいの。マネジャーとして競技を見ているとね、選手には味わえないおもしろさがわかっちゃうんだ」
 抽象的だ。抽象的すぎる。言葉が想いに追いつかない。
「あたし、F〈 それ 〉を知ってたの。マネジャーになってすぐに気がついた。陸上っておもしろいなって……うん、あたし、確かに知ってたのにね……」
 いつの間に、忘れていたのだろう。過ぎていった日々がすいっと脳裡を撫でる。
 あの試合、あの練習風景、あのアクシデント、あの勝利と敗北。そして、夕暮れのグラウンドを一人、走っていた加納碧李。
 あいつはたぶん……走るってことがどういうことか、ちゃんとわかっているんだ。
 箕月は碧李についてそう語った。走るとは、肉体一つあれば事足りるもの。どのスポーツより根源的なものだとも言った。そして、
 おれにはわからん。
 吐息のように呟いた。
 わからんからおもしろいんだよ、前藤。
 そうだったんだ。監督はわたしにもちゃんと伝えてくれたんだ。フィールドには、走らない者にしか味わえない快感もまた、あるのだ、と。
 忘れていた、忘れていた。見失っていた、見逃していた。
 男に惹かれていく心が目を覆い、耳を塞いでいた。
 ため息が出てしまう。
「少し、わかる気がします」
 真剣な眼差しのまま、信哉が答えた、
「おれ、正直、ハードル諦めたとき、ちょっとはへこんでたんですけど……ほっとしたの半分、へこんだの半分、かな。けど今は、けっこう……うん、けっこういいかななんて思ってます。自分の立場っつーか、この位置、けっこういいっすよ。ハードルへの未練は、まだ、やっぱけっこうありますけど。まぁ、でも、だから、どっちにしてもけっこうなんですけど……同じようなこと、さっき加納にも言いました。おまえにはわかんない楽しみ方がおれ、できるんだぞって。何がわかんないのかわかるのか、上手く説明できないんすけど。つーか、する必要ないですよね。走るやつに説明したって無駄ってもんです。先輩……どうかしたんですか。おれ、なんか気に障ること言っちゃいました」
 G〈 信哉を凝視していた 〉。瞬きもしない眼に信哉が気(け)圧(お)されたように身を縮める。
「……すごいね」
「え?」
「すごいよ、久遠くん。最高だよ」
 思わず、信哉の背中を叩いていた。興奮が心臓を突き上げるようだ。
 久遠くんて、すごい。ちゃんと見えてる。わたしが、忘れていたものをちゃんと掴んでいる。
「いてっ。マジ痛いんですけど」
「あっ、ごめんごめん。つい……。ね、この一年、しっかり楽しんでよ、久遠くん」
 競技者ではない者として存分にフィールドを、トラックを楽しんでほしい。この後輩なら、それができるだろう。
                          (あさのあつこ『スパイクス』より)

問1 傍線部1と同じ意味の語を選べ。

 ア 不意に  イ 再び  ウ 鮮明に  エ 意外にも

問2 傍線部2の「一」と同じ意味で「一」が用いられている語を選べ。

 ア クラスの期待を〈 一身 〉に背負っている。
 イ 私の提案は〈 一顧 〉だにされなかった。
 ウ その案件の処理は議長に〈 一任 〉された。
 エ 事態を打開しようと〈 一策 〉を講じた。

問3 傍線部3の本文中の意味として最も適当なものを選べ。

 ア おべっかの言い合い
 イ 気の利いた受け答え
 ウ ちょっとしたいさかい
 エ 漫才のようなかけあい

問4 傍線部4と同じ意味で用いられているものを選べ。

 ア 〈 あらぬ 〉疑いをかけてはいけない。
 イ 〈 あらぬ 〉ことを口走ってしまった。
 ウ なぜか〈 あらぬ 〉方向に駆け出した。
 エ 友達に〈 あらぬ 〉噂を立てられてた。

問5 傍線部Aとあるが、なぜか。最も適当なものを選べ。

  ア 生徒と接する際にも、教師然としたふるまいを全く見せない監督の人柄に、驚きをおぼえ感心するばかりだったから。
 イ 親しげな生徒とのやりとりは、教師と生徒との境界を越えてしまう危険をはらんでいることに気付いてしまったから。
 ウ パソコンの取り扱いに疎いことは、顧問という立場から笑ってすませられない側面を持つのではないかと疑問を抱いたから。
 エ 生徒に対して自分の気持ちを素直にぶつけていく姿に、異性としての魅力を抱いてしまったから。

問6 傍線部Bとあるが、杏子はなぜこういう気持ちになったのか。最も適当なものを選べ。

 ア 自分の気持ちに嘘はつけないことは自覚していても、思わせぶりな態度をとられるくらいなら、あくまでも教師として距離をとって自分に接してほしいと考えていたから。
 イ 自分だけ特別扱いされていることが他の部員にわかってしまったならば、それまで通り部の一員として過ごしていくことは出来そうにないと思ったから。
 ウ 自分の名前を呼ばれることに、たんにマネジャーと呼ばれる以上の思いがこもっているのではないかと期待する気持ちが起こるのを押さえられなくなりそうだったから。
 エ 自分の気持ちをほのめかした時の記憶がよみがえり、一時は部をやめようとまで思い悩んでいた状態に再びおちいるのはあまりにも辛いと思ったから。

問7 傍線部Cとあるが、このときの心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア 監督に対する自分の思いを悟られるくらいなら、いっそ不貞腐れていると思われた方がいいという投げやりな思い。
 イ どうせ自分の本当の気持ちは伝えられないと思うと、監督にどう思われようとかまわないという諦めの気持ち。
 ウ 新しいマネージャーが決まったからといって、すぐに自分をないがしろにしようとする監督に内心反発する気持ち。
 エ 睨むことと見つめることの違いさえわかってくれそうもない監督の無神経さをせめたいがそれもできないせつない思い。


