水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「東京カフェスタイル #2 メモリー」

2012年10月31日 | おすすめの本・CD

 「実力派女性ヴォーカリスト」のユニット「f.e.n.」という方々が、松任谷由美さんの曲をカヴァーしたアルバム。
 「実力派」と冠されている場合ふつうは、「そこまでメジャーではない人」を表す。たしかにお名前を聞いたことのある人もいるが、よく知らない人がほとんどだ。もちろん詳しい人は当然知っているレベルの方々にちがいないが。
 そして聴いてみて思うのは、なるほど「実力派」というしかないと思える味わい深さだ。
 あえて文句をつけるなら、上手すぎることかな。声が心地よすぎて、さらっと通り過ぎてしまう歌に聞こえるのかもしれない。
 でも、ほんと上手にで、だからこそ誰もが知っている松任谷由美さんの名曲を、ご本人のくせのある歌唱ではなく、この歌姫たちが歌うことで、世にも美しいアルバムになった。
 「埠頭を渡る風」「守ってあげたい」「ダンデライオン」「ANNIVERSARY」 … 。
 しかし、ユーミンさんて、どんだけ名曲があるのだろう。
 シンガーとしてのユーミンさんにははまる人とそうでない人と、たぶんいるよね。
 でも楽曲のすばらしさはゆるぎない。太田裕美「ひぐらし」「袋小路」クラスの曲が十数曲ならんでいるアルバムともいえる。これほど心地いい歌はなかなか聞けない。

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近況

2012年10月30日 | 日々のあれこれ

 10月27日。
 三回目の学校説明会のあと、大宮で保護者懇親会。役員の皆様ありがとうございました。
 1年生のお母様方の出し物はキーボードやSaxまで登場するようになった。移動を考えてギターもってこなかったことを少し悔やんだが、お歌の方でいつもより余計に気持ちこめて歌わせていただいた。
 ただ、ご参加いただいているお母様方の年齢は毎年同じで、自分だけが一つずつ齢を重ねている。そろそろ野口五郎、布施明といった選曲は考えなおす時期にきているかもしれない。
 二次会で聞いたお話。
「うちの子がこの前、先生のまねするって言ってふらっと出て行ったんです。で、どうしたのって聞いたら一人で映画観て来たって。」
「おお、大人への階段をのぼりはじめましたね。何観たんですか」
「NARUTO ですって(笑)」
 二次会の途中で失礼して、志木に移動し、17期生のOBたちの飲み会へ。
 卒業以来はじめて、だから10年ぶりになるOBもいたが、みな昔のままだったし、先生も変わらないですねと言う。「この歳になってけっこう確信もって言えるけど、男はね、いくつになっても中身はほとんど変わらないから」と真実を教えてあげた。
 思えば、この代と西関東大会へ出場した秋に、保護者の方が川越駅東口「登茂恵」で開いてくださった宴会が、懇親会の嚆矢だった。歴史は積み重ねだとしみじみ思う。やまけん君ありがとうございました。
 10月28日。
 前日は説明会で合奏ができなかったので、多めに合奏の時間をとった。現状とこの先の練習時間を考えると、かなりぎりぎりだ。ぎりぎり感がやっぱ全体に足りないのが一番問題なのだろうと思う。
 部活にかぎらないし、たぶん今の子たちにかぎらない。自分が高校生のとき、どれだけ時間を大事にしていたか。
 高校時代が貴重な時間だなんて、当事者には実感としてはわからないのだ。だからこそ、おじさんになって貴重に思え、それを浪費しているように見える存在を目にすると、おいおいそれはまずいだろと思ってしまう。
 大事にしろ! と叫んで通じるものではない。自分だって、高校時代そんなお説教をする大人をどれだけうざがったことか。「うざい」なんて言葉はなかったけど。
 何が浪費で、何が価値あるものであるかが人によって異なるという問題もある。でも、曲は仕上げないと。
 一日がんばって合奏した自分へのご褒美にウニクスに寄って「終の信託」を南古谷で観る。
 重かった。くわえて草刈民代さん演じる女医さんがあまりにイタくて、感情移入できなかった。それほど草刈さんの演技が上手だったということでもある。
 四十過ぎで不倫相手にふられて自殺未遂?、自分の患者が亡くなった時、そばにその家族がいるのにすがりついて号泣? って思う人は多いだろう。でもそういう人だと設定しておくことで、その後とった行動の未熟さにも説得力が増す。
 10月29日。
 3年漢文、1年漢文、1年現代文2こをやって、放課後は音楽座の俳優さんによるワークショップ。
 昨秋、稽古場見学に行った今の2年生たちはもとより、いったい何があるんだろと思っていたはずの1年生も喜んで参加していたと思う。
 音楽座さんが行う企業研修のワークショップを一度見学させてもらったことがある。
 そのときも担当されていた藤田将範さんは、大学生の就活セミナー、教員対象のワークショップなど幅広く出向いていると伺っているが、この分野で日本のトップランナーの方なのではないだろうか。
 できるなら、一回かぎりではなく、長いスパンでおつきあいさせていただきたいと切に思った。
 楽しくからだを動かしたあと、音楽座さんの紹介DVDを観ながら説明してくださる。「シャボン玉」のシーンで条件反射的に涙が出そうになったのでこらえた。
 がんばって、音楽座さん関係のだんどりもしている自分へのご褒美に、帰りがけにウニクスで「アルゴ」を観る。
 たしか新宿武蔵野館で初めて予告編を見たとき、すごくおもしろそうだと予感し、でもこの手の作品は都内かな、埼玉でも近くでは上映しないかなと思っていたのに、学校から数分の映画館でかけてくれるなんて。
 その恩恵にあずかれた。そして、「すごくおもしろそう」という予想ははずれ、「とんでもなくものすごく」おもしろくて、最後はドキドキして呼吸がはやまった。あわてて行ってよかった。
 10月30日。
 漢文2こ、古文2こ。放課後はEuphと金管のレッスンをしていただく。長い時間ではなかったが、今の現状を厳しくみつめさせていただく、得がたいレッスンだった。

