大阪は「都」ちゃうやん、ぐらいの感覚的問題で賛成しなかった人もいるのではないだろうか。ちがってたら申し訳ないけど。
でも、いっぺん、がらがらぽんをしたほうがいいかもね、と言う人が多くなるのかなと思ってみていた。
日本全国いろんな自治体があり、いろんな問題を抱えているのはたしかだが、あまりにも大阪の実態はやばくないかと感じていたからだ。
橋下さんの人柄や手法や「大阪都」という方法論など、どれをとってもすっきりさわやかに「賛成!」とは言えないものの、さすがに変わっていかないと立ちゆかないのではないか、といろんな報道をみながら考えていた。
大阪でそれくらい変われれば、日本全体津々浦々、自治体に限らずいろんな組織に影響があるのではないかという気もした。
でも、冷静に考えたら、そんなことはあるはずはない。
大震災であれだけ大きな犠牲をはらったあとでさえ、いろんなことは変わらなかった。
行政組織でなくても、たとえば我が校の職員室でさえ、何かを変えようとするにはとんでもなく大きな力が必要になる。
県立の先生方を拝察するに、本校以上に頑なな変わらなさを生きてらっしゃる方が多そうだし、吹奏楽関係の組織にもそれを感じる。
最近の話題だとバスケット連盟なんかもそうだ。
身も蓋もない言い方かもしれないが、それが日本人だ。
ひょっとすると「それが人間だ」なのかもしれない。
アメリカの変わらなさなんかも、ぱないからね。
だから、政治に携わろうなどと思う人は、それを前提に働かねばならないのだ。
大変だけど、がんばってほしい。
みなさん、ほんとうによくやってくださっていると感心する。
橋下さんのように、「じゃあ、やめます」と言うのは、だからがっかりもするのだ。
橋下市長の志とは、その程度のものだったのかと思ってしまうから。
一見潔くも見えるふるまいだが、結局は覚悟が不足していたのではないか。
人の上に立って何事かをなそうとする場合、「千万人と雖も我行かん」の心構えがいる。
たとえ、数人の組織のリーダーであっても、その気概が必要なときはある。
反対票が多かったとはいえ、賛成とほぼ同数の方が賛同し、なんとかしたいと意思表示をしてる状況だ。
これでやめるのはどうだろう。生き方の問題だから、とやかく言うことはできないものの、「やめれる人はいいよね」って思ってしまうのも正直なところだ。