問8 傍線部Dとあるが、このときの心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア マネジャーという仕事を心から楽しんでいる信哉の姿をみて、一年間教えてきたかいがあったと満足感を感じながら、引退という形で部を去らねばならない不条理へのやりきれなさが生まれつつある。
 イ 信頼して仕事をまかせることのできるマネジャーを育成してほしいという監督の期待にやっとこたえられそうな目処(めど)がつき、大きな仕事をやりとげた充実感から少し気が抜けた状態になっている。
 ウ マネジャーの仕事を信哉に教えきったことへの満足感につつまれてはいるが、自分の本当の思いは引退を間近にひかえた今も形になっていないのではないかというわずかな後悔も抱いている。
 エ 信頼できる後輩マネジャーが育ちつつあることに心からの安心感を抱きながらも、それは同時に自分の存在感が減じていくことになるのも事実だという気持ちがかすかに生まれている。

問9 傍線部Eとはどういうことを表しているのか。最も適当なものを選べ。

 ア 新しい未来を生み出すためには、過去を一切捨てた今の走りが大切だということ。
 イ 走ることは、どんな過去からも予想できない新しい今を生み出しうるということ。
 ウ 走ることには、自分の意志とは異なって働く不思議な力がひそんでいるということ。
 エ 過去にも未来にも全くとらわれない今だからこそ、走る意味はあるということ。

問10 傍線部Fの指す内容として最も適当なものを選べ。

 ア 大変だからこそ充実感を得ることのできるマネジャーの仕事。
 イ 自分自身が選手よりもマネジャーに向いているということ。
 ウ マネジャーには簡単に言葉にならないおもしろさがあること。
 エ 実際に競技をしないマネジャーだからこそ味わえるおもしろさ。

問11 傍線部Gとあるが、このときの状態を説明したものとして最も適当なものを選べ。

 ア 杏子の話を誠実に受け止め理解しようとする信哉の口から発せられた言葉は、予想以上に本質をついた内容であることに驚き、思わず信哉の顔をじっと見つめている状態。
 イ 抽象的な杏子の言葉を自分なりに解釈しようとしている信哉の姿勢からは、何事にも力を抜くことなく取り組む人間性が感じられて、なかば見とれてしまっている状態。
 ウ 監督の陸上競技への思いや、加納の現時点での体調などを語る信哉の言葉を聞き、自分よりもはるかに部の現状を理解していることに驚き、目を見張っている状態。
 エ 信哉が気を遣いながら自分に話しかけてくる様子を見て、仕事にうわのそらだった自分の内面を見透かされているかもしれないと、さぐるように見返している状態。

問12 この文章における人物描写についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 加納碧李は、この場面には登場しないものの、すべての登場人物の心の中に大きな存在として位置していることが、効果的な比喩を用いた表現から伝わってくる。
 イ 久遠信哉は、杏子が自分と同じように競技をあきらめてマネージャーになったことを知りながらそれを口にしない心優しい人物として描かれ、それは彼のたどたどしい口ぶりをそのまま書き記す方法によっても描写されようとしている。
 ウ 箕月監督は、その内面にはあえてふみこまずに客観的に描写されていて、ユーモラスな面を持ちながらも、他人の気持ちを理解しようとする姿勢は持ち合わせていない人物として扱われている。
 エ 前藤杏子の視点に寄り添いながら物語は進行し、彼女の回想が描かれたり、心情がそのまま描写されたりし、さまざまな人間関係の中でゆれうごく様子が印象的に描かれている。

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小説演習

2014年02月27日 | 国語のお勉強

 最後の演習の時間でセンターの小説を解いた。小説は他の三問(評論、古文、漢文)に比べて圧倒的に易しかったのだが、いかんせん本文が長い。
 短編小説をカットせずにそのまま使おうという意思が働いて選ばれた問題文だと思う。その思想は悪くない。でも、その思想だけがすべてに優先されるべきでもない。
 作品の一部を用いた問題であっても、国語の力を測ることができる設問がつくれて、答えがそこにある本文だけを根拠に整合的に導かれればいいだけのことだ。
 今年のみたく、全文載せていても、設問にそれをいかしてないなら紙の無駄ではないか。
 たとえば、そんなに長くなくても、いい問題があるので、中学生のみなさんは力だめししてみましょう。