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10月29日

2012年10月29日 | 学年だよりなど

 学年だより「素直」


 伸びる人の条件は何かと訊ねられて、「素直さ」をあげる人はたくさんいる。
 みなさんの先輩たちをあらためて思い出して見ても、なるほど伸びた子たちは本当に「素直」であったと心から思う。
 ただし、われわれの言うことを無条件に受け入れていたという意味で「素直」だったのではない。
 「自分はまだ未熟だ」という認識をもち、だからこそ貪欲に吸収したいという姿勢において「素直」だった。
 「自分」は大事だとよく言われるが、「自分のやりたいこと」を見つけようというときの「自分」とはどれほど確固たるものか。
 「自分の頭で考える」というときの「自分」とは、どれほど知性にあふれているものなのか。
 自分なんて、ほんとはたいしたことないのではないかと自覚することが、実は「素直」への第一歩だ。
 そしてそこからしか、自分を可能性を広げることはできない。
 宇都宮大学教授の香西先生はこのように述べる。


 ~  われわれには、表現技巧以外に、もう一つ謙虚にならなければならないことがあるのに気づかされる。それは、われわれの頭の程度ということである。われわれが、個人で自ら考えつくことなど、たいしたものであるはずがない。
 何よりも、私が「私」としてものを考える限り、そこで到達できることは「私」の発想・知識の枠を越えられるものではない。ものを考えるとき、「私」は、私の可能性を狭く閉じこめる限界として作用する。私の頭の悪さが、自由にものを考えることを妨げるのだ。
 したがって、私は、書き方のときと同じく、他人の様々な優れた考え方  考えた具体的な内容ではない  を収集し、情報として蓄積し、それを別の場面で自らの思考として転用しようとする。私が、「頭の不自由な人」である状態から抜け出るためには、多分これ以外の方法はない。(香西秀信『教師のための読書の技術』明治図書) ~


