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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

シンデレラ

2015年05月28日 | 演奏会・映画など

 

 幼いシンデレラが本当の両親と楽しく過ごしていた頃、数ヶ月ぶりに行商から帰ってきた父親と戯れるシーンから始まる。時代のついたお屋敷に住み、使用人もいるこの父親は、小さな土地の領主というぐらいの設定だろうか。
 貿易商とも言える規模の商売で、自分たちと領民の暮らしを支えているのだろう。
 いろんな土地にでかけるせいで、珍しいものも手に入るし、異国の文化に触れることもできる。
 そんな父と戯れながら、エラ(後のシンデレラ)はダンスを習う。この設定があとで生きる。

 母が亡くなり、父が再婚する。
 旅先で父親も不慮の死を遂げると、継母や姉たちとエラの暮らしになる。
 経費節減のために使用人も暇を出され、いつしかエラが下女のように扱われ始める。
 かまどの火をおこしたとき、その灰をかぶったエラを姉たちがはやしたてる。
 「おまえは、顔が灰でよごれているのがお似合いだよ。灰をかぶった(シンダーsinder)エラよ、このシンデレラ!」
 継母や姉からいじめられているところからスタートするのが自分にとっての「シンデレラ」だったが、その前段のお話がものすごく大事だったことを、映画を見て知った。

 魔法で美しい姫に変わったシンデレラが、パーティーにでかけていき、王子と踊る。
 美しく青いドレスに変わっているが、元は母の形見だ。
 みなから喝采を受けるダンスのステップは父から習ったものだ。
 踊っているのはシンデレラだけど、まるで今は亡き両親が踊らせているようなものだと思ったら、泣けてしょうがなかった。
 それほどまでに親は子供を思い、亡くなってからも支えようとする。

 音楽座の冨永波奈さんが、「『ラブレター』は死者が生者をはげます物語なんです」と先日語ってくれた。
 死んで跡形もなくなってしまう死者もいれば、残された人の心に住み続け、支えてくれる死者もいる。
 物理的には存在しなくても、心の中に存在する死者はむしろ死者ではなく、生者なのかもしれない。
 「気だてのいい娘は、いつか幸せになれるよ」という寓話ではなく、家族の話だったのだ。
 継母が、なんとか実の娘を幸せにしたいと願い、あれこれ策略を巡らすことも、親として決して不思議なものではない。ただ他人の不幸の上に自分の幸せを築こうとする方向性がまずかった。
 娘を思う気持ちをシンデレラはわかるからこそ、継母に「あなたを許すわ」と言えるのだ。ディズニー、深いっすね。

コメント
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