 次の文章を読み、後の問いに答えよ。

  旅はひさしぶりだった。緑が多いというのが、九月の京都から千波が受けた印象だが、もしかするとそれは単に、街なかから山が見えるというだけのせいかもしれない。天気に恵まれた分暑く、空気がむっとして埃くさかった。それにセミの声と自転車。ここは自転車の多い街だと千波は思う。
 幾つかの寺を巡り、合い間に和紙専門店とか湯葉専門店とか、珍しい店をのぞいた。自身の祖父母――千波にとっては曾祖父母にあたるわけだが、千波が生れたときにはどちらももう亡くなっていた――が京都に住んでいたという母親は、ここを憶えているとかいないとか、ときどき口にしてなつかしがった。
「川のそばに洋食屋があるらしいぞ」
 ガイドブック持参の父親が言い、
「すこし歩くけれど、あっちにうどん屋もある」
 と、A〈 漠然と 〉北を指さしながら続ける。
「いいですね、おうどん」
 母親が言った。
 二日目のきょうは、午前中に三十分近く電車に乗って、山のなかの美術館に行った。元は誰か偉い人の邸宅だったというそこは、展示品というより建物自体が美術品のようで、磨かれア〈 た 〉床も家具も、ステンドグラスのはまった窓も歴史を感じさせイ〈 た 〉が、母親に言わせるといちばん素晴らしいのは庭だそうで、館内よりずっとながい時間をかけて、その広い庭園を歩きまわっウ〈 た 〉。植物に関心のない父親がよくつきあったものだと思うが、市内に戻っエ〈 た 〉ときには一時半をまわっていた。千波は空腹だった。歩いたB〈 せい 〉なのか早起きをしたせいなのかわからないが、きちんと朝食をC〈 ト 〉ったにもかかわらず、奇妙なほど空腹で、空腹な状態というのはそうでない状態に較べてD〈 随分と爽快だなと 〉感じた。
 うどん屋の前には長い行列ができていた。観光客らしい若いカップルが多いが、静かに本を読んでいたり、折りたたみ式の椅子を持参していたり、耳にイヤフォンをつけて音楽――ではなく語学学習テープかもしれないが――を聴いていたりする、一人きりの客もいる。小さい子供を連れた家族もところどころにまざっていて、きょうが日曜日であることを千波に思いださせた。
「どうする?」
 両親の、どちらにともなく訊く。
「動物園が近いからかしら」
 1〈 母親が、返事にもならないことを呟いた 〉。たしかに、家族づれはみんな動物園の名前のついた袋を持っていたり、大きな風船を持っていたりする。父親は言葉もないようだった。驚くというより、いっそ怒った顔をしている。ならぶでもなく立ち去るでもなく、その場にただ立っている両親が、千波はふいに気の毒になった。
2〈 「いいよ。もう行こう」 〉
 それで、そう言った。
 ひさしぶりに家族で旅行に行こうと誘われたとき、率直に言って、千波は気乗りがしなかった。結婚がとりやめになったのみならず、失恋までしてしまった娘を憐んで、そんなイヴェントが提案されたに決っているし、旅行で気が晴れるはずもなく、同情されればされるだけ惨めになることはわかりきっていたからだ。
 けれど実際に来てみると、惨めにはならなかった。たのしくてたまらないわけではないが、すくなくとも惨めではない。3〈 なぜ惨めに思う必要がある? 〉
 4〈 たしかに、ほんとうならいまごろギリシャにいるはずだった。 〉学生時代に一度その国を旅したことのある加藤くんは、いつか千波をそこに連れて行きたいと、婚約する前から言ってくれていた。だから新婚旅行は、他の候補地を考えるまでもなくそこに決り、具体的な旅の手配は加藤くんにすっかり任せて、千波は準備として買った写真集を、ただ眺めていればよかった。まるで青と白だけでできているかのような、その国の風景を千波はくり返し眺めた。ふんだんな日ざし、やたらとたくさんいるらしい猫。美しいけれど単調なその色彩を補うのは、ピーマンとかトマトとか、オレンジとかレモンとか、色鮮やかなものがたくさん写り込んだ料理写真だった。加藤くんから聞いた思い出話と写真集で、千波のギリシャは構成されていた。海がきれいで、人々は友好的で、料理はおいしく、物価は安い。適度に田舎で、適度に都会、そのような場所として。
「ここは?」
 行列のできていたうどん屋からほんの数分のところに、行列のないうどん屋があり、千波は言った。東京にも出店のある、言ってみれば珍しくない名前の店だったが、二時を過ぎたいまも営業中で、すいている。
「そうね。いいんじゃない? ここで」
 母親が、父親をふり返って言った。
 がらり戸をあけると、なかは思いのほか広く、幾つもの半個室的ブースがあった。そのうちの一つに案内され、坐るとすぐにおしぼりがでた。
「よかった」
 誰にともなく母親が言う。
「ほっとするわね、どこであれ、屋根の下に腰を落着けると」
 母親が握りしめているハンカチに、ふいに目をひかれた。
 F〈 何の変哲もない 〉、白地に水色の水玉模様の散ったハンカチ。
「それ、昔から持ってるね」
 千波が言うと、母親は不思議そうな顔をした。
「これ? 気に入ったんならあげるわよ」
 千波はつい眉をひそめる。
5〈 「いや、べつに、いらないけど」 〉
 ハンカチだけではなかった。母親の服も、装身具も、鞄も、それを言うなら父親の着ている麻のシャツも、履いているハッシュパピーも、随分昔から千波の目にしているものだった。そのことの何かが千波を驚かせ、けれどその何かが何なのかわからなかった。両親の物持ちがいいこと? それとも、見慣れているはずのものが、見知らぬ場所で見ると違うふうに見えることだろうか。
 ビールが運ばれ、板わさと鴨焼き、だしまき玉子をつまんだあとで、父親は天ざるうどんを、母親と千波はきつねうどんを、それぞれたべた。
 今回の旅行が決って以来、千波が恐れていたのは何かを言われることだった。何か、たとえば励ましのようなことを。それは、ほとんど不可避だと思われた。励ましではないとしても、加藤くんや結婚や、ようやく見つけたマンションの話題が、でない方が不自然だろうと思っていた。
 あのマンション――。思いだすと胸がきしんだ。二人で探し、二人で決めた。家具や家電は二人で買って、食器や雑貨は千波が買った。前者は買い取ってもらったが、後者はみんな置いてきた。「あげる」と言って。他にどうすればよかったというのだろう。フリーマーケットで売る? 返してもらって、いつか誰かと、ほんとうに結婚するまでとっておく? どちらも耐えられない。
 両親は、でもいまのところどちらも、結婚や加藤くんには言及せずにいてくれている。6〈 千波には、それがありがたかった。 〉
「このあとは、どうします?」
 母親が父親に訊いた。父親のガイドブックには、ポストイットが幾つも貼りつけられている。
「清水寺だろう、やっぱり」
 なぜやっぱりなのかはわからないが父親が言い、父親が言ったということは、それで決りだった。
 おもてにでると、日ざしがわずかに弱まっていた。弱まってはいたが、そこらじゅうに在った。塀の上にも路地にも植込みにもどぶ板にもとどまっていた。ふりそそぐのではなくとどまっているその感じを、千波はなつかしいと思った。そして、でも、そんな日ざしは、なにも京都でなくても見られるはずで、なぜいまことさら珍しいものを見たかのように――ちょうど、母親のハンカチや父親の靴を見たときのように――、感じるのかはわからなかった。
 別れたい、と言ったとき、加藤くんはかなしそうな顔をした。かなしそうな顔はしたが、驚いてはいなかった。自分たちが、ほんとうにもうだめなのかもしれないと、千波が思ったのはあのとき――加藤くんが驚かなかった瞬間――だった。
7〈 「本気?」 〉
 というのが加藤くんが口にした言葉で、そのとき千波の目の前にいたのは、すでに知らない男性だった。千波の知っている加藤くんなら驚いたはずだ。いやだ、と言ってくれたはずだ。信じられなかった。何があろうと千波を離さない、と、あんなに何度も言ってくれたのに。
 別れたい、といったときには私はまだ本気ではなかったのかもしれない。埃っぽい道を両親とならんで歩きながら千波は思う。けれどいまは、婚約していたことの方が、嘘のように思えた。
                                                  (江國香織「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」)