 他人に言われたことを無批判に丸呑みすべきでないことはたしかだ。
 (ほんとの)iPS細胞の山中伸弥先生も、日本の若者たちへのメッセージを請われ、「学校の先生を信じちゃいけない、すべて疑ってかかれ」と述べていらした。
 では、自分を信じればいいのか。
 自分についても、他人を簡単に信じてはいけないのと同じくらいには、疑ってかかるべきだ。
 部活で先輩から練習方法を教えてもらったら、先生にこういう勉強をしなさいと言われたら、親からこういう進路を考えたらどうかと言われたら、いったん受け止めよう。
 自分の考えや自分の希望は大切なものではあるが、それがゆるぎなく正しいものである保証はどこにもない。今の自分にこだわりすぎることは成長を遅らせることになる。

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ドラフト

2012年10月26日 | 日々のあれこれ

 朝日新聞で西村欣也氏が言う。

 ~ 大谷は日本のプロ野球ではなく、すでにメジャーを選択している。ルーキーリーグからはい上がる決意を固めているのだ。栗山監督は「ファイターズのやり方は変えられない」とも言った。その年で最も有望な選手を1位指名するというポリシーだ。それはわかる。でも、栗山監督には18歳がどれだけの覚悟で態度表明したのかも、十分にわかっているはずだ。「話を聞いてもらうチャンスをもらった」。栗山監督はこうも言ったが、大谷の決意が揺らぐとは、思えない。 ~

 昨年の日ハムが、巨人しか行かないと言っていた菅野選手を強行指名した件については、ドラフトの形骸化を防ぐ良い指名だったと評価している。
 今年のはちがうのかな。
 巨人しか行かないと言うのはアウトで、大リーグしかいかないと言う選手には、夢をかなえてやれ、というのが西村氏の論理?
 なんか、それもちがうのではないだろうか。
 もちろん、大谷選手の決断は立派だ。
 高校三年で、単身アメリカにわたって、ゼロからのスタートをすると言っているのだから。
 最近、自宅さえ出たがらない若者が多い中で、その意気や、よし。
 でもそれとドラフトとは別物だ。
 選手の気持ちはどうであれ、球団側はほしい選手を指名する。
 今まで何人かいたけど、「巨人しか行かない、巨人以外ならプロ行かない、日本から出る」とか言われたからといって指名を回避したのでは、ドラフトの意味がなくなる。
 わずかな可能性にかけて大谷選手を指名した日本ハム、これもまた、その意気や良し。
 本人の希望がどうあれ、ほしい選手を指名できるのがドラフトで、出来レースをつくらないのが本来の主旨だ。
 西村氏が批判すべきは、やはりジャイアンツじゃないのだろうか。
 ま、チームのトップが裏業界の方に一億円貢いでいてさえ、何のおとがめもないグループ企業だから、はなから普通の論理が通用しない相手ではあるが。
 て書いててネットニュース見たら、日ハムのGMとスカウトの方が訪れたけど、大谷君は会わなかったという記事があった。
 みずからいばらの道を選んだ大谷君には、ぜひアメリカで頑張ってほしいと思う。
 でも、それと礼儀とは別だ。
 どんな形であれ、野球でごはん食べていこうとしているわけだから、自分を指名したチームの方がみえたら、ちゃんと会って自分の気持ちを言うべきだ。
 それが大人の道を一歩踏み出すということだ。
 そのへんは、まわりの大人の人がちゃんと言ってあげないといけないんだけどなあ。

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10月24日

2012年10月24日 | 学年だよりなど

 学年だより「遠回り2」

 ~ はたから見たら、僕の人生は、遠回りで非効率に見えるかもしれませんし、無駄なことばかりやっているように思えるかもしれません。もっと合理的な生き方が出来たんじゃないの? と思われるかもしれませんが、そうやって遠回りしたからこそ今の自分があるんじゃないかと思います。(山中伸弥・益川敏英『「大発見」の思考法』文春新書) ~


 「自分のやりたいことを見つけよう」「自分の夢をかなえよう」と言う。
 このことば自体にウソはないが、世の高校生みんなが、高校一年次にそれを見つけられるとはかぎらない。むしろ、身体的・精神的に未熟な状態で、あわてて見つけない方がいいとも言える。
 まずは、しっかり力をつけて、いろんな経験を積んで、できれば自分には向いてないと思われるようなことにもチャレンジして人間的に成長し、その過程で「これ」というのを見つける方がいい。
 もし山中先生が、遠回りせずにまっすぐに基礎研究の道に入っていたなら、先生自身が当時「やけくそ」で発想したと言う「iPS細胞」の研究には携わってないかもしれない。
 また先生の研究を支えてきた高橋和利さん(京大講師)にも出会ってない可能性も高い。
 だとしたら、山中教授の「遠回り」は、本当にやりたいこと、やるべきことに出会うための必然であったとも言える。
 神様はなんらかの形で、その人にやるべきことを与えてくれるのだ。
 かりに今、みんなが文系・理系の選択ミスをしたとしよう。しかし、その後何年か、もしくは何十年か経って、自分の人生に必要な選択だったといえる日が来るかもしれない。すると、それは間違いではなく必然ということになる。
 人生の選択が成功・失敗は、その時点では判断がつかないのだ。
 これだ、と決めたら迷わず進む。そしてがっつりやる。それにつきる。
(卒業はしてもらわないといけないので、科目との相性は考えてください。)
 あと、山中先生と益川先生のお二人のノーベル賞学者の対談本に、こういうお話しがあった。
 益川先生が、「人間の思考方法には二通りある」と述べられて、こう続ける。


 ~ 一つは、ものごとをできるだけ具体化する方法。具体例を使って解法を見つけ、その性質を使って元の問題にアプローチするというやり方です。
 もう一つは、徹底的に抽象化し、シンプルにする。そうすると夾雑物がなくなって、操作しなきゃいけない概念や数が少なくなってくる。数学者は比較的この思考方法を使うんです。ただし、勝手に抽象化しても成功しない。合理的なやり方をしないと抽象化できないの。
 そもそも物理学というのは非常にシンプルで厳格な学問です。物理学の法則は、世界のどんな場所でも、暑かろうが寒かろうが、必ず成り立たなくてはならない。一方で、生物学では非常に個体差が現れやすい。ある一定の温度や湿度、圧力下でしか起きない現象も多い。その意味では正反対の学問なのではないかという気がします。 ~


 自分が得意なのは「抽象思考」か、「具体思考」か。物理・生物の選択の参考にしてみてほしい。

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やせる

2012年10月23日 | 日々のあれこれ

 南雲先生のご本が売れている。「実年齢より20歳若返る」シリーズは当然買ったし、ゴボウ茶も飲んでみた。
 一日一食ダイエットもちょっとやったが、リバウンドが大きい。今までも結果的に一日一食になってしまった日がないこともなく、そういう日の翌日は、よーし、この勢いでカロリー少なめな日々を過ごそうかと一瞬思うけど、気づいたらいろいろ食べている。昨日食べてないから、今日はけっこう油っこいものを摂ってもまあいいだろう的気分になり、しかもその気分を二、三日続けてしまう問題が起きる。
 一日一食ダイエットも、一応意図的に、朝ジュースだけ、昼はナッツ、夕食は好きなもの的にだんどってみたが、けっきょく翌日はがっつりいってしまう。純粋にカロリー摂取量の問題ではなく、気持ちの問題だ。
 食事に気を遣いすぎない方が、ストレスがたまらなくて、結果的にはいい食事ができる、その方がかえってふとらないという意見は、だからかなり納得できる。
 SPAの今週号には、高須先生による、南雲批判が展開されていた。
 人間、少しふとっているくらいの方が長生きできる、南雲式の一日一食はからだに悪いという内容だった。
 このお二人、つい先日何かの雑誌で対談されているのを読んだから、かなりプロレス的な展開ではあるのだろう。 南雲派、高須派、さあ、どっちか。
 たぶん、どっちでもいいし、どっち派に立てばいいかは人によって異なる。
 南雲先生は、結局自分がやってみて、たまたまうまくいったことを紹介している。
 お医者さんであるために、いろいろ理論も裏付けできるので、読む人は信じやすい。
 高須先生もお医者さんだ。少し太めの方がいいとの主張通り、ご自身もぽっちゃりタイプだ。
 南雲先生はけっこうがっつりしぼれる方だから、それがいいと主張し、高須先生はちゃりぽつタイプだから、それがいいという医学的見解をつくられた。
 正しい理論にあわせて自分の身体をコントロールした結果が今のお姿ではなく、自分にあわせた理論を見つけられたと考えた方がいいのかもしれない。
 お二人の理論は、実はどちらも正しい。正確に言うとお二人にとっては、それぞれが正しい。
 一人一人にそれぞれの正しさがある。
 好きなものを腹一杯食べていい、ただし毎日30分歩こうダイエットがいい人には、それがいい。
 炭水化物だけを減らす方法がいい人は、それがいい。
 バナナばっかりダイエットも、納豆食べまくりダイエットも、それを考案した人はたまたまうまくいったのだ。
 岡田斗司夫先生の「レコーディングダイエット」は、知っているダイエット法のなかでは、もっとも汎用性が高い気はする。
 そうであっても、レコーディングダイエットという方法を一番効果的に実践できる人が岡田先生であることは間違いない。
 最近、勝間和代さんが書かれた『やせる』の「H=N/C」ダイエットも、勝間さんにはぴたっとはまったのだ。
 それも今の勝間さんだ。十年前の勝間さんが、この本に書いてあるように「まごわやさしい料理」なんかを家で作る暮らしをしていたなら、何千、何万のカツマーとよばれる信者を生み出すほどのお仕事はできなかったのではないか。
 結局ダイエットは、ダイエット方法自体のいい悪いよりも、その方法論を取り入れた生活全体をどう構築できるかにかかっている。
 生活の大枠をかえずに、食事の回数や量を減らすだけで、ダイエットが可能になるわけではない。
 やせる人はやせる生活をし、太る人は太る生活をする。
 食生活うんぬんではなく、どんな仕事なのか、どんなことを考えているのか、そういうものの総体が、たまたまその時点でのひとつの体型になっている。