問1 二重傍線部Aの本文中における意味として最も適当なものを選べ。

 ア 落ち着かない様子で
 イ 気持ちがはやりながら
 ウ はっきりとせずおおまかに
 エ 気が抜けたようにぼんやりと

問2 波線部ア~エの「た」のうち、他の三つと文法的意味が異なるものを一つ選べ。

問3 二重傍線部Bと文法的性質が同じものを選べ。

 ア 映画〈 ほど 〉僕を興奮させるものはなかった。
 イ 本当〈 だろう 〉が嘘だろうが一向に構わない。
 ウ 〈 もし 〉実現できるなら何でもさしあげよう。
 エ 二度と彼の元に行く〈 つもり 〉はありません。

問4 二重傍線部Cと同じ漢字を含む熟語を次から選べ。

 ア  自然の〈セツリ〉に従う
 イ  〈シッピツ〉動機を尋ねる。
 ウ  獲物を〈ホカク〉する    
 エ  昆虫〈サイシュウ〉に出かける。

問5 二重傍線部Dを構成する二つの文節の関係と同じ関係で成り立っているものを選べ。

 ア 原口はふたりのために、練習メニューを〈 つくって やった 〉。
 イ けがの原因は自分にあるのは〈 よく わかっていた 〉。
 ウ 意欲はあるのに、それを発揮する〈 手立てが ない 〉。
 エ 練習を始めた時に感じた〈 戸惑いや 恐怖を 〉感じることはない。

問6 傍線部1は、母親のどのような様子を描写しているか。最も適当なものを選べ。

 ア 自分の主張した店に入れず不満げな夫に気づき、どうとりつくろっていいか考えている様子。
 イ 目指していた店に入れないことを考えていなくて、どう判断していいかわからず困っている様子。
 ウ 並んで待ってまで名物のうどんを食べようとする観光客の多さにあきれている様子。
 エ 空腹にたえられなさそうな夫や娘の気持ちを、どうやってなだめようかと思案している様子。

問7 傍線部2と千波が言ったのはなぜか。最も適当なものを選べ。

 ア 娘の気持ちを晴らそうとの思いで旅行を計画しながらも、予想外の展開に対応できず呆然としている両親をみると、結局は自分のせいでそんな思いをさせたのだという申し訳ない思いにとらわれてしまったから。
 イ 楽しいはずの家族旅行での小さな不具合にもかかわらず、自分の人生が全てうまくいかなくなっているようにも思われ、何事に対しても前向きな気持ちがわいてこない自分を感じてしまったから。
 ウ 計画が思い通りに行かずに憮然とする父親と、そんな父を前にあたふたするだけの母親の姿を目にして、自分だけでなく家族の将来に不安な気持ちを抱いてしまったから。
 エ 娘の本当の気持を深く考えず旅行に連れ出したうえに、ろくに調べもせずに立ち寄ろうとした飲食店に入ることもできず、両親の無神経さに不快感を抱いてしまったから。

問8 傍線部3の表現についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 反語の表現を用いることで、自分の行いを正当化しようとする千波の本心をうかびあがらせようとしている。
 イ 自問自答の形式をとることによって、自身の決断が正しかったどうか確信が持てていない千波自身の心情が表現されている。
 ウ 内面を直接語る方法をとることで、読者を千波の感情のなかに自然に入り込ませようとしている。
 エ あえてカギ括弧をつけずに表現することで、心の声か現実に発した声かをわからなくさせる効果をもつ。

問9 傍線部4とあるが、この段落で述べられるギリシャの描写は、どのような働きをもつと考えられるか。最も適当なものを選べ。

 ア 訪れたことのないギリシャへの憧れがいかに大きかったかを表すとともに、今にいたってもその気持ちを捨てられていない千波の無意識の後悔を象徴的に表している。
 イ ギリシャへの新婚旅行が婚約者まかせだったことを明らかにし、何事も他人まかせにして自分から積極的に動くことを避ける千波の性格にも問題があったのではないかとほのめかしている。
 ウ 本来はギリシャのいるはずの自分と現状の自分とがあまりにもかけ離れていると感じている千波の心情を表し、表面とは異なり不安定な精神状態であることを暗示している。
 エ 千波が行けなくなったギリシャの色鮮やかな情景と、今いる京都の古い街並みとが対比され、千波の人生がまったく違う方向に転換したことを印象づけている。

問11 傍線部5のセリフの説明として最も適当なものを選べ。

 ア 気を遣って母に声をかけてみたものの、それに気づかず真顔で対応する母の鈍感さを嫌悪する気持ちが言葉になったもの。
 イ 母が予想以上にハンカチを大切にしていたことに気づき、決して無理にもらおうとしたわけではないという思いが言葉になったもの。
 ウ 少しでも娘の気を和ませようとする母の言葉に、これ以上気を遣われたら堪えられないという思いが口をついて出た言葉。
 エ ふと気づいた自分の気持ちを口にしただけなのに、過剰に受け取る母の対応に少しいらだたしい思いが口をついて出てしまった言葉。

問12 傍線部6の心情の説明として最も適当なものを選べ。

 ア 婚約破棄を慰められたり励まされたりしたところで、かえってみじめに感じるに違いない娘を気遣って、その話題に触れようとしない両親の心遣いをうれしく感じている。
 イ 地中海よりも京都のような土地を旅したかった自分であったことに気づくと、もともと加藤君とは根本的な部分で違っていたのかもしれないと思い、それを気づかせてくれた両親の計らいに感謝している。
 ウ いずれ話題に出されるのは間違いないと思うものの、新しい生活用品をすべて相手方においてきたことに現時点で一言も文句を言おうとしない親に対してありがたいと思っている。
 エ 結婚の準備が随分と進行した後での婚約破棄は、親としても面目をつぶされたと娘を非難してもおかしくないはずなのに、一切口に出さないばかりか旅行まで計画してくれたことに感謝の念を抱いている。