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ソロモンな日々4

2012年10月22日 | おすすめの本・CD

  「指導力不足教員」という判定を受ける先生が、年間にたしか何百人かはいらっしゃり、指導をうけたり、中には退職される方もあると聞く。
 現実には、よほど「目にあまる」場合にかぎってそのように判定されているといったところだろう。
 生徒や保護者の立場からすれば、「あの先生も、指導力不足なんじゃね?」的にみえる対象はけっこういると思うし、内外のきびしい目にさらされ、丸腰で教壇に立つしかない今の教員は、いつ誰が「不適格」のレッテルを貼らてもしかたない状況におかれている。

 美術の丹野先生も、そう見られるタイプの先生として描かれている。
 不良グループを注意できないし、学校業務をこなしている雰囲気もない。
 生徒たちからはユーレイとあだなされるほど影の薄い教師だが、亡くなった柏木君の数少ない理解者だった。
 丹野自身、中学生時代はいじめられる側で、孤独な生徒だったと、証言席で述べる。
 柏木くんとはたしかに何回か話した。現実世界の理不尽さをかみしめる彼は、そのつらさで学校にこれなくなったのではないか、と主張する。
 ふだんの丹野先生とはイメージが異なり、言いたいことをはっきり主張していると、藤野涼子は感じる。
 「先生は、こういう場で言いたいことを主張する方ではなかった。ひょっとして辞職するつもりではないでしょうか」と涼子が尋ねる。
 「よくわかりましたね」と丹野が答える。
 この学校内裁判の過程で、柏木君の実像をずいぶんつかむことができた。
 教師のなかで唯一とも言える話し相手であった自分が、もう少し彼の心に踏み込んでいたなら、今も元気に暮らしていたかもしれないと言う。丹野は責任を感じていたのだ。

 
 ~ 「ありがとうございます。質問は以上です」
 着席するかと思えば、検事はむしろすっくと姿勢を正して、証人席を離れようとする丹野教諭に呼びかけた。「丹野先生」
 ユーレイが、疲れ果てたようにふらりと振り返った。
 「お辞めにならないでください」
 「柏木君のように、先生と一緒に画集を見たり絵の話をすることで学校のなかに居場所を見つける生徒が、ほかにもいるかもしれません。そんな生徒には、先生が必要なのです」 ~


 「指導不足教員」レッテルをはられる教員でも、そういう先生を必要とする生徒はいるかもしれない。
 学校の先生が、みんなが常に前向きで、すきがなかったら、生徒だって息がつまる。
 一見だめだめタイプな人とか、暗い人とかも、いろんなタイプの人が学校には要る。
 なので、おれ自身も、本当はパーフェクトタイプなんだけど、あえて時々だめだめになっている。

 『ソロモンの偽証』三巻通して、ちょっとこれはなあと感じる先生がけっこう出てくる。
 宮部みゆき氏は、先生に対しては生徒さんにほど愛情をもって描いてくれてないような気もした。
 それでも、身びいきなしに冷静に職場を見渡し、同業者を思い浮かべてみたなら、かなり正確につかんでいる教員集団であるとも思えた。
 保身第一主義的先生と、生徒側に立つ先生、傍観タイプ先生の比率なんかも。
 自分の身に置き換えてみても、小説の中の存在だから「藤野さん萌えぇ」とか言ってられるけど、本当に目の前にいたら、もてあますのではなかろうか。あれだけ賢くてビジュアルまで整ってたら、ちょっとひるんでしまう。
 この生徒のきらわれないようにしようとか思ってしまいそうだ。
 なんにせよ、この学校の先生方は、学校内法廷を開かせてあげたということで評価されるべきだ。
 学校裁判を成立させてくれた関係者の方々に、そして最後までやりきった中学生たちに心から拍手を送りたい。

 同級生が学校で自殺するという出来事は、もちろんあってはいけないものだし、どんな理由があっても正当化してはいけないと思う。
 「いじめはいけない」という主旨の授業で、自殺した生徒の遺書を読んでその心のいたみを慮ろうという実践例がある。
 愚だ。なにゆえ愚であるかわからない教師は、そんなうわべだけの授業はかえってやらない方がいい。
 『ソロモンの偽証』を読んで、作品世界の中学生たちが、その事件をどううけとめ、どう乗り越えようとしたのかを、せめて読んでみるべきだろう。
 宮部みゆき作品はどれもそうだが、「ミステリー」というくくりを超えて現実社会を写しだし、人間の業と、人間だから見いだせる光を描く。
 これに比べると、いま「城の崎にて」を予習してるけど、なんか世界が狭すぎて悲しくなってくる。
 いや、日本の小説もだから成長していると思えばいいのか。

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日曜日

2012年10月21日 | 日々のあれこれ

 試験中の日曜日。
 ありあわせでお弁当をつくり、バイトに行く娘を送り、登校してかぎをあけ、あると読んでしまう新聞は敢えて取り込まず、まだ頭がさえているうちに現代文の記述の部分だけ採点してしまい、いきおいで試験後の授業の準備をしてしまう。さすがに誰も先生も生徒も登校してこない。
 採点にもどり、あきてきたところで、午後の指揮レッスンの予習、あきてきたところで、試験後すぐ合奏をはじめねばならない曲の譜読み、すぐあきたので角田光代の新作『空の拳』をしばらく読む。指揮法の会場準備をしてお弁当を食べる。さつまいも煮とインゲンの梅和えは夕飯の残り、昨夜お酒のおつまみにしようと半額で買って帰ったメンチカツは食べなかったので、それと、自分で作ったのは干鱈の煮付けだけ。地味だけど自分だけのお弁当なら十分だ。
 午後、指揮レッスンでは、帰りがけにピアノの先生から「今日、ほんといいレッスンでしたね」と言ってもらえるほど、本質的なところを教わった。毎日必ず復習しようとかたく心に決める。
 山中教授ネタをひっぱって次の学年だよりを少し書く。それにしても、あのiPS細胞で作った心筋を移植した先生だけど、どうやってみんなをだましてきたんだろ。読売の記者さんばかり今あほ扱いされてるけど、東大も文科省もだまされて助成金を出してたわけだから、読売新聞をスケープゴートにしててもだめではないか。
 ひょっとして復興予算もわたしてたんじゃないか。
 朝日新聞は、うちにも売り込みがあったがひっかからなかったと、鼻高々な記事を掲載していた。そんなことを言える資格はないだろ。 
 われわれも、放射線がどこまで危険か、大丈夫か、未だにだれもわかっていないし、武田邦彦先生のお話などもiPSの先生と本質的に似てるのかなと思ったりする。
 何が本当なのか。人はだまされる生き物だという点は、ゆるがない事実だ。
 ある程度はだまされないと人生は楽しくない。