問13 傍線部7の言葉を聞いた千波の心情として、最も適当なものを選べ。

 ア まるで予想もしなかったことを聞かされたかのように問い返してくる加藤君の言葉の裏側には、心変わりの原因は千波にあるという思いが見え隠れし、かすかな望みを抱いていた自分がおろかに思えた。
 イ 千波が切り出した別れ話に驚かないばかりか、本心かどうかを確かめようとするだけの加藤君の言葉は、信じたくはないものの、千波が思っていた以上に二人の心が隔たっていたことを意識せざるを得ないものだった。
 ウ 言葉の上では千波の気持ちに疑いを抱いているように装いながら、千波の方から別れ話を切り出してきたことに安堵を覚えている様子が見受けられ、以前とは全く変わってしまった加藤君に驚くしかなかった。
 エ 絶対に別れたくないという言葉まで期待していたわけではなかったが、あまりにもあっさりと千波の言葉を受け入れる言葉を聞き、二人がつきあっていたこと自体が遠い過去の出来事であるような不思議な感覚を抱いた。

問14 本文の内容と表現に関する説明として最も適当なものを選べ。

 ア 婚約の解消をきっかけに生じた両親との確執が少しずつ解消していく様子が、旅行中のちょっとしたセリフや動作の積み重ねで表現され、親子の情愛の深さがしみじみと感じられる。
 イ 当初は気乗りしなかった両親との京都旅行だったが、その過程で徐々に新しい自分を実感し始める様子が、主人公の視点で描かれる情景描写を通じて間接的に描写されている。
 ウ 時折挟み込まれる回想の場面により、主人公の苦悩の深さとその原因が伝わるようになっており、自分の気持ちに嘘をついてきたことに気づく主人公の姿が淡々とした筆致で描かれている。
 エ 小気味よいテンポでかわされる会話の羅列は、お互いを思いやりながらもその気持ちを素直に表現できない親と娘のやりとりではあるが、新しい家族のあり方が提示されているとも言える。

 

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ケア

2014年02月26日 | 国語のお勉強

 センター試験の問題をちまちまやっているうちに、国立前期も終わってしまった。
 私大も含めて一応目を通そうとしてるが、なかなか本格的に読むまでにはいたらない。
 ただ、慶應の法、早稲田の法で、ともに「ケア」を題材にする文章が出題されてて興味深かった。
 具体的行為としての「ケア」の問題は医療看護福祉系の小論文で見かけていたが、普通の大学・学部の入試では目立ってなかった(勉強不足なだけかもしれないけど)。
 どちらの文章も、現象としての「ケア」ではなく、「ケアの倫理」としてとりあげ、それを「正義の倫理」と対立する概念として考察している。
 早稲田はそこから「ケアのジャーナリズム」へ、慶應は「家族・フェミニズム論」へつなげていく。
 おそらく学問の世界で、この分野にまとまった理論体系ができつつあるという事情と関連するのだろうが、来年以降、入試評論文の大きなテーマになってきそうだ。
 東大の第一問は「落語の国の精神分析」。
 この話題、個人的には興味深いが、受験生はどうだろう。
 「根多を覚えたとおりにやっても落語にはならないし … 昨日大いに笑わせたくすぐりが今日受けるとは限らない」という一節があって、「根多」に「種を逆さ読みにした語」、「くすぐり」に「本筋と直接関係なく挿入される諧謔」という注がつけられているが、かえってわかりにくくしてないか。
 落語家と比較しながら、精神分析家である著者ご自身の仕事を分析し、人間理解とはどういうものかを述べていく文章なのだが、無理矢理「患者をケアする話」と言えないこともない。
 日本が超成熟社会に入ってることを、入試問題を見ててもなんとなく感じたという、国語の先生ぽいことをたまに書いてみた。
 ただ、この文章だったら、以前なら文系だけが解答する第四問で使われたんじゃないかな。
 その第四問は蜂飼耳さんという若手の詩人で、早稲田でも教鞭をとられているそうなので娘に聞いてみたら、単位とるの楽そうだから来期とろうと思ってたと言う。けっこうお若い方で教授で詩人でエッセイストで … 、才女なのだろう。「背・背中・せなか」の小池昌代さん的流れで、きっとおきれいな方なんじゃないかな。
 センター試験でとりあげられる文章もそうだけど、ずいぶん書き手の方が若くなり、おそらく問題作成者もどんどん若くなっている … じゃないのね。自分が年とってるんだよね。

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Woody Madmen Orchestra

2014年02月25日 | 演奏会・映画など

 日曜の午後、「ハロー!純一」を観たあと、イオン大井を出て所沢ミューズに向かった。
 本校20期OBサックス藤野君が代表を勤めるバンドの演奏会を聴くためだ。
 バンド名の由来を聞いておけばよかった。「木管狂いの男達オーケストラ」とでも訳せばいいのかな。
 コンサートの1曲目は、この訳し方でいいのかなと思わせる編成、つまり木管(ホルン含む)だけ、男性だけ十数名による演奏だった。バンド結成時が、この形態だったという。曲は団長自身の編曲によるチャイコフスキーの弦楽四重奏曲1番。
 出だしのサウンドを聴いた瞬間、現役部員全員を強制で連れて来てもよかったと後悔した。プログラムが進んでも、その思いは変わらない。
 2曲目は、50人ぐらいのフル編成で「フェスティバル・バリエーション」。吹奏楽をやってれば一度は演奏してみたい曲のひとつだが、それをかなえられる高校バンドは少ない。難しいので。
 それをやすやすと(やすやすではないかもしれないけど)楽しそうに演奏する姿は、うらやましいとしか言いようがない。このメンバーなら、どんな曲でも演奏できるだろう。指揮は20期の学生指揮だった鹿山君で、中央大時代に師事していたはずの時任先生が舞い降りてきたかのようなアツい棒だ。
 大学でも活躍し、そのうえ社会人になってからまでこうやって集まるような人たちだから、技術はもとより、伝わってくる音楽好き好き感覚がはんぱない
 バンドのメンバーみなさんを招いて、一緒に練習してもらえないだろうか。うん、そうしよう。練習場所にはきっと彼らも苦労してるはずだから、日程さえあえばきてくれるだろう。今はMadmenばかりではなく、同世代のきれいなお姉さんたちも大勢いることだし。
 こうして大人になってからも成長していく教え子の姿をみれるのは、この商売のすばらしいところだろう。
 商品とちがって、人は世に出したあと、想像を超えて変化していく。
 「おれが育てた」といばるバカにはならないつもりだが、きっかけを作ってあげたことぐらいは誇っていいのかなと思う。もちろん、好々爺然として見守るような位置にいるつもりもない。こっちも現役ばりばりで負けずに頑張るつもりなので。
 学校にもどり、学年だよりや、授業プリントをつくっていると、彼らが、貸していた打楽器を返しにくる。はれやかな顔をうらやましげに見ながら、がんばって続けていきなよと話をする。
 社会に出て数年、メンバーのほとんどが独身。今はなんでもできるけど、続けていけばメンバーの人生の変化にともなって様々な問題もでてくるだろう。
 今後どうなるかわからないが、こうやって集まった仲間たち、いっしょに「わるさ」した仲間同士は「戦友」になる。地縁、血縁でもなく、職場の一員でもない、こういう結びつきは貴重だ。
 直接的な利害関係のない、だから結びついている必然性はとくにないこういう関係。
 社会学的には「ウィークタイ」とよばれる、こんな仲間が一人でもいると、人生は豊かになる。
 ウィークタイづくりのきっかけや土台になることが、学校の大切な役割だ。