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BUNGO~告白紳士たち~

2012年10月20日 | 演奏会・映画など

 しばらく前に「よその家のおにぎりが食べられない」症候群が蔓延しているという話題があった。
 「怒り新党」で、有吉さんが「よそんちのかあちゃんの作った弁当食べれない。ちくわにキューリつめたみたいなの、だめ」と言ってて、たぶんそれをきっかけに週刊誌(AERAかな)が、よその家の人が握ったおにぎりが食べられない学生が増えているという記事にしてた。
 なんとなくわかるような気がした。娘もわかるわかると言っていた。よかった、父のは食べてくれて。
 説明するならば「潔癖症」の一症状と言うしかなく、それをほんとに「症」とよべるなら、多くの人がなんかちょっとは気になってしょうがないことを持っているような気はする。個人的なちっちゃなことを言うと、プールサイドの濡れてるとこをはだしで歩くのが昔やだった。

 物があまり食べられない、とくに肉や魚を食べると自分の身が穢れるような気持ちになって、無理に食べると吐いてしまう、そんな子供がいた。
 なんとかちゃんと食べてほしい、食べて大きくなってほしいと願う母親は、いろいろ試した結果、炒り卵と海苔なら食べられることを発見する。
 父親は、おまえが甘やかすからだめなんだと母親をなじる。
 岡本かの子「鮨」には、そういう子供が出てくる。
 父になじられ、学校からは「ずいぶんやせているので、しっかり食べさせてください」と連絡がくる。
 母親はついに「おねがいだから、もっと食べてちょうだい」と涙ながらに頭をさげる。
 子供は罪悪感を感じ、自分は親不孝をしてしまった、よし、こうなったら何でも食べてやろう、それでこの身がほろんでもしょうがないと決心する。お母さんにつらい思いをさせるなら、無理に食べて死んでしまってもしょうがない。


 ~ 子供は、平気を装って家のものと同じ食事をした。すぐ吐いた。口中や咽喉を極力無感覚に制御したつもりだが嚥のみ下した喰べものが、母親以外の女の手が触れたものと思う途端に、胃嚢いぶくろが不意に逆に絞り上げられた――女中の裾から出る剥げた赤いゆもじや飯炊婆さんの横顔になぞってある黒鬢つけの印象が胸の中を暴力のように掻き廻した。(岡本かの子「鮨」) ~


 母親はある企てをした。
 晴れた日の縁側にござをひく。まな板、包丁、水桶などを並べる。それらはすべて新しく買ったものだった。
 子供をよび、目の前でごはんに酢をまぜて寿司飯をつくる。そしてこう言う。

「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それからこしらえる人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。」

 蠅帳のなかに、すでにいくつかの具が用意してある。
 母親は、酢飯をにぎって形をととのえ、まず卵焼きをのせた。


~ 「ほら、鮨だよ、おすしだよ。手々で、じかに掴つかんで喰べても好いのだよ」
  子供は、その通りにした。はだかの肌をするする撫でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯のように子供の身うちに湧いた。
 子供はおいしいと云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。 ~


 その様子をみて母親は二つ目を握り、子供の皿に置く。
 用意してあったイカをのせ、「白い卵焼きだと思ってお食べ」という。
 生まれて初めてイカを食べることができ、しかも思いのほかおいしかった。
 次に出されたのはヒラメだった。口にもっていくときに、一瞬においに鼻がつまったが、子供は思い切って口に入れかみ砕いていく。
 そのとき、こどもは今のはたしかに魚にちがいない、自分は魚を食べることができたという喜びに包まれた。


 ~  「ひ ひ ひ ひ ひ」
  無暗に疳高に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒を、ひとつひとつ払い落したりしてから、わざと落ちついて蠅帳のなかを子供に見せぬよう覗いて云った。
 「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」
  子供は焦立だって絶叫する。
 「すし! すし」
  母親は、嬉しいのをぐっと堪える少し呆けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯忘れ得ない美しい顔をして
 「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上げまあす」
 最初のときのように、薔薇いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから鮨を握り出した。同じような白い身の魚の鮨が握り出された。 ~