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2月24日

2014年02月24日 | 学年だよりなど

  学年だより「守・破・離」

 レッズハートフルクラブの落合キャプテンがおっしゃられた「守破離」という言葉は、古くは戦国時代の兵法で語られたもので、それが「茶の湯」で世界で用いられ、いつしか広く芸事や武道に世界にも広がっていった。
 それだけ、修業の段階を表す言葉として簡にして要を得たものであるということだろう。


 ~ 守破離と申す三字は軍法の習ひに在り。「守」はまもる、「破」はやぶる、「離」ははなると申し候ふ。弟子にふるは此れ「守」と申す所となり。弟子「守」を習熟し能く成り候へば、自然と自身より「やぶる」。これ上手の段なり、さて、「守る」にても片輪、「破る」にても片輪、この二つを「離れ」て名人なり、前の二つを合して「離れ」てしかも二つを「守る」ことなり。 (川上不白『不白筆記』1794年) ~


 まずは、基本を徹底的に身につけ、土台をつくる段階。その後、師匠のまねではなく、自分なりの工夫や型をつくろうとする段階。個性はこの段階になってはじめて生まれる。さらに、それまで学んだことから自由になり、独創的な世界をつくりあげる段階。
 「破は上手、離は名人」と川上不白は言うように、凡人が「離」レベルに達するは難しい。
 落合さんも述べられたように、これは芸事、習い事の世界だけに通用する原則ではない。
 スポーツの習得にはもちろん、学問にもあてはまるし、仕事にも、いや人の生き方全般にあてはまると言っていいかもしれない。
 基本が身についていない状態で、「自分の個性を出したい」などと考えるのは間違いだ。
 素振りもできずに自分独自のバッティングがうまれるはずはないし、楽譜の知識もないまま名曲をつくることはできない。
 基本的な公式を覚えずに問題を解くことはできないし、「ユメタン」レベルを知らずにグローバルな人材になれるはずもない。
 主語・述語を対応させられない人が小論文を書いても、個性豊かな文章は生まれない。
 「お茶くみ・コピー取り」仕事のできない人に、独創性あふれる企画開発は手がけられない。
 まずは「守」だ。
 受験に必要な程度の学力は、学問の世界では「守」にすぎない。
 受験に必要な程度の学力を身につける技は、仕事能力としては「守」であろう。
 高校生活の中で培っていく生きる技術は、生きていく上で「守」レベルのものだろう。
 つまり毎日学校に来る、朝おはようございますという、自分のものは自分で片付ける、友達と機嫌良く接するといった生活技術だ。
 それらを身につけ、土台をつくったうえで初めて自分なりの生き方をさぐるべきだ。
 基本ができてない段階で、自分の個性を大事にしようと口先だけで言っても、何も生まれない。
 「守・破・離」の順番は、どうしようもなく正しい。今のみなさんは徹底的に「守」を行うべきであり、やりたいこと探しに時間を費やす愚をおかさないようにしてほしい。

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ハロー!純一

2014年02月23日 | 演奏会・映画など

 練習はお休み。7時に登校し、ソフトボール審判講習会で使用する小講堂の準備、そして本校OBが中心になっているバンドに打楽器の貸し出しをする。
 ふじみ野のプロントでモーニングセットを摂る。ハムチーズトースト、サラダ、ゆで卵、コーヒーで430円は名古屋級に充実している。そしてイオン大井で「ハロー!純一」を鑑賞。

 主人公は、小学校3年生の純一くんで、身の回りに起こるちょっとした事件や、はたから見れば取るに足りない、しかし本人にとってが大きな出来事を経験して成長していく一人の小学生を描いた作品だ。
 小学校3年生の自分がどんなだったかなんて、さすがに覚えていない。
 仲良しグループの女子が不良にからまれているのに何もできない自分、好きな子に告白どころかまともに声もかけられない自分、それに比べて他の友達が自分よりも度胸があり、堂々としてて、運動も勉強も人付き合いもうまくやっているように見えて、自己嫌悪に陥る。
 小3でもこんなふうに悩んだのかな。
 きっと思春期になればもっと本格的に自分て何? と思うようになり、大人になったらなったで、「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ」と嘆く日がくるのだ。
 そう思うと、小3の純一の悩みが他人事(ひとごと)と思えず、せつなくなってきた。
 事件の一つは、純一のクラスの教育実習生が来たこと、それが満島ひかりだったことだ。
 キャバのおねえさん風のメイク、髪型にミニスカで教室に登場するアンナ先生(満島ひかり)。
 自己紹介の後、「さっそく一時間目お願いします」と言われて担任が教室を出て行くと、ふわーっとあくびをして、自習でいい? とはすっぱな口調で言う。 
 先生、算数やらなくていいんですか? とまじめな女子に問われると、「あたし、ゆうべ夜中ドライブしてて、ちょーおそかったんだよね、だいたいさ、こっちに車出せってどういうことよ … 」と語り始める。
 このキャラ設定を満島ひかり様が演じるなら、ほかは全部だめでも、作品が魅力的になるのは間違いないではないか。
 体育館の裏で、教育実習ってやっぱかったるいわ、という風情でタバコを吸う姿。
 自分の車に落書きした男をみつけて容赦なくひっぱたく姿。萌えぇ。一度でいいからひっぱたかれたい。
 それでいて、クラスのこどもたちの面倒をいろいろ見てくれる好青年の前ではちょっとおしとやかな感じで話し、それが装いであることを観客に意識させる、そのさせかたのバランスが絶妙だ。
 女優さんとしてのキャパシティーは、ひょっとしたらだんなさんはじめ、どの監督さんもまだまだ出し切ってないのではないかと思えるぐらい上手だ。
 ストーリーはお約束的といってしまえば、その通りなのだが、彼女をはじめ力のある役者さんたちに支えられ、子役のみんながいきいきとしてて、愛おしい作品に仕上がっていた。
 生田斗真くんが素っ裸になった話で番宣しまくって、おそらくそれなりにお客さんも入る作品に比べたら、あまりにも公開規模が少なくてかわいそうだけど、こういう作品こそ、もっと大事にされたらいいのにと思う。

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講演会

2014年02月22日 | 日々のあれこれ

 LHR、総合の時間に講演会が行われ、浦和レッズハートフルクラブのキャプテン落合弘氏にお越しいただいた。
 「守破離」を英訳すると「Basic、Challenge、ValueもしくはIndependent」と言うんですよ、まず土台をつくろう、個性はそのあと、というお話は、なるほどと思えた。ちょっと考えさせられたエピソードがある。
 落合氏は、浦和レッズの前身である三菱で長い間活躍し、9年連続で日本リーグのベストイレブンに選ばれ、日本代表のキャプテンも勤めた、いわばサッカー界のレジェンドだ。
 260試合連続出場の記録をお持ちになり、それがとぎれた日のお話だった。
 いつものようにスタメン発表を聞いていた落合氏の耳に、自分の名前がとどかない。
 監督から事前には何も聞いていなかった。おそらくチームの若返りをはかろうとし、その日がおとずれたのだと悟ったものの、自分はまだまだ一線でやれているという自信があった。
 しかし、監督の指示に従うのはプレーヤーとして当然だ。何も言わずに、うまれてはじめてベンチスタートを経験していた。2対0でリードして迎えた試合終了5分前、監督から用意しろと声がかかる。
 自分があえて交代出場するような展開だとは思えず、これは連続試合出場をとぎれさせないための監督の温情だと悟る。
 それには従いたくなかった。しかし監督の指示は絶対だ。
 落合氏は、「はい」と言ってロッカールームにさがり、たっぷり五分間かけて準備をし、タイムアップのホイッスルを聞いたのだった。
 「これがわたしのプライドなんです。温情で連続試合記録を続けるくらいなら、出たくなかった」
 かっこいい … って思った。聞いたときは。
 あとになって少し疑問がわいてきたのだ。
 自分ならどうするかなって。
 たぶん、出るな。ありがとうございます! と言って。
 連続試合出場の記録とか一切関係なく、出さしてもらえる時には出る。
 落合氏が持たれている質の「プライド」は、自分にはまったくないことに気づいた。
 だって、おれ、一流じゃないから。
 温情でもなんでもいい。プレーヤーなら試合に出てなんぼであり、どんなにかっこ悪くても、おれはそっちを優先するタイプだと思った。どちらが「正しい」というものでもないのだろう。
 ただ、そうやって考え直してみると、落合氏が出場し続けた260試合は、その時々の監督さんにとって、全てが純粋な意味でのベストな選択だったのだろうか。
 たとえば252試合目ぐらいの時、迷った方っていらっしゃらなかったのか。
 ほんとは若い選手を頭から使いたいけど、元日本代表キャプテンをはずす勇気がおれにはないなと思われた方はいなかったのかな。なんか、そういうのもあったぽくね?
 そんな可能性を考えた形跡がお話からはうかがえなかったので、落合氏という方は、ほんとにトップの位置に居続けた方なんだろなと思った。
 自分的には、そういう方とは考え方の面で一線を画すタイプで、だからウジウジと小説を読んでるわけで、講演会をする側にまわることは一生ないだろうが、精神的におれ側に近い生徒さんも少しはいると思うので、そういう子の支え役になりたい。

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線引き

2014年02月21日 | 日々のあれこれ

 本物と偽物の差はどこにあるのだろう。
 東京佼成ウインドオーケストラの演奏する「祈り」を聴きながら、そんなことを思う。
 作曲は佐村河内守氏、つまり新垣隆氏によるもので、ふつうにいい曲なのだ(この「ふつう」は最近の若者の用法です)。
 吹奏楽作品として、聴き映えがする。事件にならなければ、おそらく次のコンクールでいくつかの上手な学校さんがとりあげていたはずだ。埼玉県でもあの学校さんなら十分可能性あったろうななどと思う。
 と同時に、疑念をもって耳を傾けるならば、パロディ感がただよっていると感じられるのもたしかだ。
 ま、今だからそう言えるのだけれど。
 人間の苦悩や罪を表現しているかのような前半部、一瞬光が見えたかと思うとまた遠ざかっていく展開、技術的に難しいパッセージをはさんで、希望へと導かれ、最後はわかりやすいメロディーで感動的にまとめる。
 「吹奏楽って、こんな構成でできているから、それっぽくお願い」「合点承知!」という感覚でつくられているようにも聞こえる。
 でも、最近人気の邦人の作品て、ぶっちゃけ全部同じと言えば同じだ。
 ただし、新垣氏の「祈り」は、古くささは感じなかった。
 かりにそれ風のを「つくってみた」作品であったにしても、新垣氏の才の非凡を感じるには十分だった。
 何が本物で、何が偽物か。
 本物と偽物という対比自体がおそらく違うのだろう。
 じゃ本物の対義語は何? パロディ? ものまね?
 ものまね性の全くない完全なオリジナルというものが、この世に存在するのだろうか。
 神以外にそれがつくれるのか。
 仮につくられたとしても、それを理解できる人はおそらくいない。
 自分が知っている、理解できる範囲、次元で処理できて、かつちょっと違うものを見つけたときに、人はそれを独創性にあふれると評するだけだ。
 自分と、自分を越えたものとの差が最もほどよい時に、すごい! と叫んでしまうのだろう。
 その差の作り方が上手な方を、感動クリエーターともよべるし、詐欺師にもなる。
 舞台に立って人に何らかの感動を与えうる存在とは、この2点を結ぶラインのどこかには立っている。
 おそらく、きちっと線をひいて分けられるものではない。