 食べる場面を描いた小説は山ほどあるが、一番印象的なのはと聞かれたら、まずこの作品が思い浮かぶ。
 お鮨小説としては「小僧の神様」と双璧ではないだろうか。
 この「鮨」と、坂口安居「握った手」、林芙美子「幸福の彼方」の三作品が30分~40分で映像化され、その三つあわせて「BUNGO~告白する紳士たち」というタイトルの映画になった。
 文字通り文豪の書いた原作だが、それを具現化して、また別種の魅力をつくりあげたのは、「鮨」で鮨屋の娘を演じた橋本愛さん、「握った手」の成海璃子さん、「幸福の彼方」の波瑠さん(まじかわいい)という女優さん。
 ほんとに、どの娘さんも、日本の宝だ。
 そしてその三人におとらないのが、子供に鮨を食べさせる母親役を演じた市川実日子さんだ。

 「すし! すし」と子供が声をあげるところ、映画では、こらえきれなくなった母親が涙をみせる。
 もちろん見ているこちらもこらえられない。
 市川実日子さん、先日舞台でみたときもキュートだったが、丸髷を結った日本のお母さん役は本当によかった。

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ソロモンな日々3

2012年10月18日 | 日々のあれこれ

 いよいよ、学校内裁判がはじまった。最初に弁護側の証人として召喚されたのが、事件当時校長だった津崎先生である。
 「現実の法廷とは異なりますから」と、判事の井上君が説明を始める。
 検事側の証人だから検事の味方、弁護側の証人だから弁護側の味方とは限らない、真実を明らかにするためにどちらの証人でもあっても予断をもたずきちんと聞くようにと、陪審員をつとめる9人の同級生に注意する。
 傍聴席を埋めた大人たちにとっても、この法廷のシステムを理解させる言葉になった。


 ~ 「津崎先生には、こちらが主尋問を行いますご足労いただきましてありがとうございます。」
「判事の説明のおかげで話しやすくなりました。こちらこそありがとう」
 津崎の声音は穏やかで、笑みをふくんでいた。誇らしいのだろうと、礼子は思った。わたしが津崎なら、きっと誇りに思う。そうやって胸をふくらませる分だけ、この子たちに、こんな形で真相究明という仕事を残してしまった自分自身に恥じ入りながらも。 ~


 津崎の誇らしさはよく理解できる。
 勉強でも部活でも行事でも、教員のイマジネーションをはるかの超える成果をあげる生徒がいる。
 そのレベルまで達する子どもたちは、教員の指導があったから、そうなったとは言えないことを、分別のある教員ならわかっている。
 持ってうまれた能力、それを開花させる努力。「その」教員が関わらなくても、その成果は達成された可能性は大きい。
 でも、と思いたい。でも、自分はその子の成長の邪魔をしていない。
 そういう子は「邪魔」されてさえ伸びきる能力を持っているが、でも、その子が成長する環境をつくってあげたのは自分だし、少しは自分が背中を押してあげたのがよかったのかもしれない。
 何より、その生徒のその結果が、自分のことのようにうれしいのだ。

 津崎先生が事件後にとった対応は、結果的に問題もひきおこしはしたが、その時点での現場の判断としては最善に近かったのではないか。
 保護者への説明のしかた、告発状の処理、マスコミへの対応などのどれをとっても。
 それは、最終的には自分が責任をとる、何より自分の学校の生徒を守るという一線を基準にしていたからだ。
 そういう目で先の大津市の事件をふりかえってみると、学校長、教育委員会ともに問題があったとあらためて感じてしまう。
 情報をすべての教員に明らかにしなかったことも、危機管理としては正しいと思う。
 不都合な形で情報が外にもれ、そのせいで一部の生徒が傷つく事態もありうることを津崎先生は想定していた。
 そういう事態をひきおこしかねない教師も中にはいるという認識があったからで、そういう職員室の様子もきわめてリアルだ。
 学校の管理経営面と、対生徒への教育活動とは、ときに対立矛盾する場面もあり、そういう意味では非常に難しいお仕事を校長という役職は担うが、津崎先生は有能だった。
 だからこそ、藤野さんや井上くんが育つ環境もできていたと思いたい。

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