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2月20日

2014年02月20日 | 学年だよりなど

  学年だより「経験(3)」

 高校時代に大切なのは、「何かをやること」だ。
 そして「何か」と「やること」とでは、「やること」の方が大切だ。
 さやかちゃんもこう言ってたではないか。


 ~ なにも、頑張るそれが「受験」でなくてもなんでもいいと思います。何かひとつやり遂げることって人生何度も経験できるものではないし、こんな私でもそれなりにできたんだから、誰でも本気になればなんだってできるよ! と大声で言いたいです。 ~


 「何か」は究極的には何でもいい。
 経験こそが大事なのだから、極端なことを言えば「学校で」それをやる必要さえない。
 仮に学校を飛び出しても、自分で「何か」を見つけて一心に取り組むことができるなら、ひとかどの人間のなれるだろう。
 ほどほどの努力で手にした学歴より、もっと貴重なものを手に入れられる可能性はある。
 ただし、「何か」がはっきりしないままに、とりあえず学校から飛び出して、たとえばフリーターと言われる暮らしをしながら「何か」を探してても、なかなかいい結果にはつながらない。
 自分が何をやりたいかは、考えてみつかるものではない。
 どの大学に行けばいいかを考えようと受験雑誌を調べてみても(調べること自体は必要だが)、やりたいことが見つかることはない。
 まずやってみることが第一で、その結果失敗することも大切な経験だ。
 高校、大学の時代は、失敗が許されるからこそ、貴重な時代だと言える。
 作家の吉本ばなな氏はこう述べる。


 ~ めちゃくちゃに恋愛したり、挫折したり、スポーツの部活でやっと手にしたポジションを奪われたり、時にはいじめられたり。そういう目にあって、自分の内側に入ってしまい、「うちの子は1カ月も部屋から出てこないの」と親が心配するみたいなことがないと、結局人間は大人になれないと思います。私たちは、どこかで徹底して自分と向き合う時期がどうしても必要だから。
 でもそういう葛藤がなく、子どものまま学校を卒業してしまうと、就職してから、「なんで俺はこんなに大変なんだ」とか、「なぜあんなやつに頭を下げなきゃならないんだ」と感じたりすることが多くなり、やがて辞めてしまったりウツになったりして、また一層落ち込んでいく。だから私は言ってあげたい。もし今あなたが学生なら、いい子で勉強していないで何かにがむしゃらになってくださいと。そうすれば嫌でも自分の限界や能力が分かり、絶望的にがっかりするだろうけれど大人になれる。学生時代というのは、そのためにあります。人間は一度ぐらい深く内側に入る時がないと成長しない。就職前に挫折を通過していて欲しいと願うばかりです。 (吉本ばなな「よしもとばななが語る仕事4」朝日新聞) ~

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2月18日

2014年02月18日 | 学年だよりなど

  学年だより「経験(2)」

 人生とは、思うようにいかないのがデフォルトの形だ。
 計画は計画倒れになり、期待していたことは期待外れにおわり、予想ははずれ、願いは叶わない。
 原則としてそれが普通であり、われわれも内心それをわかっているから、うまくいった時はうれしいし、努力が報われたときは晴れやかな気分になる。
 計画通りに努力しても、うまくいくかどうかは運に左右される。
 高梨沙羅さんのように、誰もがその実力を世界一と認め、彼女自身それにおごることなく努力を積み上げ、それでも思った通りには事が進まないこともあるくらいだ。
 もちろん全てが上手くはこんでいくことも人生にはあるけれど、たまたま運がよかっただけだったり、トータルで考えるとけっしてプラスではなかったり、なんてこともある。
 大事なのは、思い通りにいかない事態に遭遇したときに、どう対処するかなのだろう。
 自分の思い通りにいかないときに、「なんで」と泣き叫ぶのは赤ん坊だ。
 すこし大きくなってくると、がまんしたり、仕方ないと思えるようになる。
 思春期になると、世界は自分中心にまわっているわけではないことを実感できるようになり、時にはそれがつらくなったりもする。
 さらにそれを乗り越え、物事はうまくいくかもしれないし、そうでないかもしれないが、うまくいかせようとする時には、それなりの犠牲を払わねばならないことがわかってくる。
 そうなると大分大人だが、実は大人になっても赤ん坊のままの人はいるもので、たとえば雪のせいで電車が動かない時にさえ、「どうしてくれるんだ!」と駅員に詰め寄るおっさんもいる。
 「ごくろうさまです、ありがとうございます」と言える小学生もいる。
 実年齢と精神年齢はそういう意味ではイコールではない。
 物事がうまくいかない時がっかりするのは普通だけど、そこから一歩すすんで、不測の事態を楽しめる感覚をもてるようになると、もう大人と言っていいかもしれない。
 予想外の事態に接して、そこで立ち止まって不満げな顔をするのではなく、さて次はどうなるのかなとうきうきする状態になる。
 こうなると、うまくいかない出来事も成長のためのチャンスに変わる。

 ごめん、ちょっと話をひろげすぎた。
 今回、絶好調に消化していた修学旅行の日程が急に予想外の展開を迎え、それを受け入れるみなさんの様子を見ながら、親御さんにはご心配をかけるかもしれないが、逆にいい経験になるのではないかと内心思っていた。
 そして、みんなのふるまいを見てて、大人への階段を順調に昇りつつある姿に思えたのだ。
 それを感謝したくて能書きを書いてしまった。
 おつかれさまでした。いろいろ協力ありがとう。
 今日からまた日常にもどるが、1ランク上の日々を過ごしていこう。

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